錬金の魔女、偉丈夫の懇願、竜と共に承諾する
ルナはすかさず家の扉を開けて、外の様子を窺う。
すぐそこにゾルがいて、二人の話を盗み聞いていたのかと思った。だが、どこにも白い巨体は見当たらない。
現にゾルは、村の外れの林から一歩たりとも動いていないのだ。
――あれ? 今確かにゾルの声がしたような……。
――また言いそびれていたが、そなたの意識の声はしかと吾輩に届いておる。むしろだだ漏れなのだ。
再び脳裏にこだます声に、ルナは落ち着かない様子で視線を泳がせている。
――契約を結んだ者同士は、直に声を交わさずとも、意識で意思の疎通が行える。試しに頭の中で話してみるといい。
依然として戸惑いを見せるルナ。ゾル言うがままに頭の中で話すことを試してみる。
――あ、あー……って、聞こえる? いや、聞こえてるんだよね?
――うむ、問題ない。それで、アルヴァ砦がどうした?
――あー……えっと、アルベルトからお願いされてさ。あたしだけじゃ決めらんないから、こっち来てくんない?
――承知した。すぐに向かおう。
「お、おいルナ、どうした? 酷く動揺していたが、オレがなにかまずいことを言ったからなのか?」
酷く動揺しているのは、むしろアルベルトだ。ルナはすかさず顔を横に振り、とってつけたような笑みを見せる。
「ううん、なんでもない。気のせいだった」
狼狽えるアルベルトを落ち着かせながら、ルナは食卓へと座り直した。
「それでさっきの相談のことだけど、あたし一人で決めれることじゃないからさ、ゾルにも話すけど、いい?」
「もちろんだ、頼む」
翼の羽ばたきの音と、わずかな大地の揺れが伝わると、ルナはアルベルトを引き連れて村の広場へと赴いた。
音と振動の原因であるゾルが広場に座している。
ルナがアルベルトの申し出をゾルへと伝えた。すると白竜は気難しそうに目を細める。
「……すまぬが、それには協力しかねる」
「な、なぜだ? オレが弱いから、頼りないからか?」
「それは無きにしも非ず。だが、そもそもアルヴァ砦がどういう砦か、そなたは解っておるのか?」
「あ、あぁ、分かっているとも。国境のすぐ向こうにある砦だろう? 共和国の子供でも知っているくらいだ」
「ならば、どれだけの兵力が集められているか、どういった構造か、どこに捕虜がいるか、見当はついているのか?」
「……いや、そこまでは知らん」
「やはりな。ひと月ほど前、大量の捕虜が収容されたのは間違ってはおらぬ。だが、そなたがしようとしていることは、妹の奪還ではなく、敵の砦の攻略だ。なんの情報もなしに、なんの兵力もなしに、目的を達することは叶わぬ」
ゾルの言葉が深く突き刺さったようで、アルベルトは俯き、きつく歯噛みする。
「アルベルトはあたしたちを買ってくれてるけどさ、ゾルって自称竜だけど、かなり打たれ弱いんだよね。敵さんがいっぱいいる砦に飛び込んだりしたら、あっという間に落とされちゃうんだよ。だから、さすがにあたしたちだけでってのは……」
アルベルトは剥き出した歯を隠し、目をつむって肩を落とした。
「……そうか、なら、諦めるしか、ないのか」
「いや、それは早計だ。アルベルトよ、そなた、共和国の傭兵になってはどうだ?」
顔を上げたアルベルトは、怪訝な面持ちでゾルと視線を交わす。
「共和国の傭兵になれば、アルヴァ砦の攻略戦に参加する機会を得るだろう。吾輩たちだけよりかは、頭数を揃えた戦争に乗じることで、目的の達成はともかく、そなたと妹の生還が成るだろう」
「だが、それがいつになるかなど、お前ですら分からないだろうッ?」
逸る気持ちを押さえられないように、アルベルトの語調は荒くなっている。
「あぁ、そうだ。それでも、無謀な戦いを挑んで犬死にするよりかは、ずっとマシな選択だとは思わぬか?」
解き伏すようなゾルの言葉に、アルベルトは再び歯噛みしては俯いた。
だが、すかさず顔を上げる。その表情には諦めなど一切なく、発する言葉は勇ましく、芯が通っている。
「分かった。ゾル、お前の言葉に従おう。オレはヴェルデ共和国の傭兵になる」
「うむ、頭の固いそなたにしては良い判断だ。――ルナよ、しばらくアルベルトに力を貸そうではないか。下手に大陸を放浪するより得られるものがあるだろう」
アルベルトとゾルのやり取りを、浮かない表情で見守っていたルナ。ゾルの提案には、迷うことなく頷いた。
「うん、そうだね、そうする。――それで、いつ傭兵になる?」
「いつもなにも、これからだ。すぐに出立の支度をするから待っていろ」
自宅へ戻るアルベルトの背に、ルナはなにか言いかけたものの、それはため息として吹き抜けていった。
「……どうした? なにか言いたげだったが」
ルナの形を成さなかった言葉を、ゾルが拾い上げた。
「……あいつがいなくなったら、この村、大丈夫なのかなって」
「ふむ……どうもこの村の戦士はアルベルトのみ。朝方の一件が気にかかっているのであろう? ならば、錬金術の魔女たるそなたの出番ではないか」
「――どーいうことよ?」
ゾルは巨体を持ち上げ、歩き出す。ルナが追うようについていった先にあるのは、土の錬成陣。
ゾルがそれに指先を添える。疑問符を浮かべたままのルナも、それに倣って両手を添えた。
「そのまま力を込めておけ。行使は吾輩がしよう」
土の錬成陣が光を帯びて輝きだす。見えざる力は村の中から外へと伝わり、やがて周囲一帯の地形が鳴動しながら蠢きだした。
やがて村を取り囲むように、縦長の小山が六つ出来上がる。
それらは自ら凝縮と切削を繰り返すことで、やがて巨大な土人形の形を成した。
ルナはおろか、村人たちも瞠目結舌といった様子で立ち尽くしている。
「ふむ、我ながらなかなかの出来栄え」
「すご……。もしかして、あれ、動いたりする?」
「いや、あれはただの外殻。さて、ルナよ――それと村民たちよ! しばしの間、耳を塞げ! もう一度言う! 耳を塞げ! 鼓膜を失くしたくなければな!」
村中の大気を震わせんばかりの竜の忠告に、ルナも村人も一斉に耳を塞いだ。
胸いっぱいに空気を吸い込んだゾルは、四肢を踏みしめ、天を仰ぎながら開口した。
「ゲァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
その咆哮は、大気どころか村の家屋、大地、そして人々の全身に凄絶な振動をもたらした。
はたして耳を塞ぐ意味はあったのかと、ルナは目蓋をきつく閉じ、歯を食いしばった。咆哮が終わると、げんなりした様子でつぶやく。
「……もう、いきなりなんなのよ」
「土の木偶を動かす者たちを呼びつけたのだ。おそらくそのうち――」
そのうちではなく、すでにその存在はやってきていた。地面からいくつもの、丸い小さな茶色の光の玉が浮かび上がる。
それらはやがて五つの突起を生やし、一メートルにも満たない、つるはしを持った小人となった。
「おぉ! これはこれは大恩を授けしお方!」「聡明なるお方!」「白きなるお方!」「いやはや、ご尊顔を拝まなくなること幾星霜、またお会いできて光栄の極み!」
鳥のさえずりのような声を上げながら、小人たちはゾルの手前に集まっていく。
「久しいな、土の精霊たちよ。突然で悪いが、吾輩の頼みを聞いてもらいたい」
「はッ! なんなりと、我ら土の精霊にご命じください。聡明なるあなた様のためなら、我々はどんなことでもいたしましょう!」
「うむ、ならば遠くを見よ。土の木偶を六つ築いた。あれらにその身を宿し、ここ一帯に迫る脅威を振り払うのだ」
「おぉ……! なんと素晴らしい土人形! 我らの造物などちっぽけに思えるほど! さすがは聡明なるお方!」
「なに、そこの錬金術師の力を借りたからこそ成せたこと」
ゾルが目でルナを指すと、小人たちは一斉に視線を少女へと集中させる。
ルナは思わず身持ちを硬くさせたものの、ほどなくして綻びを見せる。
「おお! 錬金術師殿! 素晴らしい! ――聡明なるお方、もしやこの方と契約を?」
土の精霊の問いかけに、ゾルは静かに、ゆっくりと頷いた。
「おおおおおお! それは良きこと! ついに、ついに錬金術師のお方と契約を果たされた! めでたい! これは本当にめでたきこと!」
小人たちが一斉に拍手喝采を起こし、歓声であたりを満たした。
「では我ら土の精霊一同、全身全霊を以って、かの土人形でこの地をお守りします!」
ゾルに敬礼した小人たちは、途端に小さな茶色い光の玉になると、村の周りにそびえる土人形へと入り込んでいった。
束の間を置いて、土人形が音を立てて動き出す。足を動かし、腕を動かし、胴に頭にと動かし、それぞれが試運転を始める。
「これで、この村は安全なの?」
「確実、とまでは言えぬ。あやつらとて万能ではないからな。とはいえ、安全性が高まったのは確かだ」
「そっか。あれが精霊……。――ゾルって、割と顔広いんだ」
「そうだ。吾輩は竜であるからな」
「んー……残念ながらあたしとしては、まだ竜もどき、なんだけど」
「……無念」
やがてアルベルトが支度を整えてやってきた。先ほどのゾルの咆哮にやられたらしく、顔をしかめながら頭を抱えている。
たくましく広い背筋を覆うほどに大きい革袋を背負い、光沢のない鉛色の両手剣を逆手に携えている。
「さっきの咆哮といい、あの巨大な土の人型といい……ゾルの仕業か?」
「うむ。どうもこの村には守人がそなたしか見えぬゆえ、少々勝手をさせてもらった」
「――構わん。むしろありがたい。同行してもらうだけでなく、村に護衛までつけてくれるとはな」
そこでようやくルナは、先ほど聞きそびれたことを改めてアルベルトに投げかける。
「ねぇ、ホントにいいの? いつここに帰って来れるか分かんないよ……?」
心配そうな上目遣いに、アルベルトは息を呑み、そして大げさに吐き出した。
「いいんだ、これで。もしかしたら村のみんなには、非常薄情と思われるかもしれない。だが、それでも、俺は妹を、アーレを救うことを優先する。仮に村を失うとしても、アーレを失うことよりかは……まだ、いい」
決意に煌めく瞳の端に、後ろめたさの影が差している。
それを振り払うように、アルベルトはゾルの手元へと、勇ましく歩み寄った。
「さぁ、オレを、ヴェルデ共和国の王都デュールまで、連れて行ってくれ」
「アルベルトぉッ!」
突如こだました声に、アルベルトは肩をびくつかせた。
アルベルトの背を心配そうに見つめていたルナが振り返ると、いつの間にか村人たちが集まってきていた。




