錬金の魔女、水馬と駆け、赤き竜に食らいつく
――なんで、なんで! ねぇ、ゾル、なんであたしを捨てるの!
――すまぬ。今のままでは、そなたを……ルナを、本当に握り潰すやもしれん。本当に、すまぬ。
――だからって……だからってあたしを捨てるなんて……。ゾルーッ!
ルナの強い叫びに、ゾルが言葉を返すことはなかった。
白竜の名を呼び、どれだけ叫ぼうとも、あの声は脳裏に響かない。
目に涙を浮かべながら、ルナは自由落下に身を委ねる。いや、それしか出来なかった。
やがて体が小さく跳ねた。湖面にぶつかったのではない。
寸でのところで現れた水馬が、ルナのローブの端を咥えて捕まえたのだ。
「三度目の再開は瞬く間に訪れたな、錬金術師よ」
水馬は湖のほとりにルナを運び、少女を覗き見るように頭を近づけて話しかけた。
「どうした……なぜそのような顔をしている?」
泣きじゃくるルナの事情が分からず、水馬は尾ひれを垂らして首を傾げる。
「なんでって……なんでもよ。……あのバカ、やっぱりバカじゃない。……火も吐けない、魔法も使えない、耐性もない……貧弱なくせに、貧弱だって自覚あるくせに……カッコつけちゃってさ。……どのみちあのバカが死んだら、あたしだって死ぬんだって。……それなのに、なんで……」
少女の嗚咽混じりの独り言に、水馬は静かに聞き入っていた。
やがて少女が胸の内を吐き出すことに疲れて黙り込むと、水馬は空を仰ぎ、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「古き友は……錬金術師を捨てたのではない。むしろ、守るためにここへ……我に託したのだろう。しかし戦況は劣勢と見るが……いや、信じよ。友は竜だ。それも、この世で唯一無二の力を持つ竜。必ずや錬金術師を迎えに来るだろう」
長い沈黙が一人の少女と一体の水馬を包み込む。
北の空では、止めどなく苛烈な喧騒が湧き起こっている。
ルナはうな垂れながら、自分の手元に視線を向けた。
透明な膜が張られた、五つの錬成陣を刻んだ特注の腕輪。
火、水、風、土、そして――。
ルナは雫を滴らせる潤んだ目で、腕輪を睨みつけるように見つめる。
やがて目蓋を閉じ、開いた。力強く、意を決したような目つき。
目元を拭うと、立ち上がっては水馬を見上げる。
「ねぇ、あたしに、あんたの力、貸してくんない……?」
唐突な申し出に、水馬は不思議そうに少女を見下ろす。
「……どうした? よもや、あの赤竜を、帝国の中でもっとも脅威たる者を相手取ろうとでも言うのか?」
水馬の問いに、ルナは馬面から視線を逸らすことなく頷いた。
「……あったりまえ、じゃん。あたし、ゾルに言っちゃったんだよ。生きて……って。あたしが失くした人生取り戻すまで、あたしに付き合ってって。だから、ここであのバカだけで戦わせて、勝手に――死なれちゃ困んの。……錬金術の――錬金術の魔女、《アルケムウィッチ・ルナ》なんてもんも、勢いで名乗っちゃったし、その義務は果たさないと」
水馬の視線がルナの顔から足元へと下がった。
心は確かに定まっている。だが、肝心の体は心に反し、特に膝が小刻みに、酷く震えている。
水馬の視線から逃げるように、ルナは足元をローブで隠す。
「先も伝えたが、古き友は錬金術師を守るためにここに寄越したのだ。戦場に赴き、赤竜に牙を剥くということは、友の想いを――」
「あたし今言ったよね! あのバカに死なれちゃ困んの! バカで、貧弱で、どーしようもないあのバカだけじゃ、あれに勝てないんだって! もし死ぬってんなら、あたしの目の届くところで死んでほしいの! ――それともなに? あんた、あの赤竜が怖いからあたしに力を貸してくんないわけッ?」
ルナの言葉の一端に、水馬は眼光を尖らせる。
それはルナの目にも見えている。しかし怖気づくことなく、さらに言葉を紡ぐ。
「あたしからあんたに返せるものは、今はないけど、いつか絶対なんかの形で返す。だから、あの赤竜を、あたしと、ゾルと、あんたの力で撃ち墜とそうって言ってんの。……お願い、力を、貸して」
北の空から、翼馬のいななきと竜の咆哮、魔法の炸裂音が不協和音を奏でる。
そんな中、ルナと水馬は睨み合ったまま、しばしの沈黙を続ける。
やがて水馬はゆっくりと体を下げては伏せ、頭を地面につけた。
「乗れ」
その一言に、ルナは一瞬唖然となった。
「どうした、我の力が必要なのだろう? 戦場に赴くのだろう?」
「う、うん……でも、いいの? どんなことでお返しできるかなんて、分かんないのに」
「返礼……か。そんなもの、よくよく考えてみれば、すでに与えられていたのだ」
「どういう、こと?」
「ぐずぐずするな。戦いとは、一瞬で変わりゆくものだ。さぁ、急げ」
水馬に急かされるままに、ルナは巨大な半馬半イルカの背に乗り上げる。
少女の腰が据わったことを確認すると、水馬は巨体を持ち上げた。
そして口元から白い息を吐き出す。それはルナの下半身にまとわりつき、やがて凝固した。
ルナの足腰を、水馬が作り出した氷が固めている。
「あ、これいい……。それに、全然冷たくないや」
「古き友ほど居心地は良くないだろうが、それで許せ」
「ううん、むしろゾルより安定してるかも。ありがと、水馬さん」
「……ネビア」
「え?」
「ネビア。それが我の名だ。水馬さん、では、いささかむず痒い」
「あはは……そっか、分かった。ありがと、ネビア」
「……では、参る」
水馬――ネビアはいななきを上げると、尾ひれをたなびかせるように走り出した。
まるでルナを乗せたネビアが実体を持たないかのように、あるいは木々が道を開けるように、巨体は一つのつっかえを見せることなく疾走していく。
「それで、どうやってあの赤竜を墜とすつもりだ?」
「……あの砦の門を壊したとき、ゾルはネビアが作った霧を固めて、伸ばしたの。だから、あたしだってそれをやるよ。水を氷に変えて、赤竜めがけて伸ばすの」
「なるほどな。ならば、その水は我が集めよう。錬金術師は水を氷に変え、赤竜めがけて伸ばすことに専心するのだ」
「分かった。じゃあ、お願い、ネビア」
やがて少女と水馬は砦より西に外れた林の中へと踏み込んだ。
上空では灼熱の華が爆ぜ、無数の赤い蛇が高速で泳いでいる。
その中を白い巨影が漂い、周りに小鳥がまとわりついている。
「やっぱり苦戦してんじゃん……あのバカ。それで……どこ、赤竜は?」
「北よりの東だ。見ろ、砦の近くでふんぞり返っている」
ネビアの言う通り、砦の頭上――よりも西に少し外れた空中で留まり、繰り返し火炎の砲撃を放っている。
「ネビア、あいつの足元、行けない?」
「問題ない。術の発動の準備をしろ」
ネビアは走りながら、口元から白く濃い煙を吐き出した。
それは追随するように、ルナの周りに集まっていく。
右手の腕当に左手を添え、水の錬成陣に指を当てる。
――固めて、伸ばす……固めて、伸ばす……。
水を氷に、そして伸ばすイメージを浮かべ、右手に流し込むように意識を集中させる。
「さあ、絶好の位置にかかるぞ」
腕当の錬成陣が青く輝き、ハッキリとした冷たさがルナの右手に宿った。
「いっけえぇッ!」
ルナが右手を前方に薙ぐと、足元に氷の峰が連なり、そのいくつもの先端が上空へと勢いよく伸び上がる。
一つの幹から生えた五本の太い氷の枝は、赤竜に収束するように襲いかかった。
赤銅色の巨体を鋭く尖った氷が貫こうとした寸前で、赤竜はそれに気づく。爆炎を撃ち出そうと宙に描き出した魔法陣を解き、横へ跳ねた。
「ほぉ……惜しいな」
「だったら――もう一発!」
再び氷の杭を撃ち出す砲台を築く。
ルナとネビアの姿はまだ赤竜には捉えられていない。
その証拠に、赤竜の頭は小さく左右に動いている。
「いけッ!」
上空に座す赤竜めがけて、再び氷の杭が撃ち出された。
まずは二本が先行し、時間差を置いて三本が伸びていく。
だが、赤竜は最初の二本を避けると、次の三本は火炎の砲撃で砕いた。
「ダメだな。発射の時をずらしたところで、同じ位置から来るなら躱すのは容易だ」
「……同じ位置……なら、導線を引いて、違う位置から違うタイミングで撃てばいい、ってことでしょ? 今とさっきよりも多めに水が欲しいけど、大丈夫?」
「さすがは錬金術師――いや、錬金術の魔女、と言ったか。問題ない。それに乗ろう」
二度目の氷の砲撃を行った位置から離れ、ルナは再び氷の砲台を設置する。
そしてその砲台に霜の導線をくっつけては伸ばしていく。
「もう少し、先! アイツの死角をつかなきゃ、当てらんない!」
「無論だ。それまで絶対に力を切らすな」
林の中を迂回するように移動し、霜の導線が繋がれた砲台を設置した。
これで異なる位置に設置された砲門は一〇。
「今度こそッ!」
まずは手近な砲台から、時間差を置いて五本の氷の杭を次々と撃ち上げる。
林の中を探っている様子の赤竜が、迫りくる氷を捉え、開口した。
「かかったな」
「そこぉッ!」
伸ばした霜の導線に力が流れていく。
前方の攻撃に意識が向いた赤竜の背後へと、一気に五本の氷柱が襲いかかった。




