白き竜、赤い鳥籠で、赤き竜と相見える
砦の上空を、白く巨大な影が勢いよく飛び回っている。
それの周囲を、雀のごとく小さな影が群れを成し、追い立てるように動き回っている。
「ゾル、今どーなってんのよ!」
「喋るな! 本当に舌を噛み切ってしまうぞ!」
白竜の広大な翼が左の空を蹴り飛ばし、巨体が右横へと押し出された。
直後先の尖った旋風が音を立て、今しがた白竜がいた位置を背後から貫いていく。
――ねぇ、今の魔法でしょ? 帝国の魔導士に追われてるの?
――あぁ、そうだ。まさか、アルヴァ砦に空軍が……翼馬がまだ残っているとは思わなかった。
絶大を誇る氷塊によってアルヴァ砦の正門を内部からこじ開けた後、ゾルは少しずつ高度を落としていった。
入り口が解き放たれた砦に、大量の共和国軍がなだれ込む様子を眺めていると、そこから翼を生やした馬の大群が飛び立ってくるのが見えた。
背には赤い鎧やローブをまとった帝国兵が跨っており、空を駆け上がりながらゾルに迫り、そして次々と魔法を放ってきたのだ。
ゾルはルナを手に包んだまま、襲いくるいくつもの魔法攻撃を避けつつ、敵の集団から逃げ回っている。
――ねぇ、錬金術で撃ち落とさないの?
――そうしたいのは山々だが、今は避けて逃げてが精一杯だ。狙いなどつける暇もない。下手に止まれば、それこそ敵の集中砲火で墜とされかねん。
――だったらあたしがやるよ! 背中に乗せて!
――無茶を言うな、ルナよ。それこそそなたの身に迫る危険が増す。今はとにかく逃げ回る。これだけに集中させてくれ。
――そんなこと言ってたら、そのうちホントに撃ち墜とされちゃうじゃん!
無理に応戦せずとも、ゾルの羽ばたきを以てすれば、翼馬の群れを引き離すことは可能だ。
しかし帝国兵たちはただ追尾しているわけではなかった。
魔法を放ち、ゾルの飛翔の勢いを削ぐ傍ら、一部の仲間が先回りして進行方向に立ちはだかる。
何度も何度も白竜の行く手を遮っては、砦の近くから遠ざからないように誘導しているのだ。
力尽くで包囲網を突破しようにも、敵の数の多さとゾルの魔法への耐性の低さが障害となっている。
よってゾルは現状、敵の手の中で転げ回るのが関の山ということだ。
「ええい……魔導士に翼馬、数が揃えば実に厄介極まりない――むッ」
ゾルの巨翼が足元の宙を打ち、体がすかさず上方に跳ねる。
今度は目の前に現れた鷹馬から炎の槍が撃ち出され、ゾルの残影を貫いていった。
「鷹馬、だと?」
ゾルが不思議がると同時に、背後の下方から炸裂音が上がった。
先ほどの火炎が、帝国兵を乗せた翼馬に直撃したのだ。
ゾルは飛翔しながら周囲を窺う。
帝国兵の翼馬の大群に、共和国軍の鷹馬部隊、翼馬部隊が入り混じっていた。
敵の敵は味方という原理でゾルを味方と捉えたか、はたまたゾルを利用して帝国兵を落とすつもりか。
「ふはは……まぁ、どちらでも良い。ならば、吾輩もこれに乗じよう」
ゾルを追い回す帝国の翼馬の数は明らかに減っている。
さらに、共和国空軍の参戦により、帝国空軍の士気が下がっているのが見てとれる。
戦場を飛び回りながら、ゾルは自身に注意が向いていない敵を見つけては、頭、四肢、尻尾を使った肉弾戦で叩き墜としていく。
共和国兵も同様に、ゾルに注意が向いている帝国兵に襲いかかっては空の藻屑にしていった。
――ゾル、今どーなってるのよ?
――共和国兵の乱入で戦況が変わった。これなら帝国兵を叩き放題だ。
白竜と共和国兵の猛攻により、空を舞う帝国兵は徐々に数を減らしていく。
――とはいえ、帝国兵を倒しきれば、今度は共和国兵が吾輩たちに襲いかかってくるかもしれんな。
――ちょっと、絶対に墜としちゃダメだからね! もし一人でも叩いたら、あたしたち完全に大陸中を敵に回しちゃう!
――案ずるな。仮に共和国兵が仕掛けてきても、吾輩は手を出したりはしない。
しかし、ゾルの懸念は杞憂に終える。
帝国空軍を全滅させたわけではない。それとは別の脅威が現れたからだ。
「ギィアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
大気に激震を与える、甲高い轟音が響き渡った。
「ねぇ、今のって……竜の鳴き声じゃない?」
「……よく分かったな、ルナよ。どうやら、翼馬よりも厄介な者が――」
ゾルが言葉を切り、巨体を右に跳ね退けた。これまで以上に長い距離を滑る。
「熱ッ!」
瞬間、ゾルの手に収まるルナの肌が高温にさらされた。
体験したことのない熱波に、ルナは両腕をかざすように顔を覆い、体を縮こまらせた。
「なに、今のッ?」
「炎だ……それも、特大の火炎の砲弾だ」
ゾルが体勢を立て直したとき、翼馬に乗った帝国兵たちが次々と歓声を上げる。
「帝王閣下だ! 赤竜と共に、帝王閣下がお見えになられた!」「帝王閣下、万歳! ロッソ帝国、万歳!」
ルナは白竜の手の内から頭を覗かせる。
ゾルの視線を辿るように向こうを見ると、アルヴァ砦頭上に、広大な翼と四肢を生やした赤い影が見えた。
「ふはは……まさか帝王自らが出向くとは、吾輩でも予想だにせんかったわ」
「帝王って……まさかあれが、ロッソ帝国の帝王?」
赤銅色に染まる竜。そしてその背に跨る、金色の縁取りに彩られた真紅色の甲冑姿。
「如何にも。帝王・アリトレスと、ソヤツに仕える赤竜・フィアーマだ」
赤竜は鎌首をもたげると、口元に赤い魔法陣を描き出す。
もたげた頭を突き出すように動かすと、円陣から灼熱の砲弾が飛び出した。
とてつもない質量を誇る砲弾は見かけによらない高速を発揮し、先ほどと同様にゾルめがけて襲いかかってくる。
「まったく、三年ぶりの再会に遠慮なしとは、恐れ入る」
砲弾が放たれた時点で、ゾルは射線からより遠くへ飛び退いていた。
その背後で、尋常ならざる熱波をより近くで浴びた共和国の馬がいくらか落下する。
ゾルがより高い位置へと舞い上がったところで、下方から火、風、水の魔法による弾丸や槍が噴き上がった。
――まずい、アヤツらが来たことで、帝国共の士気が上がったらしい。
――どーすんの? あんた、同じ竜相手に勝ち目あんの?
――あるわけなかろう。仮に逃げようと試みたところで、アヤツらはそれを許さん。
再び広大な空を舞台に、白竜を標的とした帝国兵の追撃戦が再開する。
翼馬はゾルにまとわりつくように飛び交い、行動範囲を狭める。
さらに遠方から赤竜による援護射撃が加わり、先ほどよりも敵の攻勢が苛烈さを増している。
残存する共和国兵は帝国兵に攻撃を仕掛けているものの、灼熱の砲撃を恐れてか、どこか積極性が欠けているように見える。
赤竜と帝国の魔導士による執拗な砲火にさらされるゾルは、少しずつ月白色の鱗を宙に散らしていく。
「まさか自分から古巣に戻ってくるなんて、三年経っても愚竜は愚竜ね」
いつの間にか、ゾルは砦近くまで誘導されていた。目と鼻の先で赤竜の声が響く。
「ふん……相変わらずの雌声だな、フィアーマよ」
ゾルは飛翔を止めて滞空し、赤竜と睨み合う。
その周囲を帝国空軍の翼馬が取り囲んでいる。
「どうした、三年ぶりの再会に心が躍って、わざわざ帝都から飛んできたのか?」
「バカ言わないで頂戴。私が想うのは、帝国を統べる主のみ」
「ふははは! 吾輩には、想いを寄せる者の尻に敷かれているように見えているがな?」
途端に赤竜は眼光を尖らせ、憎たらしそうに牙を剥いた。
「お黙り! いい加減その減らず口、灼き溶かしてくれるわ!」
赤竜が再び魔法陣を浮かび上がらせ、そこから無数の炎の帯を放射した。
それらはゾルめがけ、収束するように躍りかかる。
ゾルはとんぼを斬るように旋回し、炎の帯から逃げ延びる。
だが、無数の帯はゾルがいた場所を掠めると、弧を描いて白竜の眼前へと回り込んだ。
「むうッ……!」
巨体をよじって間一髪躱したつもりだったが、何本かの帯が白い体の表面を焦がした。
直撃を損ねた帯はやがて空中で霧散する。
赤竜が再び炎の帯をけしかけ、さらに帝国空軍も動き出す。
――ねぇッ、あたしに出来ることないのッ?
ルナの問いかけに、ゾルが答えることはない。答える余裕すらなくなっていた。
赤竜は宙に浮かぶ固定砲台と化し、炎の帯を撒き散らしながら、火炎の砲弾を織り交ぜ、ゾルを執拗に追い立てる。
さらに帝国兵が進路の妨害をしてくることで、ゾルは逃げることも避けることも困難を極めていく。
共和国の空軍は赤竜の猛威に恐れをなし、ついに空から姿を消した。
「哀れね、愚竜! 力がなければ、ただ図体がでかいだけの木偶ね! いい加減諦めて、その翼を地に捧げたらどうなの!」
灼熱の怒涛は白竜の鱗を弾き、肉を焼き、赤い雫を宙に滴らせる。
燃え上がる空を駆けるゾルは、次第に飛翔の勢いを削がれていった。
「ゾルッ! ゾルッ! このバカッ! 力抜いてッ!」
――ゾルッ! 聞いてってばッ! あたしを握り潰す気ッ?
訴えかけるルナの声に、ゾルは意識下の聴覚を取り戻した。
猛攻に追いやられる内、知らず知らずにルナのいる手元が力んでいたらしい。
――すまぬ、あやうくそなたを失うところだった。
――いいから、今はとにかくこの状況、なんとかしないと……。
すると、ゾルは急に降下をし始めた。
滑空しながら、南の森に進路を定める。
やがて見えてきたのは、水馬がいる湖。
「ゲァアアアアアアアアアアアアア!」
ゾルの咆哮が、水面を、木々を、大地を、大気を震わせる。
湖中に黒い影が浮かぶのを見ると、ゾルは手首を返した。
「――は? ゾル? ――ゾルーッ!」
白竜の手から放り出されたルナは、まっすぐと湖の中心部めがけて落下していった。




