◆強すぎる想いが、ほんの少し羨ましい
なぜこんなところにいるの、どうやって牢から出てきたのっ。
いや、そんなことを考えている余裕はない。
反射的に杖を振りかざし、あたしの得意な魔法で応戦する。
火炎を操ることに長けたアイツだけれど、互角なはず。
「マビルッ!」
後方であたしの名を呼ぶトモハルの声が聞こえた。
でも、今は目の前の相手に集中しないと。
「けふっ」
「それはオレのアサギの武器だろう? 何故マビルが持っている」
何時の間に移動したのか、目の前にトランシスがいた。
一瞬気を失いかけたけれど、苦しくて意識が戻る。
「ぅ、がっ」
目の前にトランシスの顔があったから蹴ろうとしたのに、足に力が入らない。
宙に浮いた足は、だらんと揺れている。
くっ、るしぃ……。
首を掴み持ち上げられ、ギリギリと絞められた。
「返せ」
頭がぼーっとする。
意のままに操れない手から杖を奪われ、抱えていたおねーちゃんの日記が落下した。
霞む瞳が映すトランシスは怒りが沸騰しているようで、数年前に見た時と同じ悪魔に見える。
指が首に食い込み、あたしは。
「離せよっ」
トモハルの声が聞こえた気がする。
でも、楽にならない。
くるしい、くるしい、くるしい。
「マビルを離せっ」
トモハルの、こえが、きこえる。
朦朧としているのに、耳に不快な音が届いた。
閉じる瞼の隙間から、壁に叩きつけられているトモハルの姿が見える。
あぁ、やめて、やめて、トモハルには手を出さないで。
どのくらい失神していたのだろう。
温かな空気が身体を包んでいる気がして、あたしはうっすらと瞳を開いた。
ふわっと身体が浮く感覚の後、急に重みがくる。
大丈夫、あたしは生きている。
「間に合ってよかった」
目の前に、知らない顔が並んでいた。
安堵の溜息を漏らす人々に囲まれ、呻きながら起き上がる。
回復魔法を唱えてくれたらしい、助かった。
強力な癒しの力を所持している天界人がいるらしいので、その恩恵を受けたのだろう。
「すまなかった、マビル」
あたしを抱きかかえていたのは、蒼ざめている神クレロ。
上等な衣服と、好みではないけれど比較的端正な顔立ちをしている彼は、目も当てられないほど汚れていた。
「神様も参戦してるの? 弱っちいのに、大丈夫?」
彼は戦闘が不得手だと聞いている。
それなのにこの場に出てきたということは、相当危険な状況なのだろう。
でも、万が一にでも神様が破れたら、それこそ世界の危機では。
「案ずるな、私の能力は回復魔法と回復魔法と回復魔法だ」
真顔で妙なことを告げるので、あたしは力なく吹き出した。
あぁ、強力な癒しの力を持つ天界人って、神様のことか。
納得。
「っ、ぅ」
「無理をしてはならぬ、本調子ではないだろう、少し休憩しなさい」
「気にしないで、あたしだって戦える」
だってあたしは勇者アサギの双子の妹で、武器を譲り受けた正当な後継者。
どんな敵が相手でも勇猛果敢に、しかし可憐に戦っていたおねーちゃんの名に恥じぬよう、戦ってみせる。
例えその相手が、おねーちゃんの恋人でも。
気遣いの声に反発し、右手を力強く握った。
でも、そこに武器はない。
あたしの意識が途切れたから、杖は消えたのだろう。
集中し、また杖を呼び出せばいいから問題はないけれど、ムカつく。
口の中に鉄の味が広がり、口元を強引に拭った。
「くそっ、あの野郎っ」
簡単に敗北した不甲斐ないあたしにも、縦横無尽に暴れているトランシスにも、色々と腹が立つ。
お腹が気持ち悪くて、顔を顰めながら擦った。
もしかして、殴られた?
やめてよ、美しい肌に痕が残ったらどーしてくれるの。
「油断するな」
冷え冷えとするような美声に、あたしは顔を上げる。
涙が出るくらい嬉しくて、隣に立っている男の名を口にした。
「トビィ」
トビィが助けてくれたのなら、納得できる。
ただ、普段と雰囲気が異なっていた。
そりゃそうか、目の前の相手は厄介だ。
トビィの属性は水、トランシスの属性は火。
それに、親友というより……遥か遠い昔は、双子だった。
まるで、あたしとおねーちゃんみたい。
「注意を怠ったわけではなく、驚いただけ。隔離されているはずの悪魔に遭遇するなんて、思わないじゃんっ」
「そうか。なら、戦えるな。奴を封印する、マビルの力を貸せ」
「当然っ」
口は悪いし優しくないけれど、トビィはあたしをあたしとして見てくれる。
だから好き。
それはそうと……トモハルは何処へ行ったの。
周囲を一瞥したけれど、目立つ茶髪が見当たらない。
ただ、今は目の前の強敵に集中しよう。
きっと、無事だから。
だって、アイツもおねーちゃんと同じ勇者だもの。
「ねぇ、どうやって脱獄したの? 誰かが逃がした?」
「調査中だ、気を抜くな。トランシスの状態が予測できない」
トビィと共にトランシスを睨みつけると、余裕たっぷりに微笑んでいた。
不気味な姿に、肝が冷える。
「デズデモーナ、援護に入れ」
「心得ております。リョウ殿もこちらへ向かっていると」
「助かる。それまで時間稼ぎだ」
何時の間にかあたしの反対側にトモハルが来て、阿吽の呼吸でトランシスを囲むように間合いをとる。
「……トビィにマビル、で、トモハル。申し分ないメンバーだ。誰か一人殺せば……アサギが出てくる」
あたしたちの顔を見渡し、恍惚の笑みを浮かべたトランシスは嗤っている。
寒気がして、頬が上に引っ張られた。
狙いは、それか。
あたしたちを囮に、おねーちゃんを引きずり出す気らしい。
どこまで外道なの。
意地の悪い笑みを浮かべているトランシスを睨みつけていたら、彼の足元に落ちている物体に気づいた。
さっき見つけたおねーちゃんの本……というか、日記だ。
まずい、あんなところにあったら破れるだろうし、最悪読むことが出来なくなる。
断腸の思いで自ら消えたおねーちゃんだけれど、あれをトビィに見せたら何かが変わるかもしれないのに。
それに、あの本を最も欲しているのはトランシスでは。
話を聞く相手ではないから、あたしが説明したところで無駄かもしれないけれど、でも。
きっと、希望の光。
「マビルは前に出るな。後方支援に徹しろ」
「うっさい、あたしもいける。それよりトビィ、あのね、トランシスの足元に」
どうにか本の存在を伝えねばならない。
なのに、僅かに視線を外したら、あたしの目の前にトランシスがいた。
「速っ」
おねーちゃんが関わると、この男は馬鹿みたいに強くなる。
強くなるというより、出鱈目な存在になってしまう。
だって、こんな速度、常軌を逸しているっ。
「おかえり、マビル」
耳元で声が聞こえ、首を掴まれた。
「学習能力がないなぁ」
ぎゅうっと首が絞まる。
くる、しっ!
どうしてなの、あたしはこんなに弱くないの、に。
「あぁ、心配しなくてもいい。大丈夫だよ、まだ殺さない。ほら、トモハルが助けに来た。健気だよなぁ、『好きなアサギに頼まれた』から、マビルを護らねばならない。大変だねぇ」
そんな声が聞こえ、我に返る。
薄っすら瞳を開くと、鬼のような形相のトモハルがこっちへ向かっていた。
やめなよ、勝てないよ。
あたしで歯が立たないもん、間違いなくトビィでも互角だよ。
それに、来て欲しいけど……来て欲しくない気もするのは、なぜ?
あぁ、もやもやする。
「トモハルはいつの時代も忠実だ。」
トランシスの粘りつくような声が、気色悪い。
全て自分の思い通りだと言わんばかりに、自信に満ち溢れている。
なぜ、そんなに楽しそうなの。
トモハルの声が、次いで、トランシスの絶叫が聞こえて。
「しっかりしろ、マビル! 解るか⁉」
あたしはトモハルに助け出された。
顔面蒼白であたしを覗き込み、脈を確かめている。
おかしいな。
トモハルより、あたしのほうが強いはずなのに。
「そんな、に……あたしが、大事?」
途切れ途切れに、そう呟いた。
おねーちゃんの妹だから、自分の限界を超え、あたしを助けてくれたの?
あたしに何かあったら、おねーちゃんに申し訳がたたないから。
だから、なの?
首に指がまとわりついている気がして、怖気がする。
「大事だよ、当たり前だ」
ご丁寧に返答してくれたトモハルは、あたしの蚊の鳴くような声を聞きとっていたらしい。
「……怪我はない、首を絞められただけ」
あたしは自力で立ち上がり、トランシスを睨みつけた。
「マビルはここで休んでいて」
不安げな声と共に伸びてきた手を振り払う。
あたしは一人でも戦える、そうやって生きてきたもの。
見れば、トビィと交戦しているトランシスは腹部から流血している。
弱っている今なら、あたしだって……!
再び伸びてきたトモハルの手を振り払い、杖をかかげて詠唱に入る。
でも、後ろから強い力で引っ張られた。
「ちょ! 何すんのっ」
「本調子じゃない、暫くここで休憩。マビルは狙われている、危ないから動かないで」
「はぁ? 馬鹿じゃないの、激弱なあんたのほうが危ないでしょ」
冷たくあしらい、詠唱を再開しようとした。
けれど、腕を振り払えないのだ。
思いの外、力が強くて。
あぁ、イライラするっ。
「ウザっ! 離してよっ」
「いいから大人しく護られてろよ!」
あたしは怒鳴り声のトモハルに抱き締められ、動けなくなった。
もがいても、抜け出せない。
いつも振り払っていたのに、へ、変だな。
「護衛、ご苦労様」
トランシスの声が間近に聞こえて、背筋が凍りつく。
トビィはどーした、何してんのっ。
あたしを抱えながらトランシスと互角に戦うなんて、トモハルでは無理に決まってる。
けれど。
以後、あたしはかすり傷一つ負わなかった。
「遅くなって、すみません! 無事でよかったです!」
歓声と共に到着したリョウと他の勇者たちが視界に入り、あたしは胸を撫で下ろす。
トモハルが抱き締めて護ってくれたので、ドコも痛くない。
でも、嬉しいのか哀しいのか分からなくて、複雑。
そんな中、あたしはおねーちゃんの本を捜していた。
厚みはないけれど、軽くもない、でも、風圧で飛ばされてしまうから。
「あっ、待って!」
ようやく見つけた時、本は一瞬にして燃え上がった。
抵抗するトランシスが四方に放った火炎のせいで。
なんてことをするのっ、手掛かりが消えちゃったじゃんっ。
あぁ、あたしが本を持ち出さなければ、こんなことにはならなかった。
怒りより後悔が身体中を支配して、あたしは力なくトランシスを見やる。
満ち足りた表情を浮かべて微笑むその男は、どこまでも醜悪で。
悲壮感漂うあたしを馬鹿にしているようだった。
気に食わない。
唇を噛んで睨みつけると、トランシスは。
「…………」
一瞬だけ、物言いたげに口を開いた。
その時の彼の瞳には、揺れる炎が宿っていて。
疲労困憊なあたしの錯覚かもしれない、けれど、正気に思えた。
とても悲しそうな姿は、機会を逃して項垂れているようにも見える。
すぐに、ゲラゲラと下卑た声で嗤い始めたけれど。
「よかった、無事で」
掠れる声とともにトモハルを見たら、あちこちが傷だらけだったから。
一応、魔法で治してあげた。
あたしは、回復魔法が得意だから。
「ありがとう」
嬉しそうに御礼を言われたけれど、あたしはそっぽを向いた。
そっと手を握っていてくれるのに恥ずかしかったから、今度こそ振り払って立ち上がる。
昔と同じ優しい笑みと柔らかな声は、なんだかむず痒くて。
本があった場所に駆けつけたけれど、そこには何もなかった。
ただ、ハラハラと煤が舞っている。
「どうした」
呆然と立ち尽くしているあたしにトビィが声をかけてくれたから、意を決して話した。
「ごめんなさい。あの、あのね。さっき、ここの図書室で、おねーちゃんが書いたと思われる日記を見つけて……」
見つけた時、身体の芯から冷えるほど不気味に思ったこと。
間違いなくおねーちゃんの文字なのに、現在進行形の日記のようなものだったこと。
そして、トビィに見せようと持ち出したらトランシスに遭遇したこと。
身振り手振りで語るあたしに、トビィといつの間にかやって来たリョウは静かに耳を傾けてくれた。
「見事なまでに、陋劣な手段」
「断定はできないけれど……それが発端かな。存在が公になるのを拒み、本を処分するためトランシスを動かしたのかも」
「有力だな」
神妙な顔で語り出す二人を交互に見やり、あたしは首を傾げる。
「ど、どういうこと?」
自分でも驚くほど切羽詰まった声を出すと、大きな舌打ちをしてトビィが話してくれた。
「アサギはオレたちのもとを去った。しかし、天体どもはそれだけでは納得できないらしい。何かを恐れ、まだ蠢いている」
「……は?」
「簡潔に言うと、『油断するな』ということだ」
あたしは愕然とした。
つまり、天体とかいう驚異の存在は、未だにこちらを監視しているということ?
おねーちゃんが戻ったのに?
なぜ?
「『怪物と戦う者は、その過程で自らが怪物とならぬよう気をつけよ。深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ』……地球に語り継がれる、哲学者の言葉だよ。僕たちはアサギに逢う方法を探し、諦めず躍起になっている。だから、戦いは終わっていない」
「それはつまり、あたしたちがおねーちゃんを諦めない限り続くってこと? トランシスは狂っているのではなくて、意識を乗っ取られたままなの?」
あたしの問いに、トビィとリョウは黙ってしまった。
肯定なのか、それとも確信を得ていないから判断できないのか。
「あたし、は」
上手く言葉に出来ないけれど、先程のトランシスを見て思ったことがあるから。
伝えたくて、声に出した。
「完全に乗っ取られていない、トランシスは抗っている……と思う。あたしが持ち出した本を読みたいトランシスと、読ませたくない奴らがいて。負けてしまったから、本は燃えた。いや、燃やされた」
ただ純粋に、トランシスはおねーちゃんに逢いたいのだ。
捻じ曲がった愛情だけど、馬鹿みたいに一途だから本の存在に気づいてしまった。
誰かが逃がしたのではなく、自ら破って出てきたのだと……思う。
迷惑だし無茶苦茶で、そんな傍迷惑な愛情や行為は要らない。
真似はしたくないよ、けれどね、凄いとは思う。
強いんだよ、おねーちゃんを愛する想いが。
少しだけ、羨ましいと思った。
何が羨ましいのか分からなかったけど、さ。
トランシスもまた、純粋なのかもしれない。




