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無垢なる女、己の歪んだ運命、その一端を視る


 湖を後にした一体の竜と一人の少女は、近くに小さな村がある林の中へと舞い下りた。


 琉凪を降ろすと、白竜は音を潜めるようにゆっくりと四肢を折り畳み、座り込んだ。


 視線の高さを琉凪に合わせるように、下あごを地面につける。


「さて、女子(おなご)よ。ここがどこか、という問いだったな」


「あー、ちょっと待って。……あのさ、その女子(おなご)って呼び方、やめてくんない? あたしは満月(みつき)琉凪(るな)っていうの。だから、ルナって呼んでよ」


「ミツキ・ルナ……ルナ……? そうか、そなたも――いや、うむ、承知したぞ、ルナ」


「じゃあ、あんたは?」


「ゾルヴェート・コーグラ、だ」


「ぞるべ……なんか憶えにくいし、ゾル、でいいよね?」


「ゾル……あぁ、構わない。ルナが呼びやすければ、ゾルで良い」


「じゃあゾル、ここってどこなの?」


「うむ、ここはインコロール大陸の西側、ヴェルデ共和国の領地だ」


「え……インコロール? ヴェルデ、共和国? 日本じゃないのは分かるけど、アメリカでも、イギリスでもないわけ?」


「それは……大陸の名前か? あるいは国家か?」


 今の白竜――ゾルの反応を見て、琉凪は唖然とした。


 日本、アメリカ、イギリスと、言い並べた国名に対して、ゾルは大陸あるいは国家かと聞き返した。


 つまり、ここは琉凪が知っている世界ではないのだ。


 そもそも竜や水馬という非現実的な存在がいる時点で、ルナの生まれ育った世界ではないことは明白だが。


 国外どころか、見知らぬ世界に独り放り出された。


 それがどういうことか、琉凪は瞬時に、直感的に理解したのだろう。


 込み上げるものを押さえつけるように、目元に力を込めてきつく閉じる。深く息を吸い、長い時間をかけて細く吐く。それを何度か繰り返し、目を開いては頷いた。


「……いいよ、続けて」


「うむ。インコロール大陸の西側をヴェルデ共和国が、東側をロッソ帝国が治めている。そなたと吾輩が先ほど契約を結んだ地は、アルヴァ砦というロッソ帝国の領地にある建造物だ。水馬がいた湖もまた帝国領に当たる。ここまでは大丈夫か?」


「……うん、いいよ」


「アルヴァ砦だが、あれは国境沿いに位置する、帝国にとっては重要な拠点だ。吾輩たちはそこから湖を経て、国境を越えた。今いるのは大陸の南。ヴェルデ共和国領の国境近くに位置する、ガイン村だ」


「……あたしたち、あまり帝国から離れてないってわけ?」


「そういうことだ」


 名も知れぬ似たような木々が生い茂る林の中、琉凪は東の空――つい先ほど白竜と共に辿った空を見つめる。蠢く赤い敵意に、恐怖と抵抗を示すような力のこもった目で。


「ふーん……。あのさ、あたし……この世界の人間じゃ、ないんだよ」


 か細く、にわかに震えが生じた声で、琉凪が唐突に切り出した。


 少女が被るボロい皮を無理矢理に剥ぐように、林の中に灰色の乾いた風が吹く。


 ゾルは呆然とすることも、好奇の意を向けることもなく、琉凪の二の句を待つ。


 だが、琉凪は言葉を続けるわけでもなく、黙ったまま佇んでいる。


「別に良いではないか、そんなこと」


 柔らかな物言いの声に、琉凪の鋭く固まった目元から角が取れた。


 直後、ゾルの頭が琉凪の左に突き出される。


 琉凪は横目で白竜の大きな瞳を捉えた。とても涼しげな雰囲気を醸している。


「そなたがどこの誰であろうと、吾輩にとってそなたは錬金術師であり、吾輩の契約者。こうして言葉を交わすことも出来る。ゆえに、なんの問題もない」


 ゾルが静かに、かつ穏やかに紡いだ言葉は、琉凪が被っていた皮を優しく取り払った。


 琉凪は両膝を抱え込むようにしゃがみ込み、組んだ腕の中で嗚咽する。


「……まったく、叫んだり泣いたりと(せわ)しないものだ」


 呆れるゾルの面持ちは、しかし微塵も嫌味な風ではない。


 泣きじゃくる我が子を愛でるように、穏やかな瞳で琉凪を撫でる。


 再び立ち上がった琉凪の顔は、目を充血させ、鼻水の痕を残しており、とても人前に立てるものではない。


 鼻をすすりながら目元を拭っていると、琉凪の腹が音を上げた。


「どうやら、腹を空かしているな? ならば、水と食料が必要だ。どうする、錬金術でも試してみるか?」


 ゾルの言う通り、琉凪には水と食料が必要だ。


 先ほどの水馬がいた湖では、水を飲むことすら忘失するほどに緊張していた。


 加えて、玄関を飛び出す際に持っていたものは、錬成陣が綴じられた分厚いバインダーのみ。


 なにも持っていないに等しい状態から、勝手の分からぬ土地で、水と食料を手に入れなければいけない。


 気が済むまで泣きじゃくった後の子どものように鼻をすすり、ようやく琉凪が話し出した。


「……水なら、なんとかなるでしょ? ……大気中には水分が含まれてるんだし……錬金術でそういうのを集めれば、さ……?」


「ほお……さすがは錬金術師、だな。それで、食料はどうする? さすがに生命を錬成することはできまい?」


「……うん。でも、人体錬成の陣ならいくつかあるし……いや、やめとく。……変に不完全なものが出来ても嫌だし……食べる気にもなんない……と思う」


「人体錬成、とな。さすがにそれは、自然の摂理や神羅万象などに背く、いわゆる禁忌――」


「あぁー、もう……うるさい。じゃあテキトーに野生動物を狩るよ……」


「……ふむ、それは良いが……どうやるのだ? 剣も弓もないというのに……素手か?」


「じゃあゾル、あんたがやってよ。爪も牙もあるんだし、あんたが適役じゃない?」


「うむ、吾輩は竜であるからな、爪も牙もある。とはいえ、すまぬ。吾輩が動くと、非常に目立つのだ。こんな村の近くで騒げば、吾輩だけでなく、ルナにも危険が及ぶやもしれん」


 琉凪は長いため息を吐きながら、上半身を前傾させる。


「……ホント使えないやつ。えーと……火は吐けない? 魔法は使えない? 攻撃一発くらって落とされる? それでもって……狩りもできない? バカじゃないの? いや、バカだよね? バカ、貧弱、あと役立たず。吾輩は竜であるとか何度も聞いたけどさ、もどきだよね? 竜もどき。もう契約したまんまでいいからさ、もっとマシな竜連れてきてよ」


 一抹の遠慮もない言われように、今度はゾルが長いため息を吐き、頭を下ろした。


 琉凪は錬金術の書もといバインダーを開き、なにかを探すようにめくっていく。


 やがて目的のものを見つけては、地面にその錬成陣を描き写した。


 幾重に重なる円と、その内側に不可思議な模様が入っている錬成陣。


 その円からはみ出すように描かれた突起に両手を添え、力を込めるように押し込む。


 すると、錬成陣が赤い光を帯びる。


 円陣の中で小さな赤い閃光が弾けた後、大気を抉るような炸裂音と共に火柱が噴き上がった。


「見事。炎の錬成陣か」


 物珍しそうな目を向け、ゾルがつぶやいた。


 琉凪は炎が上がった瞬間に飛び退き、しりもちをついている。


「……うん。まさかこんなに燃えるなんて思ってなかったけど……。とりあえずこれをそこらへんに仕掛けて、獲物がかかったら――」


「動くなッ。下手なことをすれば射つッ……」


 押し殺しているものの、勇ましさを覚える男の声が少女の背中を捉えた。


 琉凪が顔をしかめながら肩越しに振り返ると、短髪で浅黒い肌が特徴的な偉丈夫がいる。弓に矢をつがえ、その矛先は琉凪に向けられていた。


「お前、帝国の魔導士だな?」


「は? いきなりなんなの――」


「いきなりもなにも、お前、今そこで火柱を立てただろう? 村の近くに翼を持った影が下りたと聞いてみれば……。さてはオレの村を焼き払おうという魂胆だなッ?」


 偉丈夫は極めて冷静に振る舞っているようだが、ぶれることのない矢じりは、明らかな敵意の輝きを放っている。


「ちょっと、誤解してんじゃない? あたしはあんたの村なんて知らないし!」


「あぁ、そうだろうな! これから焼き払う村など、知ってどうするということだろうッ? 下賎め!」


 琉凪の言葉は偉丈夫に届いているものの、どうも噛み合っていない。


「そなた、そこのガイン村の戦士か? このあたりは国境沿いということも相まって、帝国領の蛮族による襲撃も多いらしいな。とはいえ落ち着け。そして聞き入れよ。吾輩たちはそなたと、そなたの村に危害を加えるつもりは微塵もない」


 前半身を起こしたゾルが落ち着き払った声で男に語りかける。


 すると偉丈夫は目を見開き、歯噛みした。


「翼を持つ影とは……竜だったか……。くッ……まさか人の言葉を発するような(さか)しい竜と結託していようとはな! 浅ましい帝国兵めッ、ここから先には、絶対に行かせん!」


 一瞬ゾルの姿に怖気づいた偉丈夫だが、瞬く間に気勢を取り戻し、改めて弓の弦を引き絞っては琉凪に狙いを定めた。


 ゾルは琉凪のそばまで頭を下ろし、ささやく。


「どうやらこの男、思い込みが激しい。吾輩たちが敵でないことを証明するまで、この状態は続くぞ」


「はぁ……? どうしろっての、敵じゃない証明なんて……。んー……こんなシチュエーション、映画で観たことが……あッ」


 琉凪は立ち上がり、バインダーを足元に置いた。そして両手を上げながら偉丈夫へと歩み寄っていく。


「お前、なんのつもりだ! 止まれ、それ以上近づくな! 射つぞ!」


「……うん、射ちたいなら、射てばいいじゃん」


 琉凪が淡々と告げると、偉丈夫が構える矢じりがわずかに震えた。


「と、止まれ! オレは、本気だぞ!」


「本気? じゃあ、射てるよね? ほら、射ちなよ」


 琉凪がさらに近づくと、偉丈夫は半歩後退した。


「射たないの? いいの? ……ねぇ、もしかして、あたしが女だから射てないの? あんたさ、帝国の女が相手だったら、そうやって躊躇うわけ?」


「な、にぃッ……」


 琉凪の挑発めいた発言に、偉丈夫の表情はより深刻に歪む。


 やがて琉凪は、胸元に矢じりが当たるほどまでに、偉丈夫へと接近した。


 偉丈夫は褐色の肌に脂汗を滲ませ、手元の矢じりは小刻みに激しく揺らいでいる。


「ねぇ、あんたが今まで見てきた山賊? にってさ、あたしみたいなこと、してきたやつ、いた?」


 男の瞳を覗き込むように、琉凪は偉丈夫と睨み合う。


 詰問するように語りかけながら、さらに偉丈夫との距離を狭める。


 すると、偉丈夫は張りつめていた弓の弦を緩め、矢じりを下ろした。


「……いや、いなかった。まさか矢を向けられながら、ここまで近づくとはな」


「アルベルトぉッ!」


 ふと偉丈夫の後ろから、声を荒げた男が走り寄ってきた。


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