第38話 使い魔
夜も暮れた頃、ただの円に戻った魔法陣に再び戻された私の隣に、例の精霊が座ってた。
やっぱり犬というには大きくて、ウィリアムが置いてくれたクッションに座る私より視線が高い。ってそれはいいけど。
「ジールお兄様!」
「我慢しろよ。ミザエラの呪い解くんだから」
そしたら不満そうに隣からパタンと尻尾を打ち付けられた。いや、尻尾ってか尻尾のようなもやもや。
《我慢とはなんて言い草だい、ご主人様》
「順応性高くないかしら、闇の精霊様」
そう返せば、ふんっと顔を背けてその場に伏せだす。ふて寝か。可愛いかよ。
《なんでワタシがこんな子供の使い魔なんかにならなければならないんだ》
「えっ、使い魔?」
《そーだよ。あそこのお坊ちゃんのお陰でね》
「次にそのふざけた呼び名で呼びやがったら燃やしてやる」
《そうしたら、ワタシと感覚が共有されてる姫君も、燃えることになるんじゃないデスカ?》
したり顔(のように見える)をした精霊は、しかしジールに鼻で笑われた。
「バーカ。一方的な感覚共有に決まってんだろ。なんでお前が傷ついたらエレナも傷つくような、リスク高い契約結ばなきゃなんねぇんだ馬鹿か」
すごい言い草。馬鹿って二回言った。セリフが敵側のそれそのもの。
《なんでワタシがニンゲンの娘を守らなければならないんだ》
「嫌ならいーけどな」
《……悪魔め》
いや、闇の精霊が悪魔ってあなた。
「使い魔の初仕事だ。働けよ、犬っころ」
《犬じゃない》
「じゃあ名前晒せよ」
《……………………ルプス》
瞬間、ウィリアムが息を呑んだ。驚いたようにその黒目を丸くしてる。
「闇の精霊が真名を明かすとは……」
《仕方がないだろう。全てを少年に握られてしまってるんだから。いつか君が弱ったときに契約を壊して食べてやろう》
「言ってろ」
もはや取り合う気もないらしいジールが、空中に手をかざした。そうしたら、金色の紙と羽根ペンが表れて、空中に浮かんでる。
『我が名はエレナ・グレイフォード。契約精霊の名はルプス。我らが肉体と魂の結びつきにより、ミザエラ・ホワイトにかけられた全ての禍を無効化する』
唐突にジールが呪文を唱えはじめた。
紙が一層輝いて、その上をペンが滑って何かを書き込んでいく。
《……兄がバケモノ並みの魔力を持っていて助かったねぇ。弱くて小さな姫君。じゃなきゃ協力もしないし、即食べてしまったよ》
ぼんやりと眺めていたルプスがポツリと言った。それに思わず首をかしげてしまう。
ジールが天才じゃなかったらそもそもこんなことしてないんだけどな。
「逆に、ジールがバケモノ並みの魔力を持っていて、運が悪かったねって言ってあげたい」
《やだこの兄妹》
今度こそ伏せって顔まで手で隠してしまった。
思ってたより怖くなかったし、むしろ可愛い。
「ぼさっとしてんな犬っころ」
《自分の呼び方はこだわるくせに、相手のは覚えないんだもんなぁ……》
はいはい、と起き上がったルプスが前足を出すとさっきの紙が飛んできた。それにペトリと触った瞬間、紙が弾け飛んで粉々になった。
と、思えばざぁっと集まって鳥の形になると、あっという間に壁を突き抜けて飛んでちゃった。
「なにあれ?」
「あれでミザエラのところへ飛んでって、今呪いが無効化になってる頃だろーな」
明日には学校来るんじゃねーの。
そう言うと、ジールは大きな欠伸をした。そういえば、結構時間経ってるよね。子供は寝る時間。
「ルプスって、背中に乗せてくださいますの?」
《ワタシ、闇の精霊様なんだけど》
「だって、ウィリアムの腕の中はジールお兄様がお使いになるもの」
「キモいこと言うな。歩くわ」
だけど、眠さと魔法をたくさん使った疲労で、もはや足取りが怪しいどころか瞼も閉じそう。
「ジール様、失礼いたしますね」
すっと近寄ったウィリアムが、ジールの反論を待たずに手をかざすと、かくんとジールの頭が落ちた。
「え、なにをなさったの?」
「魔法で少し眠らせました。熱中なさってるときはよくこの手を使うのです」
「そう……」
今度、ウィリアムにジールの扱い方でも習おうかな。
《自然に背中に乗るの、やめない?》
「言葉に覇気がありませんのね」
《君が弱ってるからね。体力をつけてほしいよ、ワタシのためにも》
うーん、その辺はちょっと無理そう。
♯
ジールの言う通り、ミザエラは元気に学校へ来て。
「エレナ様! 申し訳ありませんでした! 私、私本当に取り返しのつかないことを……!」
「ええ、あの、わかりましたから、ここで泣くのはおやめになって? ねっ?」
「あぁ、エレナ様ぁぁぁ!」
大号泣。必然的に周りに注目も集まりまくり。やめてーー!
「ミザエラ・ホワイト」
ビクッと、ミザエラの薄い肩が跳ね上がった。
元々細い子だったけど、なんか今まで以上に痩せてる気がする……。
「貴様がしたことは重罪だ。エレナのために助けたが、次はない。わかったら、仲間の名前をさっさと吐くことだな」
「えっ」
「な、かま?」
いろいろびっくりなんだけど、なにその話し方。いつもの口の悪い雑な口調はどうしたの。
あぁ、待ってこれ外用なの?外面なの?え、一応分けてるんだ?
「誤魔化すことも自由だが、その場合は法外処置をとる」
おい、法外処置ってなんだ!それこそ犯罪じゃねーか!
「お、お待ちください! わ、私、わたくし、その、なんのことか……」
「この後において庇う理由は知らないが、殺し屋雇う金が貴様の家にあるとは思えない。しかもあれは、大したことなかったが、一応はトップクラスのプロだ。相当の金持ちか貴族でないと手が出せないはずだ」
「こ、ころし、や……?」
人の唇がリアルに震えてるのをはじめて見た。
真っ青を通り越して、完全に色をなくしたミザエラの顔に、ふとマジで知らないんじゃないかって気がした。
「ジールお兄様。ミザエラも怖がっていますし、あたくしも気にしていませんから、もう許して差し上げて」
ハッとしたようにミザエラの大きな目が向けられた。涙で潤んでとっても綺麗。なんて、今じゃなかったら言ってたんだろうな。
「……甘ぇな」
そんなことないと思う。
舌打ちをした後は、そのまま今までの感情を全部、無表情の中に仕舞い込んじゃったみたい。
「犬っころから離れるな。しばらくは俺がいないときは余計な行動すんなよ」
耳元でそう言って、ジールは自分の教室に戻ってっちゃった。
今日からまた、ジールが迎えに来てくれるらしい。それは、ちょっと今回の騒動で良かったことかもしれない。
騒動は半分ほどしか解決してないけど、それでもスッキリした気分で進級した私。
待ってるのはストレスフリーな学院生活──の、はずだったのに。




