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虚妄を信じた化物へ  作者: 桂木イオ
5/6

要因 中

春の日差しが、教室の端にある窓辺の席を照らしている。


 今日もこの席に座る生徒はいない。春風で靡く白いカーテンの向こう側に映る青い海は、冴えるように青かった。


「最岩。おい、最岩」


 とんとんと背をつつくいているのは、列を挟んだ隣の席の天野君だ。小学生からの幼馴染で、2年連続同じクラスの彼は、耳に鉛筆を挟め、古典の教科書を立てながら何か授業とは違う別の作業をしていた。


「どうしたの? 天野君」

「次の現代語訳、お前だ」

「あ、ほんとだ。ありがとう」


 私こと最岩文香(さいがんふみか)はノート片手にみんなに混じって黒板に指定された行の訳をはじめる。


 クラスが変わったとはいえ、北原は中高一貫校だ。見慣れた顔ぶれのせいか、高校に進学したというのに、気持はまだ中学の延長だと思っている人も多いのだろう。新学期でも教室の空気はあまり変わらなかった。

 

 先生がつまんだチョークがリズミカルに鳴り、黒板に擦れて粉が落ちる。

 板書をとる生徒に、居眠りをする生徒。噂話に華を咲かせる生徒.....今日も同じような日常が始まっている。


(.....でも、どうしてなんだろう)


 この気持ちを例えるなら、それはうっかり制服のスカーフを忘れてしまった日。

 いつも入れている付箋を家に置いてきてしまった日。


(なんなんだろうなあ)


 煙草の吸いすぎでがらついた先生の声を聞き流し、誰もいない隣の席をなんとなく見つめる。


 無くても問題ないのに、ないとなぜだかしっくりこない()()を、私はどうやら忘れてしまっているようだった。






『.....』

「ウミウシ、少し落ち着いてくれないかな。そうやって周りをぐるぐるされると、黒板の文字が見にくいんだ」

『俺あんたの神経わかんねえよ.....さっき説明したよな、俺』

「聞いてたよ。勿論」


 教室の隅に鎮座する窓辺の席。空席を確認すると、僕はそっと胸を撫で下ろした。よかった。誰か座っていたらどうしようかと思った。


「化物の記憶は人間の存在と等価交換っていうのは、つまり()()()()()()()()()()()()()()になる代わりに、化物が生前の記憶を取り戻すってことなんだろ?」

『そうだ。だからあんたの存在はもうどこにもないんだ。.....そういえば、あんた、大原海都(おおはらかいと)っていうんだな』

「ちっ。ウミウシ、靴箱みたろ」

『あんなあ海都、あんたの半分は俺なんだ。あんたが見たものは俺も見ちゃうの.....って聞いてます?』


 存在そのものが抹消されていたため、教室に置いていた僕の教科書もノートも消えていたことは残念だが、こうして職員室から印刷用紙を拝借してきた。今日の授業分は持つだろう。


『なあ、あんたさ』

「ごめん。悪いんだけど、急を要することじゃないなら休み時間にしてくれない?」


 定規が欲しいなと内心で愚痴を吐きながら、板書を続ける。この姿になって処理速度が上がったのか、いつもより板書のスピードが上がっている気がした。


『なあ、海都』

「今度は何」

『いや、隣のお嬢、さっきからずっとあんた見てるぞ』

「.....は?」


 ノートを取る手が止まる。最岩が? 僕を?


 ゆっくりと首を回すと、隣で授業を受けている女子生徒と目が合った。

 春の野花を彷彿とさせる、ふわりとした薄茶色の髪に、愛らしい小さな赤い花のヘアピンを止めた彼女は、退屈そうにぼんやりと僕の座っている椅子を見つめていた。


「.....最岩?」


 溢れ出る不安を殺してしぼりだした声は、彼女には聞こえていないようだ。僕の燃える青い目と、水晶のような彼女の目が重なることはない。


「よかった。最岩には、見えていないんだね」

『.....』


 瑪瑙(めのう)町を古くから見守ってきた、由緒あるお寺、最岩寺。彼女はそこの1人娘だ。

 綺麗で、不思議な人だ。見えないことをいいことに僕は彼女を観察した。


 着崩すことなく纏った制服に、細いがほどよく筋肉のついた健康的な体躯。きめの細かい、柔らかそうな肌。飾ることは何もしていないのに、彼女は存在するだけで美しかった。


『あれ~? かいとく~ん? どうしたのかな~? 手が止まってるぞ~?』

「うざったいよウミウシ」

『なんだよ、俺のために手はとめねぇけど、嬢ちゃんみるためには手を止めていいのかよ』

「うん」


 仕方ないだろう。こうでもしなければ、僕は彼女を見ることなんて恥ずかしくてとてもできないんだから。


 授業終了のチャイムの音が聞こえる。

 北原高校は、今日も平穏だった。



 放課後、僕は今日の授業で使った数枚の印刷用紙を手に持ったまま、帰路についた。

 といっても、帰るべき家はとてもじゃないが帰りたくはなかったから、散々迷った挙げ句、僕は目が醒めた海に帰ってきた。


「今日の分のは全部未使用のロッカーにしまってきたけどさあ.....やだなあ、掃除の時片づけられてたらどうしようかな」


 この姿になってから、屋根のついた家があることの贅沢さを感じることになるとは思わなかった。

 鬱々とした気持ちのまま、借りてきた・・・というよりは盗んできたといった方が正しいのだろう。図書館の文庫本を開く。

  

『.....なあ、海都』


 夕暮れの空、ウミウシの青く燃える、大きな虚空の瞳が熟れたように赤い太陽を捕らえている。


「何? 今度はちゃんと話を聞くよ」

『じゃあ聞くが、あんた、なんで海に沈んでいたんだ?』

「そんなこと聞いてどうするんだよ」

『どうもしねえよ。ただ、俺が食った奴がどんな奴が気になったんだ。今日一日隣であんたを見てたけど、あんた、なんか()()


 借りてきたアーデルベルト・フォン・シャミッソーの本を閉じる。


「確かにライトノベルはあまり読まない」

『そういうことを言いたいわけじゃない.....ライトノベルってなんだ?』

「はっきり定義されてはいないんだけど、読みやすい文体で書かれた軽小説のことだよ。漫画みたいで、この本よりもはるかに読みやすい」

『ふーん.....って違う違う。俺が聞きたいのはそういうことじゃねえ』


 じゃあなんだと、僕はウミウシを直視した。

 彼は青い炎の灯る尻尾をゆらりと振りながら、真っ直ぐに僕を見ていた。


『あんた、自分の存在が無くなったことを受け入れるのが早すぎるんだよ。自分が消えたことに嘆くことも、泣くこともない。その癖、存在が無くなる前と同じこと繰り返してる。なぜだ?』


 僕は、すぐに答えることができなかった。

 意外だったのだ。この化物は、僕を人間という広い括りで扱うわけではなく、大原海都という一個人として僕を知ろうとしていることに。

 

「君、ほんとうにあの化物達と同じなの?」

『理性があるだけで、在り方はそう変わらねーよ。人間も化物も食べて、自分を取り戻すんだからな』


 そんなのいいから答えろと、ウミウシは尾を揺らしながら僕をせかす。

 誰かの話をするのはよくあることだが、自分自身のことについてこうも踏み込んで聞かれたのは彼がはじめてだ。


 理解できるように話せる自信はない。それでも僕は、僕自身を知ろうとしてくれたこの化物に、誠実さをもって答えるべきだと言い聞かせ、たどたどしい口調で口火を切った。

 

「――僕はね、こうなる前から()()だったんだ」


 

 


 

 




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