閑話 とある男子生徒
貴族がどうも嫌いだった。
威張り散らし、己の言葉が全てだと言わんばかりに下の者を平気で見下す。
だが、そんなことを大々的に口に出すことなど、貴族のおかげでメシを食ってる俺にはできはしない。
意気地がないわけじゃない。ただ、立場的に難しいと、そういうことで。
「なぁ、聞いたか!?」
「あれだろ、灰色公の話だろう?」
灰色公。
常に無表情、常にひとりを好む。そんな『彼』の睨みを避けるための、あだ名のようなものだった。
「新しい術式が完成間近なんだとさ!」
「見に行きてぇ!」
「やめとけ、機嫌でも損ねてみろ。あの方はその瞬間、途中でも放り投げるぜ」
興奮を抑えきれず、だんだんと騒がしくなる周囲にため息をつきたいのを我慢し、頭に入らない魔道書の文字をひたすらに追う。
爵位など意味がない、魔法がものを言うこの実力主義社会なこの学院で、全くもってそんな学院のルールが意味をなさないそのどちらもを手にした『天才』の男。それが、灰色公、ジール・グレイフォードだった。
「よう。お前は興味ないのか?」
ふいに、クラスメイトから声をかけられた。しかし、答える前に後ろから呆れた声で別の奴に否定をされた。
「クラス二位のコイツが興味あるわけないだろ。俺らと違って」
それより行こうぜ、とどうにかして気づかれずに野次馬する方法を相談しはじめたクラスメイトたちを視界に入れ、そのまま本へとまた目を落とす。
確かに興味はない。だがそれは、俺が『クラス二位だから』というわけではない。
入学時から三回級飛び俺たちのクラスに入ってきたジール・グレイフォードは、当然のようにクラス一位の座を攫っていった。今まで二位と超えられないほどの大きな差をつけて一位という称号を得ていた俺は、奴によって、絶望的な力の差を突きつけられた。
はじめての敗北。
なににおいても常にトップだった俺が、九歳にして生まれてはじめて。それも、ふたつも年下の男に。
悔しいから、などという子供っぽい理由で奴に興味がないわけじゃない。天才だということを認めているからこそ、今はまだ、アイツが造った魔法は扱えないだろうとわかっていた。
そう思うからこそ、俺はさらに勉強をする。
奴の隣に並ぶことはなくとも……、いや、隣などこちらから願い下げだ。なにが楽しくて惨めな思いを自分からしなければならないというのか。
まぁ、とにかく。
奴とは違うフィールドで、違う方向で、一位を取れるほどに力をつけるために。
「ジールお兄様!」
ハッとした。
思わず顔を上げたのはなんのためだったのか。
男社会と化してる中等科の優等生クラス。一位から二十位までの中で、女生徒はひとりだけ。しかもそのひとりは、男爵家の貴族のくせにお嬢様らしさなど欠片しかない、男より物を言う女。
そんな環境に、澄んだ柔らかな少女の声が響き渡ったのだから、その場にいた男たちは一斉に動きを止めた。
「ジールお兄様? あら? いらっしゃないの?」
それは、あのジール・グレイフォードの妹、エレナ・グレイフォードだった。
豪奢な金髪を高い位置でふたつに結び、意志の強そうなサファイアの煌めきで教室を見渡す彼女は、ただそこにいるだけで強烈な存在感を放っていた。
エレナ・グレイフォードだ。
俺が、一番嫌いなタイプの貴族の代表。高飛車で我儘、浪費家で親の権力を我が物顔で周囲に振るう。幼い頃に着いて行った父親の仕事場で、はじめて出会った彼女の印象はそんな感じだった。
「ちょっと、そこのあなた!」
「え、あ、僕? ですか?」
可哀想に、綺麗につり上がった猫目に見据えられたのは、靴職人の息子だった。まさにネズミのような見た目で、その見た目に寄らず臆病な少年だ。
「ジールお兄様はどちら?」
「えぇっと、研究室にいる、ます」
ろくに敬語など使ったことがないのだろう、ビクビクしながら違和感のある言葉を必死になって紡いでいる。
「そう。それじゃあ、案内して」
当然のように言い放った少女に、思わず立ち上がった。教室の後ろ、ほとんどが立っている中では目立つはずもない。しかし、彼女の大きな目は真っ直ぐにこちらを射抜いてきた。
どくり、と。
「……、」
「エレナさん」
何かを言おうとしたのか、はたまたただ唇を動かしただけか、そんな少女を遮ったのは、俺の後ろにいた女の声。
「あ、アリスさん! ジールお兄様と同じクラスでしたの?」
「ええ。お兄様の元へは私がご案内しますよ」
「まぁ、ありがとう」
瞬間、明らかにホッとした空気が教室中に流れた。なぜか知り合いらしいアリス・エルバートと共に消えた少女のあとを、追おうとする人間はここにはいなかった。
……なんだったんだ、今の。
俺は一体、なにを思った?
いつだったか、そう、はじめて出会った九歳のとき、あのときと同じように目が合った、ような気がした。それだけなのに。




