4.ウルとアリシアの出会い~押しかけ魔王さま~4.
「お昼です。今日はどうもありがとうございました。家事を全部やってくれたから、時間がたくさんできました」
昼。アリシアのするべき家事をすべてやってしまったウルはお昼をごちそうになることとなった。
簡単なパスタだったが、体を動かしっぱなしだったウルにとっては正直ありがたい。
大人であるウルが調子に乗っていいところを見せようと無茶をしたとはいえ疲れているのだから、子供であるアリシアにはもっと大変なはずだ。やはり、これだけの家事をさせている義母たちには納得ができない。
「いただきます」
トマトと塩、香辛料が絶妙に合わさったパスタは美味しく、体を動かしたウルには丁度いい味の濃さだった。
見た目こそ簡単だが、味もしっかりしていて飽きがこない。
「どうですか?」
「美味しいよ。うん、いいお嫁さんになれるよ。他の家事だってできるし間違いない」
お世辞ではない賛辞を贈ると、アリシアは頬を染めて照れたようにはにかむ。赤くなった頬を隠すように下を向くとアリシアもパスタをフォークに絡めていく。
子供らしい一面が見ることができたことにウルの頬が緩む。
このまま会話をしようかと思ったが、きっとそうすればまた表情が曇ってしまうだろう。だからウルは食事の間だけでもアリシアの今の表情を見ていたいと思い、なにも言わなかった。
「あの、ウルさんはどこから来たんですか?」
ウルが他になにか会話がないかと探しているとアリシアから質問される。
少しでも自分に興味を持ってくれたのなら嬉しいと思い、答えていく。
「俺はこのヒルクライム王国のふたつ隣の国からきたんだ」
「遠い、ですよね?」
「遠いよ。ここから北へ、どのくらいだろ……俺は転移魔術を経由してきたから二日ほどしかかからなかったけど、普通に移動したら一ヶ月は余裕をもったほうがいいんじゃないかな?」
「そんなに遠くなんですか……。どんな国ですか?」
「北国だから夏が短くて冬が長い。この国でも雪は降ると思うけど、積りかたが全然違うよ。この国のほうが過ごしやすいね。土地の広さだけなら大陸一かもしれないけど未開の地ばかりで住める場所は限られている、そんな国だよ」
ウルの説明は簡単ではあったが、それでもアリシアは興味深く聞いては頷いていた。
ウルの故郷であるロスイナ国は、様々な種族、民族が集まってできた多民族国家である。アリシアにすべてを言えないのが残念ではあるが、開拓された場所にはウルのような人に近い魔族が、開拓されていない未開の地にはドラゴンをはじめとした自然に住まう種族がそれぞれの町や群れを作り暮らしている。
近年では人間の国とも交流もあるのだが、十字星教会をはじめとする、魔族を敵視する者からすればロスイナ国は人間の敵国となってしまうため交流国は数える程度しかない。
「あれ? 北へふたつ隣の国って、ロスイナ国じゃないですか?」
「そうだよ。言っただろ、俺は魔王だって。俺はロスイナ国の王さまなんだ」
この言葉の結果、アリシアがどのような反応をするのかわからなかったが、ウルは偽りなく言うことにした。
しかし、
「もうっ。嘘つかないでください」
アリシアは信じなかった。
信じられないことを悪いとは言わない、言うつもりもない。
勇者を父に持ち、アリシア自身も勇者の末裔なのだ。なら、ウルの言葉がすべて本当なら、家の中に魔族と二人きり。きっと無意識にそんなことはありえないと思っているのだろう。
それ以上アリシアからの質問はなかった。気づけばいつの間にか二人の食事が終わっていた。
「久しぶりです、誰かと話しながらご飯を食べたのは……」
「いつもひとりで?」
「はい。でも別にそれが嫌だとかそういうことじゃないんです。ただ、久しぶりだなって思っただけで」
アリシアの心情を理解してあげることはできない。
彼女の幼い顔に寂しさが浮かんでいるが、心でなにを考えているのかまでは例え魔王を名乗ろうがわかるはずがない。ただ、ウルにもわかることがある。
それは、まだ幼いアリシアは人との触れ合いが少ないということ。そして寂しいと思いながらも必死に我慢していること。
きっといい子でいようと心がけているのだろう。
そう思うと胸が痛くなる。
「ねえアリシア、こういうことは大きなお世話になると思うけど、聞かせてほしい。アリシアが家事を手伝うことは決して悪いことじゃない、だけど仕事量が多過ぎる。これはやり過ぎだ。大変じゃないの?」
「大変じゃない……なんてことはありません。毎日大変です」
「なら……」
「でも! 嫌じゃありません! 育ててもらっているのに、そんなこと思うわけがないじゃないですかっ!」
遮るようにして放たれたアリシアの言葉に絶句する。
そんな風に考えていたなんて夢にも思っていなかったからだ。
まるで恩義を感じているようなことを言うアリシアに、ウルは信じられないとばかりに視線を向ける。
アリシアは涙をためてウルを睨んでいた。ウルは黙ってアリシアの視線を受け止める。
育ててもらっていると言うが、少なくともウルにはそうは思えない。
家は亡き父のものだからアリシアの家でもある。国と教会からもらった金もまた、アリシアの父のために与えられたものだ。ならばアリシアにも受け取る権利がある。しかし、義母メリンダはアリシアを虐げている。
手を上げていなければ虐待ではないのか、否。そんなことはない。
これはもう虐待だ。あってはいけないことだ。
ふつふつと怒りがこみあげてくる。
幼い少女が、まだ十二歳という年齢の少女が、育ててもらっているなんて言わなきゃいけない環境が狂っているとウルは強く憤りを感じる。
世の中は間違っていることばかりなのは知っている。誰もが平等でないことも痛いほどわかっている。
だからこそ、目についたひとりくらい助けたいと思ってもいいじゃないかと思わずにはいられなかった。
「本当に、そう思うのか?」
「本当です!」
「そうやって、アリシアはいつまでも魔法使いがこないシンデレラでいるつもりなのかな?」
「シンデレラ……?」
「知らない? 継母たちに虐められていた少女が、魔法使いに魔法をかけてもらい時間制限はあるけどお城の舞踏会へといき、王子さまと出会う。魔法は解けてしまうけど、お城に忘れてきた靴は消えず、その靴から王子さまと再会して幸せになりました……。めでたし、めでたし」
よくある物語だろ。そうウルが言うと、なにかを考えるように、おもむろにアリシアが口を開く。
「……私にもいつか魔法使いはきてくれますか?」
その問いかけは、子供が夢をみるようなものではなかった。
すがるように、願うようにアリシアの表情が訴えかける。私にも魔法使いがきてほしいと。
――なんだよ、やっぱり願いがあるじゃないか。
ウルは立ち上がるとアリシアへと手を差し伸べる。
「残念だけど、アリシアに魔法使いはこない。だけど、俺がいる。今、ここに、君の目の前にいる」
「ウルさん?」
戸惑うアリシアは差し伸べられた手をとるかとらないか、右手を浮かせて宙をさまよわせて迷っている。
本当ならすぐにでもその手をウルのほうから取ってあげたいと思う。だが、それではだめだ。
アリシアが自ら、「今」という現状を嫌だと、辛いのだと言ってくれなければ意味がない。
「さあ、やりなおそう、アリシア・スウェイン。俺はウルディーナ・ルキフェイル、君の願いを叶えにきた魔王だ。君の心に秘める、本当の願いを叶えよう!」
あとは君次第。
差し出された手を掴むのか、それとも払うのか。
願いを叶えてほしいと願うのか、願わないのか。
ウルから強制することはできない。現状から救い出してあげたいとは思うが、自ら今を変える気のない者に手を差し伸べても、いずれそれは意味をなさなくなってしまうからだ。
アリシアが今を変えたいと自分自身で望まなければいけない。
そのきっかけが、願いだ。
ゆっくりと差し出されたウルの手を震えるアリシアの小さな手が握る。
「願いを教えてくれないか?」
大きな勇気を出して、ウルの手を取ったアリシアへ優しく問いかける。
「俺に君の願いを叶えさせてほしい」
アリシアは大粒の涙を浮かべて、ウルへと願うのだった。
「お母さんに会いたい!」
ようやく聞き出すことができたアリシアの胸の奥底にしまわれていた願い。
お母さんに会いたい。
アリシアの年齢と境遇を考えれば考えるまでもない願いだった。気づくことができなかった自分が情けなく思えてくる。
幼いころにいなくなってしまい、新しい母は決してよい母ではない。さらには父親を亡くしまったのだ。誰だって本当の母親に会いたくなる。
願いを打ち明けたアリシアは泣いた。
今まで我慢していたぶん泣きに泣いた。ウルは泣き続けるアリシアをただ抱きしめてやることしかできなかった。
ずっと我慢していたのだろう。これでまだ父親が生きていれば違ったかもしれないが、父親は勇者として魔王と相打っている。なら、誰のアリシアは母に会いたいと言えばよかったのか。
答えは、誰にも言うことができなかった。
義母にはもちろん言うことなどできない。そして、町の人にも。
ならアリシアはその想いをどうしたのか。
胸の奥底に厳重にしまったのだ。思い出さないように、二度と願わないように。
しかし、ウルが現れたことで大きな変化が起きた。最初こそ警戒していたかもしれないが、はじめてしまっていた願いを打ち明けてもいいかもしれない相手が現れたことで、アリシアがずっとずっと我慢していた想いを口に出すことができたのだ。
幼い少女が例え叶わぬ願いだと知っていても、その願いを口にすることができないというのはあまりにも辛く苦しいことだっただろう。
どれだけの勇気があれば、その胸の奥底にしまい込んだ想いを口にすることができただろうか。
「頑張ったね、アリシア」
もっと気が利いたことが言えればいいのにと内心ため息をつく。しかし、それ以外の言葉が見つからなかったのも事実だ。
だから今は、ただアリシアが泣き止むまで、その小さな体を抱きしめてあげようと両腕に力を込めるのだった。