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偉丈夫、緑の広間にて、紅き悪魔に剣を振るう


 ――そうか、アルベルトがベアルという悪魔と一騎打ちを。ルナよ、そのマリアという女子(おなご)と契約していたのは、確かに紅い鎧の騎士で、ベアルと名乗ったのだな?


 ――うん、そうだよ。なんで?


 ――いや……まぁ良い。ルナの位置が定まり次第、そちらに向かおう。


 ――別にいいよ。殺し合いをするわけじゃない……はずだから。


 ――なに、吾輩もその者が気になるのだ。


 絶叫を上げた後、ルナはゾルに促され、アルベルトとベアルの一騎打ちの件を伝えた。


 ゾルはベアルという紅い騎士に強い興味を示していることに、ルナは首を傾げた。


 二人がようやく森の入り口に辿り着く。そこにはすでにマリアとベアルの姿があった。


『ふん、バカ正直に来たか。まぁいい、ついてこい』


 身を翻したベアルが、先行して森の中へと踏み入っていく。


 その背を追いかけるように、アルベルトが勇ましい足取りで歩く。


 さらにその後ろにつくルナとマリアは、曇りがかった表情を浮かべていた。


 まるで人工的に拓かれた道の先に、周囲を大木に囲まれた自然の広間が現れる。


 道中の足元は砂利道が続いていたのに対し、この広間の床一面には草花があしらわれていた。どこか意図的に造られた森林浴場にも思える。


 広間の中央部へと進むと、ベアルは振り返ってアルベルトと対峙する。


 そして片膝と右手を地面につけると、その手元が灰色に光り出した。


 右手とともに体を引き起こすと、地面からせり出すように一メートルほどの剣――刀身には刃がない――が現れる。


 その光景に、アルベルトとルナは息を呑んだ。


 剣の柄をつかんだベアルは、それを持ち上げては重さを測るように振り回す。


『さて、こんなもので良いだろう。――ルナよ、マリアと共に下がれ』


 ルナはベアルになにか言いたげだったが、マリアに引かれてその場から立ち退いた。


『ふん、喜べ。ようやく戦いの舞台が整ったことにな。――だが、一騎打ちとはいえ、殺し合いをするつもりはない。アルベルト、貴殿はその剣を使うがいい。とはいえ、我には一撃も当たらぬだろうが……』


 前日と比べ、アルベルトは至って落ち着き払っている。それまで逆手で持っていた両手剣を順手に持ち替え、両手で握り締めて構える。


「いや、オレの剣は必ずお前を捉える」


『ふん、威勢の良さは変わらずか。では、貴殿がその剣を一度でも我に当てたら、貴殿の勝利とする』


「それは――ありがたいな。なら、お前が勝つ条件はなんだ?」


『そうだな……我には、貴殿が一度も我に剣を当てることなく、勝手に力尽きる未来が視える。ゆえに、貴殿が威勢を損ね、剣を下ろした時点で貴殿の敗北、ということだ』


 ベアルの未来が視えるという断言に、アルベルトは冷笑を浮かべた。


「バカバカしい。オレが力尽きて剣を下ろすだと? 舐めるなあッ!」


 ついに一騎打ちの幕が上がった。


 アルベルトが先手を取り、鉛色の得物を振り上げ、大上段を騎士に見舞う。


 ベアルは紙一重で躱すと、偉丈夫の右側に回り込み、しかしなにもしない。


 重々しい音を立て、生い茂る草花を散らしたアルベルトは、重心を後ろに引くように得物を右に薙ぐ。


 だが、その分厚い一閃はベアルにとっては緩慢のようで、余裕を持って太刀筋から退いた。


 大地につかみかかるように一歩一歩力強く踏み込みながら、アルベルトは斜め十字、左薙ぎ、大きな振りかぶりからの袈裟斬り、右切上、上段斬りと振り続ける。


 やはりベアルはことごとくを避けきり、しかしアルベルトとの距離を離すことも、狭めることもしなかった。


「もう、なにやってんの……あのバカ。全然当たりゃしないじゃない……」


 やや遠くから闘いの光景を見守るルナ。やたらめったら鉛色の両手剣を振り回すアルベルトを見てはもどかしい気持ちを吐露した。


 ルナが抱く焦燥を、アルベルトはさらに高めることになる。


 得物を振るうアルベルトの動作が少しずつ、明らかに力なく、遅くなっているのだ。


「アルベルト! あんた勝つんじゃなかったの! 傭兵になれたってのに、そんなんでいいのッ?」


 ルナは我慢しきれず、溜まりに溜まった鬱憤をアルベルトへと吐きつけた。


「うおおおおおッ!」


 雄叫びを上げたアルベルトが、両手剣を振り続けたことにより、限界まで追い込まれた筋肉を奮い立たせる。


 より早く、より過激に両手剣を振るい、ベアルへと食いかかっていく。


「ぬあああああッ!」


 やがて、稀に見る好機と捉えたか、渾身の一撃を振り下ろした。


 何度目かの、草花を散らす上段斬り。だが、ベアルは紙一重で後退し、直撃を免れていた。


「はぁ……はぁ……くそ……これでも、当たらないか」


 息を切らし、肩を上下させるアルベルトは、そこから得物を持ち上げようとはしない。いや、持ち上げられないのだ。


『どうした? 先ほどの貴殿の敗北の条件、忘れたわけではあるまい? あるいは、休憩が欲しいのか? ならばいくらでもくれてやるが――』


「黙れえッ! 俺はまだ……まだッ、負けてはいないッ!」


 全身に汗を滲ませ、歯を剥き出しにベアルを睨むアルベルト。剣を握る両手は、小刻みに震えている。


 ふと、ベアルの兜がそっぽを向いた。


「隙ありいッ!」


 アルベルトが両手剣を横に構え、ベアルの懐に飛び込むように踏み込んだ。


 鉛色の一閃がベアルに襲いかかる、という直前で、アルベルトの鼻先に切っ先が平らなベアルの剣が突きつけられた。


『愚か者め、周りを見ろ。勝利のためにと、要らぬ犠牲を生み出すつもりか』


 ベアルは冷淡とは言いがたい、押し殺したような怒号でアルベルトを叱責した。


 アルベルトがベアルの視線を辿ると、すぐ近くにマリアとルナの姿がある。


 鉛色の得物がこのまま前方を薙いでいたら……とでも考えたか、アルベルトの表情が途端に青白くなった。


 マリアがさらに一歩近づき、ベアルと見つめ合う。


 その後、ベアルがアルベルトに歩み寄り、光沢のない鉛色の両手剣を取り上げた。


「な、なにをする!」


 狼狽えるアルベルトなどお構いなし。ベアルは剣を一通り眺めると、自身の左手側に放り投げた。


 瞬間、あたり一帯に鈍い炸裂音が轟き、剣は着地と同時に全身を地面にめり込ませた。


「……はッ? え、なに? どーゆーこと?」


 今目の前で起こったことにルナは唖然とし、混乱する思考を露わにした。


 交錯する情報を整然と並び変えるように、ベアルが丁寧に言葉を紡いだ。


『この一騎打ちの間、我は貴殿にずっと疑念を抱いていた。貴殿の動きは、あまりにも緩慢。それだけの肉体を誇りながら、なぜ剣に振り回されている? その答えが、これだ』


 ベアルは地に埋まる剣を持ち上げ、再び手放した。またしても炸裂音が轟き、それは地面にめり込んだ。


『重すぎる。尋常ならざる重さだ。並大抵の人間が、振るうどころか持ち歩くのでさえ困難なほどにな』


 ベアルの話を聞き、ルナは埋まり込んだアルベルトの剣に近寄り、土を払いのけて柄をつかむ。


「ふんーッ! んんーッ! ……はぁ……はぁ……無理、上がんない……」


 持ち上げようと試みるも、両手剣はいささかも動く気配を見せない。


『……さすがに、メルチェナリオにも、そんなに重い武器、扱ってる人はいないよ。もしかしたらアルくん、純粋な筋力だけで見れば、特級の傭兵――どころか、それ以上、かもしれないね』


 か細い声による話の一端に、アルベルトが反応を見せる。


「そういえば……傭兵の階級はどうなっているんだ?」


『……入りたての、つまり今のアルくんは下級。その上に中級、上級があって、一番上が、特級だよ』


「アルベルト、あんた、傭兵の中じゃ特級並み――いや、それ以上の馬鹿力だって!」


 ルナがからかうように言うと、アルベルトは疲弊を見せる顔に乾いた笑みを浮かべる。


「あぁ、聞いていた……。だが、筋力だけでは傭兵など、やっていけないだろう」


『当たり前だ。とはいえ、アルベルト。この剣、みてくれこそ鉄塊だが、実の姿は……斬竜剣ではないか?』


 斬竜剣という単語を耳にしても、アルベルトの表情に変化は見られなかった。そこで、ベアルは別の質問を投げかける。


『では、この剣、どこで手に入れた? こんなもの、易々と手に入るものでもない』


「……父の、亡き父の、形見だ」


 アルベルトは顔を俯かせて、力なく答えた。


『貴殿の父、名はなんと申す?』


 立て続くベアルの問いに、アルベルトは苦渋を噛み締めたように顔を引きつらせた。


 逡巡するように目を閉じ、浅く息を吐いて、浅く息を吸う。そして顔を上げ、目を開き、ベアルを見据えた。


「バルアトス・マガナス、だ」


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