7.天敵襲来1.
「支度はできた?」
「はい! 準備できました!」
勢いよく返事をするアリシアは普段と変わらないワンピース姿だが、手には鞄が握られている。
中身はアリシアの私物だった。
本棚に入っている少ない本や、他の私物などは置いていかなければいけないが、亡き父と母親と一緒に撮った写真と数日分の着替えなどを詰めた鞄は若干重たい。
しかし、それ以上にアリシアの気持ちは軽かった。
これから母親を探す旅にでる。
言葉でいうのは簡単だが、きっと困難な度になるだろうとアリシアは感じていた。
それでも決心することができたのは、ウルがいてくれたから。
ウルがいなければ母親を探しに行こうと思いもしなかっただろう。
だからアリシアはウルに感謝している。ウルがどういう理由で自分の願いを叶えてくれようとしているのかはわからない。もしかしたら、色々な理由があるのかもしれない。
でも、それでも、このままずっとこの家で母親への燻った想いだけを抱えて腐っていくよりもずっといい。
まだ十二歳と幼いアリシアだが、この選択が分岐点だと感じていた。
このまま今を続けて停滞し続けるか、それとも未来のために前に進むのか。
そしてアリシアは未来を選んだ。
「最後にもう一度聞いておくよ。俺はアリシアに必ず母親を会わせるつもりだ。だけど、これからなにが起きるかわからない、もしかしたら俺が約束を果たせないかもしれない。その可能性を含めて、改めて聞くよ……本当にいいんだね?」
「はい。もう決めたんです。私はお母さんに会いたい、例え会えなかったとしても、会う努力をしない理由にはなりませんから!」
決意を秘めた瞳のアリシアはとても強く眩しく見えた。
「君は強いな。ならもう俺からいうことはない、じゃあいこうか!」
ウルがアリシアに手を差し出し、彼女が掴んだそのとき、
「残念だが、そう簡単に行かせることはできない」
男の制止の声が響く。
「誰だ、お前?」
庭先には白銀の鎧に身を纏った騎士たちが十五人。家を囲むように剣を抜いて立っている。
「大失態だ……まったく気づかなかった」
「無理もない。この鎧には気配を薄める術が施されている。意識しない限り、よほどの実力者であったとしても俺たちを見つけることは難しい。嘆くことはない」
「別に嘆いてないから。それで、どちらさん? 見たところ、教会関係者か?」
真ん中に立ち、ひとりだけ他の騎士とは違う形の白銀の鎧を身につけた男がウルに応じる。
「正解だ。俺たちは聖十字教会が誇る聖十字騎士団! 俺はトルマイ支部の守りを任されている支部隊長マラドラ・ロッコだ。覚えておけ、貴様を殺す男の名だ!」
「それはご丁寧に、こういう場合は俺も名乗ったほうがいいの?」
「貴様が騎士ならば名乗れ」
「じゃあ残念。俺は騎士じゃないから名乗らないよ」
挑発するように子供の様に舌を出すウル。
アリシアは突然教会の騎士に囲まれてしまったことに不安を感じて棒立ちだ。
「それで、教会がなんの用だよ?」
「それはこちらの科白だ。貴様は勇者の末裔であるアリシア・スウェインへと無断に近づく不審者だ。それだけではとどまらず、彼女を連れだそうとするとは、どれだけ罪を重ねているのかわかっているのか?」
「……面倒なことになった。あのババア、告げ口しやがったな」
小さく呟き、ウルは舌打ちをする。
あのババアとは、もちろんアリシアの義母ミランダのことだ。
盛大に脅かしてしまったので誰かに助けを求めると思っていたが、まさか教会が誇る聖十字騎士団を連れてくるとはウルの想像以上の行動力だった。
しかも相手はウルを殺す気満々だ。決して見逃してくれるとは思わない。
無理もない。アリシアは勇者の末裔だ。いや、それだけではない。父親であるマードックは勇者として魔王を倒しているのだ。その娘が教会にとって大事な存在だというのは説明されなくともわかっている。
騎士を蹴散らしアリシアを連れてこの場から離れようと考えたウルだが、他の騎士とは違い大型のバスターソードを構えたマラドラは、ウルが少しでも抵抗しようものなら嬉々として襲いかかってくるだろう。
戦いが好き、弱者をいたぶるのが好き、そういう目をしている。
全身で暴力を好んでいると叫んでいるような男だった。
「しかたがないかな」
「諦めたのか?」
「そんなことあるわけないだろ。思い切り抵抗させてもらうぜ」
「いいぞいいぞ! 思い切り抵抗しろ! だが、抵抗するならば無残な死を覚悟しろよ?」
「上等だ、そっちこそ死ぬ気でかかってこいよ!」
ウルも黙って捕まるわけにはいかない。ひとりで逃げる選択肢も最初からない。
このまま引いてしまえば、アリシアはまた籠へと逆戻りだ。
アリシアのためにも、戦い押し通すしかないのだ。
「う、ウルさん……」
「問題ないから大丈夫」
不安そうな声を上げるアリシアに、安心させるように笑ってみせる。
「でも、相手はあの聖十字騎士団ですよ?」
「大丈夫。俺たちはまだ一歩も歩き出していない。なのに諦められるわけがないだろ? アリシアはなにもしなくていい、ただ俺を信じてくれればそれでいい。できるよね?」
「……はい!」
「よし、いい子だ」
ウルはアリシアの頭を優しくなでると、騎士たちに向かい視線を向ける。
そして腰を低く落として拳を握り、構えた。
「ほう、いい度胸だ、小僧!」
「かかってこいや、オッサン!」
二人の言葉が引き金となり、聖十字騎士団の騎士たちがウルへと向かい殺到した。
*
戦いは一方的だった。
長剣を振るう騎士に対して、素手のウルだが、誰の目から見てもウルの圧勝だった。
殴る、蹴るという単純で単調な攻撃ながら、その一撃一撃が必殺に相当している。
その証拠に、ウルの蹴りは白銀の鎧にヒビを入れ、ときには破壊して騎士たちを後方へと吹き飛ばしていく。
ひとり、またひとりとウルに圧倒されていく騎士たち。残った騎士たちが剣を水平に構えていっせいにウルへと肉薄しようとするが、ウルから放たれた黒い魔力の奔流に飲み込まれ、宙を舞い地面に叩きつけられて意識を失っていく。
「ほう、魔術師か? 身体強化に魔力放出、簡単な術だが戦い慣れているのがよくわかる」
部下を倒され唯一残ったマラドラは、ウルへと賛辞の言葉を贈る。
「それはどうも。だけどオッサンなんかに褒められても嬉しくないね。そもそもアンタはかかってこないのか? 部下だけ痛い目に遭わせるなんてひどい上司だな」
「随分と耳が痛いことを言ってくれる。だが、俺が出るまでもないと思っていたのも事実、どうやら俺はお前の力を計りかねていたらしい」
「今もきっと計りかねていると思うけど?」
「ならばこの身をもって貴様の力を計ってやろう!」
「上等だ!」
バスターソードを上段に構え、獣の様に突進してくるマラドラ。
だが、ウルは慌てることなく、振り降ろされた大剣をかわす。瞬間、地面に裂け目のような亀裂が残る。
アリシアの目では視認できないほど早い動きだった。とてもではないが、大剣を振り回した速度ではない。
だが、それ以上に、マラドラの攻撃を容易くかわすだけではなく、聖十字騎士団十五名をあっという間に倒してしまったウルにアリシアはただただ驚くばかりだった。
大剣に対して素手のウルに分が悪いというのは、子供のアリシアでもわかる。さらにマラドラは鎧を纏っているのに対して、ウルは軽装だ。衣類だけで身を守るものを一切身に着けていない。
だというのに、ウルはまるで恐怖心などないようにマラドラの攻撃をかわし、懐にもぐりこんでいく。鎧越しに蹴りを放ち、守られていない顔に拳を当てるなどして確実にダメージを与えている。
何度も攻撃を受け、苛立ったように、屈辱だといわんばかりに吼えながらバスターソードを振るうマラドラ。
だが、その一撃は地面を抉るだけでウルにはかすりもせず、大振りの一撃をしてしまったマラドラにダメージを与える攻撃を確実にウルが当てていく。
そして、蓄積したダメージで棒立ちになってしまったマラドラへとウルは手を向ける。
放たれた魔力が黒の奔流となってマラドラを飲み込んだ。
絶叫が響き渡り、アリシアは思わず手で耳を塞いでしまう。
黒い奔流が収まり散っていくと、美しかった白銀の鎧を完全に破壊され、バスターソードすら半分の長さに絶たれたマラドラがゆっくりと背中から地面へ倒れた。
アリシアは呆然とする。ウルの実力は、ただ「凄い」の一言だった。
十字星騎士団といえば、この町を獣や魔物、犯罪者から守ってくれる騎士たちの集まりだ。
その騎士たちを、隊長を含めて十六人を圧倒的な力で倒してしまったウルの実力に、アリシアは驚く以外できなかった。
そして思うのだ。もしかしたら、今までウルが魔王だと自称していたのは、冗談でもなんでもなく事実ではないのか、と。
しかし、それなら勇者の末裔であり、魔王を倒した勇者の娘であるアリシアのために優しい言葉をかけてくれるだろうか。母親を一緒に探してくれると言ってくれるだろうか。
疑問に思ったその時だった。
アリシアは見てしまった。
ウルの瞳が赤く染まっていることに。
赤い瞳。それは人間ではありえあない瞳の色。
魔族の瞳の色だった。
「ウル、さん……」
「どうしたアリシア?」
「その目、赤く光って……」
震えるアリシアの声で、ハッとし腕で両目を隠すが、そんな行為にもはや意味がない。
むしろ慌てて隠してしまったことで、アリシアの疑問を確信にしてしまった。
「……本当に魔族なんですか? ……本当に、魔王なんですか?」
「アリシア、話を聞いてくれ」
「だったらどうして、だって私のお父さんは魔族と魔王と戦ったのに?」
「お願いだから、話を、俺の話を聞いてくれ」
「どうしてウルさんは魔族なのに、私のお母さんを一緒に探そうなんて言ってくれたんですか? どうして勇者の娘の私に、あんなに優しい言葉をかけてくれたんですか?」
ウルが魔族だったということはアリシアにとって大きなショックだった。
手にしていた荷物を落とし、ウルから少しずつ離れていく。
意識していないのだろう。アリシアはただ、どうしてと疑問を口にしているだけだ。あとずさりして距離を取っているのは、無意識に警戒してしまっているのかもしれない。
「アリシア……」
どう声をかけていいのかウルにはわからなかった。
魔王と名乗っていたが、アリシアがそのことを信じていないことはわかっていた。それでも下手に警戒されてしまうなら、そのままでいようと判断したのはウル自身だ。
しかし、こんなことになるのなら、正直に魔族だとはっきり打ち明ければよかったと今さらながらに後悔する。
そして、その後悔がもう遅いことを痛感していた。
アリシアの瞳は不安に揺れている。ウルが魔族だったということが、よほどショックだったのだろう。
だが、ウルにとって人間や魔族などという違いは、些細なことだ。種族の差でしかない。魔族と一言で言っても、ウルのような人と変わらない者からドラゴンまで幅広く魔族がいるのだ。
ウルがいちいちそういうことを気にするような性格ではなかったことも、ひとつの原因だろう。
同時に、ウルはアリシアに対して負い目がある。
ひとつは、アリシアの父が相打った相手こそウルの父親だったからだ。
もうひとつは、今の気持ちはどうあれ、最初はアリシアに恩を売ろうと、打算があって近づいたのだ。
もちろん今は違う。今はただアリシアを母親に会わせてあげたいと本気で思っているし、彼女にしてあげることがあるのならしてあげたい。義母たちに酷い目に遭わされていたことは許せないし、だからこそ一緒にいこうと手を差し伸べたのだ。
だがそれもいいわけになってしまう。
他にもアリシアに会いにきた本当の理由はあるのだが、負い目からなにを言っても結局それもいいわけになってしまうとウルは思い口をつぐんでしまう。
しかし、アリシアは違った。
なんでもいいからウルになにかを言ってほしかったのだ。
いいわけでもいい。なにかを企んでいたとしてもいい。ウルの口から、魔族だと改めて言ってくれるだけでもいい。とにかく言葉が欲しかった。
「アリシア、ごめん」
だが、ウルの口からようやく絞り出された言葉は、いいわけでもなければ企みでもない。種族を改めて明かしたわけでもない。ただの謝罪だった。
アリシアは泣いてしまいそうになるのを必死に堪える。
謝罪が聞きたかったわけではない。そもそも謝罪をされることなど、アリシアはウルになにひとつとしてされていないのだから。
でもこんな形で、こんな風に謝罪をされてしまえば、まるでウルと出会ってからの時間が全部駄目になってしまう気がした。
もうアリシアはなにも考えられない。いや、なにも考えたくなかった。
ただ、今はウルと顔を合わせていられないと、首を横に振って彼の謝罪を拒絶すると、身をひるがえして走り出してしまう。
「アリシア!」
ウルが名前を呼ぶが、アリシアは止まらない。今はただ、ウルから距離を置きたかった。
残されたのは、地面に転がる十字星騎士団たちと手を伸ばしたまま動けないウルだけ。アリシアの姿はどんどん小さくなっていく。
泣かせるつもりなどなかった。
ウルにははっきりアリシアの瞳から涙が零れていたのが見えた。その涙の理由が自分のせいだとわかっている。
なら追わなければいけない。だが、追ってどうすると自分の中で誰かが問う。
隠しごとをしていた分際で、追いかけてどんな言葉をかけるのかと嘲笑う。
まったくその通りだとウルは思う。しかし、それが泣いているアリシアを追いかけなくていい理由にはならない。なるわけがない。
アリシアがショックを受けているように、ウルもまた自分のしでかしたことにショックを受けていた。
だからアリシアに追いついても、なにをどう言えばいいのか正直わからない。
しかし、それでも誠意をもって、伝えよう。
自分が魔族で魔王だということを。アリシアに会いにきた理由を、包み隠さず打ち明けよう。そして、改めて問うのだ。一緒にいこうと。
ウルはアリシアを追いかけようと一歩踏み出した。
だが、次の瞬間、
「……おいおい、嘘だろ?」
胸に衝撃が走り、口から真っ赤な液体がこぼれた。
膝から力が抜け、地面へと転がりはじめてウルは倒れたのだと自覚した。
胸から叫びたくなるような痛みが襲ってくる。胸だけではない、胸を中心に体中が突然襲いかかってきた激痛に対処できず悲鳴をあげている。
起き上がろうとするが、犬のように這いつくばるだけしかできない。何度も咳き込み、吐血する。唾液と血がまざった粘着質の赤い液体が地面に流れ落ちていく。
誰かに襲われたのだと今さらながらに理解した。
完全に油断していたところを攻撃されたウルは、恐る恐る胸へと手を伸ばし、痛みの原因を探ろうとする。すると、伸ばした手が音を立てて焦げついた。焼けつく痛みが伸ばした手に襲う。
ウルの胸には光の槍が突き刺さっていた。
勘弁してくれ、とウルは痛みの中で思う。
まさかこんな田舎町にいるとは思いもしなかった。だが、教会の支部があり、勇者の末裔が暮らすこの町ならばいるのにも納得ができる。
そこまで考えずに行動したウルの大きなミスだ。
「直撃していながら、まだ生きているとは大した生命力です」
ばさり、と音を立てて宙に何者かが立つ。
視線を上げると、ウルはやっぱりと襲撃者を見て予想が外れていなかったと苦々しく笑う。
「ですが勇者の末裔に手を出した愚か者には、死あるのみ。それが魔族ならばなおのこと」
空には一対の白い翼を広げ、光の槍を持った男がいた。
「この神の兵隊であるクラディルが貴様を神の下へと送りましょう」
「ちきしょう、このクソ天使が……」
神話の時代から続く魔族の天敵が、悪態をつくウルを見下ろしていたのだった。