8.天敵襲来2.
襲撃者の『天使』を睨みながら、ウルは何度も咳き込み吐を繰り返えす。胸に刺さる光の槍に触れるだけで痛みと熱が手を襲うが、気にせず無理やり引き抜いた。
荒い息遣いでなんとか呼吸を整えようとしながら、魔族の間で以前から噂されていることを思い出した。
それは、教会と天使がつながっているということ。
しかし、ウルはそのことについて特に重要視していなかった。むしろ、神を信仰する十字星教会と神の兵隊たちである天使のつながりがないと言われたほうが逆に疑ってしまう。
だが、今回のことで噂が真実だとはっきりとわかった。今後、活動するときに教会だけではなく、天使にも注意して行動しなければいけない。
田舎町とはいえ、勇者の末裔のアリシアがいるのだ。天使の警戒をしていなかったわけではないが、こうも突然の襲撃をされるとは思っていなかった。
マラドラと戦った際、力を解放しすぎたのかもしれない。いや、その前にミランダへの怒りから魔力が溢れだしたことも原因のひとつだろう。
手足に力を入れて立ち上がろうとするも力が入らない。出血がひどい。ショック状態を起こさないのが不思議だったが、このまま悠長に地面と触れあっているわけにはいかない。
歯を食いしばり、なんとか立ち上がるとウルは天使を無視してアリシアを追いかけようとする。
「私を無視するとは。いい度胸ですが、勇者の末裔は追わせるわけにはいきません」
無視された形になったクラディルが空からなにか言ってくるが、どうでもいい。耳障りな声が鬱陶しいと思ってしまう。
天使などを相手にしている時間が惜しかった。
アリシアはどこにいってしまったのだろうと心配になる。
泣いていた少女を放っておけない。
ウルはただアリシアのことだけを考えて、足を一歩一歩動かしていく。
「この魔族が!」
いつまでも無視された形になっていたクラディルが、怒りの感情に任せて光の槍をウルへと放つ。
とっさに地面に転がり槍をよけた。しかし、地面を転がるだけで血は無駄に流れ、確実にウルの体力を削っていく。
息を切らせて立ち上がりながら、ウルは舌打ちをして忌々しくクラディルを睨みつけた。
クラディルと戦うことは可能だ。最初の一撃こそ無様に受けてしまったが、二度目はない。
力の程度から下級天使だということがわかる。もちろん、下級天使が弱いというわけではないが、それでもクラディル程度ならば負ける気はしない。
ただし、――本来の力を使うことができれば。
思わず唇を噛みしめてしまう。
いいわけのようになってしまうが、十八歳のウルは魔族としてまだ若すぎる。そんな若いウルが魔王を名乗ることができるのは、彼の持つ力が魔王に相応しいからだ。しかし、その力は制御が不安定であり、まだ魔族として発展途上のウルには諸刃の剣だった。
ゆえにウルは強すぎる力を封印していた。簡単には解除することができない封印術式を自分の身に施すことによって、力を抑えているのだ。そのおかげで人間たちの町へと堂々と出入りすることもできるのだが、今回はそれが裏目に出てしまった。
力を解き放つには時間がかかる。だが、その間にクラディルが悠長に時間をくれるなどということはありえない。
それがわかっているからこそ、ウルはクラディルを無視してアリシアを探す。
そんな姿を眺めていたクラディルはウルを嘲笑う。
「マラドラ程度とはいえ、騎士たちを倒した魔族だと期待していていましたが、所詮はその程度ですか……逃げるだけしか能がない、穢れた魔族が」
「それはそれは、ご期待に沿えず申し訳ありませんね……」
見下すような言葉を受けてもウルは心を乱しはしない。そんなことをしても不利になることはわかりきっている。今はただ、アリシアのもとへと向かうだけ。そして伝えていなかったこと伝えたいのだ。
重たくなった体を引きずるように、クラディルから離れていく。
まるで体が別人のものになってしまった錯覚さえ覚えてしまう。
とにかく少しでもクラディルから距離を取り、アリシアを探さなければと、その想いだけで体を無理やり動かしていく。
しかし、またもや無視をされる形となったクラディルは怒りの形相を浮かべた。
人間よりは強いだろうが、天使であるクラディルには敵わない程度の力しか持たない魔族に眼中にないとばかりに無視されていたことに、ついに限界が訪れたのだ。
「いい加減にしろ、この下等魔族がっ!」
光の槍を手にし、ウルへ向かい空から勢いよく肉薄する。今度こそ息の根を止めようと、槍をウルへと向けた。
だが、その選択は間違いだった。
紙一重で槍をなんとか避けたウルは、まさか攻撃がかわされるとは思ってもいなかったと驚愕の表情を浮かべたクラディルの顔面に力を振り絞り渾身の一撃を放つ。
拳が確実に頬を捕らえ、頬骨と鼻の骨を砕く感触が伝わってくる。
音を立てて殴られたクラディルは勢いよく地面へ激突する。白い翼が土にまみれ、何度も地面を跳ねて動かなくなった。
「油断しているからだ、ざまあみやがれ……」
ウルの拳と腕も無事ではすまなかったが、ようやく反撃ができたことでよしとしておく。できることなら動かない内にクラディルの命を奪っておきたかったが、今のウルにはその決定的な攻撃をする力も武器もなかった。
まさか天使と交戦するとは思っていなかったとはいえ、力を封じている状態で武器も持っていないという状態だったのは完全にウルの失策だ。
しかし、今はそのことを悔やむよりもアリシアを探すことを優先させなければいけない。
いつクラディルが目を覚まして追いかけてくるかわからないのだ。それに敵はクラディルだけではない、マラドラをはじめとした十字星騎士団の面々も気絶させているだけだ。目を覚ませば間違いなく、クラディルと一緒になってウルを追ってくることは間違いない。
そのとき、アリシアはどうなるかと考えると不安が沸き立つ。
勇者の末裔が今はもうアリシアだけなので、仮に捕まっても酷い目に遭わされることはないだろうが、それでも心配だった。
だからこそ、ウルは少しでも早くアリシアを見つけようとこの場をあとにするのだった。
*
クラディルは頬の痛みとともに目を覚ました。
体を起こし、抉れた地面と汚れた翼、そして顔からの激痛にウルに殴り飛ばされ気絶したのだと思いだす。
屈辱に顔を歪ませながら、折れた頬骨と鼻へと手をかざすと淡い光がクラディルの怪我を瞬時に癒していく。
「おのれっ……あろうことか神の兵に手をあげるとはっ!」
すでに殴られた痛みは消えているが、それ以上にクラディルの天使としてのプライドを傷つけたウルを許すことができなかった。
クラディルは離れた所に倒れているマラドラを蹴り上げる。
突如蹴られたことで、咳き込み目を覚ましながらも驚きを隠せないマラドラだが、クラディルの姿を見てすぐに膝を着いて頭を下げる。
「無様ですね、マラドラ・ロッコ。仮にも神に使える十字星騎士団の部隊長とはいえ、この失態は許されないぞ」
「申し訳ございません!」
自らの失態を棚に上げマラドラを責めるクラディル。
必死に謝罪するマラドラだが、クラディルは彼に返事をすることはしなかった。
マラドラは恐る恐る天使の様子を伺うと、なにかを考えるように目を瞑っている。天使の怒りが自分の降りかからないことを祈りつつ、クラディルの言葉を待ち続ける。
すると、
「そういえば、あなたはあの男が魔族だと知っていましたか?」
「あの男が魔族ですか? ……言われてみれば、あの赤い瞳の色といい、あの力といい魔族ならば納得ができます。それにスウェイン夫人も気になることをいっていたので」
「気になること?」
「はい。なんでもあの男は自らのことを魔王と名乗ったそうです。もちろん、魔王は先の戦いで勇者マードック・スウェインが倒したことは周知の事実ですので、でたらめだと思っていましたが。まさか本当に魔族だったとは……さすがに魔王というのは誇張でしょうが」
「いや、そうとも限りません」
言葉を否定されらことにマラドラは驚きの表情を浮かべる。
「魔王は世襲制です。そして、勇者マードックが倒した魔王には子供がいたはず」
「するとクラディルさまは、あの男が魔王の息子であり、魔王を受け継いだとおっしゃりたいのですかっ?」
「あくまでもその可能性があるということです。確か、勇者の末裔の娘を育てている女があの男が魔王と名乗ったと言ったのですよね?」
「そうです」
「ならばその女に確かめなければいけません。もしもあの男が本当に魔王の後継者ならば、ここで芽を摘み取っておくことも必要です。マラドラ、女のもとへと案内してください」
「はっ!」
クラディルはウルが魔族だということは一目見たときからわかっていた。だが、もしも魔王であるならば、これは神に与えられた奇跡ではないかと思えてならない。
魔族として大した力を感じなかったウルが魔王であるなら、ここで必ず息の根を止めることを決意する。もちろん、魔王でなかったとしても、たかが魔族が勇者の末裔に近づいた罪は万死に値するので結果は変わらない。
アリシア・スウェインは教会の、天使の、いや神の所有物なのだから。
しかし、同時に気になることもある。
例え先ほどの男が魔王であったとしても、なかったとしても、どのような目的でアリシアに近づき、彼女を連れだそうとしたのか。
その疑問の答えは自分の中にはない。だが、答えがわからないことに、不安と気持ち悪さを混ぜ合わせた不愉快さを覚えてしまう。
クラディルはこの不愉快さを消すために、アリシアの義母ミランダと会うことを決めたのだった。