第43話 使用人というもの
恐れ多くもお嬢様の寝室で一夜を明かしてしまった早朝。
人気のない廊下をひたひたと進むうちに、ふと気配を感じました。
「……趣味が悪いわよ、ウィリアム」
振り返らずに言えば、ため息を吐かれた。一体なにかしら。全く、後ろから近づく癖はいつになっても変わらないんだから。
「もう大丈夫? ロザリー」
「もちろんよ。ご心配どうもありがとう」
ちょっとした嫌味のつもりだったのに、横に並んだウィリアムは明らかに安堵したように肩を落とした。
「よかった。どうなることかと思っちゃった」
心配のしすぎだわ。
この人はいつもいつも、私に過剰な心配を抱きすぎる。それこそ、職務をおろそかにするまでに。
今まではジール様の理解があり、お嬢様が寛容でいらっしゃるから良いようなもので、そうでなければ身内でもない女にかまける執事なんて即刻クビよ。
何度忠告してあげても懲りないのだから、ジール様もそろそろこの男を解雇してもよろしいんじゃないかしら。
「何しに来たの?」
「君の元気な姿を見に」
間髪を容れずに返されて、さしもの私も閉口してまじまじと男の顔を見てしまった。
「何?」
「だって……、あなたそんなに私に執着してたかしら」
自分で言うのもあれだけれど。
思わず口から出た失言にしまったと思う間も無く、男は人のいい笑顔を浮かべた。
「なあ、ロザリー。君、なぜあのお嬢様から離れなかったんだ?」
「は?」
何を言いだすんだろう。
もうそのことはウィリアムには話したと思ったのだけれど。ニコニコと読めない彼は、何を考えているのかわからない。
「まあ、聞いたけどさ。そうじゃなくて、もう引き時じゃないかな。お嬢様も坊っちゃまも、闇の精霊と契約なさった。君の体質やお嬢様の性格を考えても、あの方のそばに仕えるメリットなんてないだろう?」
お嬢様の影に隠れていた精霊は、深いところまで闇に染まった正真正銘『向こう側』の精霊だった。
私の、いわゆる相性がいい精霊は光の精霊。本当だったら闇の者たちが私を畏れるはずなのだけれど、そうはいかない理由があった。
私の腕には傷がある。醜く黒ずんだそれは、幼い頃に闇の精霊によってつけられたもの。そのせいで、彼らの魔力に耐えられない身体になってしまった。
そっと、無意識のうちに左の二の腕を押さえていた。ハッとした時には、ウィリアムの視線が何か言いたげによこされていた。だから、その口を開かせる前に慌てて言葉を紡ぐ。
「……確かに、こうなってしまっては私はもう無闇矢鱈とお嬢様に近づけなくなってしまいました。けれど、それとこれとは別の話」
「別の話ではないだろう?」
黙っていてはくれないのかしら。過保護に私を心配するくせに、どうしてこうも私の思い通りにいてくれないのかしら。
……なんて、一体私はウィリアムの何であるつもりなのかしら。
この男は私の何であるつもりでいるのかしら。
「私は、あの方を好ましく思っているの。私自身の気持ちで、あの方のそばにお仕えしているの。あなたに何かを言われる謂れはないわ」
ぴしゃりと言い放って、さっさと背を向けた。そもそも今はそんなことをこの男と言い合っている暇はないのだ。
私のせいでお嬢様にはご迷惑とご心配をおかけしてしまった。その上、まだ宮廷へ上がるためのドレスの準備もできていない。やらなければならないことが山積みなのだ。
「……あなたが損得の気持ちをジール様にまで抱いているのなら、それはそれでいいわ。けれど、職務を全うしないのであれば、私は今後一切あなたの顔を見ることも言葉を交わすことも拒否させていただきますから」
歩き出した私には、男がどんな表情をしていたかなど知るすべはなかった。しかし、どんな感情を抱こうとも、今はまだ私たちは使用人。仕えるべき主人に忠誠を誓えない人間を、私は認めることなんてできないもの。
小さくひとつ、ため息をこぼして廊下の角を曲がった。




