第29話 暗殺
なにがきっかけになってもおかしくなかったんだろう。
そう、今になって思う。
だけど、あのときは突然すぎて、何が何だかわからなかった。
授業が終わって学院の門の所でサイラスお兄様を待ってた。そしたら見慣れない馬車が来て、当然のように従者に手を引かれた。
「え、あの、どなたですの?」
「おや、お聞きしてませんか?」
従者は優しそうにニッコリ笑った。
「本日はお忙しいからエレナ様をお連れするように、とサイラス様から伺っております」
聞いてないぞそんなこと、と言う前に促された私はひとりで馬車に乗せられた。
知らない人についてっちゃいけません。
そんな私のお母さんの声も聞こえないで、ガタゴト揺られてた。いや、さすがに少しの違和感ぐらいはあったけど、なんだろう、疑わなかった。
血の迷いって本当にあるんだな、なんてどこか頭の隅で思ってた。その時点で察せない私の鈍さ加減よ。
不意に馬車が止まって、「あら今日は随分家に着くのが遅いのね」なーんて呑気に考えてたら、ガチャッと乱暴にドアが開かれた。
ぬうっと中を覗いてきたさっきの従者の男に、やっと激しく警鐘が鳴る。
「着きましたよ。……エレナ・グレイフォード」
私の中の『エレナ』が、なぜかそのときは表に現れた。暗い、なにも映らない目を向けられた。だけど、足がすくむどころかキッと眉を跳ね上げ立ち上がった。
「従者風情が、あたくしを呼び捨てる恥を知りなさい!」
ちょっと何言っちゃってるの、とは言えなかった。気がつけば、周りには何もない。屋敷に向かってると思ってた馬車は、全く見ず知らずの森に入って行ってた。
なにここ?こんなに暗くなるまで気がつかないって、そんなことありえる?
ざっと血の気が下がった。男はにまりと笑った。
「俺のちょっとした幻術魔法さ。天下のエレナお嬢様にも見抜けなかったようだ。うん、俺もあの気取った学院に通えそうだ。そんなの反吐が出そうだがな」
反吐が出そうなのはこっちだ。
おいこらいたいけな少女をこんな趣味悪いとこに誘拐しやがって、しかも馬鹿にされた。ただじゃおかない。
「お前のような下賤な者が、我が学院に入れるわけがありませんわ。考えも、下賤な人間にありがちな、粗末で安っぽいものね」
「小娘が、今に泣き喚いて許しを請わせてやるよ。……まぁ、そんなことしようが関係ないがな」
簡単に感情を左右されやすい性格らしい。苛立ちを見せた男は、しかしすぐにあの嫌な笑みを浮かべた。キモい。
エレナちゃん、エレナちゃん。
果敢に立ち向かうにも素敵なことですけど、そろそろお口にチャックしとかないとヤバい気が……。
「あんたも大変だな。女の恨みってのは怖いもんだ。俺はそれで金がもらえるんだから、大いにやってくれて結構だけどな」
「……一体、なんの話をなさってるの?」
「俺の仕事の話さ」
そう言って、腰元から抜き取ってきたのは、鈍い銀色に光る……、ナ、ナイフ。
「ひっ」
「あー大丈夫大丈夫ですよー。俺はプロだからな、痛くないように一瞬で終わらせてやるさ」
そんな気遣いいるかっつーの!
は!?ちょっと待ってちょっと待って、ねぇもしかしなくても、私今から殺されんの?嘘でしょなんで!?
さっきこいつなんて言った?「女の恨みってのは怖いもんだ」?えっなに、エレナちゃん、誰かに恨まれてるの?なんで!?
いやいやいや、エレナちゃんならありえなくもない話かもしれないけど、私が入ってからは特になにも……してなくない、かも。
もしかして、あの迷惑王子の婚約者になっちゃったから?
地味に人気なのよねあの子。なにがいいんだろ。顔はエドに似てて好きだけど。
って、現実逃避してる場合か。
「さあって、お楽しみの解体ショーでもはじめましょうかー!」
生き生きすんなぁ!
ちょ、まっ、来んな来んな来んな!解体ショーってなんだ!痛くないようにって言ったじゃん!いやどっちも望んでないけどさ!
え、ガチでやだどうしようなんで!?エレナの人生こんなとこで終わらせちゃだめでしょう!?こんなモブに殺られる悪役がいてたまるかっての……!
「おやめなさい! こ、この あたくしに、そのように汚らわしい手で触れようなど、不敬にもほどが──」
「あ?」
あんなに止まらなかったエレナの口が、ぴったりと閉ざされた。少しもなかった震えが、突然に止まらなくなった。
怖い。
空を飛んだときとは全く違う感情。
あのときのようにはもう、ジールは助けに来てくれない。きっと、誰にも知られずにこんなわけわかんない森で死んでくんだ。
……そしたら、『私』はどうなるんだ?『私』はどこにいくんだろう?
ゾッとした。
殺されるとわかったときよりも、得体の知れない思いがこみ上げてきた。
「あぁ。震えちまって。かーわいそうに」
少しも可哀想なんて思ってない、恍惚とした笑みに、心の中で変態が、と吐き捨てた。
最後の抵抗。身体はもう私のいうこときかなかった。
大きな硬い手にガッチリ肩を掴まれ、そうして、引きずり出された。
──────男だけ。
………………は?




