第二話 視線と記憶 ~ついでに現代最後の日~
R-15は保険です。
ピピピピッ!ピピピピッ!
カーテンの閉まる薄暗い部屋の中、ベッドの脇に置いてあるスマホの目覚まし音が鳴り響く。
俺は眠気の取れない瞳をどうにか見開き、スマホをタップして目覚ましを止める。スマホの時間を見れば、5:00AMと書かれた画面が写った。
ベッドからむくりと上体を起こし、伸びをする。部屋は少し暗いものの、カーテンを開ければ、昇る途中の朝日が差し込み、部屋が明るくなる。窓を開ければ、春の少し肌寒い風が入り込んだ。寒さが身に染みたのか、俺の口からくしゃみが漏れる。
ふと部屋を見渡すと、視界に机の上に置いてある日記が映った。いつもの日課で、昨日の夜に日記を書いて、すぐに寝ちまったんだっけ……。
しかし、 昨日はなんであんなことを書いたのだろう?
俺は自分で言い切っちゃうほど人付き合いが苦手だし、猫かぶりで見栄っ張りだ。それでも自分の日記に、これでもかと自分語りするなんて、誰かにこの日記が見られたら、僕は恥ずかしさで発狂死してもおかしくない。やっぱ疲れてるのかな、俺。
そんなことを思いながら俺は部屋を出て、2階から1階へと降りる。1階に降りると、既に親父と母さんは起きていた。親父は大手一流企業に勤める幹部だけど、朝は早い。重役出勤みたいに、遅い出勤が許されている会社ではないようだ。既にスーツに着替えて、母さんに見送られて玄関にいるところだった。
「親父、おはよう。いってらっしゃい」
「お、嵐か。おはよう、いってくる」
それだけの会話をして、親父は会社へと向かった。親父との会話は、毎朝この程度で終わる。けど、親父は別に俺の事を邪険にしているわけではない。俺も親父の事は、仕事に生きる人だとは思っているけど、嫌いではないからな。
親父が出ていった後、母さんが朝食を持ってきてくれた。その出された朝食を、俺は静かに食べる。まだ弟も妹も寝ているからな。とはいえ、朝から母さんと俺が会話して、騒がしくなることはないけどね。
ちなみに俺がこうして朝が早いのも理由がある。今日は朝から野球部の練習があるのだ。うちの高校の野球部は、そこまで強豪校というわけでもないからか、練習もそこまで厳しくない。朝練もそんなに多い頻度ではないうえに、始まる時間も朝6時半からだから、こんなに早く起きなくてもいい。でも俺は主将だから、一番にグラウンドにいたいという気持ちがある。だから早く起きて母さんに朝飯を作ってもらい、練習に向かうというのが、俺の日課だ。
朝飯を食べ終えた俺は、すぐに練習着に着替え、家を出た。ちなみに母さんとの会話は、「いってきます」と「いってらっしゃい」で終わるので、毎朝特になにかあるわけでもなく、家を出る。
俺が通う高校は地元の公立高校だ。家からもかなり近く、毎日徒歩で学校へ向かえる。大体準備を終えて、5:45には家を出るから、6時前には学校には着く感じである。自慢じゃないけど、俺はこれまでの高校生活二年間、この通学路を一度も休まず歩いてきた。
通学路を歩いていると、桜並木が立ち並ぶ河川敷へと差し掛かる。春を感じさせる桜は、今が満開で、時折風に乗って桜吹雪が舞い散る。その桜吹雪を見ていると、先輩の卒業という別れの季節を終えた俺の気持ちを、新入生との出会いの季節へと変わったことを実感させてくれる。
俺はその桜を見ながら通学路を歩き、日記に書いた内容を思い出して物思いにふけていた。
小さい頃から、言われたことや、やろうと思ったことはなんでもできた。両親の薦めで新しいことに色々と挑戦し、努力し、モノにしてみせる。 当たり前のようで凄く大変なこと。それは、今までそれをやってきた自分だから言える。
だから周りの人も俺のことをたくさん褒めてくれた。「すごいね~」とか「天才だね~」とか、とにかく色々な言葉で。子供の頃は純粋にそれが嬉しくて、褒められる度に「次も頑張ろう!」みたいなことを考えていた気がする。
……でも、中学に上がったくらいの頃からなにかがずれ始めた。
今まで、尊敬や羨望だけだった視線に、ある不自然な視線を感じるようになった。
まるでネバネバした触手のような……それでいて、時折こちらのことを針で刺すような……。子ども心からしてみれば、訳のわからない視線。
最初はそれがなんなのか、まったくわからなかった。何となく、こっちに悪影響が出そうな変な視線だなぁとは薄々感じたけど、その時はその視線がどういう意味を持っているのかがわからず、結局放っておいてしまった。
それが仇となった。
中学二年の三月頃のことだった。
その日は学年末テストの順位が、中学校の職員室前に貼り出されていた。当然、俺の名前が1位のところに書いてあった。
当時の俺の友人達はそれを口々に褒めてくれる。「すげぇ」とか「さすが嵐」みたいな、俺にとって、とても耳障りの良い言葉を。それはいつも通りの光景のはずだった。
ところが、俺の周りにいた友人の一人が、突然自分に突っかかってきた。
「なんでまたお前が一位なんだ!!」
と叫びながら。その瞬間、俺の頭の中は真っ白になった。
訳がわからなかった。なぜこの場面でそういった発言がでるのか、なぜ俺にそんなことを言うのか、なぜ俺がそんなことを言われなきゃならないのか……。
その友人は狂ったように、そのまま俺に殴りかかってきた。俺が頬を一発殴られたところで、周りの友人達が気付いてその友人を取り押さえて袋叩きにしているところを、駆けつけた教師陣に仲裁されるといった、もう何もかもが滅茶苦茶であった。
結局、殴られた俺にそこまでの怪我はなかった。しいて言うなら、口を少し切ったくらいだ。けど、心に深く爪をたてられた気分で、しばらくその場で殴られたまま呆然としていた。
その友人は、幼稚園の頃から一緒と、とても長い付き合いのある友人だった。最早親友の領域に入ったような関係で、そこまで家に入り浸るとかはなかったけど、学校で顔を合わせては軽口を言い合うような関係でもあった。
勉強面じゃ、毎回1位を争う関係でもあったから、ほとんど全力で相対した。俺が毎回のように1位をとって、そいつが2位だったけど、その度に「嵐に追いついてみせる」と言っては、笑顔で構ってくるような奴だった。
当時の俺は「俺が凄いから、俺を見本にしてくれている。褒めてくれている」と解釈していた。そしたら友人が、突然豹変して殴りかかってきたのである。俺からすれば、1位をとって、なぜ殴られなきゃならないのか、意味がわからなかった。しかも、幼稚園時代から仲の良い親友に。
この事件の後に聞かされたのだが、その友人は、俺に追いつこうと物凄い努力を積み重ねていたらしい。俺にかけた言葉は、単なる俺への誉め言葉じゃなくて、自らを奮い立たせる言葉でもあったみたいだ。
それこそ、毎回テストのために徹夜で勉強するような。
そこに運が悪いとも言うべきなのか、その友人の家庭環境が悪かったことが、悪意の増長に拍車をかけた。
両親は毎日喧嘩が絶えず、その友人が愚痴をよくこぼしていたのを俺は知っていた。そこまで裕福な家庭でもなかったらしいけど、その友人の両親は、毎晩のように口論が絶えないくせして相当な理想主義者だったらしく、過度に厳しく接されてきたらしい。
こうした事が重なって、その友人は中学に上がってからも続くその喧嘩に嫌気がさしていた上に、度重なる無理が祟って、狂ってしまったんだ。
その結果、今まで尊敬や目標として見ていたその視線が、反転して憎悪や嫉妬に変わってしまったという訳だった。自分はこれだけ努力しているのに、どうしてまた嵐に負けなくちゃいけないのか、そうした動機によって、凶行に及んだというのが真実だった。
俺はその事を知ってしばらく、学校へ行かず家に籠っていた。春休みを迎えたこともあって、長く家に引き籠り、ほとんど外どころか部屋から出ようともしなかった。出る気がしなかった。
4月を迎え、中学3年となった俺が久しぶりに学校へ行くと、その友人の姿は学校にはなかった。
どうやらこの件で両親が離婚を決断し、母方の実家のある田舎へ転校したらしい。俺はそいつの謝罪も受けることなく、わだかまりを残したままこの事件が終息した。
……もっとも、そんなことはもうどうでもよくなっていたのだが……。
むしろ、大変なのはその後だった。俺は事件の後、人間不信に陥ったのだった。
とにかく人に会うのが怖かった。面と向かって話していると、そいつの体がぶれて俺の体を殴ってきそうな、こうやって話していても陰で俺の事を悪く言ったり、ほくそ笑んでいるのか、そう考えたらループから抜け出せなくなっていた。
そういう意味で、長年切磋琢磨してきた友人に、悪意を向けられた影響はとても大きかった。
勿論、自分を慰めてくれるようなことを言ってくれる友人達は周りにたくさんいた。
でも俺は、その言葉が本当に慰める為に言っているのかがわからなかった。
今は慰めていても、本当はあの友人のように、表で俺に機嫌をとって裏で俺を憎んでいるんじゃないだろうか、悪口を言ってるんじゃないだろうか……と、いらない疑心暗鬼をしてしまっていた。
結局その"症状"は、中学を卒業して高校に上がっても変わらず、今も苦しんでいる。
今まで作り上げた、優等生としての俺が、高校に入ってからも俺を苦しめた。ちゃんとしなくちゃいけない、立派な大人になる為に、そういう考えがあったから、俺は頼まれたら断れない人間になった。
そしたら勝手に生徒会に推薦され、あっというまに生徒会長になってしまう始末。
目立ちたくなかったけど、高校生活で帰宅部じゃなくて部活には入ろうと思い、幽霊部員の気持ちで入った野球部では、なんか知らない内にレギュラーにされていて、勝手に主将にされていた。
もう目立つのは勘弁だった。人に関わりたくない、そう思っていたのに……。
そんなことを振り返っていたら、学校に着いていた。野球部の練習グラウンドには誰も来ていない。俺は着替えを終えると、走りこんだりストレッチしたりで、一人の時間を過ごした。
この一人の時間が、実は俺の好きな時間だったりする。朝から何も考えず、孤独に気持ちを整理できるこの時間。朝の肌寒さは身に染みるけど、主将になる前から、こうやって一人で練習するのが好きだった。黙々と一人で何かするのが好きで、よく朝も放課後も練習していたら、顧問の先生に何か褒められていた気がする。
主将になってもそうした俺の日課は変わらなかった。今思えば、黙々と一人で練習する姿を見て、顧問の先生が俺を主将に抜擢したのかなぁとも思ってる。別に評価取りでやってなかったから、選ばれた時は完全に“寝耳に水”だったけど。
こうして一人で黙々と自主練している至福の時間も、やがて集まりだした部員たちによって終わりを迎え、いつものように部活の練習が始まる。
そこでまた、顧問の先生から「嵐は主将として自覚のある行動をしている。お前たちも見習え」と褒めるようなことを言われ、みんなから持ち上げられ、俺は胃が痛いような思いをひたすら隠し、練習が終わるのだ。
練習を終えて帰宅後、風呂と夕飯を済ませ、俺はいつも通り家庭学習をこなし、日を跨ぐくらいに寝床に着く。こうしてまた、いつもの周期で一日が終わる。
その日課の中、俺は寝床につくその前に、必ず日記をつけるようにしている。これは四歳の頃からの習慣だ。長くても短くてもいいから、とにかくその日思ったことを最低一言で書き記している。昨日は特に長かったけど。
一日を終えようとしている俺は、その日のページの最後に、こう書き記した。
僕は人生を光らせすぎた
光は周りを照らして、同じように光をもたらすのだと勘違いしていたからだ
でも、現実は違った
光は周りを照らすと同時に影も生み出すんだ
僕は影に妬まれ、飲み込まれ、傷つけられ……、そして憧れてしまった
僕は光である人生に疲れた
僕は光であることに嫌気がさした
ただただ目立たず、人の影に隠れ、静かに黙々と、ただの人間、ただの影として生きていきたいのに、光を求める君達は僕に纏わりつき、より一層僕に影への憧れを持たせ、苦しめる
"僕はもう光りたくない"
神様……、もし本当にいるのだとしたら、どうかお願いです。
僕を助けてください
このままだと僕は、僕に親しくしている人たち、家族も含めた優しいかもしれない人たちすら……、全てを嫌いになってしまいます
そして、最後には自分さえも嫌いになってしまいそうです
もう何もいらない。何もかも捨てて、引き籠りになりたい、影になりたい……
どうかお願いです、やり直しを僕にさせてください……
その時は、絶対に目立たず、普通の人間として、普通に友達を作って、幸せに暮らしてみせるから……」
三月三十一日 山浦 嵐
決して神様に届くはずのないこの願いを書き記し、俺はペンを置く。
ふと時計を見れば、もう夜の11時50分過ぎである。
つまりもうすぐで明日の4月1日を迎えるということだ。4月1日は、ご存じエイプリールフールである。
神様に「今までの人生は嘘だった」と言ってもらいたい気持ちを持ちつつも、あまり期待はせず、また機械的な一日が来るのだろうと諦め、俺は寝床についた。
意識を落としていく中、最後に残っていた視界で窓から見える夜空を眺めれば、一筋の流れ星が流れた気がした。
まるで、願いを叶えたぞと言わんばかりに……。
次回も更新は不定期です。
ちょくちょく修正します。やっぱり素人なので、文章練り上げるの凄く難しいです。見返して恥ずかしさで悶絶しています。
感想をいただけると凄く嬉しいです。どこが間違っているのかやっぱり自分ではわからないので。なので是非是非よろしくお願いします。
(追記:2024/12/31)うわっ、昔の俺、ポエム書いてる。きゃー、恥ずかしぃ。なんてもの書いとるんじゃ俺はぁ