011 敵と卒業
とある大陸に大国と無数の小国がありました。
大国は近隣の小国を吸収し火が藁を糧に燃え盛るが如く速さで急速に成長しました。
その原動力はなんであったかといえば、宗教でありました。
宗教は善をとくもので神様によってその支配を正統のものであると大国は主張します。
そして、大国に飲まれようとしている国の王様はいいました。
「どうしたら良いんじゃ、兵力において我らは大国に勝ち目がない。籠城しようにも近隣諸国の足並みが揃わない」
嘆きながら俯いている王様に軍師が囁きます。
「王様、王様、ご安心ください」
「おぉ、おぉ、軍師よ、何か策があるのか?」
「苦渋の策ではありますが、王様、この策に乗られますか?」
乗るぞ乗る、王様は言って軍師の策を聞きました。
そして、ついに大国は小国に攻め入ろうとし軍を発しました。
陣中、攻め入ろうとする小国から奇妙な文書が送られた。
降伏は大国は認めていない、蹂躙した後での降伏は認めてはいる。蹂躙の目的が敵国の国力を削ぐことがあるからだ。
だから、この文書は大国の戦意を削いだ。
「敵国は我が国の教義に――改宗する、というのだ」
そも、大国の大義は異教徒の駆逐である。であるため教義を盾にされた降伏には弱いという性質を持っていた。
小国の王様は死刑を待つ囚人のように身体を震わせながら、大国の判決を待った。
結果、侵攻はなくなった。
だが、小国は近隣諸国を裏切り、自ら大国に与したという負い目をおった。
そして、信仰による戦争の尖兵として小国は働かせられることになりました。
時代を継ぎ二代目となった小国の王はいいます。
「今こそ、大国の支配から卒業する時ぞ」
尖兵となった小国は攻め入る中他国との交渉と大国からの要求の板挟みとなりつつも、小国が攻め入られる中揃わなかった足並みを整え、大国からの支配からの卒業、卒業という奇妙な言葉を使った。
二代目にとりある意味において大国の支配や統治は勉学の師であったのだ。
故、後世この戦争は卒業戦争と呼ばれた。
そして、初代の小国の王がとった策は入学といわれた。
結果、二代目は師を超えたのだった。




