◆悪役令嬢(仮)と、ばれんたいん
それは、『トランシスが脱獄しちゃった事件』の数日後だった。
「マビル! 再来月の14日だけど、このお店を予約したよ。ほら、マビルの好きなものばかりだろ?」
「14日?」
「うん。ヴァレンタインだよ」
「ばれんたいん? ……あぁ、チョコの日ね」
地球というか、日本という場所で盛んなイベントだ。
「厳密に言うとチョコの日ではないけれど……そんな感じ。ほら、ここ。豪華客船の中で有名シェフの料理を食べられる、この日だけの特別な食事会だよ」
気色悪いほど興奮して近寄ってきたトモハルは、頬を桃色に染めてご機嫌だった。
パンフレットを差し出されたから、訝りつつも受け取って凝視する。
ほほーぅ、とても美味しそう! それに、船内でお食事って素敵ね!
……嬉しいけれど、どうにも素直に受け入れられないあたしは。
「お膳立てしてまで、チョコが欲しいの?」
冷たく言い放った。
「チョコは用意しなくていいよ、甘いものはそこまで好きじゃないから。ただ、毎年人気らしいし、マビルが好きそうなメニューだったから。喜ぶかなって」
苦笑し、頭をかきながらトモハルは言う。
素直にチョコが欲しいと言え。
美味しいものを食べさせて、あたしからチョコを貰う気なのだ。
きっとそうに違いない。
だってあたしは、一度もチョコをあげたことがないもの。
華やかなラッピングのチョコを買ってもらったことは幾度もある、でも、食べちゃった。
トモハルより、あたしが食べたほうが似合うでしょ?
「どうしていつも勝手に予定を決めるの? あたしは忙しいの、だから、気が向いたら行ってあげる」
「よ、予約したから。……一緒に、行こう」
「あーもー、束縛しないって言ったじゃん。ウザい」
あたしはトモハルを突き飛ばし、部屋へ戻った。
……嬉しかったんだ。
嬉しいよ、一緒にお出かけは久しぶりだから。
でも、とても恥ずかしくて。
だから、部屋に籠もった。
浮かれているあたしを、誰にも見られたくなかったのかもしれない。
今も、頬が緩んでいる。
「お、おでかけ。一緒に、お船、おいしい、ご飯……素敵」
ベッドに寝転がり、パンフレットを隅々まで凝視する。
わぁ、絨毯は紅色で品があるし、船とは思えない内装!
それに、当日は花火も上がるんだ。
ゆっくり観ることができるよね、いいなー!
甲板で色とりどりの花火と遠くで煌めく夜景を見ながら、手を繋げたら嬉しいな。
冬だから寒いのかな、それなら、あっためてもらおう。
「えへへ」
心が躍り、ベッドの上を転がった。
でも、飛び起きてクローゼットを漁る。
服を、服を決めなきゃ、って……。
トモハルが購入してくれた可愛いお洋服が、たーくさんあるから。
何を着よう、どれにしよう。
でも、最近の流行は分からないから、地球へ出向いて雑誌を購入し、お勉強しなきゃ。
なんだか楽しくなったあたしは、一日中部屋で着せ替えして遊んだ。
クロロンとチャチャが、後ろで可愛らしく啼いている。
し、仕方ないな、行ってあげようかなっ。
夜、一人で眠っていると。
毎晩、同じ夢を見る。
トモハルが隣にいて、頭を撫でてくれる夢。
それが嬉しいから、きちんとお城のこの部屋で眠るようにしていたよ。
ここ以外で眠ると、この夢を見ることが出来ないから。
でもね。
あたし、見たの、聞いたの。
「大丈夫、必ず護るから!」
クロロンはお転婆で、お城の裏側の変な場所に入って行ったから、チャチャと一緒に追いかけたの。
普段は、誰も行かないような場所。
あたしも、知らなかった。
隠されていたような、そこで。
トモハルが……ババァメイドを抱き締めていた。
正面から、強く。
メイドは号泣し、トモハルにしがみ付いていた。
大声で泣きわめくババァに、トモハルは幾度も「大丈夫だ」って囁いて。
「オレがついてるよ、そんなに泣かないで」
このうえなく優しい声で、そう言ったの。
真剣にそのババァを励まし、落ち着かせるような優しい声で、ぎゅっと抱き締めて。
「トモハル様っ……!」
「大丈夫、大丈夫だから」
はぁ。
……地球の日本で、『悪役令嬢もの』という物語が流行っていて。
とても面白いから読んでいる。
健気な雰囲気だけれど実は腹黒い可愛い感じの女が、一見冷たそうで我儘だけど実は聡明で清純な美女から男を奪うという感じの物語だ。
それらを読むたびに、男どもはどうしてそんな性悪女に騙されるのか疑問だったのだけど。
あれ、もしかしてあたしもそんな感じなの?
あたしは悪役でも令嬢でもないけれど、その主人公らのように疎外され虐められ、つまり、悪役に仕立て上げられた気がする。
と考えたら、とにもかくにも腹が立ってきた。
それなのに、急に足元から力が抜けたのは何故?
唇が乾き、手が震えているのは何故?
すーって、頭が冷えていったのは。
ねぇ、何故?
このままだと、あたしは嵌められて離婚を言い渡され、追い出される主人公になってしまう。
そして、トモハルは腑抜けの大馬鹿あんぽんたんだ。
最後は悪役令嬢が勝つけれど、あぁ、どうやればいいんだっけ。
お願い、物語の主人公たち、あたしに知恵を貸して。
あぁ、誰か、助けて。
トモハルは、あのメイドババァに奪われてしまったの!
何処をどう走ったのか覚えてないけれど。
鏡に映るあたしは、最新の高級ブランドバッグを手にしていた。
どうしたのかって?
これが購入できるお金など、あたしは持っていない。
そもそも、こんな高額商品を自分で買うわけがない。
買ってもらったの、さっきまで遊んでいた人に。
お金持ちー、かっこいいー、おねだりしたら買ってくれたー。
わーい。
わーい、わーい、わーい!
あたしはまだ世間一般的に、可愛い。
だから、……トモハルがおかしいのだ。
あたしより、ババァメイドを選ぶトモハルが。
深夜、お城へ戻った。
戻ったら、深夜だというのにメイド数人とトモハルが食堂で会話をしている。
お茶を飲みつつ、和気藹々と。
あぁ嫌だ、戻るんじゃなかった。
「…………」
「あら、マビル様」
あたしの姿を見つけたメイドたちはあからさまに散らばっていき、トモハルと二人きりになった。
だから、これ見よがしにバッグを大事そうに抱える。
あのね、あたしね。
物凄くイライラしているの。
激おこぷんぷんまるファイナルソードロイヤルストレートフラッシュなの。
いや、そんな可愛い言葉では生温い。
城内の人間を血祭りにあげてから、この城を跡形もなく破壊したいくらいに激昂している。
昼間のトモハルが甦り、あたしはバッグに爪を立てた。
思えば、最初からあのババァメイドはトモハルの隣にいたような。
親密な補佐官のように。
おねーちゃんが手に入らないから、あの女にしたのかな。
あんなババァ、おねーちゃんにもあたしにも似ていないのにっ。
ここへはお湯を沸かしに来たので、無言で用意を始めた。
静まり返る食堂は気まずいし息苦しいし腹が立つしで最悪だけれど、あたしが退くのは変だもの。
抜けていく水分を補給しなくちゃ、あたしの完璧な美貌が保てない。
しまったな、地球で温かい飲み物を購入すればよかった。
そうすれば、こんな辛気臭い場所に来なくてもよかったのに。
あぁ、失敗した。
ぽこぽこぽこ、お水が熱を持つ音が響く。
時間が経過していることを示すその音に、何故か焦った。
お湯が沸くのを待っていたら、トモハルが話しかけてきた。
「おかえり。遅かったね」
顔を見るのも面倒だったから、視線を合わせずに呟く。
「そう? 楽しかったから」
「……そんなバッグ、持ってた?」
躊躇いがちに言うトモハルをちらりと見たら、このバッグに興味を示しているようで、若干狼狽していた。
何だこいつ、あたしの所持しているバッグを把握してるの?
きーもーいー。
非常に不愉快、詮索しないで、干渉しないで。
本命がおねーちゃんなら、非常に殺したいくらい、ウザイ。
ほいほい女に甘い言葉をかけて抱き締めて、胸で泣かせるなんて、さ。
叩き潰したい、あたしは物凄く怒っているの。
あたしはね、トモハル。
蘇ってからアンタ以外の男に抱き締められたことは、一度もない。
あたしは、そうだった。
アンタは、違ったみたいだけれど。
なにもわかっていない。
「これ? 可愛いでしょ、新作なの」
「そっか、新作かぁ。最近疎いからなぁ……他に欲しい物はある? 今度一緒に」
購入する必要はない、あんたにもらった物を大事に出来ないから、絶対に要らない。
苛々してきたので、口から思わぬ言葉が飛び出した。
「彼氏が買ってくれたの」
「え?」
そう、これはあたしに相応しい素敵な彼氏が買ってくれたのだ。
あたしにだけ優しくしてくれる、あたしだけの大事な人。
そういう人に貰いたいのだ。
トモハルは金持ちだから、このバッグだって簡単に購入できるのだろう。
でも、あたしは。
残念でしたー、物に釣られる女ではないので。
この場でコイツに殴り掛からなかったあたしは、立派だと思う。
よく堪えたよ。
知らなかった、人を異常なまでに嫌うと、ソイツの周囲までもが歪んで見えるらしい。
本当に嫌い、大嫌い。
おねーちゃんにあたしのコトを護るように言われ、護っているつもりで匿っていたのかもしれないけれど。
トモハルがいないと、あたしは生きていけないとか思ってる?
屈辱だ、あたしはアンタがいなくても生きていける。
舌打ちして目の前のトモハルを見たら、いつも通りにへらーと笑っていた。
手の平で転がしているから、あたしに彼氏なんかいるはずもない、って思っているのか。
……蹴って殴って殺したい。
昼間のあたしが覚えた、物凄く嫌な感情。
それをコイツにも味あわせてやりたい。
どうすればいいんだろう。
あっ、そうだ。
「とーってもかっこいい人なの! サラサラの髪に鋭くて綺麗な瞳、唇の形が超好み。スラッとした長身で、細身だけど筋肉質で逞しくて、足も長いグッドルッキングガイ。そして金持ち、さらに博識、もちろんあたしにとても優しい」
「…………」
あたしは思い出すように瞳を閉じ、うっとりとバッグを抱き締める。
「それにキスが蕩けるほど上手でー……誰かさんと違って。もー、あたしメロメローなのだ」
瞳を開き、鼻で笑ってやった。
コイツは大きく身体を引き攣らせ、硬直している。
「えっちも上手な、激レア男なのー」
微動だしないコイツを見ていても、面白くない。
何か反応しなよ、つまんないから。
「眠る時はぎゅーって真正面から抱き締めて、あたしが眠るまで起きて頭を撫でていてくれるのー。素敵でしょ? それがまた気持ちいいんだー。手を繋がれるだけだとウザイけどさ、そうされると『大事にされてるなー』って実感できるのー。もー、あたし、彼氏、好き好きー、大好きー」
きゅんきゅんと、飛び跳ねてみる。
恋をしているおねーちゃんは、こんな感じだったから。
思い出して真似をした。
……恋をしているおねーちゃんはいつも幸せそうで楽しそうで、見ているこちらが元気になるような笑顔を振りまいていた。
でもね、こんなあたしでは真似できないよ。
知ってるよ、真似をしたらあたしも少しは近づけるんじゃないかって思っていたけれど、所詮まがいものだもの。
あたしは嘆息し、コイツの顔を覗き込んだ。
あれ? ……普通だ。
何故か、胸に強烈な痛みが走った。
ん? 何で? どう反応していたら、あたしは納得したんだろう。
目の前で何も言わず、あたしの話を聞いているコイツに、余計イライラする。
無反応って、興味がないってことじゃん。
腹立つなぁっ。
「というわけで、あたしがいなくても気にしないで。彼氏と一緒だから、心配いらないよ」
愛おしそうに、バッグに口づける。
沸騰したお湯が、ボコボコと音を立てていた。
この場にいるのが限界で、ティーポットに茶葉とお湯を注ぎ、歩き出す。
「そうか」
後ろから声がしたけれど、振り返らなかった。
「そうだよ、ばいばい」
それだけ言って、食堂を出た。
部屋に戻ると、ばれんたいんとやらの食事会で着る予定だったお洋服がベッドに転がっていたから、クローゼットに投げ入れた。
服を選んでいたあたしの時間を返して。
馬鹿みたいに浮かれていた、あたしの心を返して。
ものすごーく、無意味。
怒りの制御が出来なくて、ゆっくりお茶を飲む余裕はなかった。
渋くなっちゃった、美味しくない。
大きな溜息を吐いて入浴し、ベッドに入り、クロロンとチャチャを抱き締めて眠りにつく。
眠ればこの怒りとおさらばできると思ったのに、眠れない。
「ムカつく」
アイツは平然として、怒鳴りもしない、泣きもしない。
つまんない。
あたしのことが好きなら「何処の誰だよっ」って訊けばいいのに。
トランシスなら、その相手を見つけ出して殺しちゃうよね。
そういう奴だもの。
興味なさげなトモハルを思い出し、今更あたしの存在は薄っぺらなものだと実感した。
……以前、地球の本で読んだことがある。
『怒り』という感情は、悲しさからくるものだと。
思い通りにいかなくて、悲しいから怒ってしまう。
悲しみに沈む自分を護るための感情、それが怒り。
それを見た時、鼻で嗤ったけれど。
正しい情報だったように思う。
あたしは、悲しいのだろう。
怒りを鎮めるためには、悲しみを喜びに変える必要がある。
でも、そんな方法はない。
トモハルは、あたしのことを見てくれない。
サラサラの、栗色の髪。
垂れ目だけど、瞳を細めると鋭くなってかっこよくなる目。
唇の形が綺麗で、一回しか経験していないけれどキスが上手いんだ。
足だって長いし、腰は引き締まっていて細いし、昔に比べて身長もグンと伸びた。
すらっとしていて、どんな服でも似合うけれどお洒落。
裕福で、頭も良いし、優しくて、とてもモテる。
一生懸命で、前向きに取り組む姿勢は好感が持てる。
……あたしは知らないけれど、きっと優しい抱き方をするんだろう。
ただ、欠点は八方美人で女好き。
きもち、わる、い。
ねむれ、ない。
かなしい、かなしい、かなしい。
……ねぇ、どうして「マビルは俺の妻なんだから彼氏作るな」って、言ってくれないの?
あたし、一体何なの?




