12.望まぬ覚醒1.
ウルは自らの力を封じている、拘束型封印術式がいまだ解除されないことに焦りを感じていた。
まだ天使の追撃こそないが、いつこの場所がばれるかどうかもわからない。
このままではアリシアを守りながら戦うことができないのだ。
厄介だと思いながら、この面倒な術式がなければ自分自身を自らの力で蝕んでしまうのだからしかたがない。
拘束型封印術式は、ウルの強すぎる魔力を封じる一方で、解除されれば力の制御をする術式に切り替わる複雑な術式だ。
だが、こういうときに例え諸刃の剣とはいえ、力を使うことができないということの不便さを痛感するしかない。
「あの、ウルさん」
「うん?」
「ウルさんって魔王なんですよね?」
「そうだけど、どうしたの改まって?」
アリシアの質問に首を傾げてしまうウルだが、彼女は心配そうにいまだ血が流れ続けている胸を見ている。
「……ウルさんは十字星騎士団の人たちを倒しましたよね。だったらどうしてそんなに大怪我をしているんですか? 誰と戦ったんですか?」
血まみれの再会となってしまったので驚きのほうが大きかったが、今冷静になるとウルはアリシアの目の前で十字星騎士団を圧倒している。
戦いに関しては完全な素人でアリシアから見ても、ウルは十字星騎士団と比べ物にならないくらいに強かった。だが、そんなウルが怪我を負い、今も息を切らして苦しそうにしている。ここまでの傷を、十字星騎士団の誰かが与えたとは思えない。
「あー、天使のクラディルとかいう名前の奴だったかな」
アリシアの疑問に対してのウルの返答に、彼女は目を丸くする。
「天使っているんですか?」
脳裏には白い翼を広げた男性と女性の姿が浮かぶ。
「いるよ。たぶん、アリシアが想像しているのが天使であっていると思うけど」
「けど?」
「イメージを壊したらごめんね。天使は神の子であり、兵隊だ。同じく神の子である人間にとってはよき隣人なのかもしれないけど、俺たち魔族にとっては相いれない宿敵、そう伝わっている」
「ウルさんはどう思っているんですか?」
「俺? 俺は、とくにどうも思ってないよ。宿敵というのは間違いないんだろうね。何度も戦ったことはあるし、向こうも魔族と敵視している。だけど相いれないってことはないんじゃないかな?」
敵対しているが、相いれないわけではないと言うウルにやはり不思議な人だとアリシアは思った。
アリシアだって、天使と魔族が敵対していることは知っている。絵本や御伽話、神話などでも天使と魔族は戦い続けているのだ。
その天使を相手に、相いれることができると思っているウルは、アリシアが今まで聞き知っていた魔族とは違う。魔王とは違いすぎる。
アリシアの知る魔族や魔王は、残虐非道で容赦のかけらもない、人間にとっての敵であり、世界にとっての敵であった。
もちろん、そのすべてを信じるほどアリシアは短慮ではないし、実際に魔族のウルと出会いやはり聞き知っていたこととは大きく違うとわかった。
だが、それは人間のアリシアと魔族のウルだからかもしれないとも思っていた。
もしかすると、ウルが魔族の中でも特別なのかもしれない。そう感じてもいたのだ。
そして、その考えは間違っていない気がする。
ウルの母親が人間だったことが理由かどうかはわからないが、彼は魔族、人間、そして宿敵である天使をあくまでも種族が違うだけとしか考えていない。
「でもそんなに傷つけられたのに……」
「まあ、これはこれでしょ。人間に善人と悪人がいるように、魔族にだっていい奴と悪い奴がいる。天使だってきっと同じさ。それに善人でもなにかの拍子に変わってしまうことだってあるんだから、敵対している天使だってきっかけがあれば魔族とともに歩めるかもしれない。俺はそう思うんだ」
やっぱり不思議な人だった。だけど、そんなウルだからこそ、アリシアは彼の手を取って一緒に行こうと思ったのだ。
ただ優しい人ではない。魔族と人間の混血であるハーフシュテメという立場でありながら、魔王となった。アリシアの父の死を看取り、人間との約束を果たすために、死なせてしまった原因のひとつが自分だと責任を感じて償うためにアリシアのもとへときてくれた。
アリシアが今までに出会ったことのない人だった。
それが不思議で、どこか危なっかしくて、目が離せない。だからこそ、安心できる気持ちも気付けば抱いていた。
一度は魔族と知り逃げ出してしまったアリシアだが、今はもう彼から離れようなんて思っていない。
そんな自分自身もまた不思議だった。
「ねえアリシア。ひとつだけ言っておきたいんだけど」
「はい、なんですか?」
「きっと母親を探すのは大変だ。なによりも、俺がどう思おうと今天使が敵対しているのも事実。今だって巻き込んじゃっているけど、今後もアリシアに俺のせいで危険があるかもしれない。それでも、一緒に行くかい?」
ウルはアリシアの身を案じていた。
十字星騎士団や天使にまで狙われてしまった今を思えば、その心配もなおさらだ。
「だけど都合のいいことをいえば、一緒にきてほしいと思ってる。あの家で孤独に過ごすより、もっと広い世界を知ってほしい。母親の手がかりを探すだけじゃない、アリシアの友達を作って、いい出会いをして、いろんなことを学んでほしい。そして、できるならアリシアの成長と一緒に俺も成長したいと思っているんだ」
かつてマードックと約束したことや罪悪感だけが、もうウルの行動理由ではない。
そのふたつの理由が消えたわけでは決してないが、今アリシアへといったことは嘘偽りないウルの気持ちなのだ。
「私は……私は、あの家にいるのがずっと嫌でした。どれだけ私が頑張っても、決してやさしくしてくれない義母と義姉が嫌いでした。躾だといって叩かれるのも、とても嫌でした」
アリシアはずっと心に溜め込んでいたものを吐露していく。
「友達と一緒に遊びたかったし、学校にも通いたかった。お母さんとお父さんがしたように、私だっていつかは恋愛もしてみたかったんです。でも、あの家にいたらきっとそれはできません」
だけどそれがアリシアの日常だった。それが当たり前だった。
しかし、それに不満を感じないわけがない。まだアリシアは子供なのだ。我慢していたとしても、どれだけの想いがその胸の内にあっただろうか。
少なくともアリシアの独白を聞くウルにはわからない。
ただ、そんなウルでもできることがある。
「なら改めて言おう、アリシア・スウェイン。俺と一緒に行こう。危険からは俺が守るから。絶対に君の母親に会わせるから」
約束の言葉とともに抱きしめてあげることならできる。
アリシアは強く優しく抱きしめてくれるウルに、返事をしようとした。
だがしかし、
「それは不可能です」
空から降ってきた声によって阻まれた。
弾かれたように、ウルはアリシアの体を離すと自分の背後へと庇うように立ちふさがる。
「もっとゆっくりでもよかったんだけど?」
「いいえ、あまりお待たせするのも申し訳ないですので」
一対の白い翼を広げ、光の槍を手にしているクラディルが、空からウルを見下ろしている。
こちらはまだ拘束型封印術式が解除できていないのに、と舌打ちをしてしまう。
もう少し時間があれば、と悔しく思った。
「勇者の娘を渡してもらいましょう。アリシア・スウェインは大事な勇者の末裔です。彼女は教会の『所有物』なのです。魔王を語る魔族などが触れていい相手ではない!」
「おい、お前……今、アリシアのことを『所有物』って言ったか?」
「ええ。そのために、教会は彼女の家族に援助していたのです。彼女が成人すれば金銭と引き換えに教会に引き渡される手はずになっていました」
まさかの事実にアリシアが絶句する。
「まるで人身売買じゃねえか! 魔族だってそこまではしない」
「誤解をしないでいただきたい、天使だってそのような罪深いことをしません。愚かな人間たちが勝手にやったことです。私は関知していません」
「ちゃんと導いてやれよ、天使だろ?」
「誤解をしているようですが、天使は神の子であり神の兵隊です。少なくとも私の存在理由に、人間を導くことは含まれていません」
「あ、そう」
おそらくは教会とアリシアの義母のミランダが取引をしたのだろう。
だからといって、アリシアにそのことを教える必要はなかったはずだ。知らなくていいことを、知らせる意味がどこにある。
表面上はともかく、ウルは内心では腸が煮えたぎる思いだった。
この、人の気持ちなど考えようともしない天使に対しても、アリシアを物のように扱った人間たちにも。
「お前にひとつだけ言っておく」
「聞きましょう」
「アリシアは物じゃねえっ!」
大気が震えるほどの大声で、ウルは怒鳴る。怒りを込めた咆哮だった。
「……ウルさん」
「いいか、アリシア。天使は俺が引き受けるから、遠くに逃げろ」
「で、でも!」
「大丈夫だ。もうすぐ術式も解除されるはずだから力も戻る。そうすれば、あのくらいの天使なんかあっという間に倒して、すぐに迎えに行くから」
心配するな、とウルはアリシアに言い聞かせる。
「まるで力が出せない理由があるみたいなことを言うのですね。ですが、あなたの本来の力がどれほどのものでも、その傷と出血量で私に勝つことはできるでしょうか?」
「逆に聞きたいんだけど、なんでそんなに上から目線なんだよ。アドバイスしてやる、俺が力を取り戻す前に殺さないと、お前が死ぬぜ?」
「減らず口をっ!」
怒りに任せ光の槍を放ったクラディルに、気の短い奴だと思いながら、ウルはアリシアを抱きかかえると橋の下から大きく跳躍して川から離れる。
「アリシア、逃げろ!」
「ウルさんを置いていけません」
「言うこと聞いてくれ、不完全な状態の俺だとアリシアを守りきれない。だから頼む、今はただ逃げてくれ。必ず追いかけると約束するから」
「……っ! わかりました!」
なにかを言おうとしたアリシアだったが、グッと言葉を飲み込むと大きく頷き、ウルたちに背を向けて走っていく。
幸い、クラディルはアリシアに向けて攻撃をしなかった。
もしもアリシアに攻撃されていたら、この身を挺してでも守らなければならなかったが、流石に勇者の末裔であるアリシアの命をすぐに奪うことはしないのだろうとウルは察した。
しかし、クラディルは不愉快な笑みを浮かべた。
「マラドラ、アリシア・スウェインを追いかけなさい」
「はっ!」
「ちっ。三下騎士が隠れていたのかよ!」
物陰からマラドラが飛び出し、アリシアを追いかけようとする。
ウルがマラドラを阻もうとするが、クラディルから放たれた光の槍をかわすために地面を転がってしまう。その隙に、ウルを追い越して走り去るマラドラ。
「クソったれ!」
悪態をつくウル。
大人と子供では脚力が違う。いずれ追いつかれてしまうかもしれない。願わくは、アリシアがマラドラに追いつかれる前にどこかに隠れられるよう願う他なかった。
「やってくれたな、クソ天使!」
「さすがは魔族、口の利き方が悪いですね」
「お前の手口も十分悪いよ。と、お前とこうしていつまでも話をしているつもりはない、俺はお前をぶっ潰してアリシアのもとへと向かわせてもらう」
「どうぞ、やれるものならご自由に」
クラディルは光の槍を出現させて構える。
対してウルは拳を握りしめて空に立つクラディルに飛びかかったのだった。