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◆だってあたし、かわいーから。

 表情からは、何も読み取ることが出来ない。

 虚無感のある深い緑色の瞳に、悪寒が走る。

 あたしは、反射的に自分を抱き締めた。

 あれは、次元が違う! 

 馬鹿げてる、なんなのあれ!? 

 あまりのことに呆然とし、身動きすらとれず眺めていた。

 というよりも、眼が離せない。

 吸い寄せられるように魅入ってしまう、その姿。

 ひょっとして、あれが本来のおねーちゃん……なの? 

 確かにあれなら、魔王としての風格は十分だ。

 何時か見た、呑気で一人では何も出来ないようなおねーちゃんとは正反対!

 そして、屈辱を味わったけれど認める。

 

「綺麗」

 

 あたしは、そう思った。

 得体の知れない、畏怖すら覚えるその姿は確かに秀麗。

 妖艶とした女神という表現が、言い得て妙だ。

 カタカタと、聞きなれない音がする。

 あたしの歯が、小刻みに鳴っているのだ。

 視界がぶれて、よく見えない。

 それは、全身が大きく震えているからだった。

 今まで痛感したことがない恐怖に直面しているのだと、自覚した。

 悔しくて、唇を噛み締める。

 それは、存在感での圧倒的な暴力に思えた。 

 動けないあたしを尻目に、おねーちゃんは狼狽している奇怪な生物に背を向け、見当違いの方向へ飛んで行く。

 そして、水飛沫を盛大に上げて湖に落下した。

 暫くして水浸しで浮上してくると、無表情のまま潤んだ唇を動かしている。

 聞こえなかったけれど、何か喋った。

 すると、醜悪な生物が奇声を上げておねーちゃんに突進していく。

 突進と言っても、大きく膨れ上がりすぎたスライムのような身体を揺すっているだけに見えた。

 挑発したのか、めっちゃ怒っていることだけは理解できる。

 華奢な身体が、巨体に押し潰されそうだ。

 しかし、微動だすることなく、おねーちゃんは空気中から創りだしたとしか思えない、純白の鞭を手にしていた。

 気づいたら握られていたその鞭で叩い……え? 

 何あれ、鞭じゃないの?

 その武器をどう形容してよいのか分からず、あたしは混乱している。

 最初は確かに、しなる鞭だった。

 けれど、瞬きした瞬間に鞭から一本の槍のような形状に変化したのだ。

 その鞭だか槍みたいなのが、ご丁寧に花弁を散らして優雅に舞っているように見える。

 おねーちゃんの身体は一切動いていない。 

 右腕一本で、槍のように滅多刺しにしつつ、鞭として肉を抉り削いでいる。

 凶悪な武器に、吐き気が込み上げた。

 無表情のまま淡々と繰り出しているから、滅茶苦茶怖い。

 額を汗が伝い、流れ落ちて唇に忍び込んだ。

 しょっぱい。

 その塩辛さで、あたしは我に返った。

 こんな戦いは、知らない。

 制裁を加えるような一方的な暴力に、吐き気がする。


「ひゃっ!?」


 急に、あたしの身体は地面に引っ張られるように落下した。

 悲鳴を上げながら、腕を天へ伸ばす。

 宙を掴んだところでどうにもならない、必死にもがいたけれど、駄目だった。

 バキバキと木々をへし折り、地面に叩きつけられる。

 魔力操作が上手く出来ず、浮遊力が消滅したらしい。

 どうして。


「いった……」


 背中を地面に強打し、あまりの激痛に芋虫のようにゆっくりと動くことしか出来なかった。

 ただ、痛みで脳が麻痺しても、起きて逃げなければならないことだけは理解している。

 間違いなく、おねーちゃんが勝つ。

 あんなの、誰が見ても結果は歴然としている。

 そしたらきっと、おねーちゃんは邪魔なあたしを殺しに来るだろう。

 あれは、何もかも全てを無に帰すような瞳だった。

 魔王じゃない、()()()()()()()

 あの日、あたしに『ソコから出してあげる』なんて言った、脆弱なおねーちゃんではないのだ。

 別人だ。

 あれには勝てない、勝ち目などない。

 あたしは、必死に腕を動かした。

 随分と情けない姿だ、腕を使って地面を這い、進み続ける。

 だって、脚に力が入らなくて立てないんだもの。

 おねーちゃんに気づかれて、殺される前に姿を隠す。

 恐怖で身体中を強張らせても、気力でそこから進んだ。

 それは、生への執念。

 あたしはまだ、死にたくない。

 死んだら何も出来ない、あたしには、やらなければならないことがある。

 そう、どうしても、やらなければならない、こと、が……。


「あたし、あたしは、()()()()


 やらなけばならないこと、って……なんだっけ。

 意識が朦朧として、分からなくなってきた。


「っ、ふぇっ……」

挿絵(By みてみん)

 怖くて、痛くて、泣いた。

 ここには、あたしを知ってる人がだぁれもいない。

 だれも、たすけて、くれない。

 おねーちゃんに、「助けて」なんて言っても無駄だ。

 全てを一瞬で消し去りそうな瞳だったもの。

 無理よ、助けてなんて言えない。

 頭の中で声がするの、早く逃げろって声がするの。

 でないと姉に殺されるよって、警告しているの。

 何もかもを持っている、どう足掻いても勝てない姉が、あたしを殺しにやってくるよ……って、囁き続けているの。


「こわい、よぉ……」


 地面を這いずるのは痛いし、汚れてしまうの。

 土がたくさん身体に纏わりついて、お洋服は勿論、自慢の身体や顏、髪まで泥だらけ。

 それに、小石が、落ち葉が、枝が刺さって痛いの。

 でも、でも、腰が抜けて立てない。

 万が一立つことが出来ても、脚が棒のようで一歩も動けない。

 逃げなきゃ、あぁ、逃げなきゃ……。

 あたしはまだ、死ねない。


 形振り構っていられない。

 身体が汚れても、痛くても、這い蹲って前に進んだ。

 時折咽るし、涙で眼下が霞む。

 とても、惨め。

 それでも、あたしという存在をこの世に残したい執着心に突き動かされているのか、どうしても生きたいのだ。

 でなければ、産まれた意味が分からない。

 鼻を鳴らすと、粘りつく風の中に塩っぽい匂いが混ざっていた。

 見上げた先に、大きな湖が見える。

 あれが、海だろうか。

 土と木々が織りなす茶色と緑色の彩色が、一気に変わった。

 森の出口だ!

 気合を入れ、無我夢中で立ち上がった。

 産まれたての小鹿みたいにプルプルしている足を、どうにか前に出す。

 海の匂いに引き寄せられるように歩いていると、魔族の気配がした。

 足がもつれたけれど、木々の合間からするりと紛れ込む。

 この集団に紛れ、一旦身を隠すのだ。

 魔族たちの顔は疲弊しきっていて、一言も発しない。

 おそらく、あたしが加わったことにも気づいていないのだろう。

 自分のこと以外、とても考えられる状況ではないらしい。

 歩いていると、魔族たちが大勢見えてきた。

 みんな、同じ場所を目指しているのだ。


 そうして、開けた場所に到着した。

 ここが港街、魔界イヴァンから唯一出立出来る場所。

 こんなにも多くの魔族がいたことに驚きつつ、駆け足になって街をまわる。

 無料で配布されている汁物があったから、遠慮なくいただいた。

 炊き出し、というらしい。 

 お魚と根菜が煮込まれたそれは、驚くほど美味しかった。

 生きるか死ぬかの瀬戸際だったけれど、温かい食事で元気が出た気がする。

 さて、一先ず身体を洗いたいけれど、どうしたらいいんだろう。

 汚れていても可愛いけれど、普段の宝石のように輝くあたしに戻りたい。


「乗船希望の方は早急に手続きをー! 次に出航する便は目処が立っておりませんー」


 周囲を見渡していると、掠れた怒鳴り声が聞こえた。

 魔族たちの波に流され、抵抗出来ぬままそちらへ進んでいってしまう。

 ふね? 

 ……船なら、なんとなくわかる。

 水にプカプカ浮くやつだ。

 反対方向に行くのもつらいし、船は楽しそうだし、せっかくだから並んでみた。

 あたし、お船に乗ってみたい。


「運賃は()()()ですよー! お手元に必ずご用意くださいませー!」


 そんな金切り声が聞こえてきた。

 へ? 十マリって何。

 どうしよう、知らない単語が多すぎて、何をしたらいーのかわかんない。

 困り果て、目の前にいる魔族の外套を掴む。


「あのさ、十マリって何」


 振り向いた男は、お世辞にも美形と言えない大変残念な顔をしていた。

 脳が受け入れを拒否し、反射的に一歩後退する。

 コイツより、さっき見た勇者の仲間っぽい感じの茶色い髪の男の方がマシだなぁ……。


「君は……」


 そいつはあたしを上から下まで舐めるように、つまり、性的な目で眺め、なんだか嬉しそうに笑った。

 それが余計に醜さを強調し気持ち悪いので、更に一歩後退する。

 声をかける相手を間違えてしまったらしい。

 マビルちゃん、痛恨の過ち。


「もしかして、お金を持っていないのかい? 船に乗るなら、ボクちゃんが払ってあげるよ」

「……お金?」


 どうしよう、お金ってなんだ。

 当惑してたら、そいつが馴れ馴れしく肩を抱いてきた。

 ええい、気色悪い!

 皮膚はベタベタするし、変な臭いがするし、早い話吐きそうだ。

 正直、視界に入れたくないので声も顔も形容出来ない。

 駄目だ、嫌悪感が爆発寸前。

 殴りたい衝迫を抑え、お金とやらの話を聞くために無理やり口角を上げる。

 そいつは、「懸命にここまで逃げてきたんだね、怖かったね、もう大丈夫だよ」と言い、「船の中で身体を綺麗にするといいよ」と笑った。

 なるほど、船の中にあたしが求めるものがあるらしい。

 ただ。


「綺麗にしても……着替える服がない」

「船内で買えばいいさ、ボクちゃんに任せて」


 グフフと笑う男は、どうしたって気味が悪い。

 しかし、あたしは不審がりながらも小さく頷いた。

 隙を見て逃亡すればいいのだ。

 それまでは、この男を利用する。

 あぁ、端正な顔立ちの男だったら、言うことないのになぁ。

 あたしの運が悪いのも、全部おねーちゃんのせいだ。

 許さない。


「やぁ、そこの君。ほら、倍額出すよ。一等室を用意してくれ」

「部屋は先着順です。静かにお並びください」

「融通の利かない魔族だな、ボクちゃんが誰だか知らないのかい? 魔王アレク様の守護にあたっているスリザ隊長の従弟だぞ」

「スリザ様の従弟であろうと、先着順です。そもそも、証明出来ないでしょう?」

「ムキ―!」


 男が下卑た声を上げて怒り狂い始めたけれど、どうにか船に乗ることが出来た。

 ……コイツ、顔だけでなく頭もダメっぽい。

 でも、大丈夫。

 だってあたし、かわいーから。

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