鼻くそ食わせ【イーティング・バッドブラック】
塔の管理者の少女の名前は、オブザビアと言った。
村にて村長クレークの説得により、オブザビアはパンパカを攻略者として認めることになる。攻略の証として、神代より伝わるアイテムを授与され、パンパカは嬉しがる。
そんなパンパカを見て、クレークとスィルは彼の今後に関わる大切な話を恥じめる。
○7
ぱちぱち、と背丈ほどの高さに掲げられた篝火が、小気味良い音を発てている。場所は村の中央に位置する広間。そこには十二歳以下の子供を除く村人全員が集結していた。
十二歳以下といってもパンパカは当事者だったし、当然の流れで集会に参加させれていた。
「うぐぐ……」
そのパンパカは、大人たちに囲まれる形で正座していた。少し離れた位置には椅子に座る、パンパカにボディーブローを食らわせた塔の少女と、王都から遣わされた封印の使徒たるクロウズが椅子に座っていた。
塔の少女は正座させられ囲まれるパンパカの様子を愉快げに眺め、クロウズは心配気な表情だった。
「さて、パンパカ」
村の長たるクレークが、パンパカに話しかける。
「どういう事情でこういうことになったのか、話してみろ」
それでパンパカは、事情を説明し始めた。彼がクロウズと話して知った事情、封印の塔のこと、塔を取り囲む結界のこと、結界に阻まれ自身は塔に近づくことさえ出来なかったこと、それでも諦めずに突破口を見つけ出し人知れず掘削していたこと、それを四年前から続けていたこと、そして最後に四年間の努力が実を結び塔の屋上に穴を開け、封印の使徒たるクロウズより先に最深部に到達し、
「そこの女の子を見つけたんだ」
というところまで説明した。
「ふん」
塔の少女は、不満気に鼻を鳴らす。
「――――。」
「――――。」
大人たちは、無言でパンパカの話を聞いていた。村長クレークも、母スィルも、ミーナもカックスもジーンも、パンパカの独白を聞いていた。
パンパカは彼らの表情をそろりと伺い、とても恐縮した。これからかつて無い大目玉が落とされるのだと思うと、生きた心地がしなかった。できれば最近出来た、「むげん」の深さを持つ亀裂に隠れてしまいたいとさえ思った。
しかしパンパカに掛けられた言葉は、彼の予想を裏切るものだった。
「やるじゃねぇか!」
クレークは、ぽん、とパンパカの肩をたたいた。
「えっ?」
「すごいなお前!」
再度クレークはパンパカの肩を叩く。
「選ばれなかったことにめげずに、四年間もどうにかしようと頑張ってたんだろ? それって、なかなか出来ないことだぜ?」
クレークはグィッと親指を立て、パンパカを賞賛した。
「俺なんか『今日は鼻くそをほじらないでおこう』と考えても、気づいたら両手の人差し指が鼻穴に突っ込まれてるしよ」
クレークの言葉に、パンパカはぎょっとなった。
(両方……?)
右の鼻くそと左の鼻くそを同時にほじるのか? それはどういう状態なんだろうか。そもそもきちんとほじることができるのか? とパンパカは思った。右穴をほじるときに左穴に突っ込んだ指が邪魔になるのではないのか? その逆も起こりえるのではないのか? と真剣に考えた。パンパカも、ちょっと冷静さを欠いていたのだ。
クレークの賞賛の言葉を受け、母スィルは胸を張った。
「自慢の息子ですから」
それにしても、とクレークは訝しがる。
「前々から疑問だったんだが、お前森にかなり馴染んでいるよな。そりゃあ獣を狩ったり弓を使ったりは出来ないようだが、軽い身のこなしやら木登りやら、ともするとお伽話に出てくる森の民みたいだぞ」
森の民、という言葉に、スィルは敏感に反応する。
「自慢の息子ですから!」
そこでどうして反応するのか、パンパカには理解しかねた。森の民――エルフと呼ばれる彼らは、昔から森に住み、森と共に発展してきた人々だ。猿以上の身のこなしで敵を追い詰め、射た矢を必ず的に当てる弓の達人との話だった。その上色々な精霊と契約を結び、人間ではとても扱えないような高等な精霊術を行使できるという。おしなべて長寿であり、耳が長いのが特徴であるという。そこで「あれ?」とパンパカは思った。スィルの耳も、普通の人よりは長かったよな、と。
具体的に言うと人間の耳が幅三センチほどなのに対し、スィルの耳は五センチほどあった。形状も丸くなく、三角形と分かるほどに角張っていた。それにエルフの特徴である長寿とも、合致しているのではないか?
いやいや、とパンパカは首を振った。たったそれだけの条件でスィルをエルフと断ずるのは、いささか早計すぎる。まず耳が長いことだが、スィルは本当に耳が長いと言えるのか、という疑問がある。
パンパカは知っていた。スィルよりも耳が長い人物がいることを。その人は一年に一度、村を訪れる商人で、ノッペンと言う。背丈は二メートルに届くかという大男で、すごく耳が長い。具体的に言うと、耳たぶがすごく長い。長さ的に言うと三十センチ、肩に届くほどだ。耳たぶが長いのは生まれつきらしく、なんでも長い耳たぶのせいで、生まれた直後耳たぶが首に絡まり窒息死しかけたそうだ。若いころは色々な厄介事に巻き込まれたそうだが、今では王都に店舗を持ち、けれども初心忘れるべからずの意思で一年に一度は旅商人として各地を回っているという。
パンパカは、正直、このノッペンこそがエルフではないか、と疑っていた。なぜなら耳が長いし、その上身軽だ。耳たぶを第二第三の手のように扱い、木々間を飛び交う姿に、パンパカ他村人たちは賞賛の拍手を送ったものだった。さらにさらにその上精霊術も使えるというのだから、ほぼほぼ間違いないだろうとパンパカは思っていた。
とにかくエルフについて、エルフでもなんでもないスィルが反応することをパンパカは訝しがった。
スィルに続いて、カックスも自慢気に言う。
「パンパカは俺が育てた」
パンパカが自在に森の中で活動できるのは、カックスの指導によるところも大きい。カックスは樵で、木を切るために毎日森に入っている。そのため森の生態に詳しかった。木登りの方法やらクマの生態やら木の実や果実の収穫場所やらもすべてカックスに教わったのだから、カックスに育てられたと言っても間違いは無いだろう。
ここにきてパンパカは、村の大人たちが怒っているのではないと気がついた。初め真剣な顔つきだったのは、それだけ事態の詳細を知りたかったからだ。そこにパンパカへの心配も混じっていたのかもしれない
クレーク、スィル、カックスは次々とパンパカに賛辞を送り、それに続いて周りの村人たちもパンパカは褒めた。パンパカに年齢が近い、十三歳や十四歳の少年たちは、少し面白くなさそうだったが、けれどもパンパカに拍手を送った。
「すげえよ、お前」
「悔しいが、今回のことは確かにすごい」
彼らの言葉に、パンパカは力が抜けるのを感じた。ほう、と息をつき、正座を崩す。
パンパカに腹パン食らわした塔の少女は面白くなさそうにしている。
「なんじゃなんじゃ、お前ら、こいつに折檻するんじゃないのか!」
正体不明の少女の言葉に、村人たちは互いに顔を見合わせる。
「なんだなんだ」
「こいつ、えらい偉そうだな」
「きっつい喋り方するな。かわいいのにもったいない」
わいわいがやがやと村人たちは少女について話し合う。
収拾がつかなくなりそうだったので、村長クレークが彼らを制した。
「それで、嬢ちゃん。あんたは何者なんだ?」
「…………。」
塔の少女はバツが悪そうに押し黙った。
「分かった」
クレークは少女が何も言わないと悟ると、おもむろに鼻くそをほじり始めた。ギョッとする少女。それでクレークは、その鼻くそを少女に近づけ始めた。
「これを食わせる」
クレークの発言に、少女は青ざめ、村人たちは震え上がった。
「出た……村長の『鼻くそ食わせ【イーティング・バッドブラック】』……!」
「悪いことをして反省しなかったら、無理矢理に食わされるやつだ……!」
「三日三晩腹痛に悩み、最後は全身から謎の液体を吹き出してワキガになるという、例のアレだ……!」
村人たちの発言に、少女はガタガタを震えだす。
そうだろうとも、とパンパカは思った。苦しむのはともかくとして、鼻くそ一つでワキガになんてなったら、目も当てられない。ワキガだって一時的なもので、一ヶ月もすれば元に戻るのだが、その間はスッゴイワキガで目がショボショボするくらいだ。朝なんか自分の臭さで目が覚めるほどだ。かつて一度だけパンパカも鼻くそを食わされたことがあったが、あれ以来クレークに叱られる時は、全身全霊を傾けて反省するように務めていた。母スィルでさえも、「ごめん、抱っこはしてあげるけど、その前に水浴びてきて」と身体の接触に消極的姿勢を見せるぐらいだった。
「さぁ、言うんだ。まずはお前の名前を言え」
「わ、わしはオブザビア」
「ほう、オブザビア」
クレークは塔の少女――オブザビアの態度の軟化に、鼻くそを元の鼻穴に戻した。
収納できるという事実にパンパカは戦慄を覚えた。それは村人たちも同様だったようで、ごくり、といたるところからツバを飲み込む音が聞こえた。
「それでオブザビアよ、お前は何者なんだ?」
「塔の管理者じゃ」オブザビアは言う。「塔が生み出された時に生み出されたホムンクルスじゃ」
ホムンクルス? パンパカは首を傾げた。そんな言葉、見たことも聞いたこともない。
「ほむんくるす?」村人の一人が首をかしげる。
「あれじゃないかな、王都のお菓子の」
「ああ、あれね。ほむんくるす饅頭。美味しいよな、中にアンコが入ってて」
(絶対分かってない!)
パンパカは内心思った。だけど彼らはまだ良い方だった。
「ホムンクさんが家に居ないこと……」
「ホムンク留守か。つまり、そういうことか」
「モノすっごく大変なこと」
「本当苦労す……ほんとくろうす……ほむんくるす……なるほど!」
(何が『なるほど』なんだよ!)
パンパカは叫びたい衝動をぐっと我慢した。彼らに怒ったって何も解決しない。怒ってもノラリクラリとやり過ごされ、気づいたらこっちまでノラリクラリとしてしまう。
クレークは村人たちの扱いを心得ているようで、無視した。
「ホムンクルスだか何だか知らないが……お前は何ができるんだ?」
「わしは人類の叡智の結晶じゃからな」とオブザビアは言う。「当時の世界の知識はすべて詰め込まれておるし、魔術や精霊術、神術だって扱うことができる。結界術だって扱えるぞ」
「つまり――スゴイってことか」
パンパカは、こういう時のクレークの表情をよく見ることがあった。何もかもが面倒くさくなって、適当に物事を動かそうとするのだ。
「で、これからお前はどうするんだ?」
「そこの男に聞いたことじゃが」
クロウズのことだった。塔から村に帰ってくるまで、オブザビアはパンパカを無視して現状の世界情勢をクロウズから聞いていた。
「今、大陸が四つに裂けそうになっているという。大陸中央のディロン山地を中心に、大陸に十字に切れ込みが入っているそうじゃ」
「ほうほう」
「封印の塔の開放で、南に伸びる亀裂は閉じられた。このままぐるりと大陸を巡り、他三箇所の封印を開放しようと考えておる」
「それにしてもあれだな、うまい具合に亀裂の上に塔があってよかったな。もし塔がなかったら、もっと南まで割れてったんじゃないのか」
「そもそも塔は、こうなることを予見して建てられたものなのじゃ」
オブザビアは言う。
「昔々、はるか昔、大陸に恐るべき魔物が降り立った。魔物は大陸すべての生き物を喰らい尽くし、大陸そのものまで食らおうとしておった。幾つもの国が飲み込まれ、魔物を討伐せんと幾万もの兵士が送り込まれたが、魔物を倒すことが出来なんだ」
「それは怖い」
「当時の人々――わしを作った、お主らの祖先じゃな――は知恵と力を集め、どうにか魔物を大陸の地下深くに封印することに成功したのじゃ」
「そういうことがあったのか」
クレークはもはやオブザビアの話を聞いていなかった。どうせ自分が一所懸命聞かなくても、ミーナやらスィルやら他の村人たちが一所懸命聞いてくれるとの考えからだろう。実際パンパカは一所懸命聞いてメモっていたし、スィルは思案に暮れていた。
クレークは喉が渇いたようだった。聞いているだけなのになんで喉が乾くのかは、クレークしか知らないが、とにかくミーナをちらりと見た。ミーナは察し、蜂蜜酒を注いでクレークに渡した。
それを見たオブザビアは、目をらんらんを輝かせる。口元からたらりとよだれが垂れた。
「そ、それはもしや酒か?」
「まぁ酒だが」
クレークは訝しげな眼差しをオブザビアに向けた。見た感じオブザビアは十歳前半、どんなに大きく見積もっても二十歳には届いていないだろう。
「お前、酒が飲めるのか?」
「飲めるも何も」オブザビアはやれやれ、という感じに首を振った。「ホムンクルスは酒と肉とパンから作られる。ホムンクルスにとって酒とは水であり、命の源なのじゃ!」
「うーん……」
クレークは悩んだ。
しかしオブザビアの期待に満ちた眼差しを受け、クレークは折れた。
「仕方がない、今日は無礼講ということにしよう」
クレークの言葉に、十五歳に足りていない村人たちは歓声を上げた。
無礼講。それは飲酒の年齢が引き下げられることを示す。この村では飲酒は十五歳からだ。この場には十三歳、十四歳の村人も居たから、彼らより幼く見えるオブザビアに酒を振る舞うのは、村人たちを蔑ろにしているのではないか、とクレークは考えたようだ。
保護者の責任の元、子どもたちが酒を飲んでも怒られない。年に一度収穫祭の時には無礼講が発令され、大人子供問わず飲酒することが出来た。
「貴方はダメよ、パンパカ」
「はい」
むろん、保護者の許可がなければ飲めない。パンパカが落ち込んだかといえば、そうではなかった。かつてパンパカは酒で失敗したことがあった。それはそれは、ひどい失敗だった。酒の味だって、そんなに好ましいとは思っていなかったから、スィルが許可しなくても気にはならなかった。
「その前にオブザビアよ」
目の前の酒をちらつかせ、クレークは問う。
「結局、塔を攻略したのは、パンパカなのか、そこの小僧なのか、どっちなんだ?」
その質問に、オブザビアは言葉を詰まらせた。事実として最深部に一番に到達ち、自分を目覚めさせたのはパンパカである。けれど彼女の言葉から察するに、認めたくないのだろう。
もっと誠実に試練を突破して欲しかったに違いない。いきなり屋上から侵入されるのは、試練の監督者として用意された自分をガン無視されたことに他ならないからだ。
「ちなみに俺はパンパカを推すぜ」
クレークは言う。
「どんな邪道な方法だろうと、目的を達成すればそいつは賞賛されるべきだ。方法や手段を重視するなんてのは、貴族に任せておけばいい」
「それは私も賛成だな」
続けて助け舟を出したのは、クロウズ。
「パンパカ君の執念は恐るべきものだし、事実として私より先に君に到達している。それに私は、彼と賭けをしていた。賭けに勝った彼が正当に評価されないのは、私の矜持が許さない」
「おいおい」
クロウズの言葉に、オブザビアは呆れたような仕草を見せた。
「お前、封印の使徒なんだろ。これから先も封印を施すために大陸中を回るのに、初めの試練も突破出来てなかったら、示しがつかんだろう」
「うっ」
クロウズは自分の立場を思い出し、言葉に詰まる。
「お前はそれで良いのかもしれんが、お前を送り出した側はなんて思うか。神剣術も精霊術も授かったというし、さぞ落胆するじゃろうよ」
「うぐぐぐ」
クロウズは呻いていた。現実と理想に板挟みになっていた。それでちらりとパンパカを見て、意を決した。
「彼は私の同士だ。同士を裏切るわけには行かない。彼こそが攻略者だ」
「意思は固いようじゃな……」
オブザビアは目を閉じ、何やら思案している。次に目を開いた時、まずパンパカを見つめた。
「パンパカとか言ったな、クソガキ」
「は、はい」
「まずは腹パンしたことを、詫ておくぞ」
腹パンという言葉にスィルが耳ざとく反応する。息子が殴られて良い気のする母親はいない。
「わしの考えは変わらん。お前は、今後も封印を施していく者として相応しくない。無理難題に身分不相応、実力不相応で挑むその姿勢、評価しようにも評価できん」
「はぁ」
「しかし事実として、お前は一番に最深部に到達し、わしを目覚めさせた。そのことについては、いいだろう、認めてやる。お前が攻略者じゃ」
「ほうほう」
「だが同時に、そこの男も攻略者として、認めてやりたい」
オブザビアはクロウズに視線を向ける。
「この事について、パンパカよ、お前から異議はあるか?」
「別にありません。クロウズさんは今日来て今日最深部にまで届いたんですし、クロウズさんと出会ったからこそ、僕も頑張って攻略しようと思えたんですから」
「……ふむ、その言葉に偽りはないようじゃな」
オブザビアは立ち上がった。ちょいちょいとクロウズを手招きし、パンパカの横に立たせる。二人の前に立ち、オブザビアは自分の体の前で、腕で輪を作った。
「なにしてるんですか?」
「話しかけるでない。少し待っとれ」
その後、オブザビアはボソボソと何かをつぶやき始めた。
「詠唱ね」スィルは言う。「だけどこんな長い詠唱なんて、聞いたこともないわ」
オブザビアの詠唱は続く。すると彼女の体に、光る線が浮かび上がり始めた。まずは足先から。太もも、腹、胸を登る。オブザビアは服を着ていたが、強い光は裾や胸元から漏れ出ていた。
線は幾何学模様となった。その後腕を伝い、指先まで伸びる。幾千もの部品出てきた人形のようだ、とパンパカは思った。もし今触れれば、線からバラバラに崩れてしまうかも知れない。
「『開け、叡智の扉よ』」
詠唱が終わると、オブザビアが作った腕の輪から、すさまじい力が溢れだした。光であり、風であり、圧力だった。力は奔流となりパンパカたちは吹き飛ばされないようにするのに必死だった。
しばらくすると風は収まり、風の中心点には何事もなかったかのように佇むオブザビアの姿があった。ただ、何事もなかった、と言い張るには、彼女の髪の毛はぼさぼさに乱れていたが。
「繋がったぞ」
「どこと?」
「神代の時代に作られた、貯蔵庫じゃ」
「貯蔵蔵?」
パンパカは首をかしげる。
「もしもまた魔獣が目覚めた時、再び封印を施すため力を残したのじゃ。その他、色々な神具が残されておる」
「ほうほう」
「まずはクロウズよ」
「は、はい」
突然の出来事に放心していたクロウズは、慌てて背筋を伸ばす。
「お前には、魔獣と戦うためのチカラを授ける。受け取るが良い」
オブザビアがいうと、腕に囲まれた空間が波打ったかと思うと、ぽとっと何かが落ちた。
(上から取り出すんじゃないのかよ!)
パンパカは思ったが、そんな細かいこと気にしているのは彼くらいだ。いや他にも、樵のカックスも気にしている。彼は筋骨隆々だが、結構細かいことで有名だった。
「――頂戴致します」
ぽとっと落ちたのは、指輪だった。金色の指輪。金で作られているのだろうか、とパンパカは思った。クロウズは金色の指輪を受け取ると、しげしげとそれを眺める。
「これはどのような指輪なのですか?」
「装着者の死を一度だけ無かったことにできる指輪じゃ」
「それは……」
「身代わりの指輪じゃな。もしお前が死ぬようなことがあれば、代わりに指輪が砕け、お前は完全な状態で蘇ることができる」
「貴重な品をお譲り下さり、あ、あ、有り難き幸せ!」
「よい。もとより封印の使徒には与える予定のものだったのじゃ」
クロウズは早速指輪を左小指にはめ込んだ。そのはしゃぎように、村人たちは苦笑する。クロウズを気に入らないと口にしていたクレークさえ、ちょっとニヤついている。
しかしサイズが合っていない。ブカブカだ。ちょちょいと指輪を触ってみるも、ピッタリになる様子を見せない。
「…………。」
クロウズの表情を伺っていたパンパカは、キラキラと喜びに輝いていたクロウズの眼差しが、まるでゴミを見るときのような濁った色に変わったのを見逃さなかった。
無理もない、とパンパカは思った。英雄譚の中で語られるこういう指輪は、装着者の身体にピッタリ合致するのが常道で、すごく神秘的だ。ゴムでもバネでもない硬い金属、それもスッゴク硬いとされる金属で作られた指輪が、どうしてだろう、あら不思議と指にはまるのが、神秘的なのだ。
クロウズの気持ちはパンパカにも痛いほどによく分かった。正直性能なんてどうでもいいから、ピタって嵌合する指輪のほうが良かっただろうに。
クロウズは理想を妥協して、指輪に合う指を探していく。
薬指、駄目。細すぎる。
中指、駄目。細すぎる。
人差し指、駄目。細すぎる。
親指、駄目。太すぎる。
「ハァ?」
パンパカはびっくりした。クロウズも、こんなゲスい声が出せるんだ! と驚いた。
「なにコレ」
「な、何じゃ、どうしたのじゃ」
「…………。」
けどそれは一瞬だった。封印の使徒たる彼は、すぐに冷静さを取り戻した。その場で靴を脱ぎ、足の指に指輪をはめ込んでいく。
「お、お前」オブザビアは止めようとしたが、まだ腕の輪っかは起動しているので、声で制するしか出来ない。「それは身代わりの指輪といって、とても貴重なものなんじゃぞ? それを足につけるとは。紐でも通して首にかけていて貰えれば、機能するんじゃ」
「そうは、言います、がね」
クロウズは苦々しげに言う。
「首にかけてるのは、確かにいいかも知れませんが、こういう命に関わるものは本当に体に装着するのが一番なんです。もし紐が切れたら? もし誰かに盗られたら? そんなわけ分かんないリスクを背負うくらいなら、足にはめます」
話している間にも試着は終わった。
クロウズは、左足の中指に装着することにしたようだった。
「どうして左なんですか?」
パンパカが尋ねると、
「右足は剣の踏み込みによく使うからね。もし万が一、踏み込んだ右足が切り落とされても、左足につけてたら大丈夫だろう?」
パンパカと話すとき、クロウズは先ほどの苦々しげな表情を奥に隠している。
パンパカはちらりとオブザビアを見た。オブザビアはクロウズの豹変ぶりに怯えている。
(良かったな、オブザビア)
もし万が一、足の指にもドントフィットだったら、クロウズは先ほど以上に黒くなっただろう。彼もお遊びでこんな辺境くんだりまで来ていない。
「つ、次はパンパカ、お前じゃ」
オブザビアはぶんぶん頭を振って、気を取り直した。
「僕にもなんかくれるの?」
「すでに渡すべきものは渡すべき相手に渡したからな。お前にはなんか適当なもんをやろうと思う」
「なんか適当なもん?」
オブザビアは忌々しげに、ふん、と鼻息を漏らした。
「どうせお前のことじゃから、今後も適当にダンジョンを攻略しようとするじゃろう。だからそれに合うように、なんか適当なもんをくれてやろうというのじゃ」
「はぁ」
確かにそっちの方がいいかもしれない、とパンパカは思った。大仰で有効的で高価なものを送られても、パンパカとしても困る。
それからオブザビアは、輪っか状に組んだ腕を、上下に振り始めた。何をしているんだろう、とパンパカは訝しがったが、その様子を過去に何回か見たことがあるような気がした。
年に何回か村で行われるくじびき大会にて、くじの入ったくじ箱を撹拌するのによく似ていたから、それなんじゃないか、と思った。
「ひょっとしてランダム?」
「こういうのは完全に天運に任せるのが一番なのじゃ。もう少し待っておれ」
オブザビアの言葉通り、しばらく撹拌していると、突然腕の輪の下から、ぼとっと何かが落ちた。パンパカは表情を歪めた。「ぼとっ」と落ちるのは、あまり好ましくない。何故ならば村で飼っている牛の脱糞の光景によく似ているからだ。かといってこれから自分がもらうものに対し、そういう思いを口にするほど、パンパカは空気が読めない少年ではなかった。
「ねぇ見てパンパカ、まるで牛のクソみたいよ」
スィルが嬉しそうにそういうので、パンパカは満面の作り笑いを浮かべる。
「そうだね……! 牛のうんこみたいだね……!」
忘れよう、とパンパカは思った。
うんこの件は、気にしても仕方ない。
それで神代の貯蔵庫から吐き出されたのは、奇妙なアイテムだった。少なくともパンパカは見たことがなかったし、クレークも、スィルも無いようだ。
そのアイテムは、小さな輪がたくさんついた、長方形の枠だった。大きさにして、長手方向八十センチ。短手方向三十センチ。なかなか巨大な長方形である。
長手方向を横として持ってみた時、横方向に十五列、縦方向に五列、計七十五個の小さな輪がはめ込まれている。縦方向に走る十五本の細い棒に、各五個ずつはめ込まれている。
触ってみると、すべての輪っかがクルクルと回転した。何のために回転するのかは不明だが、回転させやすいようにするためか、パンパカが持っている側に対し、輪の一部がはみ出している。裏返してみると凹んだようになっているため、たぶん、凸ってる方が表面だろうな、なんてパンパカは思った。
上下方向にゆとりがあり、わずかに動かすことができる。左右方向へは、棒に串刺しにされているので無理だ。
誰が、何のためにこんなものを作ったのか。神代の時代に生きていた人たちは、このアイテムにどんな機能を持たせたのか。
パンパカはじっと考えてみることにした。
そんなパンパカに、オブザビアがニヤニヤ笑いながら話しかける。すでに保管庫へ繋がる扉は閉じており、彼女は自由に歩き回ることが出来た。
「なぁ、パンパカ。それをどうやって使おうか、教えてやろうか?」
「むっ」
パンパカはムッとした。上からの物言いに、気分良くなるはずもない。パンパカは首を振った。
「大丈夫だよ、だいたい使い方は分かったから」
「ほう、そんなん言うなら、実演してみてくれ」
パンパカはコホンと咳を一つ、手に持った長方形を地面に転がした。カシャン、と輪っかが揺れる。何事かと訝しがるオブザビアを尻目に、パンパカはそのまま長方形に載った。
「これは台車みたいなもんだよ」
左足で長方形に載ったまま、右足で地面を蹴る。すると小さな輪っかたちは実にスムーズに回転し、パンパカを前へと運んだ。
蹴るたびに加速していくパンパカの姿に、クロウズはソワソワし始めた。
「ぱ、パンパカ君」
「クロウズさんも乗ってみます?」
「いいのかい?!」
クロウズは満面の笑みを浮かべた。身代わりの指輪を手にした時とは、全く違う。
パンパカから長方形を受け取ったクロウズは、自分もパンパカと同じように長方形に搭乗した。
クロウズが地面を蹴るたび、クロウズの頬を心地よい秋風が撫でる。
「あー、いいわこれ、あー、いいわ、どこぞのクソ指輪とは全然違うわ、あー」
ひとしきり広場を回ると、パンパカの元に帰ってきて長方形を返した。
「これは素晴らしいアイテムだと思うよ!」
「たくさんの車輪が安定感出してますよね。多分、移動用のアイテムだったんだと思います」
これが正解だろう、とパンパカは思って、ちらりとオブザビアをみやった。どうだ、これが僕の洞察力だと言わんばかりの顔をして。
一方、オブザビアは複雑な表情をしていた。唇をモゴモゴしている。
乗りたいのかな? とパンパカは思った。だけどもオブザビアの眼差しからは、パンパカの使用法が正しいとは一切読み取れない。
「『全然使い方違うけど、面白そう。わしも乗ってみたいけど、偉そうにした手前、頼むことも難しいじゃろうなぁ』――とか思ってない?」
「ぜんぜん、ぜんぜん」
オブザビアはふるふると首を振った。
「じゃあ乗らなくていいよね」
「そうは言っておらんではないか、思い込みが激しいヤツじゃのう」
「じゃあ乗りたいの?」
「……どちらかというと……」
オブザビアはすぐに折れた。
パンパカはやれやれという仕草で、長方形をオブザビアに貸す。受け取ったオブザビアは、歳相応の無邪気な表情になった。
「なぁ」
そんな三人を見ていた村人たちが、ちょんちょんとパンパカの肩を叩く。
「え、なんですか?」
声を書けたのは、十三歳と十四歳の村人だ。
「俺たち、塔の攻略に全く関わってないんだが、アレに乗ってみてもいいかな?」
クロウズやオブザビアが楽しんでいるのを見て、みんな乗りたくなったらしい。
「いいですよ」
パンパカから許可が出たので、二人は存分に走行を楽しんでいるオブザビアに近づき、貸して欲しいと依頼した。
オブザビアは少し嫌そうな顔をしたが、酒の入ったコップを手に持ったクレークに手招きされ、すぐに渡した。何はともあれ、まずは酒らしい。
「現代に蘇って飲む初めの酒にしては、なかなか美味いではないか、ワハハ!」
オブザビアは上機嫌になって、次々と酒を呷っていく。その様子に苦笑しつつ、クレークはパンパカへと歩み寄った。
「パンパカ、ちょっと話がある」
「どうしたんです?」
「これからのことだ」
パンパカは背中に温かな感触を感じた。仰いでみれば、真剣な顔をしたスィルの姿がそこにある。
「スィルさんも、いいか?」
クレークの確認に、スィルは頷いた。
とりあえず、この話で第一章は終わりです。次章からはなんか別の冒険に出かけます。
他の投稿されている作品とくらべて、面白さが分かりにくかったり、主人公に明確な強さがなくて魅力がないかも知れません。だけど私としては、パンパカ君とかクロウズ君とか結構好きなので、とりあえず完結までは頑張って書いていきます。
ヒロインとして登場させたオブザビアですが、まだまだキャラが薄いと思うので、もっとキャラを立てていきます。