旅立ちの日
曲りなりにもダンジョンを攻略したパンパカは、村長クレークに認められた。それで村から出て行っても良いという許可を得た。パンパカであれば、冒険者としてやっていけるだろうというのが、クレークとスィルの考えだった。
パンパカはクロウズとオブザビアと一緒に、村から旅立つのであった。
「うげぇええええ!」
閑静な辺境の村に、誰かのゲロ音が響き渡る。
誰か、というのは他でもない、封印の塔の少女・オブザビアだ。
「はぁ、はぁ……やばい……死にそうじゃ……」
「大丈夫? ほら、水飲んで」
パンパカはオブザビアを心配し、彼女の背中を撫でながら井戸水を差し出す。
「あ、ありがとうなのじゃ……」
「後先考えずに飲むから……」
パンパカは呆れていた。
昨晩、無礼講の場所でオブザビアは浴びるように酒を飲んだのだった。
元々村では、そんなに多くの酒を作っていない。毎年何度か開かれる会合で、全員がほろよいするくらいしか常備していないのだ。
他、クレークのような酒飲みなんかは他の家よりは多く酒を作ったり、旅商人から度数の高い酒を買ったりして備蓄しているくらいだ。それだって皆で飲み合うためではなく、時折ちびちびと宅飲みするためのものであって、無礼講で浴びるように飲むものではない。だというのに、
「おおい、酒じゃ、酒がないぞう」
オブザビアは不躾にも村中の酒を要求したのだった。村人たちは全員嫌な顔をしたが、「まぁ、パンパカのことを認めてくれたのだから、一日くらいいいだろう。クソッタレ」という気持ちで提供を承諾。
オブザビアは辺境の村だというのに、ちょっとした宿場町の酒場で飲めるのと同じくらいの量を飲み干したのだった。
「うげぇ、死ぬわ、死んでしまう、頭がガンガンする」
「一体、君はなんなんだ……」
パンパカは心底呆れる。本当、何なんだこの娘は。
「僕だって準備しないといけないのに……」
パンパカは昨晩のことを思い出す。
無礼講が行われている広場の隅で、クレークとスィルの三人で行われた会談のことを。
◇◇◇
「重要な話をしたいと思う」
そういってクレークは、パンパカとスィルを広場の隅に連れてきた。
どかっと地面に腰掛け、長い話をする姿勢を示す。パンパカがスィルを見やると、スィルもまたその場に座った。パンパカもそれに倣う。
「まず初めに、伝えとかないと行けないことがある」
「はい」
「お前は俺の子だ」
「――――。」
パンパカは絶句した。
(な、なんだって……?)
パーン家には、成人した男性がいない。パンパカとスィルの二人暮らし。パンパカの父に当たる人物は不在だ。
物心ついた時、パンパカはそのことに疑問を覚えた。他の子供には父親がいるのに、どうして自分には父親がいないのだろうか。そのことをスィルに尋ねようとしたこともあったが、「こういうことって、あんま深く訊かないほうがいいよな。地雷かも知れないし、別に母さんだけでも満足してるし」と子供らしからぬ気を利かせ、今まで訊かずにいたのだった。
ごくり、とパンパカはツバを飲む。そんな父親が、目の前に座っている。
村長クレーク。
いつも眠たそうにしていて、いつも面倒くさそうにしていて、いつも猫背で、いつも鼻くそをホジッている中年男性。そんな人物が、自分の父親であるという。
(正直、いやだ……!)
パンパカは内心、渋面を浮かべていた。何が嫌かって、鼻くそをほじるところだ。蛙の子は蛙。将来自分もところ構わず鼻くそをホジッて、あまつさえ弾きまくるかと思うと、情けなくて自殺しそうだ。
クレークは続けた。
「すまん、嘘だ」
パンパカはスィルの方を見た。スィルはコクリと頷いた。
「ええ、嘘よ」
「そう」
パンパカはゆっくりと瞳を閉じた。
こういうところなんだよなぁ、と思う。
こういうところが、自分がクレークをまるっと好きになれないところだ。デリカシーがない。空気読めない。要らないところで、余計な話題を振る。もうなんかダメダメだ。
「冗談はさておき、真剣な話をするぞ」
「はい」
「お前、そろそろ村を出てもいいぞ」
「えっ」
パンパカは耳を疑った。パンパカには英雄願望がある。だから何度も、村を出てみたいと考えたことはあった。だがその度、クレークから「まだ早い」と許可されなかった。
一度クレークの許可を得ずに村から飛び出した経験があるが、スィルに何も言わずに飛び出したことに罪悪感と、スィルの身の安全を心配し、すぐに戻ってきたことがあった。その時クレークは激怒し、『鼻くそ食わせ【イーティング・バッドブラック】』の懲罰を受けたのだった。
「けど、村から出るには成人しなくちゃいけないって、前言ってましたよね?」
村における成人とは、十五歳になることを言う。村だけではなく、大陸中の自治体が十五歳というのを、成人の基準に設けていた。他、一般常識を問う試験やら剣術を見る試験やらを行う自治体もあったが、パンパカが住む村では、ただただ「十五歳」が基準だった。
「正直、お前を外に出すのは、まだ早いという気持ちもある。それはスィルさんもそうだろう」
「ええ、それはもう」
スィルも同意した。
「じゃあ、なんで?」
「お前がダンジョンを攻略したからだ」
クレークは言う。
「ダンジョンってのは、世界中に無数にある魔物の巣窟だ。封印の塔みたいに、人に試練を課すダンジョンもあれば、魔物が巣食って自然とダンジョンになったものもある」
「ほうほう」
パンパカはメモ帳を取り出し、メモる。
「冒険者になる以上、ダンジョン攻略からは避けて通れない。どんなに腕が立ったって、どんなに魔術が使えたって、ダンジョンに挑まない冒険者は冒険者じゃない。モドキだ」
「ふむふむ」
「逆に言えば、ダンジョンを攻略しちまえば、どんな人間でも冒険者を名乗っていいことになる。つまり、お前のことだ、パンパカ」
「僕のこと?」
「そうよ、パンパカ」
スィルがクレークの言葉に続ける。
「正直、私は貴方が村を出るとなると、心配でたまりません。怪我しないだろうか、襲われないだろうか、お腹を空かせないだろうかって心配になります。だけど考えつく心配事に、貴方をぶつけてみると、だいたい貴方は解決出来そうでもあるのよ」
「いやぁ、それほどでも……」
パンパカはスィルに褒められ、少し照れて頭を掻いた。
「封印の塔を攻略したってのは、眉唾もののように感じたがな」クレークは肩をすくめる。「オブザビアの嬢ちゃんから話を聞くに、どうやらお前は、確かに冒険者であるらしい」
クレークとスィルの言葉を、パンパカはじっと聞いていた。自分が冒険者だって? それは本当だろうか。自分は英雄になりたかった。そのために冒険者になりたかった。そして世界中のダンジョンを冒険したかった。事実である。だからといって、急に冒険者と呼ばれても、困惑するだけだ。
「それで、どうするんだ、お前」
「どうする、とは?」
「村を出て行くのか、出て行かないのか」
「…………。」
「別に出て行けって言ってるわけじゃねぇ。出て行っても良いって言ってるんだ」
「それに」スィルは続けた。「出て行ったからって、戻ってきちゃ駄目とは言ってないの。成功しても失敗しても、寂しくなったときでもいつでも、村には戻ってきていいわ」
「いいの?」
パンパカはクレークに尋ねた。
クレークは頷く。
「いいに決まってるだろ。ここは俺の村だ。俺が良いって言ったら、何でも良いんだよ」
クレークの言葉に、パンパカの心は揺れ動いた。村から出て良い。いつでも帰ってこれる。非常に魅力的ではある。だけれども。
「僕が出て言ってる間、誰が母さんの世話をするのさ」
「それは……」
クレークはちらりとスィルを見やる。スィルは頷いた。
「逆に訊くけど、貴方は私の何を世話してくれていたというの?」
「うっ」
スィルの畜生発言に、パンパカは言葉を失った。
「ご飯は私が作るし、洗濯も私がする。家畜の世話だって、私一人でできるけど?」
「スィルさん」
見かねたクレークがスィルを制する。パンパカのことは冒険者として認めてはいるが、まだ十歳だから可哀想と思ったのだろう。
「パンパカもパンパカだ。スィルさんは村では最年長だが、こうやってご健康だ。もしスィルさんだけで出来ないようなことがあれば、俺達がバックアップする。だから心配しなくていい」
「は、はい」
「スィルさんもスィルさんだ。自分の息子が心配してるのに、一刀両断してやるなよ……」
「それは、まぁ、そうですね」
しょぼくれるパンパカを慰めるクレーク。スィルはそんなパンパカをじっと眺めている。その表情からは、何を考えているのかうかがい知れない。
とそこに、バサリバサリと羽音が聞こえた。
「兄者、心配しなくても大丈夫ですぜ」
現れたのは、サブローだ。大きな翼をはためかせ、三人の間に着陸した。
「こ、こいつは……」
クレークは焦った。カラスが降りてくるのも焦るが、喋ると困る。
「そうですぜ、あんちゃん」
「心配ご無用ですぜ」
イチロー、ジローもサブローに続いた。
「たとえどんな獣が現れたって、わしらが付いとります。あんちゃんは安心して冒険に出てくだせぇ」
カラスたちの援護射撃に、パンパカは感動した。
援護は続く。
「そうなんだな、坊っちゃん」
口を開いたのは、パーン家所有の牛だ。乳を絞ったり畑を耕したり、重いものを運んだりするのに使われている。
「君も喋れたの?」
「それはもう」牛は言う。「村の中で生かされてたら、どんな家畜だって喋れるんだな」
「牛だけじゃないッスよ!」
さらには隣にはピンとトサカを生やした鶏が立っていた。
「実はオレも喋れたッス!」
「君も!?」
「オレはただの家畜だけど、パンパカさんを応援してるッス! スィルさんのことはオレたちに任せて、パンパカさんは大手を振って冒険に出てほしいッス!」
イチロー、ジロー、サブロー他、牛と鶏のエールを受け、パンパカは感動のあまり口元を覆った。
「み、みんな……」
半分嘘だった。無茶苦茶な流れに吹き出しそうになるのを堪えているのだ。いくらなんでも喋りすぎだ。
とにかく、パンパカは冒険への門出を許された。そのことをクロウズに伝えると、「じゃあパンパカ君も一緒にくればいいじゃないか!」と同行を許可されたので、クロウズの出発に合わせて村を発つことに決まったのだった。
◇◇◇
オブザビアの二日酔いも治まり始めた頃。
「そろそろ出発しようと思う」
クロウズは提案した。
「そういえばクロウズさんは、どうやって村に来たんですか? もしかし歩きですか?」
「ははは、王都から歩きはさすがに無理だよ」
クロウズは笑う。
「馬で来たんだ。馬は村の入口の馬宿に預けてある」
クロウズに連れられ馬宿に向かうと、そこには純白の毛並みの牡馬が繋がれていた。巨大な馬だった。村で所有しているロバに比べると、倍くらいの大きさがある。肉付きも良く、表情もどことなく賢げだ。
パンパカはある疑念を抱いた。
「その馬さん、喋ったりしませんよね?」
カラス、牛、鶏に続き馬まで喋ったら、混乱する。収拾が付かなくなるので、できれば喋って欲しくなかった。
「ははは、パンパカ君はユーモアがあるね。動物が喋ったりする訳ないじゃないか」
クロウズの回答に、パンパカはほっと胸を撫で下ろした。
「ちなみに彼の名前は、ホワイトシューティングスターと言う」
「どうも、ホワイトシューティングスターです。宜しく」
「どうも、パンパカ・パーンです」
「それで二日酔いのお嬢ちゃんはどこだい?」
オブザビアは、塔の管理者として塔に戻るかと思われたが、クロウズ、パンパカのことが気になるので同行すると言い出したのだ。その間の食費はこちら持ちというのは、どういう了見だろうかとパンパカは思ったが、神代の時代の叡智を知っているのだから、道中便利になるだろうとのことで、クロウズは許可した。
クロウズとしてはオブザビアのことを悪くは思っていない様子だ。旅の同行者が増えることを歓迎しているフシがある。そもそもクロウズはマイペースで、よっぽどのことがないと人を嫌ったりしないらしい。
「おおい、オブザビア、そろそろ行くよ」
パンパカは声を大にしてオブザビアを呼んだ。けれどもオブザビアからの返事は無かった。どこかで昏倒しているのだろうか、と心配になって村中を探してみると、見つけた。
「うぉお! うぉお! うぉお!」
オブザビアは道の真中で、地面に頭を叩きつけていた。ガツン、ガツン、ガツン、と額が地面を叩く音が響いてくる。
すわこれが二日酔いを治すという神代時代の叡智か、とパンパカは身構えたが、どうも違うらしい。
「どうしたのさ、オブザビア」
「……忘れてしまったのじゃ」
「何を?」
「神代の時代の、知識を……」
パンパカは言葉を失った。
「どうして? 何かあったの?」
「二日酔いで……」
これにはクロウズも押し黙った。塔からシャシャリ出てきて豪飲して、彼女の存在理由である知識を忘れたとなると、何のために彼女が存在しているのか分からない。
パンパカは居たたまれない気持ちになって、オブザビアの背中を擦った。
「まぁまぁ、オブザビア。今は忘れているだけかも知れないし、そのうち思い出すんじゃないか?」
「う、ううう……」
オブザビアは苦悶の表情を浮かべていたが、すぐに治った。
なぜなら、どこからともなく良い匂いが漂ってきたからだ。
「間に合ってよかったわ」
スィルだった。手には包みを持っている。良い匂いは包みの中から漂ってきているようだった。
「どうしたさ、母さん」
「今日出発っていうもんだから、お弁当を作ってきたのよ」
「お弁当!」
「もちろん、皆の分もありますよ」
パンパカは喜んだ。クロウズも喜んだ。王都からこの方ソイジョイしか食べてきていなかったので、こういうのは楽しみなのだろう。
オブザビアも喜んだ。
(君は知識をなくしたことを、もっと重大に受け止めるべきなんじゃないのか?)
パンパカは思ったが、口には出さなかった。彼は空気が読める男なのだ。口に出してまた腹パンされたら、たまったものではない。
そんなスィルの後ろには、見送りに来たのだろう、三羽のカラスと牛がいた。鶏の姿は無かった。カラスと牛は、まるで感情が抜け落ちたかのような表情をしている。もっと別れを悲しんでくれるかと思っていたが、意外だった。
「わしは、野生で良かった」
イチローが呟いたような気がした。
よく分からなかったので、パンパカはスィルから包みを受け取った。丈夫な木の葉で包まれていたが、出来たてのようで、手に持つと少し熱い。
パンパカはお弁当が何か気になって、その場で封を開いた。
「今日のお弁当は、パンパカの好物の唐揚げよ」
「やっ――」
パンパカは大喜びしそうになって、止めた。
もしや、まさか、と疑問に思う。
「ねぇ、母さん」
「どうしたのパンパカ」
パンパカはそれ以上訊けなかった。
そんな鶏のことより、スィルとの永きに渡る別れを惜しむ方が大切だった。パンパカはやっぱり空気が読める男だったのだ。
「僕、頑張ってくるよ」
パンパカの宣言に、スィルはコクリと頷いた。
「行ってらっしゃい、パンパカ。貴方の活躍を祈っているわ」
すみません、一章まだ続きました。これで本当に終わりです。そしてストックも完全に切れました。
今まではある程度ストックがあって、投稿するまえに加筆したり修正しながら投稿してきたのですが、今後は出来ません。
次は新章の始まりです。新しいキャラを出すつもりですが、上手く馴染んでくれればいいなと思います。