第53話 おそれ
腕を引かれなかった。
いままでのフレデリク様だったら間違いなく私の手を取って歩いてた。
あーあ。完全にご機嫌を損ねてしまったなぁ。全く、やろうとしてたことの反対をしちゃうなんて、エレナちゃんってばうっかりさんなんだから〜。
ごめんなさい私のせいですね。はい。
はてさて、それで私は一体どこに連れてかれるんでしょうか。着いてってるだけだけど。歩くの速いなぁ。どこまで行くのかなぁ。いい加減疲れてきちゃいました。
「……あの、フレデリク様」
「なんだ」
不機嫌な声。
いい加減機嫌なおしてくださいよ、うっかり存在忘れちゃってたのは謝るからさあ。
なんてことは、王子様相手に口が裂けても言えないので黙る。その代わりに、そっと小さくお伺いした。
「あの、どこへ向かっているのでしょうか」
温室にミザエラを置いてきて、そのまま校舎に入るかと思いきや、裏庭を抜け、東屋の横を通り、外の回廊を横切って、正門側へ来た後今度はやっと校舎の中へ入ろうとしている。正直、ただぐるぐる学院の敷地内を歩いてるとしか思えな──。
「さあな」
え。
え、いやまじか。なんの目的もなく歩いてたの?どういうことなの待って待って。
「あのう、フレデリク様?」
「なんだ」
一度も振り返らない小さな黒い頭。
もしかして、怒った腹いせに私のことを体力の限界まで連れ回そうとしてる?え、それはさすがに子供っぽすぎないか?最近まで九歳児に見えないほどキレッキレの推理力と王子力を見せつけてきてたのに?
「申し訳ありませんでした、フレデリク様。いくらミザエラが可愛──じゃなかった、焦っていてかわいそうだったと言えど、あなた様のことをないがしろにするような真似をして」
とりあえず謝ろう。
なんだかんだ、きっとこの王子様の自尊心を傷つけてしまったのだろうし、当初の私の目的は彼のご機嫌とりだった。とにかく目的達成をしないと。
「……それは、もう良い」
え、いいの?
いや、よくないって綺麗なお顔いっぱいにはっきり書いてありますけど。
「おぬしにとって、あのミザエラとかいう娘は大切なのであろう。愛する者が大事にしている全てを、おれは受け入れる」
あら。
相変わらず不機嫌極まりない王子様だけど、言っていることはなんて素敵なんでしょう。
「おぬしがおれを一番に思っておるのならば、気にすることではないしな」
うーーーん!
ああ、もう、どうしようこれはもう決着つけたほうがいいのか?こっちからしたら完全なる政略結婚だし、可哀想過ぎないだろうか。
………………いや、早まるな私。
よく考えたら、あと数年足らずでこの王子はヒロインに鞍替えするはず。そうすれば自然と婚約解消だ。
初恋なんてものは実らないっていう、昔からのセオリーだしな。まあ、大丈夫か。
「そうであろう、エレナ?」
「……ええ、まぁ──、」
「やあ、テスラ伯爵令嬢」
迷った末の私の肯定を、唐突に何者かの声が遮った。
え、テスラ伯爵令嬢?って、待って、この声って──。
「兄上?」
訝しげにフレデリク王子が呟いて、同時に立ち止まったから私も自然とそれにならう。
彼と私の、まっすぐ視線の先、にこやかに笑うロベルト殿下と、それに声かけられたのであろうマルガレータ様が頬を真っ赤にして深々と頭を下げていた。
うわぁ、恋する乙女〜……。
私や他の庶民を見下すような目などもちろんしていなくて、その大きな鋭い瞳にハートすら浮かべているように見える。
え、なんで頭下げてる人間の目が見えるかって?そりゃ、あんなにチラチラロベルト殿下を見上げていたらいやでも目に入るでしょうよ。礼してる意味あんのかなあれ。もはや潔く顔上げてガン見してりゃいいんじゃね。そんなことしようもんなら不敬罪とかになるのかもだけど。
「あ、あ、殿下に起きましてはご機嫌麗しく、」
「ああ、いいよ。そのような堅苦しい挨拶は」
震えるか細い声をロベルト殿下がやんわりと遮った。
マルガレータ様、そんなしおらしい声出せたんだね。殿下からお許しをもらえたと思ったのか、満面の笑みとともについに顔を上げた彼女に、私が表情を固まらせた。
いや、礼儀とかなんとか私が言える立場じゃないし、むしろ何がどう礼儀正しくなるのかわからないから、そういうことで固まったんじゃない。第三王子も、目の前にいるマルガレータ様も気づかない。ただ、私だけが気づきたくもなかった腹黒王子の本性を、垣間見てしまった。
「長く話したくはないからな」
変わらぬ笑顔で、至極冷たい声。
やっとの事で、ロベルト殿下の様子が変わっていることに気づいたマルガレータ様の顔から徐々に色が失われていく。それを眺める、なんと楽しげで恐ろしい紫色の目なんだろう。
見てるこっちが、しんどい。
「随分と、淑女らしくないことをしているようじゃない。なあ、マルガレータ・テスラ?」
「な、なんの、」
「ああ、シラを切るつもりかい? うん、それもよいだろう。こちらにはなんの証拠もないし、言及するつもりもない。ないのだけれどねぇ」
流れるように、まるで私をふざけた文句で賛美していた時のように、口にしている言葉が冷たく胸に落ちるようだった。
「僕はそのつもりはない。だけど、あいつは許さないみたいだからね。この間、全ての根回しを完成させているのを見たからねぇ。……覚悟しておくことだね」
なんの話をしているのか。
全くもってわからないから、余計に怖い。何あの少年の、得体の知れない怖さは。私は、何に怯えてるんだ。
「それだけ、言いに来たのだよ。君は僕を慕ってくれているようだから、ほんの少しお返しをと思ったまでさ。では、僕は仕事があるので」
絶対違うだろ。
とってつけたような理由で、本当はあのマルガレータ様の怯えきった顔が見たかっただけだ。あの王子の趣味嗜好、それから何よりあの目を見ればわかる。
その場から去る、未だ成長途中らしい、けれど少しも隙の見えない背中を眺めながら、マルガレータ様もそれからフレデリク殿下も呆然と立ち尽くしていた。
しばらくして、マルガレータ様が学院を辞めたらしいということをミザエラから聞いた。




