11話
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ぽたり、と騎士団長の指先から、赤い血の雫が垂れる。
分厚い騎士服ではない、薄い白いシャツが至る所で赤く滲んでいた。
―――怪我、してる。
あの『堕ちた英雄』に相対したときでさえ、ほとんど血も見せず平然と動き回っていた、あの騎士団長が。
額から流れるそれを拭う素振りすら見せず、平然とこちらへ歩み寄る。が、ピタリと動きを止めた。
ちらりと私を見、唐突に天眼竜に向けて剣を構えた。
―――重苦しい威圧が満ちる。
「彼女に何をした」
天眼竜様はその圧を心地よいもののように受け止め、微笑みを浮かべながら騎士団長へ答える。
《彼女がここに馴染みつつある、それだけだ》
簡潔に述べられたその答えが気に食わなかったようで、騎士団長は全身に緊張を漲らせて答えを跳ね除けた。
それを不快に思うこともなく、天眼竜様はむしろ気に入ったように笑みを深めた。
《そう撥ね退けるでない。そう、そなたは半分我らであったな。――共に来るか?》
「断る」
騎士団長にとって、重要であるはずの出生の秘密が垣間見えたはずなのに、即断する。
そして、燃えるような圧をこちらにも飛ばしてきた。
―――今の私でなければ、世界からの情報量に包まれていなければ、気絶してもおかしくない程、濃密な魔力による圧だ。
それを浴びても、表情を変えなかった私を見て、今にも斬りかからんばかりの形相になる。
「――共に行けば、ルルリーア嬢は元に戻るのか?」
《それはないな。この場に居る、という選択をすれば、この彼女を選択するということに他ならぬ》
「………なんだ、それは」
話にならんとばかりに、吐き捨てる。
剣先を下ろすと、鞘には納めないまま、つかつかと私の方へ歩いてきた。
私から数歩のところまで近づき、騎士団長は私の目を真っ直ぐ覗き込む。
その彼へ視線を返すと、彼は舌打ちせんばかりの顰め面になった。
「……この人形のようなのが、ルルリーア嬢だと?」
食いしばった歯の隙間から、唸るように言う。
それに対して、否定も肯定もしない私に、顰め面は更に増していく。
《其方の知っている反応ではないだけで、彼女は彼女だ。そして、選ぶのは彼女だ。我らはそれを受け入れるだけよ》
「………」
天眼竜様の声を聞いているのかいないのか、騎士団長は無言でこちらをじろじろと見る。
と、いきなり私の顎を鷲掴んできた。
―――頭の隅で、反射的に何かを言おうとして。
それは無意味であると、止める。私と彼の身体能力の差は歴然。
抗っても、それは彼にとって抗いにすらならないものだ。
じっと、されるがままに彼を見つめると、騎士団長は行儀悪く乱暴に舌打ちをした。
そして掴んだときとは対照的に、そっと手が離れていく。
その顔は、どことなく、そう、拗ねている、ように見えた。
……どういうこと?この場で、世界の行く末を選択するこの局面で、何の気分を害したというの?
解らず首を捻ると、何故か恨めし気な目で見てきた。
「………まさか、ヤツを選ぶつもりではないだろうな。ルルリーア嬢」
なるほど、彼は少し勘違いをしているようだ。
私が迫られている選択が、『天眼竜様』か『騎士団長』か、だと思っているらしい。
……なぜ片方が彼自身なのかは不明だけれど。
ぽたり、とまた血が垂れる。
額を見ると、いつもあるバンダナはなく、むき出しの肌がざっくりと裂けていた。
痛そうな傷口だというのに、拭うことも抑えることもしない。
―――きっとまた無茶してここに来たんだろうな。
衝動的に、彼に説明しなくては、と考えをまとめる。
彼は勝手に来ただけなのだから、説明なんてしなくてもいい、のだけど。
それに、説明をしたところで結果は変わらない、私は世界のためによりよい選択をするだけなのだから。
未だ拗ねたような顔で私の返答を待っている騎士団長へ、のろりと口を開く。
「天眼竜様を選ぶ選ばない、じゃない。世界にとって良い選択をしなければならないの」
「??なんだそれは」
心底わからないという呆れ顔をされた。
世界の情報に触れられないと、説明は難しい。けれども、何故かそれを放棄する気にはなれなかった。
だから、出来るだけ簡素にわかりやすく、彼に説明する。
―――選択されなかった過去について。
―――影響のあった未来について。
そして、これからの選択によって広がる、未来について。
「……だから、私は世界のために、ここに残る方が良いから、わたしは」
「世界の、ため」
探るように、問いただすように、騎士団長は繰り返した。
「理解は難しいかもしれないけれど、今後よりよい世界になるためにも、みんなのためにも――」
「みんな、とは、誰だ?」
問い返されて、思考が、止まった。
―――そして、動き出す。……私は、間違っていない。私は。
「……もちろん、世界に生きる人々のことよ」
「顔も知らない、奴らのためにか?」
「違う、そうだけど、でも私の周りのみんなも、入ってる」
「そうか?ルルリーア嬢の友人の、サラ嬢に『連れて帰ってこい』と凄まれたが」
まるで師匠の様だったなと、騎士団長はどこか虚ろ気な目をした。
ちらりとサラの顔が浮かんで、押し殺す。――揺らいではいけない。
「…ちがう、それはサラが知らないだけで、サラの為でもあるから、だから」
「俺が此処にくるための準備を待っている間、ずっと横でソランが『無事に帰りつくための理論』を話していたぞ」
半分以上理解できなかったがな、と、騎士団長は苦笑いを浮かべた。
その様子がまざまざと目に浮かんで、分かって、出そうとした否定の言葉が喉に詰まる。
「というのも、横からアイリーン嬢がよくわからない単語で解説をいれるものだからな。聞き取れない上に混乱もした」
定期的に涙声になるものだから余計にな……と、少し遠い目をする騎士団長。
また、前世の単語使ってしまったんだ、アイリーン様。しかも、泣きながらなんて。
―――みんな、らしいなぁ。
ぽそりと呟きかけて、慌ててかき消す。
でも、駄目だ違うだって、わたしは、間違えちゃ、いけない。
それ以上言ってほしくないのに、空気の読めない騎士団長は、続ける。
大規模魔法陣を展開すべく、調整と情報収集をする王弟殿下とか。
理論の違いにつかみ合いの大ゲンカをした、魔術師団長と部下のレナルドさん。に仲裁するかと思ったら乱入していくミシェルさんとか。
何処から聞きつけてきたのか、帝国の大使から大量に送られてきたドラゴンに関連する資料とか。
私は冷静に考えたいのに、理論的に答えを出したいのに、騎士団長の言葉でどんどん乱れて余裕がなくなっていく。
「ルルリーア嬢のご両親と兄上に、揃って頭を地につけられて『連れて帰ってください』と請われたときは、かなり焦った――」
「――わたしがっ!!!」
もう、悲鳴を上げるしかなかった。
心からじゅくじゅくと抑えきれない濁った感情が、溢れ出ていく。
「私が戻ったら、みんなが苦しむことになるからっ!」
冷静さなど、保てるわけもなかった。
瞼に浮かぶのは、選ばなかった過去の、サラの無感情の顔、ソラン君の絶望した顔、アイリーン様の諦念の顔。―――そして、騎士団長の、獣のような狂った顔。
選択しなかった過去だとほっとしたと同時に、私の選択によってあり得た過去でもあったことが、酷く恐ろしくなった。
「私がいると、選択肢が出来るから」
絞り出すように言葉を零す。
そう、私はもう、知らなかった私には戻れない。
選択する者である私が、もしここで帰る選択をすれば。
戻ったあの世界に、また岐路に立つような選択肢が出来て、そして、私の周りに居る人達に、一番影響がでて。
―――そうして出来たその選択肢を、もしも私が、間違えてしまったとしたら。
「だから、だから、私は帰れない、帰りたくない。そんな選択したくないっ!!」
叩きつけるように、殴りかかるように叫んだその言葉は、酷く自分勝手だった。
自分が間違えたくないだけの、ただの我が儘。
世界のためにもなるのよ、だからあなたは間違っていない――そう、誘惑するように声が囁く。
ああ、この声にゆだねていれば、私は冷静でいられたのに。私は迷わずにすんだのに。
だけど、酷く身勝手で弱いこの気持ちが、騎士団長の所為で引きずり出されてしまった。
八つ当たりのように騎士団長を睨むと、やけに静かな蒼い目に真っ直ぐ見つめ返される。
「―――そうか」
そう、一言だけ呟いた。
らしくないとか、その通りだとか、否定も肯定もされなかったことに、気づかず止めていた息を吐き出す。
その隙間に、するりと騎士団長の言葉が、入ってきた。
「俺は、苦しんだことなどないがな」
―――きしり、とまた心が軋んだ。
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