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白き忌子の勇者譚!  作者: オッコー勝森
第1部 プロローグ
1/111

1-0「プロローグ:トモダチが欲しいだけのマモノ」

 初投稿です。

 主人公不在のプロローグ。

 長いの注意。グロいのも注意。

 読まなくても大丈夫なように本編は書きますが、重要な伏線がたくさん出てくるため、ぜひ目を通して欲しいです。


 2018/05/19

 間違って下書きを投稿していたことに、二ヶ月弱経ってようやく気づき、清書したものに入れ替えました。


 ボクが覚えている、最初の景色。

 うららかな日差しによく映える、新緑萌える木々たちが、眼下半分に広がり。

 その先に小さく見えるは、人のたくさん住んでそうな、大きな、とても大きな街。


 いろいろなものが、生きて踊って奏でながら、ボクのことを迎えてくれるようで。


 今日という日の優しい温かさに、心も段々あったかくなっていくのを感じ。

 まるで。


 世界と、ボクが。


 たくさんの目(・・・・・)触角(・・)六本の足(・・・・)といったボクの身体の、あらゆる境界線で融け合っていくように錯覚する。


 とても気持ちがいい。


 ふと先ほど目に入った街、いや都市? の方に注意を向ける。

 初めて見るはずのその場所は、なぜかボクにとって憧れで。


 羨ましくて。

 妬ましくて。

 嫉ましくて。


 そして、愛しかった。

 あそこに行きたいな。


 あそこでなら、ボクはひとりぼっちじゃなくなるかな?


 あれ、なんかおかしいな?


 後ろで大口を開けている、黒々とした闇を湛える、深い、深い谷。

 どのくらいの深さなのかはここからじゃまるでわからないし、底が本当にあるかもわからない。


 落ちたら絶対に出てこれないように見えるけど。

 ・・・ボクはさっき、この谷の壁を、上に見えるかすかな光目掛けて這い上がってきたんだ。

 けれども、別にこの谷を真っ逆さまに落ちたから、頑張って登ってきたというわけではない。


 じゃぁ何故、僕は崖壁を登らなければならなかったか?


 ボクはこの谷の下で生まれてきたからだ。


 そう、おかしい、いや絶対にありえないことに、ボクは生まれてきたばかりであるにもかかわらず、なぜか言葉を媒介にして、大人のように洗練された思考ができている。

 だがこの一瞬の違和感は。


 これがボクという「存在」の「前提条件(・・・・)」なんだ、と素直に受け止めることができた。

 そうそれで、この前提条件には、さっきも感じたけど、もう一つあるな。

 これでさっきから心がずっと、ぐいぐい縛々締め付けられて、とても苦しいっ、痛い!


 アアッ!

 ヒトリワイヤダ!


 孤独への恐怖。これが、もう一つのボクの前提条件らしい。

 ああ、早くこんな気持ち悪さから解放されたい、こんな気持ち悪さを排除したいっ!


 トモダチガホシイ!


 ・・・これは、ボクの、生まれ持った恐怖ゆえの本能か・・・・・・?

 ボクは本能がもたらす激情と渇望のまま、ひたすら街の方向目掛けて、山を降りて行ったのだ。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 思えば、人に会って、理性を保てたまま向かい合えたのは、この時が最初で、最後だったかもしれない。


 山を下って行くと、先ほど眼下の一部に捉えた、街の方へと向かう道とぶつかった。

 最初は舗装もされていない、ただ踏み固められた地面が晒されているだけだったけど。先に進むにつれ、だんだん整備の具合が良くなっていき。森の木々たちの隙間から、街を囲う城壁が見えてきたあたりで、敷き詰められた石の隙間を白い石膏で埋めた、美しい街道になった。

 ローマの(・・・・)アッピア街道(・・・・・・)みたいだ。

 途中で水の音が聞こえてきたから、そちらにちょろっと注意を向けてみたら、水が反射する輝かしい太陽の光に少々驚き、全身の(・・・)目をパチクリとさせた。

 どうやら、森の端の方に湖があるらしい。

 確かに、先ほど眺めていた時にも見えていた気はするが。そんなに大きくはなく、もっと言えば人工のもののようだった。

 どっからか水を引いてきて、街の外から生活用水を地下のパイプか何かで供給しているのだろうか?


 そんなことはどうでもいいか。


 それにしても、せっかくの道だと言うに、誰にも遭わないな。皆この道を使わないのだろうか。まぁ、今までずっと森の中を歩いていたわけだし、もしかしたら危険なのかもしれないな。

 と思ったところで、前方に人間の生命活動を探知。

 なんでこんなことが自分に出来るかは、皆目見当がつかない。

 馬と牛の中間みたいな動物に、荷を積む馬車が引かれている。御者が一人に、馬車の中に三人か。見えてないけどなんとなく分かる。

 商人か宅配便かは分からないけど、さっき見た街の方に向かっている。


 いや、そんなコとよリモ。

 カレラワトモダチニナッテクレルカナ?


 ボクはあの馬車に狙いをつけ、念じるだけで、・・・その進行先へと、瞬間移動できた。


「ブモォォォォ!?」


 突如現れた黒い影に、ウシウマはパニックで叫び声を上げ、全身の筋肉が硬直し、泡を吹いてその場に倒れる。

 ああ、驚かしてしまったかな?


「わぁあああぁぁっ!?」


 御者も一瞬ほうけた顔をしたのち、ビビる。

 悪かったよ。挨拶もなしに突然道に現れるなんて、礼儀も常識もなかったな。

 落ち着かせるために、名乗ってみるとするか。


「コンニチワ。ハジメマシテ。ボクハ・・・」

「うわぁぁぁぁ、ひぃ、こっちくるな、あっちへいけ、化け物!」


 完全に錯乱状態だ・・・。

 ボクの何が悪かったんだろう?

 あ、そっちに逃げたら危ないよ? そっちは森だよ!?


「ソッチワダメダ!」


 御者の体をつかもうと、ボクは手をゴムのように(・・・・・・)伸ばす。


「ひぃっ、喰われる、だからこんな道通りたくなかったんだっ、死にたくない死にたくない!・・・グブゥ」


 体を掴むまでに、何故か彼は失神してしまった。

 森に入るまでに止まったならいいか。


「何があった!」


 とその時、いいとこ育ち風の十五歳くらいの少年が馬車から出てくる。


 カレナラトモダチニナッテクレルカナ?


「シツレイ。ハジメマシテ、ボクハ・・・」

「わっ、ひぃぃぃぃ!?」


 少年はその場でへたり込んで・・・、顎も、肘も膝も、全身をガチガチと震わせ始めた。

 目には驚愕、衝撃、恐怖、焦りといった感情が整合も取れずにひしめき、蠢いていて、混沌の体を成している。

 失禁寸前といったところか。


「気持ち悪いいぃぃ!? 我慢できな・・・」


 少年は、皮膚の鳥肌を無理やりかきむしり、血を服に滲ませながら、盛大に胃の中のものを吐き出す。


「どっかいけぇぇ・・・、誰か、たすけてぇ・・・」


 そのまま、少年も意識を失ってしまった。

 同時に馬車から最後の一人、少年と年や風体が同じような少女がバッと走り出でる。涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにさせながら、必死の形相で逃げ出していた。


 トモダチニナッテモラウノハムズカシソウダ。


 しょうがない、ここは諦めよう。といっても、少女が道とはいえ森の中を突っ切るのはかなり危険。

 無事に森の外に出れるまで、隠れて彼女を警護してやった。

 そして。

 置いてきてしまった少年と御者を、森の外まで運んでやろうと馬車のところまで戻ってきたとき。


 少年と御者は、ナニカ(・・・)に喰われながら・・・すでに絶命していた。


 は・・・?

 何だ、あいつらは。

 一応人型、なんだが・・・。

 胸部と腹部に関しては、骨に灰色の肉がこびりついているだけ。頭部や四肢は、灰色なだけで普通の人間とそう大差ない、ように見えるが・・・。眼窩が落ち窪んで、鼻腔はむき出しになっており。

 目と口が、頭部にない。


 いや、必要ないのだろう。


 全身が目で、全身が口。

 全身で周囲を観測し、全身で人間だった肉塊に喰らい付く。

 向こうもボクに気づいたようで、こちらに注意を向けた。

 体に、緊張が走る。

 が、すぐに興味を失ったのか、その注意は解かれ、肉を貪るのを再開する。


 ・・・カレラトハトモダチニナッテモ、イミハナイナ。


 ふと、彼らの身体を、妙な力の奔流が駆け巡っていることを発見。その流れに、秩序などというものは見当たらない。まさに乱気流というべきか。

 そうか、別に視線があるわけでもないのにこちらに注意を向けたとか解いたとかわかったのは、あの不可解な力のベクトルがこちらに集中するからか。

 でも、何でボクに対しての興味をすぐになくしてしまったんだろう。


 こんなに刺激的なお食事シーンなんて、まず赤の他人には見られたくないだろうに。それは冗談としても、ボクに襲いかかってきたって、なんら不思議はないはずだ。

 ボクに襲いかかるに値しない、何らかの原因があるのだろうかと、自身に思考を向けてみて、気がつく。


 ボクの身体には、彼らと同じ力が流れている。


 ボクは彼らと、同類、なのだ。

 同じ、欠陥品。


 だが、そんなことはどうでもいいのだ。下らないことを考えて、現実逃避するな。あの二人は、ボクのせいで彼らに喰われた。

 ボクがトモダチ欲しさにここで足止めしなければ、少なくともここで死ぬことはなかったんだ。


 ボクが殺したも同然だ。


 次の瞬間、自分の心が罪悪感という「不快な縄」によって締め付けられるのが分かる。自分のことが嫌になる。こんなものから解放されたくて、その場からボクは逃げ出した。

 でも、そんなことで心から縄が解けるはずもなく、走っても走っても、自己への束縛は終わらない。

 逆に、逃げ出したことによる罪悪感までもが、ボクにまとわりついてくる。

 どうして? あの二人の死は確かにボクのせいだけど、直接手を下したのはボクじゃないし、ましてや彼らはボクの知り合いでもなんでもないから、思い入れなんてあるはずがないんだ。


 そんな言い訳をする自分が、さらに嫌いになる。


 結局、ボクは死んだ彼らには何の思いも馳せてなくて、ただ人間を殺した自分に対してだけ、罪の意識を感じている。両方に対して責を負うべきなのに、片方を忘れて、自分のことだけ。


 そんな自己欺瞞的な自分が、もっと嫌いになった。


 追いすがり、しがみついてくる罪悪感から身を守ろうと、自分はトモダチを求めなければならない「前提条件」で生まれたのだから仕方ない、そうやって自己の正当化を図るが、そんな自分がますます、ますます嫌いになっていく。

 発狂しそうだ。

 前方が開けたので、森を出たのか、と思い忙しく動く足を止める。そこは、先ほど確認した湖だった。いや、この大きさなら池と表現したほうがいいか。

 風がないからか水面は穏やかで、目に映り込む風景はこんなささくれた心でも綺麗だと思える。

 生き物はいないだろうか。

 池の中を覗き込んでみると、水面に映った自分の姿に、ボクは戦慄した。


 まさに醜悪。


 この世の古今東西あらゆる価値観と照らし合わせても、ボクにそれ以外の感想を抱かないだろう。

 堪えきれないほどの異物感、嫌悪感をもよおさせる。

 それほどまでに、ボクの造形はこの世のものを隔絶している。

 さっきの彼らの反応も納得というものだ。こんな怪物が急に目の前に現れたら、敵意や憎悪、恐怖を抱かずにはいられない。

 最初から確認しとけばよかった。そうしてれば、いくら本能でトモダチを欲しがってても、人前に出ようと思うことはなかった。あの人たちが死ぬことはなかったんだ・・・。

 第一印象がここまでひどいと、誰にも受け入れられるはずがない。

 ・・・なら、何でボクの前提条件は孤独への恐怖なんだ?


 そんなの解消されるわけないじゃないかっ!!!


  ああ、この耐えられないほどの乾き。業火のごとくボクを焼き尽くす。

 これをしのぐためには、人間を襲撃し続けて、乾きを潤す絆を探し求めなければならないのか?


 ずっと、ずっと?

 ダメだ!


 ボクのこの姿は、多くの人に絶望と恐怖をもたらすに違いない!

 さっきみたいに結果的に殺すことになってしまうかもしれないし、そうでなくてもこの上ないほどの心労を人間に与えてしまうだろう。

 そして、ボクへの恐怖が世を席巻し、膨れ上がって。ボクは孤独への恐怖を癒せないどころか、世界の敵意の対象になってしまうかもしれない。


 また自分への心配か。何てボクは自己中心的なんだ。

 ああ、ボクの本能が人間の元へ行くよう突き動かす。

 どうすればこの衝動を抑えられるんだ?

 このままでは、本能を満たすために人里を襲い、幾人かを拉致してしまいかねない。

 いや、それではすまないかもしれない。理性を失えば、逆らう人間は、さっきのあいつらのように喰ってしまうかもしれない。

 なんたってボクは、あいつらの同類だから。

 孤独に対する以上の、自分に対する恐怖心から、ボクは人里離れた森の奥に姿を隠すことにしたのだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 それから数日後。森が異常に騒がしくなった。

 ざわざわ、ざわざわと。

 生まれ出でた深い谷底奥深くまでに、薄汚く邪な森の脈動が、じわじわと聞こえてくる。せっかく自分を抑えるために眠っていたというに。何事だ?

 谷を這い上がり、森の様子を見に行った。


「ニンゲンガタクサンキタラシイゾ」

「クッチマオウカ?」


 森の木々・・・正確には妙な力が内に渦巻く普通の木とは違うやつらだが・・・が囁きあい、あの灰色の人型たちもエサの群れに浮き足立って、その膨れ上がる歓喜をわなわなと震えることによって表現している。


 彼らは全く気にしていないようだが、どうして急に、人間たちは森にやってきたんだろうか?

 ・・・まさか。

 とある考えに至った瞬間、森の端で小鳥が一斉に飛立ち、直後に戦闘音が聞こえてきた。

 ここまで音が届くとは、どうやら人間側はかなり大規模な団体さんらしい。かなりの有力者が討伐隊を出したようだ。

 しゃべってた木々や灰色の人型たちは、喜び勇んで戦闘が行われている方向へと駆けていく。


 ボクモイコウ。トモダチニナッテクレルヒトハイルカナ?


 気づけば、ボクは人間たちの前にいた。心の中にこの前の罪悪感がゆらりと鎌首をもたげたが、その情動は自らの「前提条件」の前にすぐかき消される。


「ダレガボクノトモダチニナッテクレルノ?」


 瞬間、場が凍りつく。


「え、なんだ、お前」


 あ、そうだ。挨拶を忘れていた。


「コンニチワ。ハジメマシテ。ボクワ・・・」



×××××××××




 その魔物の存在感は、お嬢様の話で聞いていた以上に、圧倒的だった。


 私は騎士だ。

 しかもただの騎士ではなく、スタンダード公爵の身辺、およびその領土の治安を守る騎士団のトップの座を拝命している。有象無象には絶対に負けない強さを持つ自負はあるし、そこらの魔物ならまとめて襲い掛かられても勝つ自信もある。

 そんな私が、恐怖に震えて筋肉が硬直するなんてことはあってはならないし、ましてや恐怖に屈するなんてことは絶対にありえない。

 にもかかわらず、このおぞましく、さらに今まで見たことも聞いたこともないような、強烈な魔力を放つ魔物の前では、手足がすくんで全く動かず。


「え、なんだ、お前・・・」


 と、口を動かすので精一杯で、それだけで気力がごっそり持って行かれた。


「これはまずいですね、逃げましょうか」


 後ろから魔法使いの声が聞こえてくる。

 その声に、あまり怯えは見られない。振り返ってみると、彼以外の他の者は私と同じ、いやそれ以上の恐慌状態に陥っていて、中には失神寸前の顔をしているのもいる。

 正常な思考が持てるのはヤツだけみたいだな。

 気丈だ。素晴らしい精神力だ。


 ああ、比べて、なんて無様なんだ、私は!

 あいつが殿下の仇だと言うにっ!!



◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 この討伐軍が派遣される経緯について、少し話をしよう。


 今我々がいる地域一帯は、伝統的に農牧業が栄えてきた場所。

 公爵閣下の豊かな領地にある中でも、かなり辺境にある。よって御年四十になられたばかりだが御身体の弱い閣下にとって、ここら一帯に足を運んで視察を行うのは体力的に難しい。

 中央より提供されている予算の額は適切か。

 税収入が公正に行われているか。

 治安が悪化していないか。

 住民の生活水準は下がっていないか。

 領民から選挙で選ばれた代官および政治組合構成員の勤務態度は誠実か。

 不正や賄賂は横行していないか。

 各自統計資料は作られているか・・・・・・。


 視察という仕事は実に激務なのだ。

 よって毎年やるということはなく、五年に一度行われる。

 そして此度の視察は、体の弱い公爵閣下本人ではなく、次期公爵に目される長男のアーディ殿下が代任されることになった。だがしかし、殿下は学業で忙しい身。

 ゆえに、先に実際の業務を行う家臣団が出発したのち、殿下は二ヶ月ある長期休暇が始まった時に出発する、という並びになった。

 ここからが問題だ。休暇初日出発なはずだったのが、殿下は五日間、ご友人と小旅行なりをするなどして遊んでしまったらしいのだ。

 殿下はまだまだ遊びたい盛りの年齢、仕方のないことではある。

 正規の道を使えば、殿下が普段いらっしゃる学問の街、アカデメイアからここまで十五日程度かかる。視察は殿下到着の翌日から始まる運びだった。家臣団は、これを基に日程を組んでいた。視察は激務、スケジュールはかつかつ。

 その変更は望ましくない。

 ちなみに私たちの近衛騎士団は、この家臣団の護衛としてここにきている。

 もちろん殿下はこんなことは百も承知であっただろう。

 だが、彼には勝算がおありだった。


 森を突っ切るルート。


 本来の森を迂回する方のルートと比べて、なんと行程を一週間ほど短縮できる道なのだ。しかし森には凶暴な動物、そして他の森林地帯よりは少ないらしいが、魔物も生息している。

 危険な工程だ。

 そのようなところを通過なさるなど、断じて認めるわけにはいかない。多少の遅延などいいから、安全な道を選ぶべきだ。もちろん、遅刻のことは後で閣下やお母上にお叱りを賜るだろうが。

 それが嫌だったのだろうか、殿下はバレないように、護衛を一人も連れず、御者だけ連れて出発なさった。ところが、あと数刻で到着というところで。


 死か、それ以上に恐ろしい何かが具現化したような絶望そのものが現れ。

 刃物よりも鋭い感覚。

 潰れた大量のうじ虫よりも気持ち悪い感触。

 そういったものが自分の全てを併呑するような錯覚に陥る、筆舌に尽くしがたい魔物を見た。

 以上のことを、命からがら街へとお逃げになった、キャラメラお嬢様がおっしゃっていたようだ。魔物の下りを話しきったお嬢様は、見るもお労しいほどの強烈な錯乱状態に陥っていらっしゃったとのこと。

 お嬢様が御随伴なさっていたのは、辺境というものがどんなものなのか、ご覧になりたかったからだそうだ。


 一縷の望みをかけて殿下の捜索に森へと5人ほどの騎士が入っていったが、あったのは一切手をつけられていない馬車と、もはや造形も止めていない二つの亡骸のみ。片方が殿下とわかったのは、かつてぎこちなさと美しさがよく調和した、少年らしい剣技を披露した剣が、腰近くに垂れ下がっていたから。


 ・・・殿下を見つけたのは、私だった。


 静かで、黒々とした火が私を灼く。

 許せない。

 その魔物の「存在」が。

 殿下のためにも、これからを生きる民のためにも。だから私は、今自分が集められる最高戦力を率いて、そいつを葬りにきた。


 必ず消す。そう誓った。


 それが、このザマか。私の心持ちなど安いものだ。


 相対するだけで心が消滅しそうになる、それほどの格の差。

 絶対に負けて死ぬ。

 分かる。こいつは、死のしるべだ。

 これ以上考えるのも、無駄だな。

 心の中では、すでに生きるのを諦めていた。


「光の精霊よ。咲け。『照明』」


 っ、眩しい!?

 光が、視界とともに、諦めかけの腐った思考を真っ白にする。


「意識を取り戻して。あれは正面からでは勝てません。皆さん、逃げますよ」

「どうやって」


 不可能だ、あれからは逃げられない。


「イマ、フシギナチカラガミエタネ。ソレワドウヤッタノ? ボクニオシエ・・・」

「光の精霊よ。地と空を偽りて、我らが望むところへ。『転移』」


 瞬間、地面に魔法陣が浮かび上がり。・・・足先から見えなくなっていく。

 刹那、魔物の体が何か勘付いたようにピクリと動き。


「チョット、ナンデニゲルノ、オシエテヨ、ボクトイッショニキテヨォ!」


 魔物がこちらを掴もうと、肢体を恐ろしい速度で振るってきた。


「やめろ!」


 その一振りで、二人の部下が肩から捌かれる。叫ぶこともできず、彼らだった4ピースが、鮮血を噴き上げて地面に崩れ落ちた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 気づいた時には、私たちの周りの風景が変わっていた。


「ここは?」


 周囲にある、黄土色をした大小の家。

 隙間なく、縦横が黄金比の石が敷き詰められた円形の広場。中心の噴水。

 見慣れた場所のはずだが、困惑で頭が回らない。思考はまだ、真っ白のまま。

 唖然としたまま膝をつく。


「街に戻ってきました。いや、死ぬところでした」


 魔法使いが乾いた笑いを上げて言う。

 どうしてそんなに落ち着いているんだ?

 何事もなかったように。

 おかしいだろ?

 乾いていただけな彼の笑顔が、唐突に不敵さを帯びる。


「あれは危険な存在です。犠牲が数人に抑えられたのは奇跡というべきでしょう。ですが、ご安心を」


 笑みを落とし、誠実そうな顔をして魔法使いは言った。


「さっきも言った通り、正面からは勝てませんが、このロッケ、策があります。必ずや殿下の仇を討ってみせましょう」


 あれを前にして、どうしてそんな啖呵が切れる?


 この男は何か気持ち悪い。

 人間としての正常な反応をまるでしていない。

 いや、前から思っていたことだが、ひょっとして出来ないのか? だが現状は、この理解不能な魔法使いロッケに期待するしかないのだ。

 それが、あれと相対して心の底から理解してしまった、事実だ。



×××××××××




 誰かがカンテラを持って、谷を下りてきている。

 昼でも暗いこの場所に、コロンコロンと、小石が転がるくぐもった音がしてきた。こんな危険な場所に、一体どんなもの好きがやってきたというのだろうか。

 ・・・ボクを討伐しに来たのだろうか。


 人を殺す、醜悪な姿をした化け物を。


 そうだとしたら、なぜボクがここにいるのがわかったのだろう。

 ここは、ボクの生まれた場所。自分に対して、どうにかなってしまいそうなほどの恐怖を抱くボクを、優しく、冷たく責め立てる蕩けそうな闇が、包み込んでくれる場所。


 なぜ、我慢できなかったんだろう?


 人がたくさんやってくる。

 それだけで、本能が、孤独を病的に恐れるボクの「前提条件」が、彼らの元へとボクを急き立てる。

 飢餓。

 渇望。

 逆らうことを考えるだけで、自分の硬い皮膚に、さらに硬い爪を突き立てたくなるような、自分の中のトチ狂った爆発物。


 こんなものを抱え続けるくらいなら、死にたいよ。

 いなくなりたいよ。

 消え方がわからないけど。

 そうであるなら、どうせ生き続けるのなら、このしっとりとした闇の中で、永久に眠っていたいな。

 もうこれ以上自分の醜さなんて、知りたくないから。


 カンテラの光が、ボクと同じくらいの高さに来た。どうやら訪問客が完全に谷を下りきったらしい。

 ザッザ、とこちらに足音が向かってくる。

 来ないで。ボクをこれ以上化け物にしないで。

 理性が喰われる。

 やめてくれ。


 ヤメナイデ。

 ボクトトモダチニナッテ。


「ボクトトモダチニナッテ」


 カンテラの持ち主の姿の優雅に挨拶するポーズが、光に照らされる。


「こないだぶりですね、魔物さん? 僕の名はロッケ」


 そのまま笑顔で、こちらを見据えて。



「あなたの友達になりに来ました」



 その瞬間。

 ボクは快楽の絶頂を味わった。

 孤独じゃなくなった。

 じわり、じわーっと本能が満たされていく。

 愉悦を噛み締めての、初めての心からの歓喜。

 見える世界が変わったような気がするが、周りが真っ暗闇なのが残念だ。

 さっきまでとは、真逆の思考と感情。


 気づけば、ボクは理性を取り戻していた。


 こちらに向こうの姿が見えているから、向こうもこちらの姿を視認しているはずだ。だというに彼には、ロッケには、こちらに怯えている様子もなければ、嫌悪している様子もない。


「ボクガ、コワクナイノ? キモチワルクナイノ?」


 ロッケは笑みを崩さない。何を考えているのかは、読めない。


「自分を卑下しないでください、魔物さん。あなたのその姿は、生まれつきでしょう? それはやむを得ない事情です。けっしてあなたのせいではないですよ。あなたを怖い、気持ち悪いというのは、対峙した人の思い込みです。ただの自分勝手です。思うだけならいいのに、あなたにそれを言うのは礼を逸しています。失礼極まりない。悪いのは彼らです」


 ロッケは、表情を全く変えない。


「大丈夫。僕は決して、あなたを貶めるようなことは言わないし、思いもしませんよ。初めて会った時の寂しそうなあなたを、見捨てることができなかったんです。魔物さん。あなたはもう一人じゃない。ええ、もう二度と孤独にしません。僕という友達がいるのだから」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 それから、ロッケは毎日ボクに会いに来てくれるようになった。

 彼は沈黙を嫌うようで、会えばたくさんの話をしてくれる。

 国家連合を主軸に、表向きは平和な社会のこと。今ボクがいるこの国の成り立ちや歴史。人種の問題。魔法が成り立つための力の源や、魔法の呪文体系を少し。

 自分がどこで育ったか。

 家族のために魔法を学んだとか、自分の才能を見込んで目をかけてくれた公爵に忠誠を尽くしたいので、近衞隊に属しているのだとか、そういう自分の生い立ち。

 無論、話を聞くだけじゃなくて、ボクについての生まれてからの経緯も話した。

 ボクはとても楽しかった。ロッケに、とても感謝した。自分の生まれを呪うことはなくなった。人を殺したことによる、心をギリギリと離さなかった罪悪感が、信じられないほど軽くなった気がする。

 もちろん捨て去ってしまえたわけではないし、そうしていいはずもない。

 でも。


「ボクワヒトヲナンニンカコロシテシマッタ。ソノナカニワ、キミノナカマモイル。ソレナノニ、ドウシテキミワボクトイッショニイテクレルンダイ?」


 そんなボクの質問に、ロッケはこう答えてくれた。


「あなたは確かに、責められるべきことをしたかもしれない。けど、それはこちらにも非があります」


 彼は一節入れてから、また続ける。


「僕らは、君を魔物という一点で、友達を作ろうとした結果人を殺す形になってしまっただけの君を一方的に悪と断じて殺そうとしたし、孤独で押しつぶされそうになって混乱していたあなたの、待ってという制止を振り切って強引に逃げてしまったんです。僕は、僕たちは、君のみに責任を押し付けるなんて、やってはならないんですよ」


 ロッケは、そう言ってくれた。

 ボクのことを、理解してくれたんだ。

 そのとき、ボクは彼に、心からの全幅の信頼を置いたことに気づいて、非常に嬉しいと感じた。

 感じてしまったんだ。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 その夜のこと。

 ロッケが帰ってから、ボクは静かに眠りについていた。

 が、突然身体中に、電撃のように違和感が走り、パッと眼を見開く。

 周囲に濃度の濃い魔力と、あと何か、別の「存在」の気配を感じる。


 ナンダロウ? トテモオイシソウナニオイダ。


 体を動かそうと身をよじるが、それだけの所作に軽い倦怠感を覚える。

 この、複雑怪奇に編まれた魔力のせいだろうか。


「やあ、魔物くん、眼を覚ます事が出来たんですか? 本当にあなたは規格外な化け物ですねぇ?」


 後ろからロッケの声がするので、そちらの方に振り向く。すると、カンテラの光に照らされた、いつもとあまり変わらない笑顔を貼り付ける彼の姿があった。

 ひとつ違うのは、その笑みはいつもより嘘っぽいという点。

 ロッケは再度口を開く。


「僕は、殿下を殺してくれたこと、あなたにとっても感謝しているんです。その恩を仇で返すようで悪いですが、でも友達ですよね、魔物くん? 僕の未来のために、死んでくれませんか?」


 死んで、くれませんか・・・?


 ロッケは何を言ってるの?

 その質問はどういう意味?

 ボクが死ねば、君の未来のためになる?


 どう答えたらいいの?


 返答に窮すよ。でもこれに関しては聞いておきたいことがある。


「ニンゲンワ、ジブンノタメニ、トモダチヲコロスノ?」

「? あなたは何を言ってるんですか? 別にいつも殺すわけじゃありませんよ。今回は、殺したという事実が必要だから殺すだけであって、友達を自分のために殺すべき存在としてみているわけじゃないですよ」


 少し噛み合わない。


 ボクが聞きたいのは、君は自分のためなら友達を殺すことができるのか、ということであって、友達を殺すべき存在としてみているのかと聞いたわけじゃない。


「そう。君を殺す、いや討伐する必要があると言うべきか」


 ロッケは芝居がかったような口調で切り出す。


「公爵閣下の後継者を害した、という魔物を討伐する。この事実は、とても素晴らしい価値を孕んでいます。そんな偉業をなした僕は、功績が讃えられ、閣下の覚えもめでたくなり、より注目され、より重用される。その中で僕はうまくやって、次の公爵後継者になし崩しに指名されるお嬢様を娶ることで、公爵のファミリアに名を連ね、お嬢様を傀儡にしてあの家を支配する。甘美な夢でしょう? ああ、チャンスがこんなに早く到来するなんて! 魔物君、僕は君に、本当に感謝しているんです。ありがとう」


 絶句した。

 彼は最初から、ボクを利用するために近づいていたのか。


「トモダチッテイウノワウソダッタンダネ・・・」

「いいえ、それは嘘で言ったつもりはありませんよ。あなたにとってどうかは知りませんけど、僕にとって友達っていうのはそういうものなんです。利用価値を見いだしていないものになんて、近づく理由が見当たりませんよ。さぁ、僕はあなたと友達になって、あなたの欲しいものをあげたんですから、交換として、ギブアンドテイクとして、僕にあなたの命をください!」


 ああ、君にとって、友達っていうのはただの手段なんだね。


「火の精霊よ」


 ロッケが魔法を唱えだした。ボクは体をひねって逃げようとするも、だるくて重くてうまく動かない。


「理を穿ちて、憤怒のごとく燃え盛れ」


 ・・・・・・?

 詠唱の最中、先ほどから周りで感じている何か「存在」の気配が、ロッケの周囲でどんどん強くなっていく。

 そうか、これが「精霊」か。

 ロッケは自分で、この「精霊」についてボクに教えてくれたことがあったな。


 ホントウニウマソウナニオイダ。


 本能が囁く。


 クオウ。


 ボクは、どうしてこんなことが出来たのか、自分でもまるで分からなかった。

 ただ、念じるだけで、「精霊」に干渉し、その「存在」を併呑した。


 オイシイナ。


「『業火』。死ね」


 ロッケは魔法を唱え終わる。さっきまでとは違って、口角を異様なまでに釣り上げた、いい笑顔だ。きっと脳内でアドレナリンとかがドバドバなんだろう。

 しかし、何も起こらない。


「は?」


 気味の悪い笑顔から一転して、ロッケは本気で理解できないことでも見たかのような、なんとも言えない表情になる。


「魔法が、発現しない・・・? なんで?」


 どうやら、魔法というのは、「精霊」がいないと成り立たないようだ。


「マホウガツカエナイキミニカチメワナイヨ。サッサトカエッテ。コロシワシナイ」


 彼は、もういい。友達になる意味がない。友達の捉え方がまるでボクと異なる。


 キョウミヲウシナッタ。


「・・・! 僕は、あなたを殺さないことには!」


 ロッケはそう吠えて、ポケットの中から無造作に一つの指輪を取り出す。饕餮文(とうてつもん)のごとく重厚な作りで、年季が入っていそうな、立派なものだ。


「マジックアイテム、『雷指輪』」


 装着し、ボクに向かって人差し指を突き出した途端、紫電が伸びてくる。

 え?

 虚をつかれ、瞬きの間反応が遅れ・・・。

 体が麻痺し、直撃した肩周りの筋肉が痙攣する。

 なぜだ?

 ロッケの周りにまた「精霊」が現れたのかと考え、凝視・観察するがそれらしき気配はまるでしない。でも、魔法は発動している。


「『雷指輪』は使える! ということは・・・ははは、まだ分かりませんよ!」


 ロッケはこちらの頭に狙いをつけて、次々と魔法を行使してくる。

 くそ、紫電の影響でまだ満足に動けない・・・。

 頭に受けないようにするので精一杯で、弾こうと伸ばす肢体には、電撃が間断なく当たる。反撃の余地がない!

 このままじゃ埒があかない、考えろ。

 とりあえず、あの指輪がなかったらロッケは魔法が使えないはず。


「ああ、これです。魔法で相手を蹂躙するこの高揚感、だから僕は魔法使いになったんですよ! それっ、それぇ!」


 雷一条一条は対して強くないが、手数が多すぎる。

 痺れ、痛みが身体中を襲って、焦燥が募り、頭の中がどんどんヒートアップしていく。


「コシャクナ! コレデモクラエ!」


 やみくもに凝縮した魔力を放ってみるが、ロッケは後ろに跳んで躱す。


「うわ、何するんですか、反撃なんて許可してませんよ!」


 どこまで自分本位なんだろうか?

 ますますボクをイラつかせる。

 再度魔力弾を放った。


「く、『雷指輪』!」


 今度は左後ろに躱しながら、ロッケは紫電を放つものの、ボクの魔力弾で跳ね上がった土が彼の進路を阻み。


 それが隙となって、ロッケに近づくことが出来た。

 彼の指輪がはまった方の手をぶった切ろうと、照準を定めて肢を振るう。


「!」


 ロッケは腕を大きく振り上げることで辛うじて切断の難を逃れたものの・・・勢いのまま指輪が手から抜けてしまった。


「しまった!」


 ロッケは後ろを振り返って指輪へと手を伸ばすが、追撃を止めないボクの腕が迫っていることを悟ったのか、体をひねって紙一重で回避する。

 指輪は暗い地面に落ちて見えなくなってしまったが、彼に落ち着いて探す余裕などない。

 ボクは戦いの高揚そのままに、打つ手がなくなったロッケへと最後のとどめを刺そうとした。

 が、彼は横に避けながら、ポケットを漁りだす。

 また指輪か? とボクは身構えてしまうが、彼の取り出したのは一枚の札。

 それをかざしながら。


「『転移』!」


 と叫ぶと、姿は瞬く間に消えてしまう。

 やはり「精霊」の気配はない。

 しばらく待ってもロッケがまた現れることはなく、おそらくあの札の力で逃げてしまったのだろう。

 戦いの幕引きは、思いの外あっけないものだった。

 それにしても。

 呪文を唱えることで発動する魔法は「精霊」が重要な一方、指輪や札など、道具による魔法に「精霊」はいらない。

 この違いは、一体どこから来るのだろう?

 その答えは、ボクにはいくら考えても分からなかった。


×××××××××



 殿下がお亡くなりになられてから、城中の雰囲気は暗い。

 だが、だからといってこの辺境にやってきた本来の目的を怠り政務を滞らせることなど、家臣団にはあってはならないことであり。

 だからこそ、調査内容に関する情報収集に余念はなく、収集した情報を吟味・整理して体系化する作業は今日もあちこちで行われている。

 また、真偽のチェックのために召喚された各代表者やその部下、他にも進捗を確認するためや、出来上がった報告書あるいは浮き上がった問題点が記載されている書類等を調査本部へ運んだりする下級官吏たちなどが、ひっきりなしに城内を移動している。

 端から見れば、皆精を出して仕事に励んでいるように思えるが。やはりどこか影があって、本来のバイタリティを出せていないように感じる。


「あのぅ・・・」


 物思いに耽りながら文官たちの仕事ぶりを眺めていた、門外漢の武官である私に、申し訳なさそうに一人の官吏が声をかけてきた。


「なんですか?」

「すみません、本当に恐れ多いことなんですが、失礼ながら申し上げますと、人手が足りません。あ、いえ、人数的には足りているはずなんですが、あの事件のことがありまして・・・」


 歯切れは悪いが、言いたいことはよくわかる。


「了解しました。手伝えることはなんでも致しましょう。しかし、あんまり専門的なことはできませんよ?」

「はい、大丈夫です。報告書や書類の分類・整理や、紛失がないかのチェックなど、簡単な業務でも手を貸していただければ幸いです」


 彼が言葉を切ったその時、目の前で大量の書類を文字通り抱え込んだ二人の下級官吏が衝突し、書類が紙吹雪のように舞い上がった。

 フラフラと地面に落ちてゆく夥しい数の書類を死んだ魚のような目で見つめながら、官吏はさらに言葉を続ける。


「あと、城内の交通整理などもお願いできませんか?」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 家臣団の手伝いをしていたら、いつのまにか夜になっており。

 さっき解散し、突然舞い込んだ業務から解放されたばかりだ。

 私の部下の一人と下級官吏が揉め事を起こすなど、武官と文官の間にある溝の深さを実感することもあったが、概ね協力はうまくいったと言えるだろう。

 とにかく今日は疲れた。

 武芸によるものではない疲労による、いつもと違った充実感に酔いしれながら、私に用意された寝室に向かっていたら。廊下に、枕を抱えた可憐な少女が、ろうそくにぼぅっと照らされながら立っていた。

 キャラメラお嬢様だ。

 彼女は、私を認めると、てってってとこちらに駆け寄ってきて、恥ずかしそうに口を開く。


「眠れないの。ギンメル、何か話をしてくれないかしら」

「はぁお嬢様、眠れないなら侍女に温かいミルクでも頼めばどうでしょう?」


 いつもならお嬢様の頼み事とあれば万難を排して聞くところだが、今日はさすがに疲れすぎている。

 そんな私のおざなりな態度に、お嬢様はムッとした表情をなさり。


「いいから来なさいよ。本当に、・・・」


 と、顔を伏せながら、言葉を続けなさる。


「本当に、眠れないの」


 ぽたっと、お嬢様の俯くお顔の真下に、微かなシミが生まれる。

 ・・・そうだ。

 お嬢様は、家族を、辺境にまで後ろを付いて行った敬愛する兄を、(うしな)ったばかりなのだ。夜に眠れないから誰かに助けを請うなど、どうして無碍にしていいわがままだと言えるか。

 自分の愚かさを激しく認識するあまり、邪魔な眠気などどこかに飛んで行った。


「分かりました、お嬢様。このギンメル、お嬢様が落ち着かれるまでどんな話でも致しましょう」

「うん! ありがとう!」


 お嬢様は満面の笑みでうなずいて、こちらを手招きしながら寝室に向かっていく。私が彼女の部屋にたどり着いた時には、すでに寝台の中に潜り込んで、わくわくした顔をしながらこちらを見ていた。


「さて、どんな話をすればいいのでしょうか? 昔みたいに、建国の伝説でも?」

「うーん、確かにその話も大好きだけど、今日は新しい話が聞きたいわ。聞いたことのない話」


 今日は、って。

 こうして寝る前にお話をするのも随分久しぶりのことだ。


「そうね、なら、この間あなたの隣にいた、あの魔物を討伐しに行っている勇敢な魔導師の話をしてちょうだいな。確か、・・・ロッケといったかしら」

「ああ、お嬢様は、彼と会うのはここが初めてでしたね。彼が登用されたのは最近・・・三年前くらいです。お忍びで市井を回っていた閣下の危機を救った、というのがきっかけで、仕えるようになったと記憶しております」

「へぇ、じゃあ彼はお父様の命の恩人なのね!」


 そうやって目を輝かせるお嬢様の様子に、少し頬が引きつってしまう。実際に彼と一緒にいればわかるのだが、無条件に信頼していい相手ではないのだ。

 どこか、胡散臭いのだ。


「それで、ギンメル、あなたと彼が知り合ったのはいつ頃からなの?」

「ちょうど一年ぐらい前ですかね。彼とは、ある任務で一緒になったのが最初なんです」



◯◯◯◯◯◯◯◯◯



 ロッケという男に関しては、初めて顔を合わした時から、なんとなく違和感を感じていた。


「魔物の討伐ですか?」

「そうだ、ギンメル。ぜひお前にやってもらいたい」


 今から一年前、部下とともに訓練していたところを公爵閣下に呼び出されたため、その日は早めに切り上げて執務室へと向かう。


「閣下、ギンメルです」

「どうぞ」


 ガチャリと値の張りそうな扉を開ければ、開口一番、閣下からある魔物の討伐要請を受けた。

 治安維持、特に危険な魔物の掃討は私たち、騎士の仕事なのである。


「それはどのような害獣退治なのでしょうか」

「うむ、これを見てくれ」


 そうおっしゃられて渡された、一枚のパルプ紙を注視する。


「空飛ぶ魔物、ですか?」

「ああ、こことウァザの間に、森があるだろ?」

「はい、魔物の頻出する、危険な森です。一般人はまず通れないでしょうね」


 そう言う私に、閣下は口角を少し上げながら。


「だが、お前なら行けるだろ? ただの魔物なら放って置くところなんだが、今回の魔物は、こことウァザの間を飛ぶメッセージバードを餌にしてしまう。つまり今、ウァザとの通信網が途絶えている」


 メッセージバードとは、離れたところに手紙を運ぶよう訓練された鳥のことで、私の腰くらいまでの大きさがある。かなり人懐っこいこの鳥は、昔ある魔術師が作り出したキメラらしい。安心と信頼のバード便として、都市町村間に緻密な連絡網を築き上げ、おかげで情報伝達がスムーズだ。

 因みに国営である。

 鳥自体は、一般人でも育てられるし、使うこともできるが。

 それを一部でも途絶えさせることは、たとえ別のステーションを経由することで情報伝達に支障はほとんど出ないとしても、費用や信用において問題が生じてくる。


「ですが、私は騎士です。空を飛ぶ魔物に攻撃手段がないのですが」

「心配いらない。実際に空飛ぶ魔物を倒すのは魔術師の仕事さ。お前にやってもらいたいのは、その魔術師の護衛だ」


 確かに詠唱の時間や魔力量のことを考えると、森の中で魔術師だけは危険か。騎士が必要となることもうなずける。


「では、閣下のお眼鏡にかなった、魔術師、あるいは魔術師たちでしょうか、は一体どなたなのでしょうか?」

「魔術師は一人だよ。あいつならそれでも大丈夫だ。空飛ぶ魔物は、一匹だけらしいしな。そうだろ、入ってこい、ロッケ」


 ガチャっと後ろから音が聞こえ、ドアから執務室へと入ってきたのは、濃い緑色のローブ姿を纏う中肉中背の、特徴はないが爽やかな顔をした青年だった。


「お褒めにあずかり、光栄です、閣下」


 と、礼節をわきまえた優雅な物腰で頭を下げるが。なぜかそこに、余り閣下への忠義というか、誠意が感じられないように思える。

 マニュアル人間というのが、私が彼に最初に抱いた印象だった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「結構暑いな」

「もう初夏と言える季節になりましたからね。でも、空気はカラッとしているのでそんなに気になりませんよ」


 館から出て、幾分か経った頃。私とロッケという魔術師は、高らかに自己主張する太陽の下で、件の森に出かけていた。


「そんなローブ着ているのに大丈夫なのか? 熱が溜まりそうだが・・・」


 ロッケは微笑しながら返す。


「魔道具ですからね」

「ああ、なるほど・・・」


 うらやましい。ねたましい。

 往来の人混みが、喧騒が、客引きが。何もかも煩わしくなってくる。


「何で市場っていうのは、町の中心人物の館と、正門を結んだ線分上にあるのか・・・」

「メインストリートだからでしょう?」


 分からないんですか?

 騎士というのは、脳まで筋肉なんでしょうか?

 そんな幻聴が聞こえて来る。暑いからだろうか、否。

 ロッケの表情が雄弁に語っているのだ。


「今、何考えた?」


 確信犯的な思いで、ロッケに彼自身の心中について尋ねてみるものの、今日のカラッとした空気のように乾いた笑みを、私に向けてくるだけだった。実に不愉快だ。


 たとえ脳筋でも知ってるわそのくらい。


 正門を出て、人通りのない道の良さというものを一通り堪能してからしばらく経った後。私たちは空飛ぶ魔物がいるという森にたどり着いた。

 危険なため人が全く入らず、森を通るための道などはないが・・・。


「道がないなら切り開けばいい」


 と、剣を片手に歩き出そうとした矢先。


「いや、待ってください。少しは考えて行動してください。一体、森の中から、どうやって、鬱蒼とした木々の上を飛んでいる魔物を倒すというのですか。出来るわけないでしょう? 軽率ですよ」


 馬鹿ですかあなたは?

 知能低いなぁこの人替えてもらえないかなぁ?


 彼の表情は如実にそう語っている。そこまでイラついてるようには見えないが、他人を見下しすぎだろう。

 死ね。


「魔物だっていつまでも飛んでいられるわけじゃないから、地上で休んでいるところを・・・」

「木の上に止まってたらどうしようもないでしょうに。そうでなくても、気付かれたら空中に逃げられます。それに、目標を倒せなくていつまでも森の中にいたら、他の普通の魔物の餌食になるやもしれません。襲ってくる魔物を全て討ち払いながら、精神を磨り減らしてお空の魔物を退治する。そんなこと、出来るとは思えません。つまり、森の中に入るのは、今回の飛翔能力のある特定の魔物を討伐するという任務においては得策とは言えないんですよ」


 その程度の論理的思考もできないんですか?

 へっ。

 ぷちっと、私の中の何かがその幻聴にブチ切れる。


「おい、おい、おい! だったらお前には何か策でもあるんだろうな!?」


 ロッケは待ってましたとばかりに笑いながら言う。


「ええ、ええ! ありますとも!」


 彼は自分のバッグから肉を1ブロック取り出した。


「見ての通りなんの変哲もない肉ですが、これを使います。『魔力充填』」


 怪しげな光が、急に肉を包み込み始めた。ほんの十秒といったところで、ロッケは「よし」と作業をやめ、突然空に向かって肉を投げる。


「かなり力があるんだな」


 私がそう評価するくらい、肉は高くまで上がっていた。


「いえ、これはちょっとした身体強化の魔術を使っています。僕レベルになると、工夫すればパッと使えるんですよ・・・、ほら、来ました!」


 彼の視線の先には、ラッパみたいな顔をした、一本足で、二対の翼を持つ灰色の魔物。

 自由落下を始めた肉を追いかけている。

 その魔物に狙いを定め。


「火の精霊よ、矢となりて、敵を突け。『炎矢』」


 と、魔法を放った。見事に魔物に命中し、燃え盛る魔物が地に落ちていく。そして、パリィンという音がした後、「証石」が残った。


「こいつの『証石』は、なんとなく瓢箪に似ているな」


 「証石」とは、魔物を倒したあとごく偶に残る、青紫色の結晶のことだ。

 魔物の種類ごとに形が変わる。


「いかがでしたか、僕の案は?」

「なるほど、魔物は確かに魔力の強い肉に反応する習性があるからな・・・」

「はい、それで魔法で成り立っているキメラ生物、連絡鳥を襲っていたわけですし」

「でも、普通の肉に、魔力を充填できるなんて初めて知ったな。魔力の受け手側には何らかの処置が施されていなければできないと思っていたよ」

「短時間ならどんなものでも魔力を与えることが出来るんですよ」


 へぇ、そうなのか。こういうところはさすが専門家と言える。


「だが今回、私の出番はなかったな。正直、本当に要らなかったのではないかと思えるほどだ。お前も念のため、一応私を連れてきただけなのだろう?」


 そう言って帰ろうとする私をロッケは引き留め、余り予想していなかった答えが返ってくる。


「いえ、あなたの出番はここからです。復習をしましょう。さっき魔物は魔力の強い肉に反応すると、あなたは言いましたね?」


 確認するように尋ねてきたので、「ああ」と首肯する。


「そして、今ここにはさっきの魔物が食えなかったあの肉が落ちています。そして目の前には、魔物はびこる危険な森。どうなるか分かりますか?」

「まさか・・・」

「そう、まさかです。魔物に襲われます」


 ロッケがそう言い切った瞬間、森から大量の魔物が出てきた。


「一度フィールドから出てきた魔物に関しては、街を襲うものもいるかもしれないので、ここで倒す必要があります。大丈夫、あの肉の影響が無くなるなんてすぐです。僕一人では無理なので、一緒に頑張りましょう」


 と、特に私に対して謝罪もなく言う。こういう面倒な後始末が必要な案を実行することを軽率といい、こんなことを考える奴のことを馬鹿というのではないか。

 少なくとも私はそう思った。

 結局のところ、私たちは魔物をなんとか倒しきり、あの肉を焼却処分したのちに、閣下に成功報告をすることができた。それは大変喜ばしいことである。

 だが一方で、礼はわきまえているのに誠意がないように見えたり、他者に敬意を払っているように見えて実は軽薄だったり、頭がいいような言動をしているのにそれほど後先を考えていなかったり、人のミスは強く指摘するのに自分のミスの尻拭いを他人も巻き込むのが当然といった感じであったりと、なんていうか、ちぐはぐな人間であるロッケに対して、違和感が拭えなくなったまま。

 ・・・一抹の不信が、芽生えたのだった。



◯◯◯◯◯◯◯◯◯



「今のが、ロッケという男と私が出会った経緯でございます、お嬢様。少しはお気分も落ち着かれなさいましたか?」


 相槌を入れながらも、私の話を静聴なさっていたお嬢様に、そう尋ねる。

 もちろん、ロッケへの不信感などに関しては話から除外している。


「うぅん、どうかしら・・・、確かに少しはまどろんだけど、わたしが期待した、一人の女性を巡った、愛憎織りなす恋愛劇の因縁の二人だとか、はたまた親友同士の、友情を超えた禁断のラヴ(はぁと)みたいな、そういうのではなかったわね」

「何がカッコはぁとカッコ閉じるだ。・・・おっと、失言いたしました」


 お嬢様は私に苦言を呈することなく、ふふっ、と笑ったあと。


「今のって、何だか昔に戻ったみたい。まだまだ、心は全然晴れないけれど、うん、だいぶ落ち着いた気がする。ありがとう」


 昔に戻ったみたい。その言葉に、私は在りし日のお嬢様、とそれにアーディ殿下方の、私の周りではしゃぐ元気なお姿が自然と想起され。思わず涙がこぼれた。


「ねぇ、ギンメル、泣いてるの?」


 俯きながらむせび泣く私を、お嬢様は心配そうに寝台から覗き込む。


「いいえ、お嬢様、ですが、ですが・・・」


 言葉が続かない。

 この気持ちを、どう伝えたらいいのか。


「・・・あなたがそんなのじゃ、わたしだって、ん、我慢してるのにっ」


 大きく叫んだ後、お嬢様の瞳から大粒の涙が湧き出、流れる。

 ああしまった、と、騎士たる私がお嬢様を泣かせてしまったと、自分の失態を後悔する。この失敗を取り戻そうと、私はお嬢様の肩を掴み。


「お嬢様は、あなただけは、絶対に、もう二度と悲しませたりなんかしませんから! 私が、あなたを一生守り続けますから! なぜなら・・・」


 急に息苦しくなって、深呼吸して一拍置く。勢い込みすぎて、息を吐き出し過ぎたらしい。


「なぜなら?」


 お嬢様は、私を優しく急かす。


「私はあなたの、騎士だからです」


 最後はしっかりと、お嬢様の目を見て言う。

 顔を背けて、何かを小さく呟いた後、お嬢様は再びこちらを向いて。


「承認したわ。期待してるわよ」


 と、にっこり微笑んだ。



 その時だった。



 バン、と、いきなりドアが開く。

 見ると、土と砂まみれのローブを羽織った薄汚い男が、立っていた。


「何者だ!」


 剣柄に右手を添え、怒りのまま男に大声で問いかける。


「ロッケ・・・?」


 お嬢様は、突然現れたローブの男に、そう呟く。


「何、ロッケだと? 礼を弁えろ、魔術師! ここはキャラメラお嬢様の寝室だぞ!」

「まさか、あの魔物を倒したの?」


 お嬢様が笑顔でロッケに質問なさる。

 そうだ、あいつは策があると言って、あの化け物を討伐しに行ったのだった。十日くらい見ないと思ってたが・・・、成功したならこのはしゃぎようもうなずけるか。

 もうちょっと節度を持って欲しいが。


「そうなのか、ロッケ? ・・・ロッケ?」


 お嬢様や私の質問にまるで答えないロッケに、不信感を抱く。


「おい、魔術師、聞いてるのか」


 この言葉にピクリと反応し、やっと落ち着いたのか、彼はゆっくりと顔を上げる。が。


「ひっ」


 お嬢様は、彼の余りの形相に思わず飛び退き、寝台から落下した。


「お、おいロッケ・・・」


 思わずブルッと身震いしてしまうのをこらえて、言う。


「なんだ、その顔は」


 別に顔の造形が変わってしまったということはない。

 また、何かおかしなものがひっついているというわけでもない。

 ただ、歪んでいた。

 狂気と愉悦に、歪んでいた。


「僕の」


 彼は、徐に口を開き始める。


「僕の、輝かしイ、将ラい、ミ来、シハイ! そのために、そのためニ・・・」


 血走った目で、お嬢様を捉える。


「キャラメラお嬢サマ、あなたヲ、奪ウ!」


 いきなり飛び出して、お嬢様を強引にひっ掴む。


「ひゃあ!」

「やめろ!」


 鞘から飛び出す勢いを利用して、剣をロッケに振りかぶる。魔術師はそれを、お嬢様を抱えながらバネのように跳躍して躱し。


「邪魔ダ、雷の精霊よ、汝の牙を突き立てよ。『紫電』」


 と早口でまくし立て、魔術をとばしてきた。

 避けられな・・・!?


「ガァァっ!?」


 凄まじい衝撃に襲われ・・・、筋肉が硬直してしまった。

 体が、動かない・・・っ。

 くそ、動けよ!

 畜生!


「お前は確かに、よく分からない、いや人間らしくないやつだったが、少なくともこんなに短絡的ではなかっただろ!」


 やはり、お前は、ちぐはぐだ。

 言葉で時間を稼ごうとする私を、ロッケは虫けらを見る目で一瞥して。


「火の精霊よ、槍となりて」


 と二度目の呪文を唱えだす。

 やばい、このままじゃやばい!

 このままじゃ、お嬢様が!


「さっき、ほんのついさっき、誓っただろうがぁ!」


 唇を噛み締め、鉄の味を感じながら、無理やり立ち上がる。

 力の限りを尽くして、ロッケの首を狙った。


「うぉぁあああああああっっっ!!!!」


 叫び、ギリギリまで体幹を引き絞った。

 今までで一番いい太刀筋かもしれない。


「敵の芯を焼き尽くせ。『炎槍』」

「ギンメル!?」


 剣は惜しくもロッケの位置にまで及ばず、気づけば炎が、私の胸を貫いていた。


「ウゲァギャァァァ!?」


 内側から焼かれるその苦痛に、体の機能がすべて瞬間的に立ち行かなくなるショックに、叫ばずにはいられない。

 断末魔の叫びを、捻じ切るように上げないではいられない。



 ・・・叫び終えてからは、逆に落ち着いて、冷静に自分の状況を観察することが出来る。



 私はこういう時、むしろ混乱する人間だと思っていたが。

 あの魔物と会った時みたいに。

 ああ、お嬢様。もう何も見えません。もう何も聞こえません。

 でも、意識はまだある。

 不思議な感覚です。

 体が何もかも諦めて行き、痛覚ももうない。

 それでも最期まで考えていられるなんて、なんて性質の悪い魔術だ。

 あ、今呼吸が完全にできなくなった気がする。

 次々死んでいく。

 私は死んでいく。

 死んでしまいます。ああ、お嬢様。


 先ほどの約束、さっそく守れなくて。

 さっそく破ってしまって。

 さっそく反故にしてしまって。


 申し訳ありません・・・。


×××××××××




 ロッケが去ったのち、ボクは数刻ほど谷の底で悶々としていたが、なんとなく後ろ髪を引かれるような思いがして、気づけば地上に出ていた。

 曇っているが、太陽の光が微弱にある。いつの間にか朝になっていたようだ。


「ロッケ・・・、キミワイッタイナニモノダッタンダ?」


 ボクのこの姿を見ても怖がらなかった、最初の人間。

 いや、怖がらなかったという表現はひょっとしたら不適切で、本当は怖がれなかった、怖がる能力がなかったのかもしれない。

 もうちょっと敷衍した言い方をしたら、彼のココロは仕事をしていないのではあるまいか。そうだとしたら、あの自分勝手な行動や持論、それに対して何ら疑問を持っていないことにも納得がいく。

 罪悪感がブレーキになり得ないのだ。

 そんな男が、どうして今まで危険因子だとして投獄されたり処刑されたりせずに生きてこられ、さらには手に職を持っているのかは甚だ疑問だが。

 ひょっとすれば彼には、自らを抑制しないと他人に警戒され、社会でうまく生きていけないと思うくらいの知性はあったのかもしれない。

 ああ、そんな人間しか、ボクとまともなコミュニケーションが取れないのだろうか。あんな、友達をツールとしてしか捉えられない狂人としか。


 ソンナヤツニワキョウミガナイトイウニ。


 でも、やはり本当の友情というものを築くことができるまともな精神を持つ人間は、ボクの姿に怯懦し、逃げていくのだろう。そういう善良な人たちを、ボクはこれからも、励起状態になって、化け物になって、殺害してしまうかもしれない。彼らを目前にして、そうしない保証は皆無だ。

 ボクは友達なんか作ろうとしないほうが、絶対にいい。


 デモ、クルシイヨ。ヤッパリ、ホシイヨ。


「何を沈んでおりますの? 愛しき我が子」


 その声はあまりにも唐突に、リンと辺りに響く。

 後ろを振り返ると、そこには修道女の着るような服、・・・と言うには煌びやかすぎる、宝石が星のように瞬いた、美しいドレスといって差し支えないものを着た銀髪の女性と。肩からポーチをかけた、清貧な格好をした病弱そうな赤髪の少女が、まさしく天から舞い降りてきていた。


「・・・キミタチハイッタイダレナノ? ボクノコトガコワクナイノ?」

「ひっ、いや」


 ボクが話しかけるや否や、赤髪の少女のほうは、酷く怯えた様子で銀髪の女性の後ろに隠れてしまう。

 正常な反応だ。


「こらっ、アリアドネ、そんな風じゃ立派な『使徒』になれませんよ」


 赤髪の名はアリアドネ、というらしい。


「コノスガタヲミタラ、ソウナルノガフツウダトオモウケド・・・、シト、トハ?」

「優しい心をお持ちなのですね。『使徒』とは、神の教えを世に広めるための、言わば伝道師みたいなものです。この子には、そうなるための」


 銀髪が微笑む。優しいようだが、どこか不気味だ。


「確固たる使命が、ありますの」


 ロヨラ(・・・)ザビエル(・・・・)みたいなものだろうか。

 そんなことより、聞きたいことがある。


「ボクガ、コワクナイノ? キモチワルクナイノ?」


 彼女が、あの魔術師のようでないことを祈りつつ、ボクは尋ねる。すると、彼女は、キョトンとした顔になった後、ホホホ、と笑いながら。


「そんなの、当たり前じゃないですか!」


 と、さらに続ける。


「私は、『神』、創造主の一人なのですから!」


 ボクは一瞬ポカンとしてしまったが、慌てて切り返す。


「キミガ、カミダッテ? ドウミテモニンゲンジャナイカ」


 銀髪は、「ん〜」と言いながら胸の前で手を組んだ後、自信満々に、パッと両手を広げた。


「正確には、神を受け継ぐもの、といったほうがよろしいでしょうか。私は、神の愛を、神格を以て人の世に直接与える、現人神というものなのです。その証拠に、創造物であるあなたには、今、『前提条件』は働いていないでしょう?」

「・・・! ゼンテイジョウケンノコトヲシッテルノ!?」


 銀髪に、勢い込んで話を聞こうとする。

 もしかしたら・・・。


「ソノオサエカタモ、シッテタリスル?」


 彼女は目を細めながら頷きを返す。


「ええ、もちろん。あなたのような強力な魔物は、必ず『前提条件』を持っていますから、私がいない間も対処できなければいけないのですよ。そのために、『前提条件』抑制の方法が、私たちの仲間で広まっています。あと、まだあなたみたいな魔物について、知っていることもありますよ」


 途端、急に強い風が吹いて、眼下の森からざわざわと音が聞こえてきた。きゃっと小さな悲鳴をあげながら、銀髪の後ろで縮こまっていたアリアドネが、さらに身を屈めようとする。


「ソレハ、ナニ?」


 ここまで舞い上がってきた沢山の葉に隠れて、ボクから見える銀髪の表情は曖昧なものになる。


「・・・権能。特別な魔物が持つ、無差別的に周囲に及ぼす力のことです」

「! キ、キミタチハダイジョウブナノ?」


 ボクの不安は一気に駆り立てられ、身体中が強張る。

 が、銀髪は人差し指を前に突き出し、ちっちっち、とメトロノームのように振らせる。


「それは大丈夫、です。私は『神』だから」

「カミナラダイジョウブナノ?」

「ええ。『神』と、その近くの人間なら。詳しい理由は分かっていませんが」

「ヨ、ヨカッタ・・・」


 全身に対して一気に脱力感が襲いかかってくるが、彼女の次なる言葉に、ボクは戦慄することとなる。


「ですが、大丈夫なのは私だけ。あのロッケという魔術師は、あなたの権能にあてられてしまったようです」


 再び強い風が吹く。

 湿気を多分に含んでいて、少し冷たい。

 しばらくしたら雨が降りそうだ。


「ドウシテ、ソンナコトガワカルノ?」

「彼は、誘拐事件を起こしました。その際に、拐った女の子の、お付きの騎士を殺害しています」

「・・・。ソレガボクノケンノウノセイナノ?」


 あの魔術師ならやりかねないと思うけど。

 銀髪は表情を翳らせる。


「はい、そう断定せざるを得ません。確かに性格に難はありましたが、少なくともこのような激情型の犯行をするようなタイプではなかったと報告されています。外部から何らかの影響を受けたとみて間違い無いでしょう」

「ソウカ、マタボクハ」


 やらかしたのか。

 いつの間にか空は曇っていて、ゴロゴロと雷音が辺りに轟く。そして、風に乗って滑るように動く木の葉が、ボクの体にペチペチと当たって。

 まるで世界がボクを責め立てているようで。


「モウ」


 シニタイと、小さく呟く。神と名乗った、目の前の銀髪に祈りながら。

 すると銀髪は、体をグイと僕の前に寄せ、美しい、そうまさに妖艶と言える笑みを浮かべて、こんなことを持ちかけてきた。


「何言っているんですか。これはチャンスなのですよ。あなたを裏切った魔術師に復讐を遂げることの、そしてあなたが欲しくてたまらないはずの友人を作ることの。あなたについても報告で聞いていたんですよ?」


 そのまま、ボクの肢体に優しく触れながら、身も心も震えるような甘い声で、告げる。


「ああ、これは、私の慈悲、『神』の愛! どうか恵まれなかったあなたに、当たり前の幸せを」


 今、ポツポツと降り出した雨は、何故か世界の涙のように見える。

 思えばこの時にはすでに、ボクが生まれたことで回り始めた世界の命運の歯車を、止める術などなかったのかもしれない。



×××××××××



 私、キャラメラ=スタンダードが誘拐されてから半日。

 つまり、ギンメルが死んでから半日。

 私と魔術師は、あのおどろおどろしい魔物と遭った、鬱蒼とした森の中を歩いていた。

 未だに、あの騎士が、兄様も全く手も足も出なかった彼が。横でいかに人質をうまく使って公爵の座を奪い取るかをぶつぶつつぶやく魔術師ロッケに、手も足も出ずにやられて死んだ、ことの実感が湧かない。

 だからこそ、取り乱したりせずにいられるのだが。

 それでも、体の弱いお父様のこととか、私が拐われてしまった後の、指導的立場の人がいない城のことだとか。何より自分自身の先行きについてだとか、そういうことを考えるだけで気が滅入ってくる。

 従って、自分の精神状態は、結局のところ不安定であるのは間違いない。

 そんな私の心象風景が投影でもされたか、数分前から雨がポツポツと降り出し始めた。ウェーブのかかったブロンドの髪がだらしなく顔にはり付いてくるほか、昨日の夜から着たままの寝巻きも透け、私の肌の色を見せはじめている。


「ちゃっちゃと歩いてくださイ、追っ手がモウくるかもしれません」


 私を縛るロープを引っ張りながら、ロッケが催促してくる。

 何故か、こいつの言葉は所々片言になっているように聞こえる。


「そんなことよりロッケ、ロープの雨に濡れている部分がさっきから気持ち悪くて仕方ないの。ほどいてちょうだい。安心して、別に逃げたりなんかしないわ」


 嘘だけど。


「信じられマせんよ、そんなノは。ゆっくリ歩くのなら、あなたをカツいで移動しますよ」


 と言って、私を担ごうとロープを持っていない方の手を伸ばしてきたので、その手に思いっきり噛み付いてやる。


「んがっ」


 痛みに耐えかねたのか、ロープを握る手を離してくれたので、その場から、やってきた方向に全速力で逃げる。


「待ちなさイ! 雷の精霊よ、汝の牙を突き立てよ。『紫電』」


 後ろから詠唱が聞こえたので、さっと右横に跳んでみる。

 確かに魔法自体は外れたが、空気を震わす衝撃は届き、受身も取れずに転んでしまう。


「きゃっ」

「光の精霊よ、内への力を以て囲い込め。『光格子』」


 直後に、私は光の檻に閉じ込められて身動きが取れなくなる。


「くっ、無礼者! 私をここから出しなさい!」

「逃げられルくライなら、足を一本切リ落とすカ・・・」


 私の叫びを、魔術師はまるで聞く様子もなく、そして悪びれることもなく私の足を切り落とすと言って。


「水の精霊よ、冷酷なる断罪の剣を現出させよ。『氷剣』」


 と、何もない空間から剣を抜き、振りかぶる。


「死なれタら困りマスから、血止めハしまス」


 抑揚のない声。

 なんで?

 どうしてそんなひどいことを、仮面でもかぶっているみたいに、表情を一片も動かさずにできるの?


 信じられない!


「ひっ、・・・いやぁぁぁ、誰か助けて!」


 あまりの恐怖に、下半身の筋肉が弛緩して、漏らしてしまった。

 下着がグチョグチョ、だ。

 こんな醜態、あの魔物と出くわした時以来。

 神よ、私に天の佑けを・・・。

 そんな私に、ロッケはなんら躊躇もなく剣を振り下ろし。

 いよいよ切っ先が、私の膝に到達しようとした時。


「やめろ!」


 と、鋭い声が聞こえてきて、魔術師の持つ剣が砕かれる。


「え?」


 雨はまだ降り続き、葉っぱと水滴が互いに助け合って、まばらで、斑な、それでいて落ち着く音楽を奏でている。

 そんな中、声のした方角では。

 白馬に乗った美青年が、投擲後の残心をとりながら、魔術師を睨んでいたのだった。



×××××××××



「やめろ!」


 言い放ち、今まさに凶刃の餌食とならんとする少女を助けるために、地に落ちていた小石を投げて。

 ロッケの持つ氷の剣を打ち砕く。

 ・・・危なかった!

 もう少しで彼女が傷つけられるところだった。逆に言えば、ある意味とてもいいタイミングで彼女を救えたとも言えるだろう。

 良かった。本当に、良かった。

 ところでこの、颯爽と少女のピンチの場面に現れたかっこいい青年は、ボクこと、おどろおどろしい魔物だ。

 なぜ、本来の醜悪な姿から一変した、このような姿態になっているかについては、説明する必要があるだろう。

 時間は先ほどの、銀髪の自称神が、僕への幸せを願った頃に遡る。


「さて、あなたの幸福を望んで、目の前のチャンスを教唆したからには、それを生かすための手伝いをしなくてはいけないでしょうね。アリアドネ」

「! ・・・はい」


 呼ばれた赤髪の少女は、自分のポーチに手を突っ込んだ後、二つの丸薬を雨に濡れないようにおずおずと出して、銀髪に渡す。少々水のかかった髪の隙間で、少女の眼光が一瞬強くなった気がしたが、すぐに元の怯えた顔に戻る。


「今取り出したのは、魔物の『前提条件』、そして権能を抑えるための薬と、姿を変える薬です。前者は通常、あなたのような強力な魔物を倒すために鏃や刃に塗り込んで使い、後者は潜入捜査などに使われるでしょうか」

「・・・タイカハ?」

「いいえ、無償で差し上げましょう」


 ! これだけのものを、何も支払わずにくれる?


「ナニガモクテキ?」


 心の中で疑りがとぐろを巻いて、思わず、尋ねずにはいられない。


「モシカシテ、ニセモノ?」

「いいえ、違います。これは、慈悲です」

「エ・・・、デモ」

「『神』の、慈悲です」


 銀髪の顔を見つめるが、特に裏のある様子はない。

 むしろ、水の滴るいい女と言ったところか、ボクのことを本気で考えてくれているように見え。

 疑惑が過ぎるのだろうか。

 ロッケの件もあって、人間不信になっているのかもしれないな。


「ワカッタ。アリガタクツカワセテモラウ」


 そう言いながら、二つの薬を受け取って、一つずつ飲む。

 ・・・なんだ?

 アリアドネの表情に、少し憂いのようなものが入った。

 そんなことを思っていると、銀髪は少女とボクの間に立って、懐から一メートル四方程の大き目の紙を取り出し、水たまりを避けて地面に敷く。

 紙には、緻密な魔法陣が書き込まれていた。

 芸術的な陣に見入っている間に、銀髪はアリアドネから手鏡を受け取り、ボクに手渡す。


「それで自分の姿を見てみてください。驚きますよ」


 言われた通りに、水滴の浮かぶ鏡を覗き込んでみる。

 そこには、あの湖面に映っていた醜悪な自分の痕跡など全く残っていない、かっこいい青年の姿があった。


「・・・これはすごい。それに、さっきまで心の中で渦巻いてた、『前提条件』が達成されないと消えない不快な何かが、かき消えているよ」

「喋り方も、良くなっているでしょう?」

「!」


 慌てて、口元を抑える。確かに、前より喋りやすい。

 人間の口は、魔物の口より、遥かに喋りやすいのだ。

 ・・・当然か。


「魔物の声帯というのは、本来人間の言葉を話すためのものではありませんからね」


 そう話しかける銀髪の方を見ると、彼女は力強そうな、素晴らしい白馬を連れている。


「ぶるるるる」

「ああ、すみません、このような雨の降っている場所に召喚してしまって」

「さっきのは召喚陣だったのか。どうしてその馬を呼び出したの?」


 水滴の重さか、もう馬のたてがみがげんなりとし始めている。

 その姿はどこか、悲哀の情を誘う。


「魔術師に拐われた子を救うために、乗って行ってください。得てして女の子というのは、ロマンチストなのですから」


 真剣な顔でそういうことを言う銀髪の方がロマンチストだろうに。

 自称神なのは、もしかしてそれをこじらせすぎたのだろうか。

 でも彼女の言葉で、ボクはやるべきことを思い出す。そうだ、今から女の子を助けに行くんだ、と。気を引き締める。ロッケへの復讐など些細なことだ。

 鐙に足を掛け、濡れる手綱を握りしめるボクに、銀髪が最後に、と声をかけてきた。


「いってらっしゃい、我が子よ。語るにふさわしい、良きプロローグを」



×××××××××



 突如として現れ、私を救ってくれた一人の青年。


「! 追っ手か!?」

「そこまでだ、魔術師! その子を解放しろ!」


 叫びながら、青年は白馬から降りる。


「くっ、それ以上近づカナいでくだサい!雷の精霊よ、汝の牙を突き立てよ。『紫電』」


 魔術師が放った魔法を、青年は一瞥しながら軽々と避けてみせる。

 あまりにも予期しなかった出来事であるために、私はただただ、二人のやり取りを呆然と見ているしかない。


「魔法が使われるのは面倒だな。『併呑』」


 青年は悠々と歩きながら、雨の中何か呟く。


「だから、そレ以上近づくナって言ってるでショうが! 雷の精霊よ、汝の牙を突き立てよ。『紫電』」


 今度こそと狙いを定める魔術師だが、しかし、魔法は発動しない。


「っ! 使エナい? またあの時と同ジ・・・」


 不快そうに歯噛みしながら、魔術師は懐に隠してあった短剣を取り出す。


「『雷指輪』がアレば・・・」


 魔術師が短剣を取ったのに呼応して、青年も腰に帯びた長剣を抜き、攻防一体型、中段での構えをとった。

 睨み合う、魔術師と青年。

 周囲では一層、雨足が強くなってきていた。

 虚を衝こうとしたのだろうか。

 魔術師はいきなり、無言のまま青年に躍りかかる。勢いをつけて、それでいて長剣の動きに集中しながら、右手を真一文字に振りかぶる。

 しかし。


「遅いよ」


 青年が長剣を斜めに薙いだと思ったら、気づけば魔術師は短剣とともに後方に吹き飛び、濡れた地面に腰をバチョッと打ち付けていた。衝撃からかあいつは立ち上がれないようだ。

 その間に、青年は剣を納めながら私に近づいてきて、告げる。


「怖かった? 怪我してない? でも、もう大丈夫だよ」


 そして、私に向かって微笑みながら、右手を伸ばす。


「立てる?」


 私も自分の右手を出しながらも、かなり汚れていることに気づき、少し逡巡してしまう。青年は、そんな私に気づき、さらに手を伸ばして躊躇なく私の手を握った。私はこの時、心からの安堵と、雨の中でも、仄かに温かなぬくもりを覚えた。


 が。


「!!!????? んガァァァァアアアアアアアアァァァァァッッッッッッ!?」

「!? どうしたの!?」


 青年は突然、頭を押さえながら苦悶の叫びを上げ始める。

 何も出来ないお嬢様な私は、おろおろと右往左往するのみ。

 その間に、彼の体はどんどん肥大化していって。


 ついに、人間の皮がはじけとんだ。


 刹那、辺りがピカッと光り、絶望の化身とも言える正体が鮮明に映し出される。


「ひっ、ひぃぃ、オェェ」


 吐いてしまった。一秒ほどの時間差で、激しい雷音が空気を裂き、振動させる。


「ガァァ、アノギンパツノ、クスリカァァ・・・。ッ、イケナイ、リセイガ・・・」


 何か言ったと思った後、機能停止でもしたかのように、一瞬だけ化け物の動きが止まる。

 静寂。

 雨の音すら、岩に染み入ったように、閑か。

 ・・・さっきの雷で耳がイカれたのかもしれない。


 それは、史上最悪の嵐が吹きすさぶ前の、最後の静けさだったと言える。


 いきなり全身が震えるような衝撃が大地を伝ったかと思うと、化け物はさらにおぞましい姿になって巨大化し、無差別に、無作為に、その六本の足を振り回し始めた。


「トモダチ、トモダチィ!」


 その内の一本が、雨の冷たさに、魔物の恐ろしさに打ち震えて動けなかった、あの白馬を通る軌跡を描く。馬は容赦なく真っ二つに切断されるが、嵐のおかげか、鮮血が噴出することはなく。


「え?」


 代わりに、馬の臓物が私の目前に落ちてくる。泥と肉片と血糊が、私のビチョビチョの寝間着を、さらに汚した。

 しかしその気持ち悪さは、魔物に対する生理的嫌悪感を、全く上回らない。

 吐きそうだが、胃の中にはもう何も残っていない。

 雷が再度鳴る。

 雲の中を竜が暴れ回っているかの如く。

 だが今、地上では竜など問題にならないような化け物が、暴れ回っている。

 こんな中を、一体どうやって生き残れるというのだろう。

 私にも、容赦のない化け物の一撃が正面から迫ってきているのを、茫然としながら捉え。

 回避できない、逃げられない。

 もう、考えるのをやめて、目をつぶった。


 衝撃が、真横(・・)から襲ってくる。


 でも、私の体は分断されていない。


 死んで、ない?


 目を開けると、そこは、知らない場所だった。

 雨も降ってない、晴れた道のど真ん中。

 通行人たちが、驚いた顔で私のことを見ている。

 りんごを持っていたおばさんはその袋を落とし、露店でお金を払っていた子供は、財布の中身をばらまいた。

 状況が飲み込めないのは私も同じで、さっきまでの修羅場が嘘のような平和な一場面にひどく混乱し、意識を失いかけるも、何とかこらえる。その後、ふらつきながらも立ち上がろうとすれど、体に力が入らずにこけそうになった。

 そんな私を、りんごのおばさんが手を掴んで助けてくれる。


「あんた、急に現れて・・・、そんなビチョビチョで、汚い格好で、大丈夫なのかい? おうちはどこ?」

「・・・スタンダード、よ」

「!? もしかして領主様の家の、キャラメラお嬢様!? 道理でどこかで・・・」


 良かった。ここはスタンダード公爵領みたいだ。

 ちょっと安心して、ほっと胸をなでおろすと、自分のお腹に、何か紙が貼り付いている。

 剥がしてよく見てみると、それは一流の魔術師が移動に好んで用いると噂で聞いたことのある、あの『転移札』だった。



×××××××××



 三日後。


 そこは、スタンダード公爵領の中でも辺境に属する場所だったが。

 同時に広大な土地、豊富な地下水、栄養豊かな土壌が揃い、農牧地帯として栄えていた場所でもあった。

 麦の一大生産地で、公爵領にとどまらず国家の穀倉地帯と言われていたほか、乳製品の加工業に関しては、他を一歩抜きん出た先進地域だったと言え、商人、旅人の出入りの激しい、そして人口も多い、非常に活気あふれる都市だったのだ。


 それが、どうしたことだろうか。


 かつて都市だった場所は、瓦礫が一面に散乱し、所々で煙が上がっていて、元の面影も皆無。

 乳製品の加工工場として技術の先端を走っていた建物だったものは、もう他の建築物だったものと全く区別はつかない。豊かに蓄えられた麦は燃えて炭化し、牛や馬のほか、様々な家畜たちは、人間と同じく部位として、そこら中にゴロゴロ転がっている。

 所々にある水たまりと同じくらいの頻度で、黒々とした血だまりが地面に貼り付いていて。動いているのは、というより蠢いているのは、屍肉を頬張って悦に至る魔物のみ。

 ・・・諸行無常とは、このことか。

 こんな地獄絵図の真ん中。

 そこでは、此度の悲劇を起こした絶望の魔物が、こんなことしたくなかった、こんなはずじゃなかったと、独り、ただただ呻いている。

 ああ、何という皮肉だろうか。

 友達が欲しかっただけの魔物なのに、一匹の魔物が引き起こしたものでは他に類を見ない、大災害を引き起こすことになろうとは。

 非常に運良く生き残ったごく少数によって、この凄惨で残酷な事件が克明に語られ、一年も経たないうちに「大破壊」と呼称されるようになり、人々の心に深い爪痕を残したのだった。


 さて、そんな地上の様子を、空から楽しそうに眺める存在があった。


「成功です、ふふふ。面白くなってきました」


 頬を吊り上げ、銀髪を掻き上げながら彼女が発するその声は、まさに甘美そのものだった。


「愛しい我が子。この黙示録に、良いプロローグをありがとう」

読んでくださりありがとうございます。

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