無垢なる女、竜の威を借り、下賎を払う
「どうした?」
アルベルトと呼ばれた偉丈夫が、近づいてきた男に振り向いた。
アルベルトの下に駆け寄った男は膝に手をつき、肩を揺らす。息が整うより早く顔を上げ、鬼気迫る勢いで告げた。
「まただ、まただよ! 帝国の蛮族が来やがった!」
「くそッ、こんなときにッ。――おい、悪いがお前に構っている暇はなくなった。見逃してやるから、どこへでも行け。だがな、この林にも、オレたちの村にも手を出すな。いいな!」
釘を刺すように強く言い捨てると、アルベルトは村人の男と共に駆け出した。
「まったく、騒々しい輩だったな。それにしてもルナ、思い切りが良いな。凡人ならば、あんな真似はできまい。やはり錬金術師たるからか」
二人の男に背を向けてゾルの近くまで戻った琉凪は、バインダーを持ち上げるとその場にへたり込んだ。
「バカ言わないでよ、バカ。あんなの勢いに決まってんじゃん。あーッ、もうッ! あんなこと、ぜぇーったいに二度とやんないからッ」
「それは一向に構わぬが……提案がある。ガイン村を救ってはみぬか?」
「はぁ? なんでよ? さっきの、アルベルト? ってのがいるんだし、大丈夫でしょ」
「それは一理ある。だがな、ガイン村を救えば、おそらくそなたに絶大な利がもたらされるだろう。食料と水、あわよくば今夜の寝床までありつけるかもしれん。それに、帝国の正規兵でもない蛮族程度、吾輩の一吠えで尻尾を巻くだろう」
琉凪は半眼でゾルと視線を交える。そして渋々といった風に立ち上がった。
「あー……うん、分かった。えっと……ガイン村? 救えばいいんでしょ?」
「うむ、賢明だ、ルナ」
ゾルは琉凪を手に乗せ、広大な翼を羽ばたかせ、上空へと舞い上がった。
*
「よぉ! 痛い目に遭いたかねぇだろ? 食いもんと水、酒、あと女を出しな!」
「女は上玉にだけにしろよぉ? しょーもねぇもん出したらぶった斬るかんなあッ?」
凡俗な武装を見せつける蛮族が五人、ガイン村に押し寄せた。
我欲のよだれを垂らす獣共に、戦士の帰還を待つ村人たちが、なけなしの抵抗を始めてしばらく経った。
「おい、お前たち! 今すぐ村から出ていけ!」
気勢あふれる勇ましい声と共に、アルベルトという名の偉丈夫が現れた。
年期の入った鉛色の幅広な両手剣を肩にかけ、威風堂々たる振る舞いで蛮族たちの前に立ちはだかる。
「あぁ? なんだてめぇ、やろうってか? ……てかよぉ、五人相手にすんなら、せめてあと二人はいねぇとダメだろぉ?」
「この村の戦士は、オレだけだ」
「おいおいおいおい! お前ホントバカじゃねぇの? 五対一で勝てると思ってんのかよ! ウッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャ!」
アルベルトに一人が嘲るように笑い始めると、他の蛮族たちもつられて爆笑する。
聞くも耐えがたい獣共の遠吠えなど歯牙にもかけず、アルベルトは両手で剣の柄を持ち、正眼に構える。
「やってみなければ分からんだろう? 痛い目を見たいヤツからかかって来い!」
「おうッ、お望み通りかかってやんよぉッ!」
アルベルトからすれば一対五という劣勢のまま、蛮族たちとぶつかり合う。
最初こそアルベルトが猛威を振るい、優勢を見せて押していたが、五分と経たずして戦況が覆った。
地面に叩き伏せられ、屈強な肉体を蛮族たちの足蹴により袋叩きにされる。
蹴撃の嵐が過ぎ去ると、力尽きたアルベルトに何人かの村人が駆け寄った。
「ゲーヒャヒャヒャヒャ! おい、野郎共! 食いもん、水、酒、女、金、宝石! 片っ端から探して持って来い!」
リーダーらしき男が命令すると、手下の蛮族たちは散開する。
「や、やめろ……くそ……こんな、こんなヤツらに……くそぉ……」
仰向けにされた状態から起き上がろうとするが、苦悶の声を上げて倒れ込んだ。
これから蹂躙される村を見つめる偉丈夫の瞳が、あふれた涙に沈んでいく。
「ゲァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
ついに蛮族の一人が家屋の扉をこじ開けようとしたとき、村中の大気が震えるほどの爆音が轟いた。
動揺を見せる蛮族たちの声と、怯える村人たちの声が不協和音を奏でる。
そして一帯に闇がのしかかった。
外にいる者たちが空を見上げると、巨大な影が空から降り注ぐ光を蝕んでいる。
「ゲァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
先ほどと同じ爆音が再び大気を震わせながら轟く。
やがて頭上の巨大な影の正体を、蛮族たちと村人たちは理解した。
「竜だ! でっかい竜だ!」「なんで! なんでこんなところに!」
災厄を目の当たりにしたような絶望感が、村全体を包み込んだ。
村人たちは村人たちで、蛮族たちは蛮族たちで固まり、身を寄せ合う。
「ゲァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
三度目の爆音のごとき咆哮。やがて突風と地響きを上げながら、巨体を誇る白い竜が大地を踏みしめた。
「あ……あれは……さっき、の……」
首だけを持ち上げ、アルベルトは村の広場に舞い下りた白竜の背を見据える。
巨体の向こう側から、一人の少女が現れた。
少女は首を振ってあたりを見渡すと、満身創痍のアルベルトを見つけるや否や、小走りで駆け寄る。
「あー、やっと見つけたー。なんかすごいボロボロだけど、大丈夫? 生きてる?」
しゃがんで覗き込むように見つめてくる少女の眼差しから、アルベルトは逃げるように目を背けた。
「な……なぜ……お前が……ここ、に……?」
「なんでって、えーと……そう、恩返しよ、恩返し」
「なに、言ってるんだ……? オレは……お前を……」
少女はアルベルトの周りにいる村人を押し退け、偉丈夫の頭のそばに近寄る。
そしてアルベルトの耳元に口元を近づけて囁いた。
(あのさ、とりあえず今はあたしに合わせてよ。このまま、あいつらに好き勝手されてもいいの?)
(……分かった、応じよう)
少女は立ち上がり、改めてアルベルトを一瞥すると白竜に向かって歩き出す。
やがて白い巨体を通り越し、身をよせて固まる蛮族たちの前に立ちはだかった。
「ねぇ、あんたたちが山賊? あのさ、ここの村って、向こうに転がってるあたしの恩人の、すっごく大事な村なんだよね。もし、ここにまだ居座ろうってんなら――」
少女は親指を立てた握り拳を、背後にいる牙を剥き出して息を荒げる白竜に向ける。
そして瞳孔を開き、冷酷無慈悲な仮面を被っては悪漢どもに告げた。
「あんたら全員、あれん中にぶち込むぞ?」
少女の非情な宣告が終わると同時に、白竜が彼女の背後まで歩み寄る。
顔を引きつらせる蛮族たちに口先を近づけ、勢いよく開いて凶悪な牙を見せつけた。
「ひッ、ひいいいいいいいい! お前ら、撤退だあッ! お、憶えてやがれ、この、く、クソ魔女があッ!」
全身の血の気が引いた蛮族たちは、ガイン村から一目散に飛び出していった。
蛮族たちの背を睨みながら、少女は空いた手を腰に当ててつぶやく。
「……なによ、クソ魔女って――酷くない?」
*
「オレはアルベルト。アルベルト・マガナスだ。先ほどは助かった、ルナ、ゾル」
蛮族たちに滅多打ちにされたアルベルト。屈強な肉体ゆえか、生まれ持っての打たれ強さか、なんにせよ骨折や致命的な痛手には至らなかった。
さらに、多少の休息をとっただけですぐに立ち上がり、復帰したのだ。
アルベルトは村人たちに、琉凪とゾルを旅人として紹介する。
「いやぁ、助かりました、お嬢さん」「すごいねぇ。竜を連れた旅人さんなんて、初めてだよ」
村人たちの純粋な感謝と賛美に、琉凪は思わず顔を綻ばせる。
しかし慣れないことをして、慣れない状況に置かれてか、応対はどこかぎこちない。
「ルナ、ぜひ恩返しをさせてくれ。大したものは出せないが、どうだ?」
アルベルトが琉凪に示す態度と表情は、あの林で見せたものとは正反対だ。
ゾルの進言通りに事が運んだことに、琉凪は戸惑いながら答える。
「あー、うん、そだね……じゃあ、食べ物と水、もらっていい?」
琉凪の要求に、アルベルトは目を丸くして呆然といった表情を示す。
「……それだけ、でいいのか?」
アルベルトが途端に顔を曇らせたことに、琉凪はぎこちなく聞き返す。
「え、うん……な、なんで?」
「いや、たとえ流浪の旅とはいえ、少しくらいは金がいるだろう? それに、今夜の寝床は決まっているのか? ――あ、いや、竜が共にいるなら、宿は要らぬか」
アルベルトの言葉に、琉凪は思わずといった様子で息を呑んだ。
金。そう、金だ。
琉凪が知る世界よりも文明水準ははるかに劣っているようだが、それでもなにかを得るためには対価――金が必要なことは変わらない。
「お、お金かぁ……。うぅん、それは、ちょっと考えさせて? それより、今夜泊めてもらえるんなら、お言葉に甘えよう、かな?」
琉凪の返答に、アルベルトは爽やかな微笑を浮かべた。
「お安い御用だ」
こうして琉凪は、ゾルが言った通りに、水と食料、そしてこの日の夜を明かす寝床を手に入れることが出来た。