3.ウルとアリシアの出会い~押しかけ魔王さま~3.
アリシアはウルがいなくなったあと、洗濯を再開していた。
このままだとお昼を超えてしまう可能性があるが、幸いお昼に家族は帰ってこないので怒られることはない。せいぜい自分の昼食が遅れてしまう程度だと内心安堵する。
洗濯を泡立てながら、アリシアはウルのことを思い出す。
不思議な人だった。ただ、同じくらい怪しかった。
それが偽りないウルに対する感想。
ただ、悪意は感じなかったし、悪い印象ももたなかったのも事実。
だけど、願いを叶えるなんてことを言われたことは嫌だった。
願いなんてものは自分の中にはないとアリシアは思っている。もちろん、年相応に可愛い服を着てみたい、同じ年頃の子供たちと一緒に学校に行きたいと思うこともあるが、それが願いかどうかと問われれば否定する。
――どうせ願いなんて叶えられないくせに。
気づけばそんなことを思ってしまった自分自身にアリシアは驚く。これではまるで、願いがあるみたいではないか。
今のままでいい。アリシアは自分に言い聞かせるように心の中で呟く。
何度かそれを繰り返し、大きく深呼吸すると、胸の中に燻っていたよくわからないモヤモヤとした感情が消えていた。
ホッとしたアリシアは洗濯物を泡立てながら、気分転換に鼻歌を歌おうと思った。
そうすれば余計なことを考えなくてもいい。もうウルもあそこまでアリシアが言えば戻ってこないと思っていたから。
しかし、アリシアの予想は大きく外れる。
「アリシア」
自分のことを呼ぶ声が聞こえた。
家族とは違う、優しい男の声。
木々が風に揺られて鳴いている中で、よく通る低めの声だった。
驚くようにその声の主を探すと、黒髪の青年が朝と同じように庭先に立っていた。ただ、朝と違うのは優しさを感じさせる笑顔を浮かべていることと、紙袋を持っていること。
「はい、これ買ってきた。アリシアへのお土産」
紙袋を差し出してくるウルにアリシアは戸惑う。この人はわざわざ町まで自分になにかを買いにいってくれたのだろうかと思う一方で、どうして自分のためにそんなことをするんだろうと疑問にも思う。
しかし、ウルは紙袋と一緒に手を伸ばすだけで、朝のように近づいてこない。
「なんていうか、朝は思うままに行動しすぎたので反省中。お詫びも兼ねて買ってきたよ。ええっと、たしか王都限定の飴と焼き菓子。女の子ってこういう甘いものが好きでしょ?」
「それは好きですけど……」
「やっぱり! じゃあ、ほら!」
笑顔を浮かべたまま差し出された紙袋。なんだか受け取らなければずっとウルがそのまま立っていそうな気がして、アリシアは立ち上がると濡れた手をエプロンで拭うとウルから紙袋を受け取った。
「あの、ありがとうございます」
お礼を言って紙袋の中を見ると、アリシアの顔がパッと輝いた。
買い物で町にいくと見かけるお菓子の中でも、特に興味を持っていたものだ。王都限定という言葉はやはり田舎町に住んでいると誰もが弱くアリシアも例外じゃない。
決して王都が遠いわけではないが、子供がいこうと思っていける距離ではないし、なによりも家族からそんな自由は与えられていない。
だからいつか、大人になってお金を稼ぐことができるようになったら食べてみたいなと思っていたお菓子が、今自分の手の中にあることが信じられなかった。
「本当に、いいんですか?」
「もらってくれないと困るよ。アリシアへのお土産なんだから」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
嬉しそうに笑ったアリシアの顔を見て、喜んでくれたのだと嬉しくなってしまう。
やはり子供は笑顔が一番だと思う一方で、初対面の時からわかっていたが、改めてこう笑顔を見ると思う。実に可愛らしい容姿をしていると。
アリシアのような子供は年相応の可愛らしさをみんなもっていることは知っている。だが、アリシアの可愛らしさは少し違った。
年相応の可愛らしさの中に、強い意志のようなものがある。
散髪していない伸びた髪は少し汚れているし、着ている洋服も見るからにおさがりだということがわかる。家事や洗濯で頬も汚れているが、それでも目を奪われるなにかを確かに持っていた。
心から笑った顔が見たい。ウルはそう思う。
希望など持っていない瞳が、希望にあふれるのを見たい。
だからこそ、アリシアの胸の奥底にある願いを聞きたいとウルは改めて決意する。
「なあアリシア」
「なんですか? ……願いならありません。本当です。私は今のままでいいです」
「今のままでいいんです、か。俺にはその言葉がアリシア自身に言い聞かせているように聞こえるよ」
ウルの指摘に少女の体が小さく震えた。
「……お土産ありがとうございます。本当に嬉しかったです。だけど、本当に願いとかないので、家族が返ってこない間に帰ってください」
「アリシア」
「それに! 私はまだ洗濯がたくさん残っているんです!」
笑顔が消えてしまったアリシアの表情はなにかを堪えるようだった。
今にも泣いてしまいそうな自分に気づかないままアリシアは家事に逃げようとする。
だから、ウルは指をパチンと鳴らした。
「え?」
するとどうだろう。桶に入っている洗濯物と泡立った水が宙へと浮きグルグルと回る。しばらく右に左にと回り続けると泡立っている水だけが桶へと戻る。
続けてウルがもう一度指を鳴らすと、水道から水が勝手に流れ洗濯物を新しい水で洗い始める。そして、水たまりができないように庭全体に水を撒くと、宙に残った洗濯物を物干し竿にかけていく。
「うそ……」
両手で口を覆ってアリシアは驚いた。
ウルすべての洗濯物を干し終えて、自慢気な笑みを浮かべた。
「どうだ! これで洗濯物は終わりだ! 時間はあるよな?」
アリシアはハッと驚き唖然としていることに気づくと、取り繕うとしてできず、視線を左右に揺らしてから、ようやくなにかを思いついたような顔をする。
「まだやることがたくさんあるから無理です。帰ってください!」
「……とってつけたように今考えただろ! 上等だ、全部俺がやってやる!」
「ええっ? ちょっとまってください!」
「駄目だ! ちょっと俺は怒ってるからな。素直じゃない子供に、大人の本気を見せてやる!」
腕まくりをはじめるウルにアリシアが驚き止めようとするが、頑なに願いがない、帰れという頑固なアリシアに少しイラッとしていたウルは止まらない。
アリシアの制止も聞かず、家の中に入るとまず目についた食器を洗うことから始めたのだった。