偉丈夫、寡黙なる乙女により、ついに傭兵と成る
「アルベルト! 大丈夫ッ?」
ルナが二人に追いついたのは、酒場の近くの路地裏。アルベルトは少女と向き合っている。
「あぁ、ルナ。俺は大丈夫だ。だが――お前、さっきのはいったいなんだ? どうやってあの男を吹き飛ばした?」
アルベルトが問いかけた相手は、酒場から路地裏まで引っ張ってきた少女だ。
メイド服姿の少女は黙ったまま、下向きの瞳を左右に泳がせる。
「あんた、見てなかったの? 真っ赤な騎士がおっさんを殴り飛ばしたんじゃん」
すると突然アルベルトが鋭い剣幕を浮かべ、ルナの華奢な両肩につかみかかった。
「真っ赤な騎士だと! ルナ、それはあそこに、帝国の兵がいたとでも言うのか!」
もはや激昂といった様子のアルベルトに迫られ、ルナは思わず怖気づく。偉丈夫の太い両腕を振り払おうともがきながら、かすれた声で反論する。
「いや、待ってよ……帝国の兵、じゃなくて……」
『ふん、赤い鎧を着ていたら、それが皆、帝国の兵とでも言うのか。なんと狭苦しい知見の持ち主よ』
知的ぶった冷淡な声。それは、耳を伝って聞こえてくる、というよりも、ゾルと意識で言葉を交わすように、頭に直接響くように聞こえてきた。
思わず二人は同時に、メイド服姿の少女に顔を向ける。
少女の背後に、真紅に染まる鎧をまとった騎士が腕を組み、壁に寄りかかっていた。
「き、貴様、いつの間に!」
アルベルトは咄嗟に腰から短剣を引き抜き、刃を差し向けるように構える。
『ふん、短絡そうな見た目同様、その頭の中も短絡か。滑稽極まりない』
紅い騎士の言葉が癇に障ったか、アルベルトは張眉怒目を浮かべて声を荒げる。
「貴様、オレを愚弄するか! ――お前、そこをどけ! そいつを黙らせる!」
『……待って、ベアルは私の契約者。あなたの敵じゃない』
再び脳に直接語りかけるような声が鳴った。だが、今度はか細い少女の声だ。
アルベルトは狼狽え、体をのけ反らせた。
「き、貴様ぁッ! オレを愚弄するだけでなく、声を変えて惑わそうとするか! 下劣極まりない!」
「ま、待った! 待ってアルベルト!」
今にも飛びかかりそうな、歪めた顔に青筋を立てたアルベルト。
ルナはすかさずその前に立ちはだかり、必死に押さえつける。
それでも構わずに踏み出そうとするアルベルトを制しながら、ルナは肩越しに少女へと顔を向けた。
「ねぇ、あんた、今、契約者、って、言った? そこの、騎士、ベアル? と、あんたが――あぁもうッ、うざいッ!」
渾身の力で屈強な長身を押し退けると、ルナは一歩後退する。すかさず踏み込んでは、不慣れなアッパーカットを繰り出した。
「ごほぉッ」
紅い騎士――ベアルに注意が向いていたアルベルトは、ルナの一撃で下あごを打ち上げられ、その勢いのまま転倒した。
右の拳をさすりながら、ルナは一息吐く。そして振り返ると、メイド服姿の少女と向き合った。
「ごめん、こいつ底抜けの直情バカだから、頭に血が上ると周りが見えなくなるの」
『そのようだな。連れの者にすら酷評を呈されるとは、実に滑稽……ふん』
『……ごめんね、ベアルがうるさくて。あの、さっき助けようとしてくれたことに、ありがとうって言いたかったの。ベアルに片づけてもらおうと思ってたけど、先にお兄さんが出て来ちゃったから』
知的な男の声も、か細い女の声も、ルナからすれば、どちらともベアルから発せられているように聞こえている。
「あのさ、さっきから声が二つ聞こえてるんだけど、喋ってんのって、ベアル、あんたなんだよね?」
『あぁ、そうだ』
『……あのね、私、ベアルと契約したことで、耳が聞こえないの。喋るのも、ままならないから、会話をするときはこうやって、ベアルが相手の話を聞いて、私に伝えて、私が言いたいことを、ベアルが代わりに喋ってるの』
少女の話を聞き、ルナは納得したように手を打った。
「そっか、あんたも――って、ごめん。『あんた』呼ばわりはダメだね。あたしはルナ。名前、教えてよ」
少女は目元に笑みを浮かべると、小さく頷いた。
『……私はマリア。マリア・バーンマリー』
「そっか、マリアって言うんだ。うん、よろしく。――ほら、アルベルト、あんたも」
ルナが振り返ると、アルベルトはすでに起き上がっていた。そして、二人の会話を黙って聞いていたらしい。
「オレはアルベルト・マガナス。よろしく頼む」
ルナが放った一撃によって頭が冷えたらしく、口調は落ち着き払っている。
「それでマリア、そこのベアルと契約してるってことだけど……その、ベアルってつまり人間じゃない、ってことなんだよね?」
ルナの問いに、マリアが頷いた。背後にいたベアルは背中で壁を押し返すと、マリアの近くまで歩み寄る。
『まさしく、我は人間ではない。悪魔だ』
ベアルの最後の一言に、ルナとアルベルトは思わず険しい顔つきになる。
「へぇ……悪魔って、自分のことを悪魔って言っちゃうんだ……」
ルナの指摘に、ベアルは肩をすくめて兜を横に振る。
『まったく……人間こそ異種族に己を示すときには人間だと名乗るだろう?』
「……オレは生まれて此の方、自分は人間だ、などと言ったことはないぞ」
アルベルトの反論を受けると、ベアルはそれ以上言葉を紡ぐことはなかった。
「ちなみにマリア、契約したのっていつ?」
あくまで興味本位なルナの質問に、マリアは俯いて黙りこくる。
まずいことを聞いたかと、ルナが取り繕おうと口を開いたところで、知的な声が割り込んだ。
『三年前だ。この王都で我とマリアは契約した』
直後、ベアルの紅い鎧をマリアが小突いた。前髪と黒い布に挟まれた目は鋭く細められている。
「三年前……だと?」
アルベルトが訝しげにつぶやくと、再びマリアが腕を振り払う。しかし今度はベアルに受け止められた。
『詮索はよせ。それより貴殿ら――いや、アルベルト、貴殿だけか? 傭兵になりたいとな? あの禿頭だけでなく、連れのルナにも殴り飛ばされた分際で……ふん』
『……ごめんね。ベアル、すごく皮肉屋だけど、根は優しいの……悪魔なのに。アルくん、良かったら私がメルチェナリオに紹介するよ? ルナちゃんは?』
「ちょっと待て、マリア。傭兵団に紹介してくれるのはありがたいが、いいのか? どこの侍女かは知らないが、勝手にオレを紹介しても大丈夫なのか?」
アルベルトが尋ねると、マリアとベアルは不思議そうに顔を見合わせた。そして二人は前に向き直り、知的な声が淡々と告げる。
『なにを勘違いしているかは知らんが、マリアは侍女ではない。こう見えて、れっきとした上級の傭兵だ』
「はッ?」「えッ?」
アルベルトとルナの声が重なった。二人はマリアに疑惑の視線を差し向ける。
まるで侍女のような格好の少女は無言で、微笑むように目を細め、首を縦に振った。
マリアに連れられて本部に行くと、ルナとアルベルトは少女に向けられた待遇に驚かされた。
すれ違った者や、マリアを見かけた者が皆、気さくに少女に声をかける。
受付嬢もまた、アリアが受付に着くなり嬉々として迎えていたのだ。
こうしてアルベルトはマリアの紹介により、傭兵斡旋団体『メルチェナリオ』の一員としての登録が無事完了した。
ちなみに、騒動があって飛び出した酒場の代金について。
メルチェナリオに向かう前に、マリアは自身の食事代と店の扉の弁償金を支払った。
それだけでなく、巨漢から助けてくれようとしたことに対する感謝として、ルナとアルベルトの代金も一緒に支払われた。




