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 日影が森女子高等学院 私の遠い日の心の中の秘密の物語my secret story     小夜物語  第58話

作者: 舜風人

A private school The story by which the shade is the secret by which Mori Woman's College is I (supplementary revise) Night story The 58th talk.





小夜物語、小序


誰にだって語りたい物語はある。

誰にだってその人しか語れない物語がある。

誰にだって物語はある、語りたい物語はあるんだよ。そうだろ?

心に秘めた一つの物語がある。

それは秘めておいたほうがいいのかもしれない物語。

隠しておいたほうがいいのかもしれない物語、

でも?、私がもしもかたらずに死んでしまったら

その物語は完全に失われてしまうんだよ。

なかったことになってしまうんだよ。

その物語を私以外に、だれが語れるというのだろう。

だから、、どうか私に語らせてくれまいか?

遠い日のそれは幻想の物語?

あるいは実在しない物語?。

いいや、魂の本当の物語なのさ。

塵は塵に帰り、

灰は灰に戻る

だから、

覚えておいてほしんだよ、

私の物語を、

忘れないでほしんだよ

この物語を。

私がいま語らなければこの物語は風化して

消え去り、灰に帰ってしまうんだよ、

だから私が語れるうちに語らせておくれよ、

私はもうじき、語れなくなってしまうんだから。

私が語り継ぐことによって私の物語はそうしてかろうじて、永遠性を

まとうんだろうからね。

誰かどうか私の物語を覚えておいてほしいのさ。

頭のほんのすみっこでいいからさ。

そうすればどうにか私の物語は消えずにすむんだから、

それでこそ、私が意を決してまでも、語り継いだ意味も価値もあるんだから。





亡き叔父の遺稿より。







私立 日影が森女学院 私の秘密の物語 




あの頃私はまだ23歳で未来は全く白紙だと信じていた。

あれからいったい何十年たったというのだろうか?

思い出はそよ風のように私の老いたこころの中を吹きわたる、、

思い出すこと皆悲しげで青春の野にひそと咲く野の花のように

あの雑木林の向こうの白いペンキで塗られた女子高の校舎へ

私の白い思い出は何十年の時を経て再び、戻ってゆく、、、、。



私が、、、、その日影が森女学院という女子高校に非常勤講師として赴任したのはそう、、

たぶん、昭和45年(1970年)ごろだったと記憶しています。


その頃私は、東京の大学はでたものの、これといって就職活動をするでもなく、何気なく入った丸の内の海運会社にも身が入らず、大都会での孤独な一人暮らしと、会社では、机に向っての伝票書きの明け暮れに、とうとういや気が募って爆発寸前にまで行ってしまったので、ある日、思い切って、一月足らずで辞表を出してやめてしまい、4畳半の下宿をたたみ、人口7万という中途半端な田舎町の実家に戻ってぶらぶらしていたのだった。私の記憶では、辞表に対しては、、特に慰留もされませんでしたね。

何しろたった1か月で辞表ですから、、。

そこで、、

ひとまず田舎に帰り、

そこで、父の家業を手伝ったり、短期の町の事務のアルバイトをしてのんきに、実に優雅な暮らしをしていたのだが、


実は、東京にいるころから、、、自分は教員免許を持っていたので、、都会でこうしているよりもどこか田舎の教員にでもなって、隠者のように暮らしたいな、などと、夢のように描き出してはいたのだった。その頃私は、都会での暮らしに疲れ果てて、そんな思いを抱いていたのだろう。


そんな思いが通じたのだろうか?

そんな時、とある伝手で、

「日影が森女学院」の非常勤講師を募集していると知ったのです。、

その女子高というのはいわば底辺高でして。

評判は良くない私立の学校でした。

さて

話はとんとん拍子に進み、さっそく来月から私はその学校の非常勤教師にということになったのです。

実は非常勤講師の募集というのも先任の先生が女生徒と恋愛沙汰を起こして辞職したため欠員補充という事実を知ったのは、私が、勤めた後でしたがね。私がその人と同じ教員免許状だったのがよかったのでしょう。


これからお話しするのは私がそこに勤めた3年間に、その当時に私が見たり聞いたりしたおはなしなのです。

私が実際に体験したお話は事実ですがさて私が伝聞したお話はもしかしたら今でいうところの

「都市伝説」の類の噂話である可能性もありますので、念のため信憑性は保証できないと、お断りしておきます。


その学校は町はずれの、雑木林の、小高い丘の上を少し下った日影が森というところにあった。

街の人もめったにゆかないような町はずれで、丘陵地帯で近くには羊の放牧場があったと記憶していますが、、。


当時は真っ白い木造校舎で、2階建ての校舎が木立の中に3棟並んでいたっけ。

その前には運動場があって女子高生が運動している姿もありましたね。

雑木林の中にたたずむ白亜の木造校舎の風景はまるでなんというのか、私から言わせれば、異世界のような風がそこから吹いてくるような感じではありました。


私自身もそれまで、その学校へ行ったこともないし、町はずれの、岡の外れに、そんな底辺高があるなあ、、、くらいしか知らなかったのです。結構、越境入学も多かったしね。つまり、地元のまともな?女生徒は通っていなかったのですから。

というのは、地元には県立の女子高がひとつ、あるわけですよ。そこだってそんなにレベルは決して高くないですよ。

まあよっぽどの子でなければそこへ全部行けるんですよ。

だから地元民にとってもこの私立女子高はなんか胡散臭いというのか、違和感がありすぎというのか、

そういう違和感全開?の奇妙な学校だったんですね。一体だれがこんな私立の女子高に行ってるんだろう?みたいな。しかも町はずれの異世界のような雑木林のはずれにあるし、


後でお話するように私の実家の近所でこの女子高に行ってた子がたった一人だけいたんですが。その子は、すごい頭が悪くって、器量はいいんですが、でも親がどうしても高校卒業資格が取らせたくってその女子高にやっと入れたんですが、のちにあんなことになってしまったというわけですがね。


ただ実際私が赴任してまさかの、そこで教師をやるなんて、こうして実際に近づいてみるとなんか懐かしいような、感じすらするのでした。ここはもしかしたら?お前の約束の場所なのかもしれない?

というようなデジャブ感覚?あらかじめそうなるようにきめられていた?


さっきも言いましたように、その女子高の実態というのは当時のベビーブーマーたちが我も我もと高校進学を目指すようになり高校くらい出てなければ人並みじゃないという風潮がいきわたったころだったのですね。

だから相当学力が低い生徒も高校進学を目指して受験戦争という状況でどうしても「お体裁」から高校に行きたいという学力が低い女子向けの、、受け皿高がこの私立女子高だったのでした。


当時は、今でいう落ちこぼれたちの高校受験の受け皿は?というと圧倒的に不足していたわけです。

そこでこんな田舎町にもそういう生徒の受け皿としてこの「日影が森女学院」が、受験生急増期に、隣町の大きな工場主とか地主が出資して?創立されたと、、聞いています。この学校は越境入学生も多くて、この街にはその専用の学生下宿もあったのです。

いわゆる女子寮代わりの民間のアパート(というよりはまあ下宿?)です。

女子生徒数人で賄い付きのまあ学校委託の私設寄宿舎?でしょうか。比率でいうと、この町出身者よりも越境入学生徒のほうが多かったようです。

ところで、、、

この女子高を取り囲む雑木林の中にはなんと、付属の?公園があったのです。

まあ公園といっても、

雑木林をそのままにして、散歩道をめぐらすために砂利を敷いて遊歩道とかあずまやを作っただけの公園だった。敷地面積的には相当だだっぴろいです。

実はそこは夜になると街の若者たちの野合の聖地?だったと、私も大人になってから知りましたがね。そういえば風の便りに、聞いたところによると、その公園に行くと、

ベンチの下とか、雑草の草むらとかにパンティがくしゃくしゃになって落っこちてるのが不思議だなあなどと話してるのを私も聞いたことがありました。。もちろん純真な子供であった私にはその意味が当時はわかりませんでしたがね。

昭和45年ですから、そのころといえば、、

青年団、と、消防団。それが町の若者の唯一の社交場だった?

まあ、昔ですからね、そういうことだったのでしょうね?


私が実際にこの学校に赴任して感じたのは、

あえて言わせてもらうならば、まさに学力が低い女生徒のたまり場、と言ってしまったら身も蓋もありませんが、中には何か特殊な事情を抱えて、あえて学力はそれなりあってもこの女子高へ来ざるを得なかった生徒もいたようです。そういう生徒は学力以外の何かの問題児?だったわけですね。

とはいえ、

女子高ですからさすがにすごい暴力事件などはありませんでしたがその代わりに?

生徒同士の陰湿ないじめとかグループ間の葛藤、さや当て、などや。

女子生徒と教師の恋愛沙汰、あるいは生徒の妊娠とかなどは、外部にも漏れ聞こえてきていたことは事実でしたね。

そもそもが

真剣に勉強に取り組んで大学進学を目指すという受験校でなんかありません。

どうにかこうにか、高校卒業資格を取らせて上げるというだけの「お助け学校」ですから、

当然勉強よりも、生徒たちは恋とか愛とかお化粧とかファッションとか当時のアイドルとかに夢中の女生徒が多かったのです。

そうした、

恋を夢見る多感な女子高生と、しかも女子高ですからほかに男性がいない、

新しい男性教師が赴任してくると早速、その先生に、ファンクラブ?みたいなのができるんですよ。

4~5人でその先生にたむろして、「守ってあげるわ」とか。勝手に宣言してね。

いわゆる取り巻きグループです。

でも?いったい、誰から守るんですかね?

かくいうこの私にもこういうファンクラブができたのです。

そのころはこういうファンクラブの本当のありがたさ?は私にはわかりませんでしたがのちになって本当にこういう学校では、必要で守られてるんだなあって実感しましたがね。

守ってくれる女生徒たちがいなければ、、こういう学校では教師は続けられないという恐ろしい事実をやがて知るのでした。

が、、その話はのち程ということで、、、。


それはともかく、そういうファンクラブができると、取り巻きの女生徒たちが折に触れては

手作りのプレゼントくれたり、手作りのお菓子やら、お弁当までも作って

例えば、、顧問をしてる日曜日の部活練習に持ってきてくれたり、。

世のなかでいうところの女子高の若い男性教師は天国だっていう都市伝説は本当?だったのですよ。

この学校でいえば1学年3クラスで90人、三学年で、

そりゃあ270人からの女生徒がずらりと目の前にいるわけですから。

誤解を恐れずにいうならば、、より取り見取りです。

お勉強はできなくっても性格がよかったりやさしい子もたくさんいるし。

器量だってかわいい子もいっぱいいましたし、

その中には一人くらいタイプの女生徒がいるにきまってるんです。


そういう子がもしも、いたら二人は運命の糸に導かれて禁断の愛の世界へのめりこんでいってしまうんですよ。いけないと知りつつ、

この運命の恋をもう止められない、とか言ってね?


え?それじゃまるでに野島伸司の「高校教師」の世界じゃないか?って

いいえ、あのお話よりもむしろ実際の女子高の実話のほうがもっと生々しくて、すごかったりして。

まあここではそんなどぎついお話は具体的には、かたりませんけどね。


何しろ恋とか恋愛に敏感な多感な16歳から18歳の女生徒がいるわけですから

そしてそこに若い大学でたての男性教師でも赴任してきたら、、

純真な?女生徒がいったん恋に落ちたら恋に目覚めたら、、、、むしろ、、相当、怖いですよね?

どうなるか?言うまでもないことでしょう?突っ走ってゆくところまで、、ってことも。


当然、赴任の際、校長からはそれとなく、「多感な女子高生ですからお分かりとは思いますが、あくまでも生徒であるとはっきり認識して、距離をとってくださいね」とくぎを刺されるわけですが、


そんなことは女子高生のほうには通じないわけですから。これはと思う男性教師には猛アタックしてくるのは目に見えていますよね。

特にこの女子高は進学校でもないし、それどころか地域の一番の底辺高です。

そこの女子高生の関心はといえばもちろん大学進学などではありえないわけでして。

彼女たちの関心事は、適当な就職先とよい男との恋愛、、そうして結婚しかないといっても過言ではないでしょう。


誤解のないように言っておけば、もちろんいわゆるまじめな女子高生も多数いるわけです。

そういう子は好きな教師がたとえいたとしても。打ち明けたりそぶりも見せずそっと心に秘めて卒業してゆくのです。そういう子が実際ほとんどでしょう。


それにしても、男性教師がひどいデブとか、短躯でもない限りは、、つまり普通の男なら

いわゆる10人並みならばそうして独身ならば、もう

たちまちモテモテというわけです、


こんな話もあったそうです。

部活で顧問をしていた男性教師と、その部の女子部長が部活終了後に。いつも体育館で二人だけで残って話し合い?をしてると思ったら、なんとその子が卒業したその年の夏に結婚しましたなんて言うこともありました。

つまり、、、その体育館での話というのは、部活の活動方針のことではなくて、卒業後の結婚の打ち合わせだった?ということだったわけです。


そういえば私のファンクラブの、ある女生徒(M子)が私にそっと言ってきたんですが、あの先生とあの女子部長が体育館の裏で熱烈なキスしてたということでした。そのときは「え?」って感じでしたが、本当だったんですね。

生徒と教師の禁断の愛?こういう恋って相等燃え上がるんですよね?


「人は禁じられれば禁じられるほど燃え上がる」


そういう例では

部活の顧問と女子部長、、というのがお決まりのコース?のようですね?

実際、この女子高に赴任して、そこで知ったのは、

その女子高の男の先生のなんと、6人がその女子高の卒業生と結婚していたという実態、でした。

みんなもちろん在学中に妊娠させたとかなどという不謹慎はしていません。

卒業を待って本式に付き合い、そうしてやがてほとぼりがさめたころに?結婚したという図式です。これならOKでしょうね?


そういう教え子と結婚した、良識派?のとある先生と仲良くなったのですが、

その方の、私へのアドバイスが、、

その先輩教師のアドバイスとは。


「S先生、これだけ女生徒がいるとだれか一人くらい、これはという子がそのうち、できるでしょう?そういう子にはを目をつけておいてもちろん、在学中は絶対にだめだから卒業したら交際して結婚したらいいよ。この学校の子はみんなよい子だよ」


というのですから。何とも答えようがありませんでした。ちなみにS先生というのがこの私です。

確かに私もこの学校になれるにしたがってこの学校の女生徒はみんな性格はいい子が多いと思いましたね。お勉強はあまりできませんがね。


女生徒と教師の愛って禁断の蜜の味?なんでしょうか?だから?余計燃え上がってしまうんでしょうね?

女子高生といっても、恋も結婚も法的にも、できる女性ですから、もし男教師が女子高生を女性として見てしまったら?そこから地獄が始まるのです。本来、生徒としてのみ見るべきなのですがそこはそれ、

相手は多感な女子高生ですから、、よっぽど気を付けないと、とんでもない惨事?にもなるという恐ろしい事実でしょうね。特に教師が若い新卒の男性教師だったりしたら、、


まあこういう問題は昔からあったようでして。教師から近づいたのか?

この学校ではありませんが、

何かにかこつけて特定の女生徒を呼び出したりして問題になった先生もいたようです。

女生徒の自宅までつけて行ったり、付き合えと迫ったり、これじゃストーカーですよね。

教師側から積極的に女生徒へアプローチって?それはだめでしょう。

一般的には、

女生徒からのアタックがきっかけだったのでしょうか?

たぶん生徒側からのアプローチが多いのではないでしょうか?

女子高で女ばかりで男への免疫?もありませんから。

そして受験校でもないし、勉強なんかしないし、

ちょっとばかしイケメンの若い教師でも来ればのぼせ上ってしまうのもうなづけますよね。


私のファンクラブの子ではありませんが

プレゼントをくれたり手紙をそっと渡したり、もっと猛烈なアタックもあるようです。

お目当ての先生の前で媚びを売る。。いわゆる、「粉をかける」っていう習性?本能的に持ってるんでしょうね。いわゆる「秋波を送る」ってやつですね。

色目を使う、しなだれる。スカートをわざとめくってみたり、好きな先生の前で、わざと転んだり。ウソ泣きしたり、すねて見せたり、、

甘える。猫なで声。、、、。


いったん恋の炎が燃え上がってしまうと、私のファンクラブの女の子(M子)から聞いたんですが、

プレゼントの手作りお菓子に唾液を混ぜたり血を混ぜたりするそうです。つまり恋の魔術?

自分の唾液や血を混ぜると、恋がかなうという、、呪い?というか

ここまでくるともはやストーカーですよね?怖いですよね。

中には、、もっとすごいものを混ぜる女生徒もいたとか、、、。


「先生も気を付けてね」とM子が言ってくれました。

「M子ちゃんのお菓子は大丈夫なのかな?」

「あたりまでしょ。やってたらこんなこというわけないでしょ。私は普通の女の子です」


でももしかしたら、、M子もやってたのかもしれない?

ちなみに、、、

私の、ファンクラブの子は、私が担当させられた?二つの部活の顧問の関係の、

その部員の女生徒たちの中の5人ですが。


T子、、、実家は石材業です。おかっぱの髪で、勝気な子。すらりとした少年のような子。


F子、家は自転車店を営む、オートバイも販売している。繊細な?和風な子。

   よく言えば?若いころの原田知世系の顔?


K子。越境入学、隣の県から来てる、家業は893(ヤクザ)系の土建業。よく言えば?、松田聖子に似てる?アイドル系の派手な顔立ち?父親が本校のPTA会長、


C子、とてもおとなしそうな色白の線の細い子、しゃべるとその声が微妙にビブラートして

  いてとてもかわいい?声美人?顔立ちはほそおもての純和風。


M子、越境入学。実家はとある観光地の大きな旅館の娘、若いころの小泉今日子似?。

   年が離れた兄が家業を継いでいる。


(誰それに似てる?というのはあくまでも、私の主観です。実際は全く似てないかも?)



部活の練習や試合などでどうしてもほかの生徒以上に付き合いが深く?なってしまうので、親密感?がわいてしまうのでしょうね。

で、、ついつい、、男女の仲?になったりして?、、怖いですよね。

下手すれば教師としては命とりですものね。


以上、いずれも私が担当したとあるクラブ・部活の生徒たちの中で特に近しかった?生徒たちです。

この中で特に,M子とは、あともう少しで危険なところまでいきそうになった?かもしれない女生徒でした?

運がよかったのか?それとも私が自制したのか?M子がセーブしたのか?

いずれにしても危険ゾーンには至らなかったのは、今思えば、幸いでした。


具体的にどうだったとかは、、もちろんここでは書くつもりはありません。

今となれば思い出の中の、夢のような日々として私の心の中にだけとどめて、誰にも語るつもりはありません。


こういうファンクラブみたいのは、、おそらくこういう底辺女子高でしかできない?性質のものなんでしょうね?

いわゆる受験女子校では、淡々と授業だけしてればいいわけですから。

大きな塾の教師と生徒みたいなクールな?かんけい?

そんなファンクラブなんてありえないでしょう?女生徒だって受験目指してきてるわけですから

そんな田舎教師になんか興味もありませんからね。


でもこういう底辺女子高に勤務してみてわかったことがあります。

そういうファンクラブみたいなものができない先生ははじき出されてしまい、こういう女子高では居場所がなくなる、、という恐ろしい現実です。ファンンクラブの女生徒がその先生を守ってくれるのです。そういう先生にはほかの女生徒たちは、手出しができないからです。

陰湿な教師いじめの対象にならないわけですね。

こういう、守る女生徒がいないと、

つまりシカトですね。生徒全員から無視されて、いわゆる教師いじめの対象になるということです。

そうなったらもうこういう学校では居場所はありません。

女生徒全員から無視されるってつらいですよ、というか、勤務できなくなります。

下手をすれば、、、退職に追い込まれますね。

何かと多感な年齢の女生徒たちのいざこざやもめごとにおいて

これらの5人から情報を得たりしてあるいは助言されたり

正に守ってくれたおかげで難なく勤務できたことは今でも感謝しています。

この5人の子たち、、

23歳のひよっこ教師の私に懐いてくれて、親衛隊で守ってくれたこの5人の少女たち、、

今どうしてるんでしょうか?

残念ながら、、知る由もありません。

私はたった3年で辞職して遠い他県に引っ越して

この学園とは全く縁が切れてしまったんですから

同窓会なども全く連絡ありませんでしたしね。

しかも非常勤の講師ですから、、やめればそれっきりで、つながりはないのです。

遠い遠い

遥かな思い出です。



ところで生徒同士のもめごとといっても、女子だけですからそうそう暴力沙汰はありませんがこれが男女共学高なら、

そういう底辺高の「教師いじめ」は過酷ですものね?

生徒に受け入れられる、、ことこそがこういう底辺高で教師が勤務し続けられる、

必要条件だからです。

言葉は悪いですが猿山のボスざるになることです。

それができないと、、壮絶な教師いじめで。即、鬱病で、休職でしょうね。



さて今度はPTAのお話です。

「恋の病はどんな名医でも治せない。

                愛しいあなたのほほえみだけが恋の病の治療薬」

PTAといえば、、役員をしていたKさん(男)とBさん(女)がいたのですが、

なんか役目以上に仲がいいんですよね。で、、おかしいなと思ってたら、夏休み明けに、二人で手に手を取って駆け落ちですよ、もちろんPTAですから二人とも生徒の親同士ですよ。

残された生徒と残された伴侶は?

もうあっけにとられるばかりですよね?


よく教師とPTAの役員が親しくなって不倫というのはあるそうですが?

役員同士が駆け落ちなんて聞いたことありますか?

まあ、恋の病は治らない?ってことわざ通りなんでしょうか?

困ったものですね。


さて、、、


昭和45年ですからスマホなんてありません。愛を伝える手段は手紙しかないのです、

昔から「店の品物に手を出したらオワリ」ということわざがありますが。


まあ教師が女生徒に手を出したら完全にだめでしょう。

でも女生徒のほうから積極的にアプローチして、

そッとラブレターを思いの教師に渡したり、、

底辺私立女子高ですから女生徒の側からしても、教師の妻にでも、なれればそれで、人生それで一丁アガリという落ち(ゴール)?だったのでしょう。、

だからこそ、結構教え子と結婚してる教師が多かったのでしょうね。


教師の側からしても、どうせ三流大学出てこんな田舎の私立女子高底辺高の教師ですよ。

いくら教師とはいえ、お相手が東大出の才色兼備のミスキャンパスのような女性と、結婚できるはずもないですよね。

まあこういうと語弊がありますがちょうどこんな底辺女子高の生徒くらいが

おつり合い(お似合い)?なんですよ。ベストカップルと言い切ってもいいでしょうよ。

三流教師と底辺高の女生徒、まさにベストカップルじゃないですか?


すいません。ちょっと言いすぎましたかね?


それが証拠には、いわゆる受験校のその県で一番のような女子高では教師と女生徒が卒業後のその年の夏休みに結婚、、なんてぜったいありえないんです。教師と生徒のラブロマンスもほぼ、皆無です。

女生徒にしてもわざわざ県下最高の受験女子高に男探し?に来たはずもないですからね。


あくまでも大学受験のために来たのです。第一、、田舎の高校教師なんて、受験女子にとっては、はじめっから対象外です、。というわけで教師と生徒のラブロマンスとか教師と女生徒の結婚とかいう話は、底辺女子高でしか起こらない、、という法則なのです。


実は?というか当たり前の事実ですが、、

「少女がロマンティックなのではない。男が少女をロマン化してるに過ぎない」という事実です。

女性というのはとっても現実的でロマンのかけらもないのが真実なのです。

女性ほど現実的な存在はない、という事実です。ある意味、動物的な現実性に生きている存在です。

それが女性の真相です。

あくまでも現実的な女性という存在。そうして、、女性をロマンとして追い求める男という存在、

そのギャップがまあ真相でしょうね?

だって女性が「夢見る夢子さん」状態だったら現実的な出産や育児ってできますかって話ですよね。

だから神は女性を現実的におつくりになったのだ、、ということです。


さて、、

この学園にも6人の教師が元教え子と結婚していて、私が当時、見る限りでは、皆さん、幸せそうでしたよ。だから?私にもあの先生がさっきお話ししたように女生徒との交際?を勧めてくれたんでしょうね?


そういえばこんな事件もかってあったそうです。


「せんせいにつめたくされた」と言って遺書を残して、自殺した女の子もいました。

あとから遺書というか、、日記みたいなのが出てきて。

性的関係をにおわせるような記述があって、

該当の独身男性教師はその件は否定していましたが、結局生徒が一人死んでいるという重い事実から。、

そのことで、その教師が依願退職になっってしまったのです。


実は、、

その補充にこの私が非常勤採用されたというわけだったのです。

とにもかくにも女子高での勤務は危険な罠がいっぱいという事実でしょうね。

とにかく多感な女生徒が何百人も目の前にいるのです。

そこへ独身の若い男性教師が行ったらら、、どうなりますか?


受験女子校なら大学進学で頭がいっぱいですからかえっていいですが、

男性教師になど、なんか関心もないでしょうが、

底辺女子高校だったら?


恐ろしいことが起こらないことを祈るばかりです。


まあ、、百歩譲って、新聞で報道されるような、小学生女児へのいたずらで担任教師が逮捕、、よりはましでしょうが、

それにしても、女子高の教え子が、卒業後に担任と結婚は、、、、

まあギリギリ責任取ったわけですから、許される?のでしょうね。

性の目覚めの低年齢化による、、昨今、小学生の妊娠などという事件も闇から闇に葬られているというそうですね。女子高校生の妊娠出産なども当たり前のアメリカのようにそのうち日本もなるのでしょうね?


例えばかってこんな事件もどっかの県でありましたが、中学校の非常勤講師の若い教師が何人もの女生徒を手玉に取り結婚するとだまして、性的関係を持ち何人も妊娠させたり、

したというのがありましたが、、

これは、であればモロ犯罪ですが、男性教師が独身であり、その子だけと愛を深めて在学中は隠し通してセーブして、?卒業後に付き合って、18歳以降に結婚してある意味責任を取ったというのであればOKでしょう?

というか。むしろ美談?ですらあるかもしれませんよね?

まあ、、でも、、決して、、美談じゃないか?

いずれにしても、教え子に手を出したんですからね。

店の品物に手を出したらアウトですよね?


以下伝聞になりますが、

実際、この学園でもかつて、何年か前に、教師との交際が親にばれて叱られて女子高生の子が家出して男性教師と駆け落ちなんて早まったことをしてしまったという事件もあったそうです。

さがしまわってとうとう京都の旅館にいたところを確保されて連れ戻されて女生徒は退学。教師も辞職させれられたという事件です。


あるいはもっと衝撃的なのはこの学園最大の事件である、

T先生とk子の恋愛顛末。ある日二人で駆け落ち、って事件もありました。

私が赴任するかなり前のことですが

先生はは妻子持ちでしたがk子から一方的に猛烈にアプローチされて?

在学中なのに深い関係に、先生は今の妻とは離婚してk子と結婚するとウソを言ってたようですが、、。

やがて妊娠が発覚、、追い詰められて二人は山中で車の中に、練炭コンロを引き込んでガス自殺心中してしまったんです。これは当時の地方新聞にも出て衝撃的でしたね。


ところでそうそう、


私の実家の近所の子ですが、、あの子ね、

どこかの町のお兄さんとできてしまって、在学中に妊娠してしまったんですよ、男はそれを知ると雲隠れですよ。

でね、

学校と両親と相談して、もう中絶もできなくって生むしかなくって、どうしたと思います?

実はその子の母が40歳代でして、なんと母が生んだということにしてしまったんですよ、

その後、本人の娘は無事卒業してどこかの会社に就職して、やがて別の人と結婚したそうですよ、

で?じゃあその子が在学中に産んだ子はどうなったかって?

そんなこと私が知るわけないでしょう。



ところでさっきから

私のファンクラブのM子のことがよく出てくるけど、、

お前は大丈夫だったんかい?


M子というのは越境入学の子で、この地元の子ではありませんでしたね。

そうですね、今でいうと、小泉今日子に似てるとてもかわいい子でした。

この町からは遠い高原の観光地のとある大きな旅館の娘でして、まあいわゆる中学では問題児で、この日影が森女子学園へ入学してきたようです。

といっても彼女曰く。周りが私を問題児に仕立てただけなんです、、という。

確かに私から見たら、別に普通の女子高生にしか見えませんでしたね。ワルでもないし、ひねくれでもないし、いい子でしたよ。旅館の娘ですからどこか垢抜けしてるというか、

上品さすら兼ね備えていて、

裕福そうな?かわいい

気立てもいい子でした。

というか好意を寄せているから、私に対してだけはいい子?だったのかもしれませんがね・

さすがに彼女はそんなに猛烈なアプローチはしてきませんでしたが

わたしに好意を持ってるだろうということは感じました。


体育館裏が秘密の場所で。お弁当やケーキを作って持ってきてくれる。

部活後に、放課後とか、例の私のファンクラブ?のほかの子とか、あるいは時にはM子と二人だけで会っては、なんかたわいもない話をしたことを覚えています。思えば私も当時は24歳でした。


そして、当時彼女は高2でして、17歳でした、、。

24歳と17歳の初恋なんて?これってもう、青春映画そのものでしょ?

とはいえ

私は教師の自負心を持ってましたからそこらの堕落教師のようにそれ以上の危険行為は、、もちろんしてません。

思い返せばあまりにも遠い日々、、。

この女子高でのはるなつあきふゆ、、

体育祭、文化祭、部活動、春と秋の旅行、修学旅行も楽しかったなあ。


修学旅行はですね。奈良・京都なんですよ、昭和45年ですからね、今では台湾とかハワイとかまで行くそうじゃありませんか?正直本校の生徒にとって奈良も京都もその歴史なんかほとんどわからな子ばっかりでしたね。でも彼女たちは無邪気に新幹線の旅を楽しんでいましたが、、。

まあ、それやこれやの、数々の、

それらのエピソードや私のファンクラブの女生徒とのエピソードををいちいち語ってたら、、すごい長編小説になってしまうのでここでは、もうこれ以上記述しませんが。


でも、できれば、ほんとうは、すごい詳しく書き綴った学園長編小説なんてのもよいかもしれませんよね?

でも、、もしもこれ以上詳しく具体的に書いたりしたら、、それこそ「生々しいお話」になってしまうので、、まあ、この程度で、やめといた方がよいのでしょう。


ああそうそう、

そして日々の授業ももちろんやってました。

でもこういう底辺高の授業って、

なんというか、

おまけに?やってました?と言ったら叱られますよね?

でも、はっきり言って底辺高ですから授業はまあ語弊はありますが、はっきり言ってオマケ状態なのが実態なのです。

一番低い子は分数や少数がわからない子さえいるのです。3桁以上の掛け算(筆算)ができない子もいます。これが日影が森高等学院の偽らざる実態なのです。

326×745=?

これが筆算でできないのです。

分数の計算もできないのです。

ましてや因数分解や

3次方程式なんてちんぷんかんですよ。


私のファンクラブの女子生徒はさすがにこんなに低い子はいないですが、

というかみんなよくできる子ばっかりで何でこんな底辺高に来てるんだろう?

っていう子ばっかりでしたが、、。



というわけで、、、教師にとっても生徒にとっても授業だけが最大の苦行?なのです。


かくして

あっという間に、

やがて3年が過ぎて、M子が卒業した翌年には

私は3年でそこをやめて遠い県外の別職の職場に勤めることになったのです、

在任当時に

将来正式に付き合おうねなどというような、

別にM子と正式に?交際約束してたわけでもないし、

ましてや

卒業したら結婚しようねなどと約束してたわけでもないし、M子の卒業と私の辞職で

自然に離ればなれになってしまいました。


でも、、実は、、

その後も、M子は卒業後にも時折近況をかわいらしい花柄の封筒の手紙でよこしてくれたっけ。

当時手紙しか伝達手段ってありませんからね。スマホもメールもありません。


「卒業したあと、K町の某デパートに就職しました。先生お元気ですか?またお会いしたいですね?女子高時代が懐かしいです」


そんなたわいもないような文面でした、


M子は学力は平均以上でした、というか、結構やればできた子だったと思います。性格もいわゆるよいこタイプでしたし、顔立ちだって若いころの小泉今日子似のまあかわいい子でしたし、

上品ささえ兼ね備えていました。


今思うと、、その花柄のかわいい封筒の手紙の文面の端々に私への恋情?が秘められていた?のかもしれない。

だが、、これといって

私は返事も出さずに、やがてM子の便りも途絶えてしまった、、。


当時の私の気持ちとしては

日影が森女学院の思い出をすべて払拭したかったのだ。

べつにM子が嫌いとかそういうのじゃない。正直、私はM子が結婚相手でなんの不満もなかったのです。M子はそんないい子だったからです。「じゃあ結婚しろよ」って言われそうですが、、


さっきも述べたように、、

私自身は3年間勤めて、自主退職しました。理由ですか?

それは、、、

こんな田舎の私立の底辺女子高で。これからもずっと白髪のおじいさんになるまでも、ここに務めるのかと、おもったら、なんか、くらーい気分になってしまったからですよ。


私もまだ若かったんです。

誰だって、もっと他にいくらなんでももう少しはましな仕事があるだろうって、そう思うでしょ?


こんな隔絶したような田舎町の雑木林の中の、私立の名も知れぬちっぽけな、女子高の田舎教師で一生終わるのか、、って。


校長は正規採用も考えるって言ってくれたんですがね。

でも、、、若かった私は、思い切ってやめたんです。


それから私は遠い県外の、とある就職先を見つけてそこでずっと勤め続けることになったわけです。

それから私の人生にも実にいろいろなことが巻き起こって、時には嵐も吹いて、、

次第に

M子のことも遠い記憶のかなたに、、やがてわすれはててね。

でもまさかその第二の職場が

そこがずっと勤める職場になるなんて思いもしなかったのにね

気が付けばそこでほぼ仕事人生を終わってしまったんです。


その後風の便りにきいたところによると、あのは日影が森女学院は

昭和60年代ころに、生徒数が激減して閉鎖されたそうです。

というのもそのころあの近くの町に県が女子高をもう一つ作ったからなのです。

これではみんなそっちの県立女子高にくわれてしまいますよね?

というわけで日影が森女学院は閉鎖されて、なんでも当時の教員が組合を作って解雇無効を訴えて闘争したそうですが

結局わずかな和解金でおりあうしかなかったようです。解雇された教員はそれぞれ仕事を探して散り散りにこの街を出て行ったそうです。、、。

どこかほかに他県の私立の教員にでも採用されれば幸いですが

全く違う職業に転職した方も多かったと聞いています。

女生徒と結婚したあの6人の先生方は、、そのご、どうなったんでしょうか?

私に知るすべも、わかるはずもありません。


そうして閉校後やがて、あの瀟洒な白亜の木造校舎も取り壊されてしまって今はもう跡形もないそうです。

今そこは、

完全に今は雑木林に戻って、森林になりきっているそうですね。もともとそこに何もなかったかのようにね。生い茂って、

ふるさとから遠く離れて異郷に暮らす私はもう二度とはふるさとには帰っていませんしましてあの町はずれの

女子学園跡の雑木林まで行くことなどましてや、全くないのですからそれ以上の現状はわかりませんが。


でも、、、

いまでも、、、、ふっと思うことがある。


もしも、私がM子の卒業後の彼女のあの花柄の封筒の手紙に返事を書いて、そして交際してくれと申し出て、、、やがて、結婚して、あの女子高の、あの6人の教え子と結婚したあの学校の6人の教師たちの前例のように、あの学校で教師を続けてていたなら、、今頃はどうなっていたのだろうかと、、、。

というか今こうして遠い他県の異教の地で異邦人として老いさらばえて、生きながらえている自分の現状を思うとき、、

、、

むしろ今から思えばあの時そうした方がよかったのかもしれない、、

M子と結婚して平凡な田舎教師でいきればよかった、、、とさえ、、、

こうして年取った、今となってみれば、正直、思うのだった。

あの田舎町に家を建ててM子と暮らして子供も3人くらいできて、、、

でも?あの学校ってその後、閉校するんだよね。

その時私はどうしたのだろうか?

M子との家庭を持っていて?

子供もいて?

おいおい、

もう、、、これ以上の妄想は、、仮定の話は、、そう、、「イフ」、、はやめましょうね。


あれからだいぶ時は流れすぎました。

私もすっかり白髪のおじいさんになり果てました。


今では、学校もそして生徒の実態も昭和45年とは、だいぶ様変わりしてしまったようですね。


でも人間の本質が不変である以上、

こんな昭和45年当時の女生徒たちの心情もそんなには変わってはいないのかも知れませんよね?


もしかしたら?

今もまた

どこかの?

底辺女子高で?

今日も?

素直で気立ての良いかわいい17歳の女生徒と

新卒の23歳の青年教師との

禁断の恋と青春ドラマが

始まろうとしているのかもしれませんよね?


願わくば

それが禁断のレールを踏み外さずに

やがて

ハッピーエンドに実ることを祈りたいですよね。





おわり











以上は今は亡き私の叔父が残した遺品整理した時に出てきた遺稿からの転載です。


追記



叔父の原稿はここで終わっている。この原稿が書かれたのがいつなのかは正確にはわからないが

たぶん、、平成10年くらいだろうか?

叔父がなくなったのが平成19年だから、、、。


私の知る限りは


叔父は16歳で村を出て、某大学を出てからは、


いくつかの職を転々としたのちに、最後は、東京の書店に勤めて


生活したが


とうとう結婚はしなかった。定年まで書店勤務で、


ゆいいつの親戚筋である我が家とは


盆正月くらいの交流しかなかったが


幼いころは、私は叔父にかわいがられたものだった。

叔父が短期に女子高の非常勤講師をしたというのは初耳だが、

母に聞いてもさあ、そんなアルバイトしてたか知らねえ?というばかりで

母もよくわからないそうである。

この物語自体が叔父の妄想の類なのかもしれないし?

叔父とは年賀状程度の付き合いだっただから私にもわからないのである。



叔父が亡くなったのは


今から5年前である、


定年後は


とある田舎に別荘?を買い、、、、。


別荘といっても古びた田舎の古農家ですが、、、


そこで趣味三昧の生活を送ったようです。生涯結婚もせずに一人暮らしでしたから、


趣味のサークルくらいしか社会とは交流はなかったようだが、


ある日その趣味のサークルの方がしばらく音信がないので行ってみると


叔父は布団にくるまってなくなっているのが発見されたのであった。


遺体は、我が家が依頼し葬儀社の方にお任せするしかなかった。


そして、血縁としては我が家しかなかったので父は


我が家の先祖代々のお墓に叔父の遺骨を納骨したのであった。


そして遺品整理は


私が親戚筋を代表して


その叔父の古びた別荘に行って遺品整理をしたというわけである。


そして発見したのが先のこの「原稿」(遺稿)だったというわけである。


読者よ。


この叔父の青春が封じ込められた原稿を


どうかせめて暖かい目で


お読みいただくことをお願いする次第です。

この原稿はたぶんかなりの脚色と色付けがなされた

完全なるフィクションだと思いますが、、

あくまでも虚構としてお読みくだされば、、

それが叔父にとってもおそらくゆいいつの願望だったのでしょうから、、、、、、。


今はもうどこにもない古き良き青春時代の虚構の回想記として


まあ今現代では殺伐とした話題ばかりですから


青春ドラマとして

お読みくだされば  幸いです。











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(注)この物語は完全なフィクションであり、現実の一切と何の関係もありません。

   完全なフィクションです。人物名。場所、はすべて架空です。







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