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無垢なる女、赤い鳥籠で、白き竜と契り結ぶ


 四方が石造りに囲まれた長い空間を、一人の少女と二人の兵士がひた走っている。


 とはいえ、兵士は少女の護衛ではない。


 少女を捕まえようと、バイザーの奥に潜める目を血走らせ、声を荒げ、追いかけているのだ。


 真っ赤な甲冑で身を固め、二メートルを超える長さの槍を持つ二人の兵士。


 金属の板がこすれ、打ち合う音が少女の背面を何度も突き刺す。


 分厚い本――正確には、B5サイズの紙を一〇〇枚ほど綴じたバインダーを抱え、少女は兵士たちを引き離そうと、必死に疾走する。


 石造りの空間を道なりに突き進み、やがて左手の壁に穴が見えた。


 外に出るために作られた足元から天井近くまで伸びるアーチ壁。


 少女は導かれるように、しかし無意識にアーチをくぐり抜けた。


 足元が一段低くなったそこは、小石や砂利、雑草が点在する茶色い地面を、石造りの壁が四方を囲んでいた。


 まるで広場、あるいは中庭といったところか。


 広場の真ん中に、山のように大きな、全体が白塗りに見えるなにかが横たわっている。


 それに引き寄せられるように数歩進んだところで、少女はふと振り返った。


 先ほどまで執拗に追いかけてきていた兵士たちは、建物の中で足を止め、なにかを言い合っている。


 やがて、一人は左へ、もう一人は右へと走り去っていった。


「……もう、いったいなんなのよ」


 浅い呼吸と共に肩を揺らし、視界から消えた存在に毒づく。


 改めて広場の真ん中に広がっているなにかに目を向ける。


 一歩ずつゆっくりと歩み寄りながら、視線を左右に動かす。


 近づくにつれ、細やかな情報が少女の視覚を伝って少しずつ流れ込んでくる。


 白い巨大ななにかの一端に、手を伸ばせば届きそうな距離まで迫った。


 その正体の察しがついたか、先ほどまで繰り返していた肺の拍動を忘れたように、少女は息を呑んだ。


「うそ、これ……竜、じゃない?」


 たくましく発達していることが明らかな、屈強な胴体と四肢。


 その背から伸びる、巨大な体を包み込むほどの、皮膜のついた広大な翼。


 胴体と同じか、それ以上に長く見える尻尾。


 少女など一口で呑み込めそうな巨大な口元の隙間から、残忍さを醸す牙がいくつも覗いている。


 少女にとって、架空・空想上の存在でしかなかった生物の一種。


 亡骸のように微動だにしない白い巨体を眺めながら、やがて獰猛な顔つきのそばに辿り着いた。


 突如、頭の部位の一部が動きを見せる。目蓋だ。瞳を持つ目が少女を捉え、二度まばたいた。


「……そなた、錬金術は使えるか?」


 低く野太い落ち着き払った声に、少女は顔をひきつらせて半歩退いた。


「……え、なに、喋ってんの……?」


「そうだ。なにせ、吾輩は竜である、からな」


 少女の声は独り言のように小さなものだった。しかし竜はそれを聞きとり、なおかつ質問だと捉えたらしい。


 返答が来るなど思っていなかったように、少女はさらに後ずさった。


「さて、もう一度聞こう。そなた、錬金術は使えるか?」


「えっと……錬金術? いや、使えるわけないじゃん」


「しかし、そなたが抱えるそれは、錬金術の書ではないのか?」


 竜の瞳は少女が胸元に抱えるバインダーを見据えている。


 少女にとって、これは確かに錬金術の書とも言える。


 なぜなら、日々描き続けた手製の錬成陣が記された紙が綴じられているのだから。


 とはいえ見方を変えれば、ただの落書きの集合体。


「まぁ……錬金術の書って言えば、半分当たってるし、半分はずれてるけど……」


「ならば、錬金術の書、であろう。頼みがある。吾輩と契約するのだ」


 契約。


 少女にとって、日常ではほとんど無縁な言葉。


「……は? けいやく?」


「そうだ、契約だ。吾輩と契約し、その錬金術の力、吾輩に行使させてもらいたい」


 もはや理解の範疇を越えた言い分に、少女は堪らず顔をしかめた。


「……意味不明。お断りします」


 少女の拒絶に、竜は伏し目がちにため息を吐いた。


「それは困った。いや、困るのは吾輩だけではなく、そなたも、だがな」


「どーゆーことよ?」


「吾輩との契約を拒み、このままここにいるとして、そなたは今後ロクな目に合わないだろう、ということだ」


 竜の含みのある言葉に、少女は目をつり上げ、声を荒げる。


「はぁ? ホント意味不明なんだけ――」


 少女の言葉を遮るように、頭上からけたたましい鐘の音がこだまし、何度も激しく繰り返される。


「……存外早いものだな。さて、どうする? そなた、このままここに居座り、帝国の者共に捕まるか? 今ここで吾輩と契約を結べば、そなたを連れてここから飛び立つことができるが」


「さっきから契約契約って、なんなのよ? そもそも、鎖で縛られてるあんたが、どーやって飛ぼうってのよ」


「この鎖をどうにかするために、そなたとの契約が必要なのだ」


「あー、もう! はっきりしないことばっか喋んないでよ! もういい、理由を話せば、保護なりなんなりしてくれるでしょ」


 これ以上の会話が無意味と判断した少女は、白い巨体から体を背け、先ほどくぐったアーチへと足を向けた。


 依然として鐘の音は鳴り続けている。加えて、建物中から騒々しい喧騒があふれ、少女の体を押し潰さんと包み込んでいる。


「……聞くのだ。ここにいる帝国の人間共は、酷く肉欲に飢えている。そなた、女子(おなご)であろう? ヤツらはそなたを保護などすることなく、捕虜として扱うだろう。するとどうなる? 独房に連れていかれ、毎日毎夜ごとに、何人(なんびと)もの(けだもの)に辱められるのだ。その身に(ころも)などまとうことを許されず、身も心も朽ち果てるまでに弄ばれ、命尽きればどうなるか? まともな弔いもされず、飢えた畜生の餌として無惨に――」


「やめてよ! そんな……そんなこと、あり得るはずないじゃない!」


 身の毛もよだつ、恫喝のごとくおぞましい話に、少女は思わず振り返った。


「あり得ない? いや、あり得るのだ。そもそも、そなたはこのロッソ帝国というものをどれだけ知っている?」


 ロッソ帝国、という耳慣れない言葉。少女の顔から色味が抜けた。


「――ここ、どこなの?」


「それに答えている暇などない。見よ」


 いつの間にかあふれんばかりの喧騒が間近まで迫っていた。


 先ほど少女がくぐったアーチから、何人もの赤い鎧をまとった兵士が姿を見せる。


 手に持つ武器はどれもが鋭くぎらついた存在感を放っている。


 生まれて初めて向けられた数々の刃のぎらつきを見た少女。


 声を喉につまらせながら、竜の口元まで後ずさった。


「今すぐ選べ。吾輩と契約して生き延びるか、ここであの(けだもの)らに捕まり、肉の奴隷として生涯を終えるか」


 低く野太い声が急かすように語りかける。


 加えて鋭い棘を生やした赤い壁が、少女めがけて徐々に狭まっていく。


 吐き出すように喚くと、少女の目じりから雫が押し出された。


「分かったわよ! 契約、契約するからあたしを助けて!」


 少女の懇願に、竜は妖しげに口角をつり上げた。


「賢明だ。では、その書を掲げるのだ」


 竜の言葉通りに、少女は躊躇いもなく錬金術の書もといバインダーを高々と掲げる。


 すると竜は口をさらに広げ、頭を持ち上げるとバインダーを甘噛みした。


「ちょ、なにすん――」


 直後、竜の白い巨体にほんのりとした光が滲み出る。


 そして全身に絡みついた鎖が溶けるように霧散した。


 自由を得た竜は身をよじらせ、四肢で大地を踏みしめて起き上がる。


 竜は太くたくましい前腕の先にある大きな手で少女をすくい上げ、後ろ足で立ち上がった。


「よし、それでは飛ぶぞ。いささか荒い扱いにはなるが、少しばかり辛抱するのだ」


「まずい、ヤツが飛ぶぞ!」「おい、翼馬部隊と鷹馬(おうば)部隊を出せ!」「すぐには無理です!」「すぐに準備しろ! 絶対に帝国領から逃がすな!」


 赤い鎧の兵士たちのざわめきが上がる中、竜は広大な翼を羽ばたかせ、少女を連れ立って大空へと飛び立った。


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