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第8話 ロザリーの心配事

 


 ──思い出すのは、ひと月前。


 無情にも閉じられた扉を見つめる、その背中はひどくお寂しそう。

 けれど、くるりと振り返ったお顔は、隠されない不機嫌さでいっぱいでした。


「あたくしのことが嫌いなら、最初からそばになどいなければよろしいのに」


 私たちにとっては『仕事』なのだから、好きも嫌いもないのだけれど、目の前の小さな主人も、出て行ったメイドたちも、そのことに気づいてはいないようでした。


「ミルクティー」

「只今」


 ぼすん、とソファに腰掛けたお嬢様は、テーブルの上のビターチョコレートを手に取り口いっぱいに頬張った。……少し、甘めに淹れましょう。

 人がいなくなった部屋には、カチャカチャという陶器の音しか響きません。魔法を使って一気に蒸らした紅茶に、たっぷりのミルクと砂糖を加えて、お嬢様の前へと置きました。


「ねぇ」

「はい」

「…………なんでもありませんわ」


 呑み込んだお言葉は、『なぜ残ったの』でしょうか。

 お嬢様はきっとお寂しいのです。

 旦那様はサイラス坊っちゃま以外にはご関心をお持ちでない。奥様も物を買い与えるのみでお嬢様には目もくれません。

 そんな中、サイラス坊っちゃまのお優しさが、実はジール坊っちゃまへのただの対抗心だと、そうお気づきになってしまったら、お嬢様はどれほど落胆するでしょう。

 その、ジール坊っちゃまなどはお嬢様への嫌悪感を全面に出しておられる。


『あたくしの命令がきけないメイドなどいりませんわ! 皆、出てお行きなさい!』


 あれは、本心であったのでしょうけれど、もし本当に全員いなくなってしまったら、お嬢様はきっともう人と触れ合わなくなってしまうでしょう。

 私ひとりくらいはお側にいて差し上げなければ、あまりにも不憫ですもの。

 それに、お嬢様にだってお可愛らしいところはあるんですよ。生来の性格が邪魔をして、なかなかお目にかけることは叶いませんけれど。




 ♯




 ソフィア王立魔法学院での入学式が終わってすぐ、お嬢様の制服が届きました。中身を取り出して差し上げると、小さな歓声が上がります。

 白地に金のラインが二本入ったスカートに、同デザインで宝石でできたダブルボタンが四個付いたベスト。そして、シルクでできたシフォンブラウス。小さな箱にはボルドーのリボンが入っていました。


「綺麗」


 思わず、といったご様子のお嬢様に自然と笑みがこぼれました。


「お召しになってみますか?」


 うずうずしてしてらっしゃったお嬢様は、即座に首を縦に振りました。

 部屋着のワンピースを脱ぐのを手伝って、少しドキドキなさってる様子のお嬢様に制服を着せていく。リボンまできちんと結んでから魔法で姿見を出すと、お嬢様は自慢げに頬を緩めました。


「可愛い!」


 どんなものでも着こなせるのはお嬢様の長所のひとつ。ドレスを選ぶときが少し楽しいのは、私だけの秘密です。


「ジールお兄様に見せてきてもいいかしら」


 ぱっと、当然のようにおっしゃった、そのことに驚きました。

 あんなにもいじめてきていたジール坊っちゃまに、最近はとても懐かれているよう。なにがきっかけになったのか私にはわかりませんけれど。

 廊下へと続くドアを開けると、すぐに出て行こうとしてふいに不安げになさいました。


「……今日」

「サイラス坊っちゃまは外出されておりますよ」


 ジール坊っちゃまへの好意は、サイラス坊っちゃまとのご関係に繊細に響いたようでした。

 そして、そのことを敏感に感じ取っているお嬢様は、サイラス坊っちゃまの本当のお心にお気づきになってしまったかしら。


「そう。じゃあ平気ね。さ、行きますわよ」


 あっさりと、そうおっしゃったお嬢様はなにも気にしていらっしゃらないようでした。

 本当に、なにがきっかけなのでしょう。おそらく、あの朝からなのでしょうけど。

 ところで、ジール坊っちゃまも決して心からお嬢様のことをお嫌いだったわけではなかったようで。


「また来たのかよ。今度はなんだ」

 

 手元の羊皮紙からは顔も上げないけれど、お嬢様がいらっしゃったことは嫌がってらっしゃらない。


「ジールお兄様、ご覧になってあたくしの可愛さを!」

「はぁ?」


 両腕を広げてご自身をアピールするお嬢様に、ようやく目線を投げたジール坊っちゃまは、すっと無表情になりました。

 ……いえ。どちらかしら。


「自分で自分のこと可愛いとか、どんだけ頭がお花畑だよ」

「ねぇ、でも、可愛いでしょう?」

「うるせぇ。部屋帰れ」

「ひどい!」


 相当に辛辣なお言葉と口調に、けれどお嬢様は折れるどころか座るジール坊っちゃまのお側に寄っていきました。


「あーあ、素直じゃない」


 そこへ、やって来たのはお茶と焼き菓子のセットを運んできたウィリアムだった。視線だけで尋ねれば、整った眉をひょいと上げてジール坊っちゃまを見ました。


「あれ、あの無表情。完全なる照れ隠しなんだよ。エレナお嬢様がいらっしゃると、とても面白い反応を見せてくれるんだ、ジール坊っちゃま」


 どこに目を煌めかせているのでしょう。

 主人に対してこの感想、一体どうして、コレが一流執事などという称号を得ているのでしょうか。


「ところで、ジールお兄様」

「あ?」

「あたくし、サイラスお兄様にキラキラの魔法を教えていただいたのですけれど」

「ふーん……。おい、ウィリアム。これ出してこい」

「あ。お忙しいですよね」


 ウィリアムに手紙をお渡しになりながら、もう片方の手は魔道書に伸びているジール坊っちゃまに、お嬢様がほんの少し身をお引きになりました。


「早く話せ」

「!」


 ぱっと笑顔になったお嬢様から、お顔を背けたジール坊っちゃまは相変わらず無表情だけれど。

 あ。

 お嬢様と同じブロンドの髪から小さく覗くその耳は、赤く染まっていました。なるほど。


「光魔法っていうんですって! 簡単な魔法だとおっしゃるんですけれど」

「できねぇのか」

「はい」

「光が出ねぇとか?」

「水が出てしまうんですの」

「……」


 呆れたような、それでいて驚いたような表情のジール坊っちゃまは、ぱたりと魔道書を閉じました。そうしてお立ちになって部屋の中央へ行くと、コツンと靴を床に打ち付けました。

 一瞬、ざわりと動いた空気は、魔法が発動されたことを示すもの。


「ほら。ここ来てもっかいやってみろ」

「でも……。部屋が水浸しになってしまいますのよ」

「平気だから」


 ジール坊っちゃまのおっしゃる通り、その床には見えない魔法陣が布かれ、魔法を弾くようになっていました。これほどの魔法を呪文なしで、その上、手ではなくて足で無造作になさるだなんて。

 ジール坊っちゃまは間違いなく魔術の天才でした。

 半信半疑で、それでもジール坊っちゃまのお隣に立って、掌を宙に向けたお嬢様。


「えっと……。《光の精よ。あたくしに星の輝きを》!」


 光の精霊の力を借りて、小さな煌めきを起こす簡単な魔法です。精霊の力も弱く、扱うのに大した魔力も必要ないのです。

 しかし。


「ッ!? 」

「お嬢様! ジール坊っちゃま!」


 何が起こったのか。

 一瞬の出来事でした。お嬢様が呼び出したのは光の精でも、水の精でもありませんでした。禍々しい、漆黒を纏った──闇の精。

 お嬢様が呼び出したとは、思えないほどの強大な力を持っているとわかりました。言い訳などできる立場ではありませんが、私の体は咄嗟に動きませんでした。

 お嬢様の白い手を引きずり込もうと、精霊が伸ばしてきた黒い靄。

 あっと思った一歩手前で、それがジール坊っちゃまの魔法に弾かれました。


「坊っちゃまって、呼ぶんじゃねーよ」

「ジール坊っちゃま!」

「てめぇ……」


 私と話す余裕などないはずでした。

 お嬢様のために張った結界は今にも壊れそうで、闇の精を縛る光の鎖はギシギシと音を立てています。

 ジール坊っちゃまの額を汗が流れ落ちていきました。鎖を掴むように握られた拳は震えていて、その紺色の目は隠しきれない必死さが浮かんでいました。

 お助けしなければ。けれど、どうする。私の魔法は──。


「ウィリアム……っ、ウィリアム呼んでこい」

「ですが!」

「おまえじゃ無理だろ! 早く!」


 お嬢様の恐怖の表情が見えました。

 ジール坊っちゃまの詠唱が聞こえました。

 迷いはあった。けれど、私は早口に呪文を唱えて転移しました。

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