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虚妄を信じた化物へ  作者: 桂木イオ
6/6

要因 後


僕の17年間の軌跡は、平和で、穏やかで、退屈だった。


やるべきものだけを、ただ規則的に繰り返す。


他者から与えられた営みの中にあるのは、大原海都という概念であり、僕個人の意見や意識は無かった。


自分の意見を求められた場合は、誰かの意見を模倣し、誰かが右を向けば右を向いた。


誰かを干渉することもなければ、誰かに干渉されることもなかった。物語の登場人物に僕を例えるなら、僕は背景にいる、2、3行程度の描写しかされない端役か、あるいは物語にすら出てこない。


「人の個性を色に例えるなら、僕はなんの色も持たない、無色透明なんだ。そんな人間が生きていようが死んでいようが、僕にとってはどうでもいいんだよ」


読んでいた本の背表紙をなぞりながら、話を終える。


僕の隣で黙って話を聞いていたウミウシは、鋭い牙だらけの口からゴウ、と青い炎を吐くと、何か言葉を呟いた。


「?」


なんと言ったのだろう? 聞き返そうとすると、後頭部に強い衝撃が走った。


「いたた……なんだよ、ウミウシ」


岩のように固い鱗が張り付いた尻尾で叩かれ、前のめりに砂に突っ伏す。口に入った砂が気持ち悪い。


『そう言う割にはあんた、あの時死にたくなかったんだろう?』

「自己保存の本能に駆られたからだよ」

『……いいや、それだけじゃない。あんた、本当は誰より自分らしく生きたいんじゃないか?』

「え?」


僕が? 個性の無い、量産型人間代表みたいな僕が?

 

「僕がそう見える?」


化物はこくりと頷いて「じゃなきゃ()()()()()()なんて思わんさ」とさらりと言ってから、地面に投げ捨てられた文庫本を咥えて僕に渡してくれた。


『思い出したんだ。あんたを食べようとした時、あんた、死にたくないってもがいてたろ』

「……ああ、まあ」


自業自得であはるけれど、見苦しい程には思っていた気がする。


『あんたの生への執着が伝わってきたんだ。僅かで弱々しかったが、あんたの声を感じたから、俺は食べきれなかった……なんでだろうな。あんたみたいな奴を、俺はどこかで知っていたはずなんだ』


ウミウシのどこか寂しそうな声は、潮騒に飲まれて消えていく。


1人と1匹が、互いに言葉を紡ぐこともなく潮騒の音を聞いていると、潮騒の音に混じってこちらにやってくる足音が耳に入ってきた。


「やっぱりここにいたんだね。お兄ちゃん」


無邪気な声が降ってくる。


視線を向ければ、黄褐色に黒の模様が入った不思議なデザインのパーカーを纏った少女立っていた。


「君は、昨日の.....」


「そう。昨晩ぶりだね」


フードの奥、まるでルビーの様な鮮やかな赤い瞳を細め、少女は妖艶な笑みを浮かべていた。







暖かくなったといえども、春の夜はまだ寒い。


入浴を済ませ、部屋着に着替えた最岩文香は、月を見るために開けたままにしていた窓を閉めると、今日の出来事を日記にしたためていた。


(今日はいいお天気で、学校から黄昏海岸の地平線までくっきり見えて綺麗だった。あと、天野君が内職がばれて先生に怒られてて、なんだか私はぼーっとしてた)


教科書の手本のような整った文字が、白い方眼ノートに羅列されていく。


実家の寺も静かではあったが、常に家族がいたため人の気配があった。


だが、1人暮らしになると聞こえるのは外の駐車場から聞こえる車のエンジン音くらいだ。


(寺を出るっていったらお父さん、すごく反対したのになあ……さて)


ひととおり日記を書き上げた彼女は、ノートを所定の場所にしまおうと棚に手を伸ばすと、1冊の本が落ちた。


「影をなくした男……?」


 真新しい文庫本。教科書に乗っていそうな堅苦しい文面の間に、淡いピンク色の栞が挟めてある。


 誰かにすすめられなければ読もうとも思わないだろうジャンルの本を、自分は以前まで好んで読んでいた()()()


「やっぱり、なんだか引っかかる」


 今朝方から拭えない、違和感。


 単なる物忘れと括ろうとすれば、指先が震えた。


「……」


栞を握りしめ、目を閉じる。


 この本に関する事柄を思い出そうと、膨大な記憶の海に手を伸ばす。


 誰かが、記憶をすり替えている。都合がいいように、誰かが消されてしまった。


(一体、何が起きてるの?)


 先祖代々華幽山の山寺を守ってきた最岩家には、異界の者へ干渉する力がある。


 異界の者への干渉力は、世代を重ねる事に薄れつつあるが、文香は最岩家の中でも比較的干渉力が強い。


 本来寺を受け継ぐ兄の方が求められた力を妹が色濃く受け継いでしまった。


父の将文は文香の干渉力を封じるため、最岩家の寺紋である黒椿の刻印を文香の背中に施し、その力を決して寺の外で使うなと繰り返し警告していたし、文香も承知していた。


 だが、その日、記憶の引っかかりが気になって眠れない文香は、冷めた布団の中で()()してしまった。






 瞼の裏で、文香は黄昏海岸の砂浜を歩いていた。


 もう夜も深い。磯の香りが鼻を掠める。

 

 白昼夢のようなあやふやな自分は街灯を頼りに、消されてしまった誰かを探していた。


「ウ……ウシ……かなあ?」


 ノイズに混ざって、聞き覚えのある声を耳が拾う。


(誰、君は、どこにいるの?)


 声の正体に辿りつくために、神経を研ぎ澄ます。


(もう少し……もう少しで、私が忘れてしまったものがわかるはず……!)


 傷だらけで、血で汚れたシャツを纏った誰かの背が見える。


 文香は今眼前に映っている青年と思しき人物の正体を確かめようとしたが、文香の部屋で突然聞こえた足音で、意識が身体に引き戻されてしまった。


『……すん、ぐすっ』


 誰もいないはずの部屋で、子どものすすり泣きが聞こえる。


 文香は身体中が何かに縛られたかの様に動けなくなった。


 たん、たん、と小さな足音はキッチンを通り、文香の居る部屋の前で止まった。


「……誰?」


 恐怖の中絞り出した声は、震えていた。


 鍵がかかっているはずのドアノブはゆっくりと回り、白い肌をした声の主が顔を出す。


 彼女は虚ろな瞳で文香を見つめ、痩せ細った白い腕で、耳を掴んでぶら下げるようにして持ち歩いていた白い兎のぬいぐるみを抱くと、にっこりと微笑んだ。


「みつけた。有栖」


 ブロンド色の髪を腰まで伸ばし、白いワンピースを着た幼い少女。


 スカイブルーの瞳に慈悲をたたえた少女の姿はまるで天使のようだが、彼女の背後にいる巨大な()()は、さも死の象徴と言わんばかりの禍々しい出で立ちをしていた。

 

『ウゥ……う……』


「よかった。やっと、やっと一緒にいられるのね」


 歌うように言いながら、少女はくるりとまわる。


 月明かりに照らされ、白いワンピースが淡く輝いていた。


「……違う」


 文香は、否定した。


 違う。私は有栖じゃない。


 文香はわかってしまう。彼女が追い求めている物はすぐ近くにあっても、叶うことはないことに。

 有栖は存在していて、存在していないことに。


 だとしても、彼女にどう、ほんとうのことを伝えればいい?


 意識が削がれて行く。彼女の後ろに立つ、赤黒い布を纏った丸い生き物がぶるぶると震えている。


「……」


 薄れていく意識の中、文香が見たのは最後まで眼が合わなかった盲目の天使と、すすり泣く黒い球体だった。

 


 






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