『バレンタイン』(2019)
返す返すも。
返す返すも──あんなことしなければ良かったと後悔している。
バレンタインデーに、いつも遊んでいるメンツにチョコをあげただけなのに──この状況。後悔先に立たずとはよく言ったもんだ。この言葉を生み出した先達の、肝に染み入る表現力に感服する。本当に的を射てるぜ。マジで。今、めっちゃ実感してるもん。
「──いい気にならないでよね!」
強い語調で壁際の私に詰め寄ってくる女子生徒。クラスメイトではないことは確かだが、なんだか見覚えがある顔だ。その後ろに立つ、四人の顔にも見覚えがあった。同じ階のクラスかもしれない。
それにしてもしかし。
いい気になるも何も、なぁ。
今日はバレンタインデーなんだし、日頃から遊んでもらってるあいつらに、感謝の気持ちを込めて、チョコをあげただけなんだけど。
私があいつらにチョコをあげたことがそんなに気に入らないのだろうか。
いや、まぁ。
気に入らなかったからこうして私を呼び出してまで因縁をつけているのだろうけれど──。
なぜ、私?
あいつらのことだからクラスの内外問わず、他の女子からも貰ってると思うんだが……。
うーん。
解せぬ。
「ちょっと、聞いてるの!?」
一際大きく聞こえた声に、我にかえると同時に突き飛ばされた。不意打ちに近いものだったので堪えることが出来ず、背後の壁に背中と頭を打ち付けた。
「……ってー……」
コンクリート、痛し。
軽く打ち付けただけなのに頭にめっちゃ響く──
「ちゆり!」
名前を呼ばれて残る痛みに耐えながらそちらを見る。鳥片しいちがこちらに駆け寄ってくるのが見えた。
あ。なんか拗れそう。
「ちゆり、大丈夫か?」
しいちが私の後頭部をさすりながら確認する。
「あぁ、うん、大丈夫……」
そう答えながら、私は女子生徒を見た。その目に恥ずかしさと羨ましさの色が見えた。
あー…………。
「何すんだお前、ちゆりに謝れよ」
しいちは私を突き飛ばした女子生徒を睨んで言う。その言い方からするに、どうやら彼は、彼女が私を突き飛ばす瞬間を見ていたらしい。
「あ……」
女子生徒はしいちを見ながら、じり、と半歩ほど後退りする。そして、居たたまれなくなったらしく、踵を返すと駆け出した。そのあとを、取り巻きたちが追いかけていった。私としいちだけが、その場に残された。
なんか……面倒なことになりそうだなぁ……。
嫌な予感を覚えながら、打ち付けた後頭部を撫でさする。鈍く痛みは残ってるけど、こぶにはならないで済みそうだ。
「あいつら何だったんだ?」
私と同じように彼女らを見送ったしいちが微かに怒りを感じる語調で私に聞く。
「うーん……」
さて、どう答えたものか。
私の知らない因縁が、あの女子生徒にはあるようだし──
「……私にもよく分からない……かな」
「はぁ?」
私の答えに首を傾げるしいち。
とりあえず、こいつに話して拗れることは避けたい。
「……さて、と。部活に戻るかな。そっちも部活中だったんだろ?」
しいちは部活の格好──サッカー部のユニフォームを着ていた。
「でもお前……」
しいちはさっきの状況が気になるのか、部活に戻ろうとしなかった。
「私のことは気にすんな。サッカー部のエース、他のやつらに取られても知らねーぞ?」
「…………」
しぶしぶ、といった感じで、しいちはそれ以上何も言わなかった。
それからはお互いの部活へと別れた。
私は部活動の拠点──図書室に着くなり、その机に突っ伏した。
……つかれた……。
「……大丈夫……?」
遠慮がちに聞いてくる優しい声に、僅かに顔を上げると、覗き込むようにした部活動仲間の顔があった。
「甘ちゃん……」
私が呼ぶと、彼──控目甘は柔らかくにこりと微笑んだ。
「……呼び出し……は、何だったの……?」
「うん? あー……、何でもなかったよ」
「……そう……」
納得しかねる答えだったはずなのに、甘はそれ以上何も聞いてこなかった。
「甘ちゃん、いいやつだよなぁ」
「急にどうしたの……?」
「ん、なんとなくそう思ったから言ってみた」
「ちゆりは言動が男前だね……。あ……でも、バレンタインデーにチョコくれるところはちゃんと女の子だよね」
「……甘ちゃん……それ以上褒めると私、色々ヤバイんだけど」
嬉しいけど恥ずかしい。
私が再び顔を伏せると、甘の小さく笑う声が聞こえた。
こいつ、私が照れるって分かってて言ってんな。
「あ……そうだ、ホワイトデー……、楽しみにしててね」
忍び笑いをやめて、甘が言う。
「……?」
ホワイトデー?
「バレンタインデーの次は……ホワイトデー、でしょ……?」
……そうだった。
ホワイトデーの存在、すっかり忘れてたぜ……!
あげる気恥ずかしさを味わったのにもらう気恥ずかしさをも味わうのか……っ。
恐るべしイベント、『バレンタインデー&ホワイトデー』!
「お、おう、楽しみにしとくわ」
動揺を隠しながら応じた私だったが、そこで、重大なことに気付く。
チョコをあげたのはしいちと甘を含めての五人。ホワイトデーにこの五人からお返しをもらうことになるのだと、察した私だった──