悪役不在の舞台は準備中
*「悪役は裏舞台で悶える」のその後
「マスター、今日もあの人……来るかな?」
「チコちゃんは、あのお客さんを気にしているね」
開店前のコーヒーショップ。
マスターとまるでヒロインの様なフンワリとした女の子が開店準備に追われていた。
「うーん。最初は怖いお客さんかなーって思っていたけどね。 ほら、前に、コーヒーをかけちゃったらすごい剣幕で怒られちゃって、怖くて顔をあげられなかったんだけど……テーブルに置かれた携帯ストラップがご当地キャラのモフニャンで、あれ? って、なっちゃって。 よく見ると、踵にピンク色のこれまたモフニャンの絆創膏を貼っていたの。それから気になっちゃって」
「へぇ」
(コーヒーを掛けてしまった時に、私に火傷がないか心配そうにみていたあのお客さん。私に一滴も掛かってない事に気付いてから、慌てて、怒りモードになっていたし。それから、結構視線も感じるんだよね)
チコちゃんと呼ばれた女の子は、テーブルと椅子を吹きながらも笑みを浮かべる。
カウンター席の奥で、マスターはコーヒー豆の在庫を数えていた。
「キツメの美人だし、すごく大人っぽい格好してきめているのに、ふとした時に、あらわれるチグハグさ? ギャップにやられたのかも」
彼女はカウンター席で、小さく自作の歌を口ずさむ。聴かれているのも気付かないで。
隠しているつもりだろうが、可愛いキャラクターものが好きなのもチコには御見通しだった。
(あの後、お会計の時に見えたお財布の中に可愛いメモ紙とか、よくみないと分からない小さなピアスはウサギちゃんだったし。ネイルも小指だけ超ラブリーに仕上げているし)
可愛い綻びを思い出して、チコは微笑ましい気持ちになる。
「……ギャップといえば、チコちゃんは大人しそうなのに、好きな食べ物はアタリメで、趣味はプロレス観賞とヘビメタ。 それで、何人の彼氏に振られたっけ?」
「うるさいなー。今はあのお客さんの話でしょ!」
「はいはい」
頬を風船の様に膨らませて抗議する。
チコはその見かけで、周りから勝手にこんな子だと想像され、決めつけられ、そして余計なお節介にも関わらず庇護欲をかられられていた。
しかし、実際の彼女は見かけと180度違う。甘い物より辛い物。恋愛ものよりアクションもの。家で読書しているよりも外で身体を動かしていたい。キッパリサッパリアウトドア派だった。
「でね、あのお客さん。いつもブラックコーヒーを注文しているでしょ?」
「うん」
「絶対、苦手だよー。えへへへへ。 苦手なのに、頑張って飲んでるの。超可愛い」
「チコちゃんが甘い物苦手なのに、初めての彼氏の時には可愛こぶってケーキやチョコレートパフェを頼んでいたのと一緒だね」
「うるさい! うるさい!」
ふき終わったばかりの布巾をマスターに投げつけると、片手で簡単にキャッチする。
その様子は、全然慌てた様子もなく、チコはますます頬を膨らませるのだ。
「ごめん。ごめん。で、どうしてそう思うの?」
マスターはチコの機嫌を取るように、話を促した。
それに簡単に乗っかるチコ。
「だって、コッソリ観察していたらね、キョロキョロ周りを見渡した後に、お冷の氷を一つ入れていたの。猫舌なのかなーって観察していたら、一口目飲んで、凄い苦い顔をした後、ハッとした顔になって、またキョロキョロしていたし」
「………」
「ファッション雑誌を見ながらウルウルしているから、どうしてかな? と思って、お冷を入れる時にのぞいたら、読者コーナーの『おじいちゃんと孫』の記事を読んでいたみたいなの。私の視線に気付いて、すぐにブランド特集のページにかえちゃったけどね」
「チコちゃん……お客さんをジロジロ見たらダメだよ」
「えへへへ。ごめんなさーい」
全然反省していないにやけ顔で、チコはカウンター席に近づく。
マスターは嫌な予感がして、一歩後ろに下がった。
「で、マスターどう?」
「どうとは?」
「最近ね、あのお客さんに話しかけられちゃってね。彼女、マスターの事好きだと思うんだけど?」
「っ ゴホゴホ」
「あーーー! 赤くなった!!」
「うるさい!!」
マスターはチコに背を向け、作業の続きをしだした。しかし、持っているボールペンは逆さで、持っているクリップボードも裏表逆だった。
チコはニヤニヤ顔のまま、カウンター席に座り、砂糖の入っている瓶の蓋を開けたり閉めたりする。しかし、視線は目の前のアイロンがぴんっと張った白いシャツを着ているマスターの背中。 うっすら、汗をかいているのは気のせいだろうか。
「でも彼女、なにか勘違いしてるんだよねー。私がマスターの事を好きだとかっ思っているみたいで。そりゃ、好きだよ? ね? お兄ちゃんだし?」
「わかったから、口じゃなくて手を動かす」
「……お兄ちゃんも、ほんとのとこ、気付いてたんでしょ?」
「ごほっ。何が……?」
「彼女に、ギャップ萌えしなかった?」
ドサドサドサ
コーヒー豆のはいった袋が、棚から雪崩落ちる。
それでも、チコに顔を見られないようにと背を向けたまま、マスターは黙々とコーヒー豆の袋を集めていた。
首筋は赤く、手も赤いようにみえるのも……気のせい?
「手伝おっか?」
「いい。チコちゃんは看板だしてきて」
「はーい」
わざとらしい程元気よく返事をしたチコは、扉を開けた。
カランコロン
チコは7つ上の兄の店を手伝っている。
身内贔屓にみても、兄は男前。なのに、つくづく女運もなく、奥手な草食男子。
妹として、そんな兄に早く春が来てほしいと思っていた。
**
お兄ちゃん。
初めて聞いたかのように装っているけれど、私は知っているんだよ?
2回目、彼女が来た時からコーヒーの豆を苦みの少ないものに変えたり。
あれだけコーヒーの温度に拘っているのに、あのお客さんには、ちょっとだけぬるめにしたり。
サービスですと、一口サイズのチョコを添えていたり。
見かけは、悪女っぽいのに、中身はきっと天然さんでいい人に違いない。
きっと、周りの為に彼女は“悪女”の仮面を被っている。
お兄ちゃん。ごめんね? 彼女がお兄ちゃんを好きだとは本当は、思っていないんだ。
それはそれで、私が頑張るしかないかな?
えへへへ。自然に笑みがこぼれる。
今日も、彼女は来てくれるのかな?
そして、今日も悪女になりきって、私と兄をくっつけようとしているのかな?
――全部全部、御見通しだよ?
チコは、彼女の容姿から想像もつかない意地の悪い笑みを浮かべて、扉にかかっていた、プレートをCLOSEDからOPENにひっくり返す。
街の外れにあるコーヒーショップ。
寡黙なマスターと一見ヒロインの様なアルバイト店員のいるお店。
そこに、常連になりつつある彼女。
舞台は整い、開幕のベルが鳴り響く。
カランコロン
「いらっしゃいませー」
リクエスト&「悪役は裏舞台で悶える」へのレビューをありがとうございました。