第44話 余計な一言
それもこれも、全てはあのカミサマもどきの厄介な第一王子のせいである。
なんてことを口に出して言ってしまうと、ロザリーやお父様に盛大に叱られ、お兄様にも困ったように眉を顰められてしまうから絶対に愚痴らないけど。
王宮に向かう馬車の中、キラキラふんわり大きく広がる派手なドレスの下でぎっちぎちに締めげられたお腹の苦しみを我慢しながら、そんな恨み言を脳に反芻していたら、向かいから声がかかった。
「エレナ、どうしたのそんなにも不機嫌そうに」
今日エスコートしてくれるお兄様が苦笑していた。
聞いてなかったお兄様には私が王宮行きをいつも不満に思っていることを知られてしまってるから、表情を取り繕うようなこともしないでいたけれど、さすがにちょっと表に出しすぎたみたい。
慌てて居住まいも正してにっこり笑って見せた。
お兄様にはいつも『なんて愛らしい笑顔なんだろうね』って言ってもらえる、甘えきったその表情。これすると大抵のことは許してもらえるって最近気づいて、それ以来よく使うようにしてる。
ジールには一切効かないけどね、これ。
「ロザリーが目一杯コルセットを締めるんですもの。あたくし、どうしても苦手で」
ごめんロザリー。仕事でしょうがなくやってるってわかってるんだけど。ごめん言い訳に使わせてくれ。
「エレナもこれから社交界デビューすれば、どんどん舞踏会に出る機会が増えるからね。今のうちから慣れておかないと」
げ。まじか。
なに、社交界デビューって。これ以上増えるって地獄でしかない。絶対コルセットになれる日は来ないんですけど。しかも、締め付けられてるとお腹にあんまりもの入らなくて、目の前に美味しそうなご飯やスイーツがあるのに手が出せなくなるんだもん。なんの拷問ですか。
「そろそろ着くからね。表情を作って」
……はあい。
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王宮は相変わらずのきらびやかさで、それからくらりときそうなほどの香水の香りでむせ返りそう。
私だって髪に香油着けてるから人のこと言えた立場じゃないけど、それにしたってもう少し自重してほしい。
「サイラス君、やあ」
「ああ、伯爵」
会場に入ってしばらくして、お兄様のお知り合いなのか中年の男性が声をかけてきた。それに対してにこやかに挨拶したお兄様は、そのまま話しはじめてしまって私から少し意識が離れた。
今のうちに、ちょこっと向こうのケーキを取りに行ってもいいかな。お兄様と一緒にいると目立っちゃってケーキを食べるどころじゃなくなっちゃう。
こういうところでイケメンって損よね。いや、お兄様のお顔は好きだけれど。
そおっと、バレないように足を滑らせた、その瞬間。
「エレナ!」
悪夢再来。
前もこんな風に呼び止められた気がする。
ギクリと引きつった肩を無視して慌ててその場を離れようとして。
「フレデリク殿下」
お兄様がいち早く気がついて頭を下げてしまった。周りの人たちや、お兄様と話していた中年男も一方向にお辞儀をしている。逃げ場は絶たれた。
「……ごきげんよう、フレデリク様」
「堅苦しい挨拶など辞めよ。おれとエレナの仲だろう」
どんな仲でしょう。私知らないうちに第三王子と仲を深めてしまったのかしら。
「おれがエスコートしてやれぬのが惜しい。早く社交界デビューをせぬか、エレナ」
「うふふ、お戯れを」
ギョッとしたような気配がお兄様の方からした。ごめんなさい、これがデフォルトなんです。王族とかこの際目を瞑らせてください。だめ?そう。
「釣れぬな。そこもまた良いのだが」
むう、とおし黙る第三王子は、しかし一転笑みを浮かべて周囲を見渡した。
「ところで、お主の兄はどこにいる?」
「え? あたくしの後ろ──」
「ジールめ、おれの魔力を察知して、いつも逃げおるのだ。まあ、おれもあやつも魔力が高いからな」
空気が変わった。
騒がしさも熱気も特に変わってはいないけど、強いていうなら私の背後の温度下がった。
それに気づいてるのは私だけなのか、第三王子はなおも話し続ける。
「天才と居るのは居心地が良いのだ。だというに、ジールはおれの側に侍らぬ。まあ、エレナとの婚儀が済めば縁続きになるから──、む。誰だおぬし」
やっとのことでお兄様に視線をやってくれたらしい第三王子だけど、発言がダメだった。
嘘でしょ仮にも婚約者の兄だぞ。わからないのか?あんなに好きとか言っといて?……あ、いや好きとかは言われてないか。ちょっと自意識過剰すぎた今?
じゃなくて。
婚約者の家の長男覚えてないとか、問題すぎるでしょねえ。
「……サイラス・グレイフォードと申します。グレイフォード侯爵家嫡男で、そこのエレナの兄──」
「おお」
そこでやっと心得たというように第三王子が頷いた。
「ジールの兄か。そうか、まああやつほどではないにしろ、魔法を扱えるのだろうな」
満足げに一番言っちゃいけないことさらりと言ったぞこいつ……!
お兄様の纏う空気が今度こそガラリと変わった。
怒り?憎悪?わかんない、でも!怖くて振り返りたくない。
「ワルツだ。エレナ、踊ろう」
さっさと興味をなくしたらしい第三王子は、流れてきた音楽に私の手を取った。今回ばかりは心の底から感謝して、足早にその場を離れた。
もー、なんでこう余計なことをー!
お兄様はただ黙って礼の体勢で私たちを見送っていた。




