第42話 魔法
目の前の現実が受け止められない。
ロザリーが突然、糸が切れたかのように倒れてしまったのもそうなんだけど、それ以上に浮かび上がるその彼女の身体と、私の両手に呆然としてしまう。
え、あれ。私の手が光ってるのは幻覚?ロザリーが浮かんでる。それは?
《なんだ。小さな姫君。やっぱり君も魔法が使えるんじゃないか。それにしても、浮遊の魔法とはとても高度な──》
「ペラペラ説明してないで! ねえ! わかるでしょ!?」
《え、あ、ごめん》
若干腕がプルプルしてきた。ルプスが言うように本当に私の魔法なんだとしたら、たぶん、いや確実にこれは気を抜いたら力が切れる。
はじめて魔法使ったときを思い出す。
あんときはジールがいたからドレスが濡れなかったけど、今この場にジールはいない。その上、水じゃなくてロザリーなんだから、落としちゃまずい。
だけど、どうする。
下手に動いたら絶対魔法切れるし、かといって魔法の扱い方もわかんない。降ろすのどうすればいい!?
「ルプス!」
《ワタシが近づいたら、侍女殿は魔力が削れて死んでしまうかも》
マジか。なにそれあんたなんで出てきた。いやそんなことは今はどうでもいい。
やだもう本気で私でどうにかしなきゃ。
息が上がってきた。魔法ってキツくない!?なんでジールは涼しい顔してあんなにたくさん使ってるの!?
がくん、と腕が少し落ちた。
あ、やば!と思ったのもつかの間、ロザリーの身体も同じだけ落ちた。うわああぁ!
……って。
「…………あ。なんだ」
試しにそろりと横に動いてみたら、一緒にロザリーもついてくる。
これ、私が動けばロザリーも動いたぶんだけ移動するんじゃね!?なんて簡単なの!
一歩一歩、スライドするみたく歩いてって、寝室までなんとか入って、そっとそっと私のベッドに乗っけて。
「お、おお〜〜」
できた!
やだちょっと!私できたんだけど!すっごい疲れたけど!大丈夫この疲れ方。しんどいんだけど。
「ルプス見て──」
いない!
あれっ!ちょっとなんでよ!私の頑張り誰も見てないの!?はあ!?
ってか元凶!どこ逃げやがった!
「ロザリー!」
「わあ!」
声が先。ついで忽然と現れた長身の男、ウィリアム。
「ウィリアムてめぇ俺より先に行くんじゃねえ!」
そんで当然のように現れるジール。
なにこれ私が慣れなきゃいけないの?人が突然何もないところから出てくることに?
私の寝室に降り立ったジールは、そばまでゆったりと歩み寄ってきて、その少し伸びた金髪の隙間から薄青の目を覗かせた。
「つーか、何やってんだよお前は」
「えっ」
ジールの目は相変わらず無表情だったけど、どこか怒ってるようにも見えた……。
「近づくのがロザリーにとってどんだけ危険か、知ってたろうが」
え、いやだって、でも、その。
「…………ご、ごめんなさ」
「ロザリー! 気づいたかい!?」
遮ったのはウィリアムの悲鳴のような安堵の声。はっとして見れば、起き上がろうとしてるロザリーと目があった。まだその顔は蒼白で。
「お嬢様、申し訳ありません」
なぜ謝るの?
謝るのは私の方じゃないの?
「ロザリー、ちょっ」
慌てたようにウィリアムがロザリーを制止する。だけど、その薄い肩にかけられたウィリアムの手は、ぱしりと払い落とされた。
「貴方も謝罪なさい。ジール様への態度もさることながら、今のお嬢様に対する態度、私は許しませんよ」
冷たーい声と共に軽く睨んだロザリーは、次いで未だ良いとは言えない顔色でジールに向かってほんのり苦笑した。
「ジール様はお優しいお方ですね。私のような使用人をお気にかけてくださるだなんて」
「……ちげーよ。……エレナが、気に入ってるから」
「光栄なことです」
なに?え、どういうこと?
あっ待って、なんでベッドから降りようとしてるの?まだ寝てて!「エレナお嬢様もお優しいですね」じゃなくてね!?
って、私が近づいたらまたロザリーが倒れちゃう?
「では、お嬢様。申し訳ありません、お側へ来てくださいませんか?」
困ったように小首を傾げるロザリーに、私も困ってしまう。でも、だって。
「わ……あたくしが、近くへ行ったら、また……」
ジールを恐る恐る見上げると目を瞬かれた。え、なにその表情。さっきまで怒ってたじゃん。
「なんだよ」
なんだよ!?
どういうことなのちょっと!
「……あー、ナルホド。いや、ちっげーよ馬鹿か」
「馬鹿!?」
ついに口の出た言葉は、しかしジールに完全無視された。
その場にしゃがみ込むと、自分の影に手をつきなにかを掴んだ。
《いたたたたっ》
「この馬鹿犬に言ってたんだよ」
引きずり出されたのはジールの影の中に入ってたらしいルプス。
いやわかるか!!
「なんで悪くないやつ怒んなきゃなんねーんだ。エレナ、お前も簡単に謝るんじゃねェよ」
いやいやいやいや。
「どう考えても、明確に名前を呼んでくださらないのにあたくしを見ておっしゃった、ジールお兄様が悪くありませんこと!?」
「その調子だよ馬鹿」
「馬鹿じゃありません!」
もー!ちょっと、本気で泣きかけたじゃんか!わかりにくすぎる!
「なんでそんな、俺に言われること気にしてンだよ」
本気で不思議そうな顔したジールをぶっ飛ばしてやりたくなる。
《そんなの、小さな姫君が少年のことを『大好き』だからに決まってるでしょ》
から、ルプスの顔面をぶっ飛ばしてやった。
「な・に・を言ってんだふざけないで」
《ごめん》
「謝るくらいなら言うな」
呆気にとられてぽかんとしてるジールににこりと笑いかけて誤魔化した。
そうしてくるっと踵を返すと、ロザリーのもとへ駆け寄ってその膝にしがみつく。
「ロザリー!」
「ご心配おかけして申し訳ありません」
「そんなことない! あたくしこそ、ごめんなさい。ロザリーが闇の魔法に弱いことを知っていたのに」
正直、こんなに大ごとだとは思わなかった。次からはちゃんと気をつけないと、ほんとにやばい。
そうして、最後まで渋るロザリーに休暇を無理やり与え、私はジールお兄様の部屋に押しかけた。




