11.クラディル凶行.
天使クラディルは、マラドラとともにミランダからウルの情報を得るために教会に戻っていた。
もしも本当にウルが魔王であるのなら、殺さなければいけない敵だ。
教会の『所有物』である勇者の末裔のアリシアを保護することよりも、重要となる。
だが幸いなことに、その重要視される可能性があるウルをクラディルはさほど脅威とは思わなかった。自身よりも劣る戦闘能力なら、魔王だと発覚しても倒すのは容易い。
もちろん、魔王を名乗っている以上、警戒することは必須であり、油断していたら先ほどのように顔の骨を砕かれるという屈辱をまた味わうことになってしまう。
それだけは天使としての誇りが許せなかった。
「クラディルさま、スウェイン夫人と娘を連れてきました」
「通してください」
許可を出すと、マラドラに続けて緊張し体を強張らせながら応接室にミランダとその娘が入ってきた。
二人もまさかこのような田舎町で天使を目にすることができるなど夢にも思っていなかっただろう。
そもそも天使が人間の前に姿を現すことが稀なのだ。
天使は神の子であり、兵隊である。天界とよばれる空間に住まい、宿敵たる魔族と戦い続けている。
そう御伽話や言い伝えで人間は知っているだけ。
教会の上層部、十字星騎士団の隊長クラスなら目通りすることもあるが、それでもやはり文字通り天上の存在なのだ。
緊張しないわけがない。
天使は食事をしない。眠らない。軽い怪我や病気などなら一瞬で治すことができる。
ゆえに人間は天使を敬う。
天使が敵対する魔族を恐れ、排除しようとする一方で、人間の力でも戦えると思うことができるが、天使にはそんなことを思うだけでも不敬なのだ。
信仰の問題もあるが、魔族という種族の多くが人間に近いこと、天使が魔族とは違い人間とは全く違う種族だということが大きな要因だろう。
「ミランダ・スウェイン」
「は、はい」
「そう緊張しなくていいのですよ。私はあなたに聞きたいことがあるだけなのですから」
クラディルは務めて優しい声を出す。
相手から情報を引き出すためには、緊張など不要。
まずは緊張を解くことからはじめなければいけないが、急いては事を仕損じてしまう。それだけは避けたい。
「教えてください。アリシア・スウェインに近づいたあの黒髪の男が魔族だということは私にもわかりました。ですが、あなたがあの男に誰か、と尋ねた際、あの男は魔王だと名乗ったそうですね?」
「確かに魔王だと言いました。もちろん、はじめはなにかの冗談かと思いました。ですが、あの男は恐い存在でした」
「怖いというのは、どのように?」
「あの男が怒ったら、まるで家が男と一緒に怒ったように揺れたんです」
「それが怖かったと?」
「はい。まるで家が家ではないような、地震でもないのに家中が揺れるなんて異常です」
なるほど、とクラディルは頷く。
ミランダの話だけでは男が魔王かどうかははっきりとしない。もっとも、魔王というのも昔はともかく、現在は王位のようものなので力の強弱だけでなれるものではない。実際、クラディルはウルから大した力を感じなかった。
もしくは戦闘は苦手でも国を動かすのは得意だという王も、歴史を紐解けば決して少なくはないのでそちらかもしれないとも思う。
ただの魔族でも力が強い者いる。立場が上であっても力を持たない者もいるのだ。それは、人間のように魔族も変わらない。
「わかりました。情報を感謝します。下がってくれて構いません」
「あの……」
「なんでしょうか?」
三人に背を向けようとしたクラディルに、恐る恐るとだがミランダは声をかけた。
「アリシアはどうなってしまうのでしょうか?」
おや、とクラディルは不思議に思った。それはクラディルだけではなく、静かに控えていたマラドラも同じだった。
二人はミランダがアリシアにとって母親になりえていないことを承知している。教会に都合のいい監視者としてはなんとか機能しているが、それだけだ。ときに、躾と称して手を上げることもあるようだが、それ以上のことをすれば教会の『所有物』を傷つけた罰を与えるという話もでているほどだ。
そんな彼女がここにきてアリシアの心配をするのか、と正直思ってしまう。
もしかしたらアリシアの危機により、血のつながりはなくとも母親の自覚をしたのかとも思った。
「アリシア・スウェインは教会の『所有物』です。あの男が魔王かどうかはわかりませんが、魔族の手に勇者の末裔がわたってしまうのはどうしても避けたいことです。申し訳ないとは思いますが、最悪の場合は彼女ごと魔族の命を奪わせもらいます」
「そうですか……。で、でしたら、その場合は、アリシアを教会に引き渡したと解釈していいのでしょうか?」
「それは、どういう意味ですか?」
クラディルはミランダのなにを言いたいのか理解できなかった。人間のもったいぶるような遠回しの会話はときとして苛立たしく感じる。まさに今がそうだ。
「アリシアが成人すれば、金銭と引き換えに教会に引き渡す手配になっていました」
「承知しています」
「なら、もしもアリシアが天使さまによって殺された場合は、私たちに落ち度はありませんよね?」
「スウェイン夫人! クラディルさまに失礼だろう!」
ミランダがなにを求めているのかがわかっているマラドラは止めにはいるが、クラディルが手を上げて制する。
クラディルはマラドラと違い、ミランダの言いたいことがわからなかった。
「構いません、マラドラ。ミランダ・スウェイン、確かにあなたがいう通り、私たちがアリシア・スウェインを手にかけた場合はあなたに落ち度はありません」
「なら! 本来成人になって引き渡しをすることになっていたはずの金銭を、アリシアが死んだとしてもいただくことはできないでしょうか?」
ようやくミランダの求めているものがわかり、クラディルは落胆した。
所詮は金が欲しいのか、と残念な気持ちになった。
勇者の末裔、いや、血がつながっていなくても娘であるアリシアの安否ではなく、自分たちの金を心配するミランダに、一度でも母性があるのかと思ったことさえ恥ずかしくなる。
マラドラもまた、ミランダを軽蔑するような視線を向けているが、彼女は気づかない。
娘はミランダの物言いに不安げな表情を浮かべているが、それは母親の発した言葉の内容にではなく、天使であるクラディルに分別もわきまえずに接していることだった。
「それはいかがでしょうか?」
「なぜです!」
ヒステリックに叫ぶミランダを、クラディルはまるで穢れたものを見るような目を向けるが、彼女はやはり気づくことがない。
「ミランダ・スウェイン、あなたは監視者としての務めも最低限です。なによりも、今回の魔族が現れたことも、あなたが町で教会から与えられた金銭で遊んでいなければもっと早くに報告ができたはずです」
「でも相手は魔族ですよ!」
「あなたとあなたの娘が二人いるではないですか。どちらかが役目を果たせたはずです。だというのに二人そろって監視者の役目を忘れ遊び呆けた結果、今回の事態が後手に回ってしまったといってもやぶさかではありません。本来ならば、あなたたちは責められるべきですが、時間が惜しいのでそれも不問にします」
「ですが!」
「やめないか貴様!」
それでしつこく食い下がろうとするミランダにマラドラが怒鳴り声を上げる。今度はクラディルも止めなかった。
「いい加減にしろ。貴様たちに罰を与えないとおっしゃってくださっているのに、貴様たちはそれでもまだ金銭を要求するのか?」
「そのためにアリシアの面倒を見ていたというのに!」
「黙れ! 私たちが知らないとでも思ったか! 貴様がアリシア・スウェインの面倒を見ているだと? ふざけたこというな! 彼女は貴様と同じ家で寝起きしているだけで、勝手に育っているではないか。むしろ負担を与えているのは貴様のほうだろう、この寄生虫が!」
「ひっ……て、天使さま」
マラドラの激昂に一度は怯えるも、欲のほうが強いのかさらにクラディルのほうを向く。
だが、ミランダは言葉を発することができなかった。
「いい加減、耳障りです」
「あ……、あ、ああ?」
ミランダの胸を光の槍が貫いていた。
ぐらり、と彼女の体が前へと傾くと、抵抗などなにもなく音を立てて床へと倒れ、頭を打つ。
「ママっ!?」
一瞬のうちに床に倒れ、赤い液体を床に広げている母親を見て娘が大声を上げる。だが、その娘のまた母のように胸に光の槍が刺さり同じように倒れる。
二人とも即死だった。
苦しみを与えなかったのはクラディルなりの慈悲だろう。きっと二人とも、自分が死んだことすら理解しないまま死を迎えたはずだ。
「クラディルさま……娘まで殺すことはなかったのでは……」
マラドラはクラディルの凶行に怯え、体を震えさせる。彼からすれば、慈悲のかけらもないように見えたのだ。
「後日葬儀はするように。お世辞にも善人とはいえませんが、数年の間アリシア・スウェインとともに生活をしたのですから、最後の手向けです」
「……わかりました。教会の者に伝えておきます」
「どうせ早いか遅いかの問題でした。マラドラ、あなたも知っていたはずです。アリシア・スウェインが引き渡されれば、後日二人は魔族の手によって殺されたことして葬るということを」
「わかっています。そしてアリシア・スウェインは魔族を憎み、勇者として父親のように教会のために戦うことを決意させる。そうでしたね」
「ええ。彼女を死なせずにすめば、二人はあの魔族に殺されたことにするものひとつの手でしょう。問題は、あの魔族からアリシア・スウェインと取り戻すことができるかどうか。あなたは再び戦ってあの魔族に勝てますか?」
その問いにマラドラは返事を返すことができなかった。
十字星騎士団の部隊長としては、できると即答するべきなのだろうが、マラドラは馬鹿でも無鉄砲でもない。腐っても騎士として一度戦った相手が自分よりも高みにいることくらいはわかる。そして、その高みにいる相手に勝てるなど軽々しく言うことはできない。
「その無言が答えですか。仕方がありません、マラドラこちらに」
「はっ」
マラドラを傍へと呼ぶと、クラディルは彼の胸に鎧の上から手を当てる。
一瞬、光の槍に貫かれた母娘が脳裏に浮かび、体を強張らせてしまう。
「別に害するつもりはありません、むしろその逆です」
「と、言いますと?」
「あなたに天使の力を与えます。幸い、私が戦った魔族の戦闘能力は高くありませんでしたので、与える力も少なくてすみます。本来なら天使の力を与えられれば、その力に耐えられるかどうかが問題になるのですが、力が少なければその危険もありません。いきますよ」
危険性があるとかないとかの説明をされたが、マラドラに拒否権などなかった。
クラディルの掌が光ると、胸に焼けつくような痛みが走る。
「どうですか?」
「こ、これは! 体の中から力が湧き出るようです! これほどの力があれば、あの魔族にも引けを取りません!」
沸き立つ力に歓喜の声を上げるマラドラに、満足したようにクラディルは頷く。
「ならば向かいましょう。魔王の疑惑がある魔族が勇者の末裔を連れて行こうしてしているなど、とても笑い話になりません。一刻も早く、汚らわしい魔族に裁きを」
「はっ!」
二人は、床に転がるミランダ母娘の遺体に一瞥することなく、ウルとアリシアを探すべく教会を後にしたのだった。




