039 霊魂と父
私には思念が見える。
海にいる蝦蛄という生き物は人間よりも多くの色覚を持つらしい。
私はたまたま思念という色覚を手に入れたのだろう。
故、見える。
父の死霊を。
父は殺された。後ろから鈍器で殴られた。
即死ではなかったらしく、いわゆるダイイングメッセージを残そうとしている。それをかき消してしまったため、即座に犯人はわからなかった。
私には父の思念を姿形として見ることが出来る。
父は私をわからないようだ。私が見ていることに気づかず、また、自分が死んだことに気づかない。
いや、ころ――殺されたことにだろう。
死霊の思念は長く残らない。
思念はこう言っている。
――貴様、許さんぞ、こんなことをして許されると思っているのか、そんなに、そんなに! 愛よりも、情よりも金が、金が欲しかったのか!?
思念の言葉は強く響く、私にだけ。
聞こえてしまう、見えてしまうために私は――
遺産の分配は彼女に渡されることになっていた。私にも幾許かの捨扶持を渡される。
彼女、父を殺した相手、私の義母。
まず、整理しよう。第一発見者は私であるため状況は誰よりもわかっている。
死んでいたのはわかった。そのためにまず行おうとしたことは、警察への連絡だ。
凶器と思しき分厚いクリスタルの灰皿は血に濡れている。彼女の思念を見るに素手で殴りつけた事は明白だ。そのため指紋を手持ちのハンカチーフで拭い取ったのだ。
そして、彼女の思念はこう語る。
――この血の繋がらない娘も殺してしまおう。
欲、という色は私にはとても綺麗に映る。
私はそのため捨扶持を使い名探偵を雇った。
彼女への抑止力でもあり、父の財産を得るための布石だ。
探偵はよくやってくれた。
合法的に彼女が犯人であるということを証明し、逮捕してくれた。
「ありがとうございます」
探偵はいえいえと言葉を述べ、思念の色は曇っている。
「なにか疑問がお有りですか?」
「えぇ――」
探偵は本当によくやってくれた。
なにせ――
「私は、お義母様ではなく貴方が故人にとどめを刺したのではないか、と思うのですよ」
真実まで、辿り着いたからだ。
「それはお話したはずです、私はお父様の死体を見て驚いて失神したのです」
「それが疑問でした、失神されてどうしてあの部屋の中にいたのか、そしてなぜ、貴方はご自身の靴を処分なさったのか」
筋書きはこうです、探偵は語る。
「貴方はお父上が殺された現場を見ている、しかし、お父上は即死ではなかった、そのため二の打ちを加えた」
「でも、検死の結果はご存知のはずでしょう?」
父は一回後頭部を殴られて気絶し、そのまま失血死して死んでしまった。
「とこうです、ですが、オカシイじゃありませんか?」
なにがでしょう、私は落ち着き払って言葉で問う。
「なぜ、犯人は失血死などという不確実な方法で決定打を打たなかったのか?」
そして何より、探偵は語る。
「ダイイングメッセージを消したのでしょう」
「それは自身が疑われるのを恐れたから」
「違いますね、お父上を殺した相手とダイイングメッセージを消した相手は別人であるのですよ」
つまるところ、探偵は指を私に向ける。
「ダイイングメッセージを消せたのは、第一発見者である貴方でしかない」
「でも、それは――」
私が殺した証左にはならないでしょう? 私はそこではじめて笑みを見せる。
探偵も不敵な顔で笑う。
「そうです、貴方のしたことはお父上を見殺しにした、ということです」
「まぁ、気を失ったということで、私は罪に問われるのかしら?」
探偵は、首をふる。
「いえ、まぁ、これは私の職業病みたいなものでして、気分を害されたらご容赦を」
「お給金、お渡ししないって言ったら?」
「困ります」
まぁ、お上手ね、笑って私は消えてしまった父の思念を思い出す。
――貴方は、二人の信頼する人間に殺されたのです。
――一人はあの自分の若さで貴方に取り行った女。
――もう一人は私。
――でも、貴方は幸せでしょう?
――裏切りを一人の者だけに一新に浴びせられるのだから。
「私は、死後の世界、というものを信じておりません」
探偵は不思議なことを言い出した、と首を傾げる。
「あるのは思いだけ、それもいずれ消えてしまうもの」
「けれども、貴方はご自身のしたことを悩まねばなりません」
「そうであるかもしれないし、そうでないかもしれない」
クスリ、と私は笑う。
「お帰り下さい、事件は終わった、貴方はお給金を手に入れ口をつぐみ、私は遺産を手に入れ静かに暮す」
「私が足りないと言ったら?」
「お金というのは偉大ですわね、足りないものを補うことにかけては随一でしょう」
言外に私は夜道に気をつけてといった。
「走狗であるのなら、精々ずるいウサギがいなくならないことを祈りましょう」
「……そうします」
そう言って私は探偵を見送る。
これから私は静かな暮らしを送る。
本を読み、絵を書き、料理を自分で作り自分で食べる。
私はずっと一人になりたかったのだ。
誰かを愛するとか情を持つというのは、この目のため出来なかったのだ。
「ほんとに?」
母さま、私が唯一愛した家族の声がした。
それは幻聴で、気のせいだった。
思念も見えない。
――それから程なくして彼女は目を潰し自殺した。
遺書もなく、事件性もない。
ただ、その狂気じみた自殺がしばし世間を騒がせて、やがて静かになった。
探偵は思う、誰かに会いたかったのだろうか、彼女が自殺したとは思えない、自殺という意識がなかったのかもしれない。
死人に会いに行くための、ちょっとした旅行の気分だったのかも、探偵は自分の冗談に笑って新聞を閉じ、砂糖もミルクも入れていないコーヒーをのみ、次の依頼人を待った。




