第41話 逃亡
「エレナちゃん! ひっさしぶり」
「なっ、お前!」
ベンジャミンが片手を挙げて相変わらず元気で軽い挨拶をしてきた。それににっこり笑って返事をする前に、二人の上官さんが青筋立てて怒り出し、さっきの門番さんまで詰め寄った。
「ベンジャミン!? 貴様この騒動が見えないのか!?」
「門番長に至ってはお疲れ様っす! でも待ってくださいって! 事情があるんですって!」」
三人の年上に囲まれたベンジャミンは、その誰よりも頭一つ分飛び抜けていて、おやと思う。
「ねえロザリー。ベンジャミン背が伸びたかしら」
しばらく見ない間に随分と。成長期の男の子はこれだから。いや私だってこれから伸びる予定だけどね。
「私には分りかねますが……。恐らく、彼からすればお嬢様の鶴の一声の方が、今はどのお言葉より喜ばれると思います」
「鶴の一声?」
なんのことだ。
ロザリーと二人して取り残されている間に、男四人の話し合いは終わったらしい。中でも一番年長っぽいおじさん騎士様が私の前で軍人っぽい敬礼の姿勢をとった。
「この度はご不快な思いをさせてしまい大変申し訳ありませんでした。あの者……ステファンはつい最近入学してきた未熟者でして、どうかひとつお許し願いたい」
こんな小娘に頭を下げさせてすいません。あまりにも申し訳ないので頭を上げていただけると気持ち的にとても楽なんですけど。後ろのお偉い方も一緒に。
「ええ、ええもちろんですわ。あたくしも少し短慮が過ぎましたわ」
なんでこっちが知らない情報握ってんのかとか、それ知ってどうするつもりだったのかとか、色々聞きたいことはあるし場合によっては許すつもりはないけど。まあ一応、ちょっとばかし大人気なかったかなって反省はしてる。
「今はなによりジールお兄様に会わせていただきたいのですけれど……」
「は! それはそうですな」
明らかにホッとしたようなおじさん騎士様たちは、門番長とかいう方とふたりで成り行きを見守っていたらしいベンジャミンに視線を向けた。
「グレイフォード侯爵令嬢のお知り合いだという、このベンジャミンにご案内させましょう。よろしいでしょうか?」
「ご配慮感謝いたします。ベンジャミンはあたくしのご友人ですの、ソフィア王立学院の。どういうわけかここに、いつの間にか、通っていらっしゃるご様子ですけれどね。ジールお兄様も」
「ジールのやつ、またエレナちゃんに相談なしかよ……」
おそるおそる「怒ってる?」と聞かれた。
まさか、怒ってないってば。言葉足りねーなとは思ってるけどね。
あ。
「ご卒業おめでとうございます、ベンジャミン様?」
「怒ってんじゃんー。ごめんね、言う暇がなくてー。謝るから『様』はやめよう?」
あとでキャンディーもあげるから。
泣き落としにはそうそう揺らがないけど、まあベンジャミンは友達だからね。キャンディーで手を打とうじゃないの。
「じゃあエレナちゃん、まずジールの部屋な。あ、侍女殿、荷物持ちますよ!」
そう言って、ロザリーが持っていたバスケットをごく自然な動作でさらっていった。一瞬驚きの表情を浮かべたロザリーが、すぐに口元を引き締めて軽くお辞儀をした。
「ありがとうございます。申し遅れました、ロザリーです」
「ベンジャミンっす。俺、庶民の農家出身なんでそんなかしこまらないでください。たぶん、ってか絶対ロザリー殿より身分低いっすよ」
「お嬢様のご友人にとんでもございませんわ。いつもエレナお嬢様を本当にありがとうございます」
なんだその挨拶。まるでベンジャミンにお世話されてるみたいじゃんか。いや実際そうだけども。そこは否定できないけど。だけど友達って言ってんのに。
「いやいやいや! こちらこそエレナちゃ……お嬢様にはよくしていただいて」
「ふふ。どうぞ、私の前ではいつも通りでよろしいですよ」
ロザリーが、微笑んだ……だと?
この希少性に気がつかないベンジャミンは「はぁ」となんとも間抜けな返事をしていた。
もう!もっとうちの侍女の可愛いさを引き出した己を誇って!最近の私じゃ怒り顔しか引き出せないんだから!
「あー、ところでエレナちゃん」
門から少し離れた棟に入って、大きな螺旋階段を登っていくと一気に静かになった。扉がいくつも並ぶ廊下は、隣同士がとても狭くまるでマンションのよう。
「ひとつ質問があるんだけど」
「よろしくてよ。なんですの?」
番号がふられたドアをいくつも通り過ぎながら、ベンジャミンがなんとなく言いにくそうに口を開いた。
「さっきステファンに、一生自分を守らせないって言ったんだって?」
なんの話だ……?
あ、さっき言い過ぎたやつか。いや、まあなんかちょいちょいセリフが違うけど。
「案内をさせない、と。まあ概ね合ってますわね」
「そっかー。あーあ。あいつもなぁ、馬鹿だよなぁ。知ってたけど」
なぁに?そんなに貴族の娘を案内できなかったのがダメなこと?
首をかしげる私に、ベンジャミンは「やっぱわかってなかったか」と苦笑する。
「ここは魔法騎士だけでなく普通に騎士になりたい奴も来るんだ。ステファンはそれだけど、天下のグレイフォード侯爵令嬢に睨まれた騎士なんて誰も使いたがらない」
……実質、未来が断たれてしまったということだろうか。
やだ、私とんでもないことしでかした?
「まあ、あれはステファンが悪い。いつまでもガキの遊びをしてるから痛い目みろって俺も思ってた」
いやいや、あまりにも大きすぎる仕打ちじゃなかろうか。
ちょっとあとでちゃんと訂正しておこう。権力を無意識に振りかざすとか冗談じゃない。こんなところで悪役令嬢っぽいことして恨み買ってたまるか。
「あ、ほらここが俺とジールの部屋だ」
話しているうちに廊下の一番突き当たりに辿り着いたらしい。ピタリと足を止めたベンジャミンの前には、他と変わりのないドアが一枚。
「えっ、ど、同室ですの!?」
「まあなぁ。だって、あんな我儘坊っちゃま、怖がって誰もまともにルームメイトになってやれないってわけ」
言いながら、コツンとひとつノック音を響かせただけで、ベンジャミンは遠慮なくドアを押し開けた。
「あ、ちょっと待ってくださいませ! おかしくないですか!? だって、ジールお兄様がお父様に呼び戻されたのは昨日ですのよ?」
昨日今日でルームメイト決めなどするだろうか。それにさっきのステファン少年の面白がり様。
勘当に興味持ってる風に見えたのは、十中八九そのことを仲間に言いふらすネタができたと思ったからだろう。
「考えたくはないですけれど、もっとずっと前からここには来ていましたの?」
「あー」
気まずそうに目をそらす、ベンジャミンのそれが何よりの証拠だった。噓でしょう……。
「ったく、なんも成長しねぇなあの不良貴族。──おいジール、妹悲しませんのもいい加減にしろよ」
バン、と開け放ったドアの先にジールが──いなかった。
「……」
「……」
「……あんの、クソガキ」
滅多に聞かないベンジャミンの、乱暴な言葉遣いだけが魔法道具の散らばった部屋に響いた。




