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恋色図鑑  作者: キヨモ
10/15

青い風に吹かれて 3

 桜中央の駅ビルの二階に先日オープンしたばかりカフェは、女の子たちで賑わっていた。白を基調とした内装は洗練されていて、更に白シャツと黒エプロンというシンプルなスタッフの制服も店の雰囲気に合っていてとてもお洒落だ。

 愛はパフェグラスの底に沈んだフルーツを、黙ってロングスプーンでつついていた。席に案内されてオーダーしたあと、愛はぽつりぽつりとここ数日の出来事を語りはじめ、注文したヨーグルトパフェをほぼ食べ終わる頃には大概のことを春菜に話していた。


「愛はもっと、自分に自信持ったら良いのに……」

 愛が沈黙に居心地の悪さを感じはじめた頃、やがて春菜はひとりごとのように呟いた。

「副会長としてみんなをまとめて、勉強もできて。いつもまっすぐで、しっかりしてる」

「そんなんじゃないよ」

 春菜の口から語られる愛の姿は過大評価も甚だしく、いたたまれなくなって愛は春菜の言葉を遮った。

「真面目で、仕事も早い。でもね」

 愛の言葉を無視して褒め続けていた春菜が、やがて言葉を切った。

「でも、頑張り過ぎる時がある。ひとりでやる必要のない仕事でも全部自分で抱え込んじゃって、もっと周りに頼れば良いのになって思う時がある。そんな時に手を差し伸べるのが翔くんなの。愛の後ろをついて回って、愛が無理しないように見守ってるようにわたしには見えるのよ」


 春菜の指摘に、愛は押し黙った。

「あっ、偉そうに言ってごめん。気分を悪くしたらごめんね」

 慌てて言葉を探している春菜に、愛は笑って否定した。

「違うの。春菜に言われたこと、全部自覚があったの。自分でも駄目だなとは思っていて、だけどなかなか変えられなくて。だからちゃんと指摘してくれて感謝してる」

 自分のペースで自分の思うように物事を進めたいという気持ちが、人より強いのは自覚していた。人に頼むよりも自分でやる方が手っ取り早くて、自分が動くことの方が多かった。衝突はしたくないのでワンマンを通すわけではないけれど、それでも周りを不快にさせたことはあっただろうと愛は反省した。

「あーあ、ちょこちょこと豆柴がつきまとって鬱陶しいなあと思っていたのに、結局は暴走するわたしの抑止力になっていたんだね」

「もう、愛ってば素直じゃないんだから」

 わざとふざけてそう言うと、春菜が呆れたように笑った。


「わたしは二年で道野は一年なのに、何だか情けないなあ」

 夏休みの華やいだ店内に、溜息まじりの愛の呟きが零れる。

「どうして? 別に学年なんか関係ないじゃない」

「関係あるよ。いつも年上面してたのに、結局わたしが一番子供だったなんて何だか悔しいじゃない」

 面白くなさそうに呟く愛に、春菜は負けず嫌いだねと苦笑した。

「でも、翔くんはそんなの気にしないよ。まっすぐな愛が、可愛くて危なっかしくて仕方ないのだと思う」

 さらりと放たれた春菜の台詞に、愛は即座に反論した。

「さっきから気になっていたんだけど、道野は絶対にそんなこと思ってないよ」

「思ってるよ。だっていつも、愛ちゃん先輩可愛いとか大好きとか言ってるじゃん」

「あれは、年上をからかってるだけじゃない」

 翔の言葉はいつもストレートで裏がない。このキャラクター可愛いねと同じ温度で、愛のことを可愛いねと言う。チョコレートが好きだと同じ感覚で、愛のことを好きだと言う。そんな言葉をいちいち真に受けてドキドキする程、愛は自惚れてはいないつもりだ。

「わたしは二年で、道野は一年で。それくらいちゃんとわたしだってわかってるよ」

「どういう意味?」

「世界が別だってこと」


 あれからずっと、愛は美月の言葉の意味を考えていた。ふたりの学年が違うということは、それだけ距離があるということ。同じ学年の美月の方が、彼に近い場所にいるということだ。それに翔は自分が下級生だからと気を使って、生徒会の仕事を手伝っている可能性だってある。

「呆れた。それ本気で言ってるの?」

 ペーパーナプキンで口元を拭きながら、春菜は心底驚いたように愛を見つめた。

「一学年違っただけで世界が別だと言うのなら、学年も学校も違えばそれはもう遠すぎて手が届く筈ないよね」

「やっ、別に、そう言う意味じゃなくて……」

 愛の顔を覗き込んで悪戯っぽく春菜が言った。その言葉の意味に思い至り、愛は狼狽する。その様子を見た春菜は、可笑しそうに声をあげて笑った。


「わたしね、二学期から朝の電車の時間を変えようと思うの」

 自分の失言に後悔しながら愛は弁解の言葉を探していたのだけれど、穏やかな表情を変えないまま春菜が口にしたのは衝撃的な内容だった。

「え、何で!?」

 いきなりのことで、予想以上に大きな声が出る。

 春菜は高校入学以来、毎朝同じ電車に乗り合わせる他校の男子生徒に恋をしていた。控えめに、けれどもひたむきに想いを寄せていた。そんな親友の一途な姿を微かに羨ましく感じながら、彼女の恋が成就することを愛はずっと願っていた。けれども勇気を出して伝えた彼女の想いは、彼には届かなかったのだ。告白する素振りなど見せていなかったのに、気持ちを伝えたよと悲しそうに笑って報告された時は正直驚いた。愛が焚きつけたことも春菜が告白に踏み切った一因だと思われたので、もう少し時間をかければ結果は変わっていたかも知れないと責任を感じたのだが、彼女はきっぱりとそれを否定した。あの時伝えたいと強く思ったから伝えたのだと、そう言って春菜は清々しく笑ったのだ。


「この前、帰りの電車で偶然見かけたんだけど、うちの学校の女子と楽しそうに笑って会話してた。混んでいたから彼女の顔は見えなかったけど、彼はすごく優しい表情をしていたんだ」

 春菜の話を聞いて、愛の脳裏にはひとりの人物が浮かんでいた。

「それ、たぶん夕子先輩だよ」

「夕子先輩?」

「そう。夕子先輩と今井さん、同じマンションに住んでいる幼馴染なんだって」

 前生徒副会長の夕子とは、春菜も面識はある。先輩である彼女が副会長だった頃は生徒会の仕事のあとで何度か一緒に帰ったことがあるが、一度だけ偶然、彼と同じ電車に乗り合わせたことがあったのだ。春菜の想い人と気さくに挨拶を交わす先輩に驚いて、愛は後日さり気なく彼の名前を尋ねたのだった。

「ああ、そういうことか。愛ってば、どんな裏ルートを使ってあの人の名前を調べたのか、ずっと不思議だったのよね」

 納得したように春菜は、うんうんと二度頷いた。ずっと不思議だったくせに、春菜は情報の入手先を尋ねては来なかった。頼まれてもいないのにおせっかいするのは愛も嫌だったので黙っていたが、春菜はひとり静かに自分の気持ちを温めていたのだ。

「でも、相手の人が夕子先輩でも彼女さんだったとしても、もう関係ないんだ。告白して振られて電車を変えるなんてあてつけみたいで嫌だなあと思っていたんだけど、だからと言っていつまでも未練がましく同じ電車に乗り続けるのもなあとタイミングを図っていたの。長い夏休みを挟んで二学期から変えるのが、一番自然かなと思って」


 さばさばと話す春菜に、愛は何も言えなかった。振られている以上、もっと頑張れとは言えない。けれども、ずっと見つめていたことも知っているので、簡単に諦めろとも言えないのだ。

「そんな顔しないでよ。わたし、後悔してないんだから。学年も学校も違う遠い世界の人だったけど、想いを言葉にしたことでわたしの存在を意識してもらえた。それだけで、わたしの気持ちは無駄じゃなかったんだと思えたの」

 そう言うと、春菜は真っ直ぐに愛を見つめた。

「だから愛も、素直になりなよ。学年が違うとか、自分で勝手にハードル上げちゃ駄目なんだからね」

 そう言うと、そろそろ出ようかと春菜は愛を促した。支払いを済ませて店外へ出ると、いつもはサラリーマンや学生が目立つ駅構内が、夏休みのせいか老若男女様々な人たちで溢れている。人の流れに乗って改札に向かっていると、思い出したように春菜が言った。

「そう言えば翔くん、そこの中央口を出たところにある本屋さんでバイトしてるんだって」

 アルバイトをしてるという話は前にちらりと聞いたことがあるが、詳しい内容は知らない。自分の知らないことを春菜が知っていたことに、愛は少しだけショックを受けた。

「翔くんと松田くんの会話が、たまたま聞こえてきただけだよ」

 愛の表情を見ながらそう説明すると、春菜は眉間をさすりながら笑った。愛は意味がわからないまま春菜を真似て自分の眉間に触れると、無意識のうちにそこは寄せられていた。

「本当に愛は不器用なんだから」

 そう言い残すと、楽しそうに手を振りながら春菜は染野線の改札がある方向へと向かう。愛はJRに乗り換えるから、ここでさよならだ。バイバイと手を振り返しながら、雑踏の中に消えてゆく春菜の後ろ姿を、愛はぼんやりと眺めていた。




 翌日も絵に描いたような夏日だった。朝早くから蝉は鳴きはじめ、鮮やかな青空に真っ白の入道雲が浮かび、太陽の光がじりじりとアスファルトを焦がす。

「おはよう」

 愛は教室に入ると、いつものようにクラスメイトと挨拶を交わし席に着く。夏期講習は今日が最終日だ。明日から正真正銘の夏休みということで、教室の中は既にそわそわとした空気が漂っている。隣の席の男子生徒は彼女とどこへデートに行こうかしきりに相談をしているが、友人は真面目に取り合わずふざけた答しか返していない。憤慨する男子生徒の様子を盗み見て吹き出しそうになりながら、愛は自分の今後の予定を考えてみた。春菜とは特に約束をしていないが、思い立てばメールをして頻繁に会うだろうということは予想できた。クラスメイトとはプールに行く約束をしているし、お盆は家族で田舎に住む祖父母に会いに行く予定だ。

 けれども当然ながら、夏休みのスケジュール帳に翔との約束はない。これから三週間以上、翔に会うことはないという事実に改めて気づいて、愛は窓の外に広がる夏空を見上げた。


 最後の夏期講習は、呆気なく終わった。教師が退室した途端、浮かれた生徒たちのテンションが一気に上がる。愛は心の中にじりじりとした焦りを感じながら、クラスメイトたちに手を振って賑やかな教室を出た。これから約三週間、学校から解放された自由な毎日が待っている。

 けれども、毎年感じるわくわくした気持ちを今は感じることができない。その理由にうっすらと気づきながらも、愛はどうすれば良いのかわからずに隣の教室を覗いた。友人と談笑していた春菜と目が合い、やがて彼女は友人たちに手を振って教室から出て来る。

「やっと夏休みだね」

 愛の横に並んで歩き出すと、春菜は嬉しそうに言った。愛はただ、うんと短く答えた。

「ねえ、春菜」

 やがて愛は、意を決したように春菜に告げた。

「ごめん、先に帰ってて。またメールするから」

 そう言うと、愛は呆然とした表情の春菜を残し、駆け出して行った。


 愛は、翔に会わなければならないと思っていた。伝えなければいけないと感じていた。何をどう伝えれば良いのか漠然としていてよくわかっていないけれど、それでもあの日、劣等感まみれの自分が八つ当たりしたことは絶対に謝らなければいけないと思った。そして、翔と一緒に居る時間は決して嫌なものではないのだということを、彼に伝えたいと強く願っていた。

 けれども、いつもは簡単に会える翔がなかなか見つからない。一年生の教室がある二階に下りてみたものの、どこにいるのかわからないのだ。翔のクラスは知っているが、夏期講習は自クラスで行われるわけではない。翔がどの教科を選択していて、それがどこの教室で行われているのかを他学年の愛は知らなかった。一年生と二年生は違うのだと改めて実感していると、不意に背後から名前を呼ばれた。


「内村先輩」

 振り返ると、美月がこちらを見つめていた。

「こんなところでどうされたんですか?」

「道野を探してるの」

 愛があっさりとそう言うと、一瞬美月は息を飲んだ。

「翔に何の用事ですか?」

「あなたには関係ないわ」


「翔はさっき帰りましたよ」

 相変わらず淡々とした口調で、美月はあっさりとそう告げた。

「そう、ありがとう」

 愛は短く礼を言った。嘘をついている可能性もあるが、たぶん本当に帰ったのだろう。美月はそんな姑息な手は使わないという予感があった。

「中川さん」

 ふと思い至り、愛は美月を振り返った。

「わたしは二年で、道野は一年で。でもわたしは、一年生の道野が好きだわ」

 一瞬、虚をつかれたような表情を見せた美月は、けれども何も言わなかった。それじゃあと言って今度こそ歩き出した愛に、美月は微かに頭を下げた。愛も同じく会釈を返す。やはりその顔は整っていて、今日もとても綺麗だった。


 好きだと言葉にした瞬間、愛の体は軽くなった。ああ、自分は翔のことが好きだったんだと、急に実感が湧いてくる。僅か一歳の差に躊躇し、後輩に劣等感を抱き、親友にさえ嫉妬する。それらが意味する答はたったひとつなのに、愛はずっと気づかないふりをしてきたのだ。

 だけどもう、目を逸らすのはやめよう。愛は腹を括った。たとえ翔が愛のことをただの先輩としか思っていなくても、愛は自分の気持ちを見誤ってはいけないのだ。

「……ぱ……い」

 もしかしたら自分に会いに来てくれてはしないかと自分勝手な望みを抱き、愛は再び二年生の教室がある三階へ戻っていた。そんな愛の耳に、聞き慣れた声が微かに届いてきた。幻聴かと思い、耳をすます。

「愛ちゃんせんぱーい」

 慌てて窓際に駆け寄ると、グラウンドに立つ翔が校舎を見上げていた。

「愛ちゃん先輩、はっけーん!!」

 愛の姿を見つけた翔が、大きく手を振る。そして展開についていけない愛を置いてけぼりに、翔は巨大な爆弾を投下した。



「愛ちゃん先輩、好きです!」


 その瞬間、愛の脳内は真っ白になった。先程、嫌と言うくらい頭に叩き込んだ数学の公式が、夏空の彼方へすべて吹き飛んで行ってしまう。

「愛ちゃん先輩が僕をワンコだと思っていても、鬱陶しいと思っていても、僕は愛ちゃん先輩が好きです!!」

 くらくらと目眩がした。体内の血が沸騰する。今日も三十五度を超える真夏日で太陽はぎらぎらと照りつけているけれど、体がこんなにも熱いのは気温のせいだけでは絶対にない。

「おい内村、答えてやれよ」

 にやにやとした笑いを含んだ声に、ふと我に返る。恐る恐る振り返ると、まだ残っていた同級生たちがこちらを生温かい目で見つめていた。思わずぎゃっと声を上げる。

「愛ちゃんせんぱーい、僕は夏休みもずっと先輩に会いたいよー」

 いつまでも続きそうな告白に、愛は窓から身を乗り出して思い切り叫んだ。

「わたしより先に好きとか言うな、バカ翔!!!」


 歓声があがる中、愛は逃げるように猛ダッシュで階段を駆け下りた。バカ翔、バカ翔、バカ翔と、口の中で呪文のように繰り返す。けれどもそんな悪態とは裏腹に、愛の口元はすっかり緩んでいた。

 靴を履き替えるのもまどろこしく、愛はローファーの踵を踏んだままグラウンドへ飛び出した。衆人環視の中での告白の恥ずかしさに、愛はまず文句を言おうと思っていたけれど、待ち構えていた翔の表情はたじろぐくらいに真剣だった。

「本当に?」

 やがて小さく囁くように問いかける。

「本当に、僕のことが好き?」

「好きよ」

 真剣な眼差しに心臓が壊れるんじゃないかと思いながら、愛はそれでも深く頷いた。

「僕はもっと好きだよ」

 そう言うと、翔は思い切り愛を抱きしめた。


 学校中から、口笛や歓声が鳴り響く。校内はすっかりお祭り騒ぎだ。自分が先に想いを告げようと思っていたのに、先手を打たれた愛はその予想外の展開に激しく混乱していた。けれど、抱きしめられる腕の強さにくらくらとしながらも、しっかりと幸せを感じていた。そして僅かに残った冷静な部分で、今日が夏期講習の最終日で良かったと心底思う。明日も学校なら確実に登校拒否になっていただろうけれど、約一ヶ月の夏休みを挟めば噂も少しは下火になっているだろう。

 現実には一ヶ月という時間など、バカップルの衝撃的な告白を目の当たりにした人々の前に大した意味をなさないのだけれど……。




 どこか呆けて見上げた夏空は変わらず鮮やかで、やがて青い夏風が吹き抜ける。

 自分はこの青い季節が一等好きだと、昨日まで夏が嫌いだった愛は、心の中でこっそりとそう思った。

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