◆あたしは、あたしが好き。
「船旅は初めてかい? 美味しいものを食べ、好きなことをして遊ぶといいよ。洋服はボクちゃんが見繕ってあげるから、まずは身体を綺麗にしようか」
舐めるような声が、とにもかくにも気色悪い。
なので、無視。
船というのは、あたしの想像を遥かに越えていた。
船の中に街があるの!
お洋服やご飯が並んでいたし、楽器と一緒に歌っている人もいた。
あたしは上等そうな衣服を一着受け取り、大浴場という場所で身体を洗う。
広いお風呂の中には疲れ切った表情の女がたくさんいたけど、温かいお湯に身体を沈めたら、みんな微笑み始めた。
もちろん、あたしも元気いっぱい!
お湯につかりながら、肌に痕が残らないように、傷を見つけたら魔法で治していく。
あー、回復魔法が得意でよかった。
流石は天才マビルちゃん。
ホコホコになったら、新しいお洋服に袖を通す。
うん、なかなか可愛い。
あの醜男、垢抜けた服を選ぶことは出来たようだ。
まぁ、マビルちゃんは可愛いから、どんなお洋服を着ても煌びやかだけどねっ。
「あぁ、ボクちゃんの見立て通りだ! 可愛いネ」
この男の口調が、どうにも癪に障る。
今すぐに海に沈め、息の根を止めたい。
まぁでも、気を取り直して。
ほら、見て。
船内の魔族たちが一斉にあたしを見てる。
ふふっ、お姫様だもの、あたし。
隣にいるのがこの最悪男なのは玉に瑕だけど、船内を物色した。
退屈しないで済むくらいに、物珍しいものがたくさんある!
色とりどりのお菓子を食べて、船の甲板に出て海を眺め、お洋服や髪飾りを買ってもらった。
太陽が水平線の向こうに沈んでいくと、夜の帳が降りてくる。
宝石のように輝くお星さまの下で、優雅な曲を聴きながらお酒を呑んだ。
あはは、楽しい! こんなの初めて!
次から次へと、色んな事が起こる!
海を掻き分けるようにして進む船の先端に立って、歓声を上げた。
ワクワクするっ、あたしは自由を得たのだ!
「ねぇねぇ」
遊び足りないのに、キモ男に突然腕を引っ張られた。
夢心地でいられたのに、最悪。
「もっと面白いことがあるからね、おいで」
「もっと面白いこと?」
苛立ちながらも、興味本位でついていくことにした。
船の中は隅々まで見てまわったはずなのに、一体何があるんだろう。
「ほら、ここだよ。君のためにボクちゃんが用意したんだ」
辿り着いた先は、広いお部屋だった。
ふかふかっぽい寝台がどどーんとあって、傍らには美味しそうなお酒やお菓子、それに果物が並んでいる。
内装も品があるし、あたし好みで素敵だ!
「わわわ~!」
今日はここで眠れるんだ、嬉しい!
寝台に飛び乗って跳ねていたら、男がわざとらしい咳を始めた。
風邪?
うつされたら困るなぁと顔を思い切り顰めたら、次の瞬間。
「ところで君、今更だけど名前は? とっても可愛いよね」
突然押し倒された。
うげぇ、気持ち悪っ。
見るに堪えない顔が目の前にあって、生温かい息が頬にかかる。
両肩をグッと押さえつけられていて、めちゃくちゃ痛いし。
ひえええ、無理無理、生理的に無理!
気安く触るな、あたしを誰だと思ってるんだ。
右手に魔力を集中させ、炎を繰り出す。
一気にコイツに叩き込む……筈だったのに!
「君、魔力が異常に高いから、先に手を打たせてもらったよ」
魔法が発動しないので、焦った。
何度試みても、得意の火炎の魔法が発動しない。
こんなこと、初めてだ。
卑劣な屑野郎を前にして、あたしの力が激減してしまったのだろうか。
狼狽えていたら、あたしの喉元にピタリと何かが添えられた。
それが冷たい剣だと分かり、息を止める。
不気味に光るそれに驚いて目を瞠り、口内に溜まった唾を飲み込もうとしたけれど、僅かでも動けばきっと切れる。
だから、硬直したまま。
冗談じゃない動いたらあたしの自慢のお肌に傷がつくし、何より痛い。
あたし、痛いのは嫌なの。
痛いのは、嫌なの……。
怖くて、硬直した。
「君、散々ボクちゃんのお金を使ったよね? 対価が必要だと思わない?」
喋り方も顏も声も余分な脂肪がついた身体も気持ち悪いし、口臭は鼻がもげそうなほど臭いし、とにかくもう、お願い、止めて、近寄らないで!
湿気を含んだ悪息が顏にかかると、ゾワゾワして死にそうっ。
それに、『お金を使った』って一体なんのこと? あたしにはさっぱり!
誰か助けて、可愛いあたしが穢される。
キモイけど、……駄目だ。
どうしてもあたしの魔法が発動しないの、何故。
下卑た笑みを浮かべるソイツが、心の底から腹立たしい。
「キレーなオモチャならいいけど、あんたはキレーじゃないからヤッ!」
あたしは勢いに任せて滑り込むように身体を動かすと、触りたくなかったけどそいつの腹部に渾身の一撃を喰らわす。
非常事態だ、腹をくくった。
両の拳でボコボコと殴り、不様な声を上げた男の股間を蹴り上げる。
「ふぎゃー!」
耳を劈くような男の悲鳴以上に、華奢な足への妙な感触で全身に怖気が走った。
やだっ、コイツ勃ってるじゃんっ! 気持ちわるっ!
どーしてこのあたしがこんな奴の勃起してるアレを触らなきゃいけないのっ、汚らわしい!
だけど、ちっちゃっ!
ぷっぷっー!
って、遊んでる場合じゃない、これ以上相手なんかしていられない。
よし、逃げよう。
それにしても、あたしの魔法が使用不可ってどういうこと!?
悔しいけれど、魔法以外の攻撃は不得手だ。
だってあたし、か弱いもーん、重いもの持てないもーん、腕力ないもーん。
可愛いから、当然である。
とりあえず、どこかに隠れることにした。
あぁ、ふかふかの寝台でぐっすり眠ることが出来ると思ったのに。
最悪。
あたしは船内を走りまわって、微かに扉が開いていた部屋へ入り込んだ。
助かった! 匿って貰おう。
善い魔族だといいなぁ。
「わっ、誰!?」
「あ、よかった。流石あたし、運がイイ! 今度はキレーなオモチャの部屋だ」
入った先には、非常にあたし好みのオモチャが一人、暢気に寝台に転がって読書中だった。
あたしを見て大口開けてぽかーん、としている。
部屋は狭いけれど、贅沢言っていられない。
扉を勢いよく閉めると、近づいてにっこり微笑む。
「あのね、あのね。キモい男に迫られて押し倒されたから、逃げてきたの。匿って欲しいんだけど、いーかなー?」
「は? どちら様?」
「あたし、マビルっていうの。……お願い、助けて」
きょるるるんっ。
起き上がって訝しげに見てくる男の両手を取り、自慢の華奢ですべすべな手で包み込むように握る。
そして、潤んだ瞳で懇願するの。
思った通り、相手は顔を赤らめて頷いた。
ぃよおっし、もう大丈夫だ!
さっきの部屋よりすっごく狭いけれど、貴方はキレーなオモチャだから許してあげる。
呆けている新オモチャを放置し、お酒と炒った木の実を見つけたあたしは安心して食べ始めた。
さて、ここまでのことを整理してみよう。
世の中、何をするにもお金が必要らしい。
つまり、生きていくうえでお金は必須。
ただ、あたしはお金を所持していないけれど、とても可愛いから、代わりにお金を出してくれる魔族がすぐ見つかるようだ。
対価が必要らしいけれど、まぁなんとかなる。
……ふむ、対価とは。
この男も、何かを要求してくるんだろうか。
改めて、男を一瞥する。
惹きつけられる真っ赤な髪に、濃い青色の瞳、年齢はあたしよりもずっと年上だろう。
あたしはお酒を飲み干し、ゆっくりとその男に近づいた。
「匿ってもらうには、対価が必要なんでしょう? 何をお望み?」
ぺたんと座り、男を見上げて挑戦的に軽く微笑むと首を傾げた。
貴方はキレーだから、あたしに触る事を許可してあげる。
だから、あたしを養ってね。
あたしが望む食べ物やお洋服、そして寝る場所をきちんと用意して。
約束よ。
約束出来るなら、貴方を存分に可愛がってあげる。
このキレーなオモチャが護ってくれたおかげで、あたしは例の変なキモ男から逃れることが出来た。
というのも、この男は思った以上に強かったのだ。
船内で遭遇したけれど、背に隠れてブルブル震えていたら始末してくれたの。
おにーちゃんよりは弱そうだけれど、そこそこの剣の使い手らしい。
変態醜男は動きも鈍いし、まるきりダメ。
対峙した時点で、勝敗は決まっていた。
「あーん、怖いよぉー。マビル、この奇怪な物体が同じ船内で生活しているって思うと、とても恐ろしいっ。だから、あたしのために消して欲しいな」
そう言ったら、簡単だった。
うふふ、イイオモチャを手に入れちゃった!
死体は船から投げ捨てたし、悠々と生活出来るね。
そうそう、あの糞野郎はお金を持っていたから、迷惑をかけた対価として遠慮なく受け取っておいた。
あたしの役に立ててよかったね!
そのお金で、美味しいご飯や綺麗なお洋服を堪能している。
お金の価値は分からないけれど、新オモチャに任せておけば安心だ。
お散歩や食事に飽きたら、狭い寝台で抱き合って、このオモチャと気持ちイーことをするのだ。
身体の相性もイイし、耳に響く声に性的な魅力を感じてゾクゾクする。
うん、イイね!
でも、何時までも船にいたら、飽きるでしょ?
そう、あたしは飽きてしまったのだ。
だって、見渡す限り海だもの。
物珍しかった食事も新鮮味がないし、広いと思っていた船内は窮屈に思えてしまったし。
だから、最初に停泊した場所で船を降りた。
何も言わなかったけれど、オモチャもついてきてくれたからとりあえず同行してもらう。
強いし顔がイイし便利だから、邪魔にはならない。
「あたしを愉しませてくれて、偉いねー」
そう微笑んで頭を撫でると、頬を染めて笑うの。
とてもカワイイ!
……さて。
初めて見る人間の街に興味津々のあたしは、一日中歩き回って様々な物を買ってもらった。
お洒落で素敵な服や装飾品が、たーくさん売ってるの!
人間、馬鹿にしてごめんね! 知恵はあったんだね!
魔界とは違ったお洋服が並んでいて、見ていて飽きない。
見たことがない可愛い食べ物もあったの、丸っこくて綺麗な色で、甘いの。
人間って、いいねぇ。
間抜けな顔をしているけれど、のびのびしていて楽しそうね。
腹が立つから殺しちゃおうかな。
全員殺したら、この街の物は全てあたしが占有できるよね!
ここを壊滅させるくらい、あたしとオモチャで事足りるだろう。
ところで。
あまりにも美少女すぎるあたしは、人間の男にじろじろと見られた。
そりゃそうでしょうよ、あたしのように類まれなる美貌の女なんて、そういないもの。
特に、魔族と人間とでは雲泥の差がある。
拝めて光栄だと、跪いてお金を置いて行って欲しい。
一度にここまで多くの視線を浴びることがなかったあたしにとって、それは快感でしかなかった。
うふふん、とても楽しい。
面白いのだ、小首傾げて軽く笑みを浮かべるだけで、瞳をトロンとさせ、手を振ってくれる。
知らなかった、人間という下等生物でもちゃーんとあたしを悦ばせること、出来るじゃん。
偉い、偉い。
もっと見てもいいよ、でも対価としてお金を頂戴。
「ねぇ、この帽子とってもいい? 邪魔」
「駄目だ。人間と魔族の決定的な違いは、耳の長さ。隠さないと」
「魔族だと見抜かれた場合、どうなるの?」
「問答無用で追い出される」
「悪いこと、何もしていないのに?」
「ここは人間界。魔族が空気のように入り込める場所ではないからね」
「気づかれたら殺そうよ」
「駄目だ。魔王アレク様は人間を傷つけることを嫌う」
「でも、魔王アレクは死んだでしょ?」
オモチャは顔を険しくし、声を潜めてこう言った。
「いつか、志を受け継いだ新たな魔王様が現れる。だから駄目だ」
「えぇ~」
その憂いを帯びつつも鋭利な瞳であたしを見る顔は、大好きだよっ。
珍しくオモチャが歯向かうので、あたしは唇を尖らせつつ頷いた。
帽子をとれば、あたしの愛らしさがもっと溢れ出るのになぁ。
「マビルは可愛いから。帽子で隠していないと、人目を惹きすぎる」
ご機嫌ななめだったけれど、そう言われて素直に頷いた。
帽子も可愛いのが多いから、まぁいいや。
人間の街で遊んで暫く経った、その日。
オモチャとあたしは、いつものように一つのお部屋で過ごしていたのだけど。
小さいけれど、可愛い家具が並ぶお部屋。
寝台に転がって、ほろほろと口の中で溶ける甘いお菓子を齧っていた。
「マビル、金が底をついた。贅沢はこれで仕舞いだ」
何を言っているのか、よく分からなかった。
「ふぇ? お金、ないの? なら、増やしてよ」
「金は勝手に増えない。魔族と人間の通貨は異なるし、金を得るには労力が必要だ」
「えー……そっかぁー、そうなんだー……」
大問題。
なんということでしょう、お金がないんだって!
えっ、お金がないと、何も出来ないんでしょ?
じゃあ、オモチャと一緒に居る意味はないよねぇ。
困ったなぁ、居心地よかったのになぁ。
でも、『贅沢出来ない』なんて地獄じゃん。
考え抜いた末、あたしは焼き菓子を残して立ち上がった。
うん、出て行こう。
無意味、時間の無駄だ。
色々買って貰ったけれど、か弱いあたしは全部持っていくことが出来ない。
だから、お気に入りの物をなるべく大きな鞄に詰め込んだ。
違うオモチャを見つけてそっちに養ってもらったほうが、絶対楽しい。
「ま、待てよ、マビル」
初めて聞く情けない声に、あたしの心が冷えていく。
「……なぁに?」
「何処へ行くつもりだ?」
「さぁ? でも、もう、あんたにきょーみないもん。だって、お金がないんでしょ? どうやってあたしを愉しませてくれるの?」
狼狽したオモチャが駆け寄って来て、手首を掴まれた。
痛い、なんてことすんのっ。
見上げたら、怒りを含んだ瞳と視線が絡む。
激昂し睨むこいつが謎過ぎて、あたしも腹が立ってきた。
何故、怒るの。
怒りたいのは、あたしよ。
舌打ちして腕を振り払おうとしたけど、力では敵わない。
「……好きなんだ」
無我夢中で手を振りほどこうとすると、神妙な顔つきでそう告げられる。
……?
「はぃ?」
「我侭なところが可愛い。束縛されるのが嫌いなんだろう、君は自由な子だから。でも、好きだ。これからも、傍に居て欲しい。金はないけれど、生活が出来ないこともない。ただ、今までのように好きなものを買ってあげられないだけで。マビル、君を護ると誓う。だから一緒に」
あたしは絶句してしまった。
何を言い出すのかと思ったら、そんなくだらないこと?
えー……幻滅した、笑えるね。
必死に縋ってくる瞳が、邪魔臭い。
そんな鬱陶しい言葉であたしを縛ろうなんて、身の程知らずだ。
全く心に響かない、それどころか興醒め。
あたしが可愛いのは当然でしょ、何を今更。
アンタが言った通り、あたしは束縛されるのが大嫌いだから、ここを出ていくの。
そこまで解っていて、何故引き止めるの?
あたしに対価を払えないオモチャなんて、屑でしょうが。
もう、二度と窮屈なところに押し込められたくないのっ!
結界がなくても身動きがとれないなんて、憐れでしょっ。
あたしは、いつも自由でいたい。
「傍に居て欲しい? それなら、対価が必要でしょう?」
怒りを押し殺してそう言ったら、男は泣きそうな顔で悲しそうに微笑んだ。
「金はない。だから、オレの愛を対価とする」
愛、とは。
あたしは大袈裟に溜息吐くと、思い切り力を篭めて腕を振りほどいた。
「あたし、アイっていう目に見えないものはいらないの。サヨナラ」
驚くほど面倒な奴だった。
すんなり別れることが出来たら、イイオモチャで終わっていたのに。
むしゃくしゃしながら走り出したら、案の定追って来た。
どうしよう、我慢の限界かもしれない。
廊下の窓から飛び出し、屋根の上に立つ。
仁王立ちしていると、コイツも軽々と屋根に飛び乗った。
まぁ、これくらい出来るよね。
一応剣士だもの。
明日から世界が消えるような悲痛の顔で見られても、心には冷たい風が吹いている。
あたしの心は、動かない。
「マビル」
結構好きだった低音の声だけど、もう聞きたくない。
いいよ、邪魔をするならお望み通り相手になってあげる。
丁度、腕慣らしをしておきたかったの。
相手にとって不足なし、だよねっ。
結界以外の場所で、どれだけあたしの魔力は威力を発揮するのだろう。
あぁ、ここで魔法を放ったら、どうなってしまうんだろう。
見てみたい!
きっと、辺り一面燃え盛る炎に包まれて綺麗なんだろうな。
パチパチ爆ぜて、真っ赤に染まって。
屋根の下では、あたしたちに気づいた人間が何かを口々に喚いている。
やだなぁ、煩いなぁ。
「マビル」
オモチャは背中の剣に手を伸ばさず、ずぅっとあたしを見ている。
……お馬鹿さんだね。
自分が生きるために邪魔になるものを消す、それこそが武器の正しい使い方だよ。
お飾りの剣なんて、なんの役にも立たない。
「マビルは……誰かを好きになったことがないのか?」
「はぁ? 何言ってんの? あたしは、あたしが一番好きなの」
そう、何よりもあたしが一番。
だから、あたしが思うように行動するの。
バイバイ、便利なオモチャ。