偉丈夫、寡黙なる乙女、救わんと勇む
「アルベルト、お前、やっぱり妹さんを……」
群衆の先頭にいた老年の男が、悲しげな顔つきでアルベルトを見上げる。
「あぁ、そうだ。こうして、この錬金術師と竜に会えたんだ。もしかしたら、こんな好機は二度と訪れないかもしれない。だから、オレは王都デュールに行き、傭兵になる」
「待てよ、アルベルト。お前がいなくなったら、村は……」
憂いを露わにした少年が、群衆をかき分けて前に出てきた。
「あー、それは大丈夫。ほら、あのおっきい土人形が守ってくれるから」
すでに試運転を終えて佇む土人形をルナが指すと、村人たちから、安堵や戸惑い、疑念といった様々な思いによる議論が起こった。
消極的な雰囲気が漂い出し、ルナが取り繕おうとしたところ、先にアルベルトが声を上げた。
「みんな、すまない! オレだって、妹のために故郷を捨てる、なんて考えると、心が痛む。だが、それでもオレはアーレの兄だ。あいつの、たった一人の兄だ。だから、どうしてもオレはアーレを救いたいんだ。……本当に、すまない」
アルベルトは眉間にしわを寄せ、下唇を噛みしめながら、村人たちに頭を下げる。
偉丈夫の丸みを帯びた大きな肩に、老年の男が軽くはたくように手をかけた。
「いいんだ、アルベルト。わしもな、お前をこのままに、生きてるかもしれない妹を救いに行かせずにいたことに、わだかまりを感じてたんだ。――あの土人形、お嬢さんと竜殿が造られたのだろう? 二度も村を救われて、信じないのは罰当たりというもんだ。アルベルト、わしはな、こうやってようやくお前が動けるようになったことを、心から誇りに思っとる。だからな、絶対にアーレを連れて、この村に帰ってこい」
「あぁ……あぁ! 絶対だ、俺は絶対、帝国からアーレを連れ戻す!」
アルベルトが決意を表した後、村人たちから、少ないながらも弁当と水、そしていくらかの紙幣を持たされた。
ルナはアルベルトと並んで村人にお礼を伝えると、指を組んだゾルの手に乗り込み、ガイン村を後にした。
*
ヴェルデ共和国の南西に、目的の地である王都デュールがある。
そこへまっすぐ向かおうとすれば、ゾルの巨体はあまりにも目立つ。
なるべく人目につかないよう、共和国領内の南側に連なる林の天辺をなぞるように飛翔し、王都の外壁から遠からず近からずといった地点で舞い下りた。
そこからルナとアルベルトは二、三〇分ほどかけて歩き、ようやく王都へと足を踏み入れる。
まずルナがアルベルトに連れられて向かったのは、衣料を取り扱う店。ルナの格好は世俗離れしているため、まずはローブの購入をとゾルが勧めたからだ。
なるべく人目を引かない、地味で多数派な色のローブを手に入れると、さっそくアルベルトを傭兵にすべく、王都の奥へと歩みを進める。
アルベルトは何度か王都に来た経験があり、傭兵を管理・斡旋する団体『メルチェナリオ』の本部に到着するのに、そう時間はかからなかった。
意気揚々と中に入り、たいして時間も経たぬうちに建物から出てきた二人は、どこか陰気臭い感じを醸している。
大通り沿いにある酒場に立ち寄ると、テーブルに着いて食べ物と飲み物を注文した。
「くッ……まさか、傭兵になるために、誰かの紹介が必要だったとは……」
アルベルトの言う通り、メルチェナリオの傭兵になるにはいくつか条件があった。
入団済みで、一年以上継続的な活動実績がある、中級以上の傭兵による紹介というものだ。
以前は条件もなしに入団を認めていたものの、裏切りや離反などの問題行為が勃発したために改められたらしい。
落ち込みながらも、提供される料理を片っ端から頬張っているアルベルト。ルナは飲み物が入ったグラスに口をつけながら、周囲を見渡す。
真昼時を過ぎているためか、客の組数はテーブルの数を下回っている。
「……へぇー、この世界――大陸にも、メイドさんっているんだね」
「ん? ……めいど?」
アルベルトがルナの視線を追うと、出入口付近の小さな席へと辿り着いた。
そこには白色基調で、あちこちにフリルが施された、ルナから見ればまさにメイド然とした少女が一人、座っていた。
だが、メイドにしては少々奇抜な点がある。縦は目からあごの下まで、横は両の頬まで広がる、真っ黒い布を垂らして覆っていることだ。
「――たぶん、侍女だろう」
「じじょ?」
「王宮、あるいは貴族の館に仕えている者だ。それにしても妙だ。オレが知る限り、この時間に一人で侍女が出歩いたりすることはないはず……」
「へぇー」
ルナがフォークを火の通った肉の切り身に突き刺し、切なさそうな目で見据えていると、突然酒場の扉が手荒く開かれた。
恰幅の良い、禿頭の男。革の防具を身につけ、腰に剣を差していることから、傭兵と見受けられる。
巨漢は店の中を眺め、すぐ近くにいるメイド服の少女を見ては、そばに歩み寄った。
「よぉ、嬢ちゃん。こんな時間に一人たぁ、どこぞのご主人様に捨てられたってか?」
アルベルト同様、少女の出で立ちからどこぞの侍女だろうと踏んだらしい。
巨漢から執拗に絡まれながらも、少女は一抹の反応も見せずに食事を続けている。
「おぉい! てめぇ! 俺様を無視するとは、いい度胸じゃねぇか!」
やたら沸点が低いようで、二言目を流された途端、巨漢はテーブル上の食器を撥ね退けた。
陶器が砕け散る甲高い音が店内に響いた途端、アルベルトが荒々しく立ち上がる。
「アルベルト? ちょっと、やめときなよ」
「お、お客様、あの人には下手に関わらないほうが……」
ルナに続くように、店の主人がアルベルトを止めようと、その広い背中に頼りない声を投げかけた。
「ほ、ほら、店長さんも、ヤバイって言ってんだし……」
店主の言葉から、ルナはあの禿頭の男が只者ではないと直感した。立ち上がってアルベルトを制しようとするが、偉丈夫は依然として聞く耳を持たない。
「おい、お前。無視をされているのが解らないのか? もう潔く手を引け」
巨漢は肩越しに、怒りに歪めた眼差しでアルベルトを見下ろす。
二人の男が並び立つと、それなりの長身を誇る偉丈夫よりも、巨漢が頭一つ分上回っている。
「あぁん? んだおめぇ? ゴチャゴチャうるせぇんだ――よッ!」
振り向きざまに、巨漢は手の甲を勢いよくアルベルトの横っ面に叩き込んだ。
その一撃をまともに受けたアルベルトは小さく吹き飛び、その先のテーブルやイスを巻き込んで倒れ込む。
「アルベルト!」
ルナがアルベルトに駆け寄り、鋭い目つきで巨漢を睨むと、視界に紅い人影が映った。
いったいいつ店内に入ってきたのか、ルナは訝しげな視線でそれの全身を捉える。
頭から足先まで真っ赤な鎧で固めた騎士が、出入口のそば、巨漢の背後に佇んでいる。
急に、それまで沈黙を貫いていたメイド服姿の少女が立ち上がった。
出入口の近くまで移動すると、巨漢に向けて手招きをした。
「お? やっと俺のすごさが分かったか? そうだぜ、俺はメルチェ――」
「……あッ! おやめください、マリアさ――」
巨漢と店の主人の声が、ほぼ同時に途切れた。
メイド服姿の少女と紅い鎧の騎士、そして店の扉に囲まれた位置に男が踏み込む。その瞬間、恰幅の良い巨体が、盛大な音を立てて店外へと吹き飛んだ。
巨漢を吹き飛ばしたのは、忽然と現れた紅い騎士。
身長こそアルベルトと大差ないにも関わらず、たった一発の拳打で殴り飛ばしたのだ。
ルナにとって、それは異様な光景に見えた。
いつの間にか姿を現した紅い騎士がいるのにも関わらず、男は悠然と少女の誘いに乗っていたからだ。
ルナが目を見開いて事の成り行きを見守っていると、直立の姿勢を取った紅い騎士は足元から消えていった。
立て続く異常な事態にルナが呆けていると、メイド服姿の少女が近づいてくる。
物静かそうな目が、アルベルトの目と交差する。そして、少女は偉丈夫の手を取ると無理矢理に引っ張った。
「お、おい、なにを――」
引き寄せられるように立ち上がったアルベルトは、そのまま少女の成すがままに店外へと連れ去られてしまった。
「……あッ、ちょっと! アルベルト!」
我に返ったルナは、慌てて二人の後を追って酒場を飛び出した。




