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9話

 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 ―――扉を抜けるとそこは、恐ろしく広い空間だった。


 上を見上げると、ドーム状の天井は透明で、幾億もの星が瞬いていた。

 点いては消える星空の美しさへ、視線が吸い込まれる。


 鏡のようにこちらを映し出す床を、息を潜めて進む。

 そして、中央にたどり着く。



《よくぞ辿り着いたな、選擇せんたくの子よ》



 ―――天眼竜様が、其処に御座おわした。


 いつもの子供の姿ではなく、本性であるドラゴンのそれは、酷く近寄りがたい威厳に包まれている。

 星々を秘めたその羽は、それほど大きいようには見えなかったが、全てを包み込むかのような広さを感じた。


 ……酷く、足元が覚束ない。


 知らぬ間に足が勝手に動いていて、天眼竜様の元へ近づいていた。

 まるで自分の身体が何処か遠い場所に在るかのような、そんな不確かさしかない感覚に全身が覆われている。


 …………なにか、そう、何かを忘れて……そうだ、私は帰らなくちゃ、えっと…ああ、みんなの元に。


 思考の靄を振り払って、私の目的に集中する。

 そう努力をしないと、何もかもが飲み込まれてしまいそうな、そんな恐ろしさがあった。


 何かに縋りたくて手を伸ばしたけれど、何も見つけられず空を切る。

 ……手を伸ばしたら、そこに誰かが居たはずなのに。


 そんな私へ、少しばかり目を細めた天眼竜様は、その長い首を下ろして私を覗き込んだ。



《酔うておるな。人の身には少々厳しい場故――そら、固定してやろう》



 そう言うと、天眼竜様が包むようにふうっと私へ息を吹きかけた――途端に、息を吸い込む。

 ……あぁ、そうだ、帰ろうって、みんなのところへ帰ろうってここまで来たんだった。


 少しだけ集まった私を心に固めて、天眼竜様を見上げる。



《おさまったようだな。――さて、問おう。何をしに、我の前に立つか》



 先程までの茫羊とした感覚がなくなった分、その荘厳さに肌がひりつく。

 折角固めてもらった決意が揺らぎそうだ。……あれ?誰に、だったっけ……?


 思考が四方に飛び散って、迷子になりそうだ。ほんの少し前まで理解できていたことも、どんどんあやふやになっていく。


 帰りたいと声を出そうとするけど、喉が塞がれたかのように上手くいかない。

 歯がゆくて足掻いていると、辛うじて残った私が、最後まで残っていた願いから声を絞り出した。



「――選択、を、しに来ました」



 出たその声は小さくて頼りなかったけれど、この広い空間に響き渡った。

 続いて、帰りたいと言おうとして、すっと首を掲げた天眼竜様に制される。



《では、鱗無き子よ。お主に『選擇のみち』を、観せよう》



 選ぶのはそれからだ、と、ゆっくりと羽を広げた。

 その羽の内側から、星が瞬き流れ、輝きが吸い込まれ、そして刺すほどの強い光が目を貫いて。


 ―――瞬きを、する。


 今よりもずっと低い視線の先に、小さい頃のサラがいた。


 ここは確か、サラの家の庭で、初めて会ったとき、だ。

 人形のように無機質なその黒い目で、サラは小さな口を開いて「この国を滅ぼそうと思う」と言った。

 ……確か、この時の私は『それ楽しいの?』って返したんだっけ?


 けれど、私の口が勝手に動く、「あなた、こわい」と、震えながら。


 途端にサラはその黒い目を更に深めて暗くし、何も言わず何も映さず、くるりと私の背を向けて立ち去っていく。―――待って、違うのわたしは。


 手を差し伸べると、それは、骨ばった別人の手だった。

 蝋燭の明かりが揺らめく、薄暗い部屋の中で、サラは退屈そうに椅子にもたれかかっている。

 その足元には、多数の人が折り重なるように倒れ伏していた。


 暗く見開かれた彼らの目に生気はなく、血の匂いが立ち込めたその空間から、目を逸らしたいのに動けない。

 綺麗好きのはずのサラの頬には血がこびりついたままで、それを気にもかけずに、無感情にワイングラスを傾けていた。

 と、騒々しい足音が聞こえ、部屋の扉が荒々しく開かれた。……王弟、殿下だ。


 憎しみに歪められたその顔は、私の知る王弟殿下が持っていたはずの自信も余裕も全てをそぎ落とされたようにやつれていた。


 ゆらりと幽鬼のようにサラへ近づき、「……国を、かえせ」と剣を振りかぶった。

 サラの首、目掛けて。―――早く、サラ避けて、危ないから、お願いだから。


 なのに、サラは、避けもせず身じろぎさえせずに、退屈に乾いた目でただじっと見ているだけで。


 その最期の瞬間に、小さな声で、誰に向けるともなくぼつりと零した。



「大して、楽しくもなかったわね」



 ―――瞬きをする。


 過剰な魔力によって歪められた空間の中心に、ソラン君がいた。

 ここは、魔術を教えてもらおうと来た鍛錬場で、ソラン君が魔力暴走したときだ。

 ……私は、そう、ソラン君に頭突きして『アイリーン様に縋るな』って言ったんだよね。


 でも、やはりこの私は、漏れ出すソラン君の魔力に、こちらを向く虚無の目に恐れて、何も言わずに後ずさった。


 ソラン君はそのまま、私を見ることもなく、絶望したように「アイリーン」と呟いて、そして、目の前が白く何も見えなくなった。―――どうなったの?ソラン君は無事なの?


 眩しさに目が慣れると、辺りは一面、真っ白な雪だった。

 そこに一点、薄汚れた塊が見える。何かを引きずるように、灰色になってしまった白い頭が揺れた。

 ……あれは、ソラン、くんだ。


 そのソラン君の前に、くすんでしまった赤色をした魔術師団長が「ソラン!!てめぇ戻ってきやがれ!!」と叫び飛び込む。

 単身、なりふり構わず迎えに来たようだ。

 随分と髪も服も息も乱れ切っていて、荒げた声からはソラン君への愛情が滲み出ていた。

 ………なのに、ソラン君は。

 あんなに尊敬していたはずの、大好きなはずの魔術師団長とうさんへ、全てを拒絶した目で大規模な魔術を躊躇いもなく放った。――ああ、駄目だよそんなことをしたら。


 広げた手の先から地面が抉れ、その先にあったはずの全てが最早見る影もなく、誰も何も存在しなかった。


 掲げた手は黒く焼け焦げ、だらりと垂れ下がる。

 それら全てを一瞥もせず、ソラン君は少しずり下がったアイリーン様を残った片腕で大事そうに抱え直した。

 深い雪の中で、身体全体でかき分けながら、のろりと数歩進む。何かから遠ざかれるように、何者とも触れ合わないように。


 その内、体力の限界を迎えて崩れ落ちたソラン君は、眠るように静かなアイリーン様の頬を震える指でそっと撫でた。



「これで僕だけのアイリーンになったんだ」



 ―――瞬きをする。



「ルルリーア・タルボット伯爵令嬢っ!!」



 煌めくシャンデリアの下、王太子殿下の神経質な声が響き渡った。

 ここは、あの卒業パーティーの会場、だ。

 ……こうやって私は呼ばれたから前に出て、アイリーン様の無実を証言するんだけれど。


 この私は、踏み出すのを躊躇って王家の権力にへりくだって、誰かからの視線を避けるように頭を下げ、そして「はい」と答えた。―――そんなこと言ったら、アイリーン様が。


 私のその答えに、広間が静まり返る。

 恐る恐る俯いた顔を上げると、視線の先に居たアイリーン様が生を放り投げたように諦めて目を閉じた。


 次の瞬間、アイリーン様を捕えようとする人助けようとする人で騒めき慌ただしく人が流れ。――そうして私は怒号を上げる民衆の内に立っていた。


 賑やかで明るいはずの王都が無残にも崩れ焼け落ち、空は煙で灰色に染まり戦火で辺りが照らされる。

 物騒なこととは無縁な筈の彼らが叫ぶ。「アイリーンを殺せ!」「反逆者に正義の鉄槌を!」と、憎しみに恨みに拳を握りしめながら。


 叫ぶ彼らのその先に、広場に無いはずの処刑台が建てられていた。

 人々の熱気に踏み鳴らす足音に、簡素に作られた粗末なその台は崩れ落ちそうに揺れる。

 その上に、ソラン君や学園長、ディラヴェル公爵、アイリーン様の味方のはずの人々が、首だけになって晒されていた。

 同じ台の上に、アイリーン様が引き立てられるがまま、登る。


 手に縄もかけられずに、促される前に倒れこむように跪き、アイリーン様は差し出すようにこうべを垂れた。―――逃げて、逃げてよ、アイリーン様。


 泣き虫のはずのアイリーン様の目は乾いていて、祈りもせず両手は無気力に投げ出され。

 狂ったような民衆の歓喜の声に包まれ、アイリーン様は、掠れた、誰にも聞こえない声で、そっと呟いた。



「私、生きてちゃいけないんだ」



 ―――瞬きをする。



「あいつを殺して」と憎しみに満ちた私の声がした。

 あの緑男を見て、膨れ上がってしまったそれが、堪えきれずに声に溢れ出る。

 それでいいのかと問う薄青の目に、私は怒りに任せて応えてしまう。―――それが当然だと、それが正義だと。


 叫んだあとで、その言葉の酷さに慄いた。

 違うと言い直そうとした私の目の前で、騎士団長は当たり前のことのように頷いた。……頷いてしまった。


 迷いもなく背を向けた騎士団長へ、手を伸ばしても届かない。


 崩れゆく洞窟の中で、死相の浮き出た『堕ちた英雄』と『死霊のイオ』を相手に、血に塗れながら戦う騎士団長。

 誰のだと解りたくない狂った嗤い声が響き、魔術師団長に担がれたまま、伸ばした手が届かないまま、遠ざかっていきそして―――視界が、赤黒い煙に覆われていた。


 見渡す限りの地には人も魔物も平等に死して倒れ伏せ、そこかしこから甲高い金属音、唸り声と命を振り絞るような叫び声が聞こえる。

 鉄錆臭い空気をかき分けて進むと、ひときわ大きな悲鳴と血煙の上がる場所があった。……ああ、そんなのって、ない。


 其処に居たのは、無表情など欠片もない、血に塗れ酔い、狂った、獣のような騎士団長だった。


 浴びた血が乾く間もなく、左を斬り払い、右を殴り殺し、避けたついでとばかりに刺し殺し蹴り殺す。


 気付くと、嘘のように魔物の猛攻が止み、辺りはしんと静まり返っていた。

 人一人魔物一匹おらず、まるで世界が死に絶えたかのように。


 いつもの騎士団長だったらしない、緩慢な動作でのそりと上げたその顔と、目が合う。――ちがう、もう騎士団長じゃなくて、それは。



「―――次はどれだ?」




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