◆トモハルじゃなきゃ駄目なワケ ★
瞳を閉じて眠りに入ろうとしたら、慌てふためくデズデモーナが飛んできた。
「な、何事ですか」
「静かにして。見ての通りだよ、今は眠らせて」
「困ります! そこは私の寝床です」
「貸して欲しいな、きゅるるるるるん」
「嫌です、即刻立ち去ってください」
えー、どうして拒否するかなぁ。
耳元で喚くデズデモーナにげんなりし、舌打ちして上半身を起したあたしは彼を見据えた。
「もー……。あたしに歯向かうと、トビィにばらすよ」
「……何をですか?」
怪訝に眉を顰めたデズデモーナを、鼻で嗤う。
「おねーちゃんのことを好きだという事実を。まずいよねぇ、おねーちゃんは主であるトビィの最愛の人なのに、懸想しているだなんて」
トビィは気づいていないものね、解りやすいのに。
「そそそそそそそそそそそそんな、好きだなんて恐れ多い! 私はアサギ様をお慕いし、護りたいと思っているだけで」
気の毒なほど蒼ざめたデズデモーナは、しどろもどろ弁解した。
「デズデモーナにとって唯一無二の好いた相手でしょ」
「そ、それはそうですけど」
赤面して俯くデズデモーナが面白くて、あたしは大声で笑った。
よし、デズデモーナとなら対話可能だし、ここで落ち着こう。
あー、笑ったら喉が渇いたなー。
質の良い美味しいお水が飲みたいなー
「デズデモーナ、お水頂戴」
「何故ですか、私はマビル様の召使ではございません。私が仕えているのは主とアサギ様です」
「あたしはおねーちゃんの妹よ」
「それでも駄目です」
「チッ。マビルちゃんに奉仕できる喜びを痛感しなさいよ。無料よ、無料」
「相応の金額を支払いますので、お引き取り願います」
真顔でそう言ったから、腹が立ったあたしはスマホを取り出した。
「ならば致し方あるまい。えーっと……『トビィ、大変。デズデモーナが謀反を企てているもよう。おねーちゃんに恋焦がれるあまり、下剋上を』」
「わわわわわわわかりました、水、水ですねっ」
あたしの言葉を制し、大急ぎで部屋を出ようとするデズデモーナの背に声をかける。
「クレシダは水が大好きで、各地の美味しいお水を集めているときいたよ。彼の秘蔵水を持って来て、きゃるるるるるるん」
「…………」
あー、整った顔が歪むさまを見るのは気分がいいね。
屈辱を味わったらしいデズデモーナは、荒々しく部屋を出ていった。
「この惑星で、スマホは使えないよ」
真っ黒なスマホの画面を見つめ、あたしはにっこり微笑んだ。
それから暫くして、デズデモーナは水差しとコップを持って来てくれた。
「遅い」
「……クレシダは睡眠中で。主に訊ねたところ、ここの裏の湧水が美味しいとのことで……汲んでまいりました」
「わー、素敵!」
見れば、氷も浮かんでいる。
「それは主が酒を嗜む際に使用している、良質な湧水を時間をかけて凍らせたもの。数年前に氷室を設置しましたので」
氷をしげしげと見ていたあたしに、デズデモーナが説明してくれた。
「最高じゃん、ありがとう」
見るからに清冽な水を一口含むと、甘さに感動する。
「ふぁー、美味しい」
上機嫌で飲んでいると、お城のお水を思い出した。
あたしだけが飲んでいる、地球のお水。
きらすことなく、トモハルが常備してくれている。
「……デズデモーナ、足を揉んで。そこのオイルを使って、丁寧にね」
「ぇ……えぇ」
少し感傷的になってしまったので、持参した薔薇のオイルをベッドに置いた。
嫌悪感丸出しのデズデモーナだけれど、スマホをちらつかせると渋々オイルの瓶を手に取る。
ふふふ、あたしを睨むその辱めに耐えている顔は普段より色気があって素敵よ。
「マビルちゃんの足を揉むために、通常金銭が発生します。ですが、この美味なお水に免じて無料にしてあげるね」
「金を払ってマビル様の足を揉みたい輩など存在しますか?」
「あたしじゃなくておねーちゃんだったら、お金を払ってでも揉みたいでしょ?」
「それは……いえいえいえいえいえいえ、そのような不埒なことっ」
「不埒な考えを起こすな、揉む行為は人助け」
渋々オイルを用いてマッサージを始めたデズデモーナだけれど、驚くほど下手くそだった。
「ちーがーう、違う! 老廃物を押し出すように、こう!」
「文句が多いですね……。自分でやってくださいよ」
「自分でやると腕が疲れるもん、きゅるるるるるん」
「最低ですね」
「明日から講習に通いなよ、開業も出来るし」
「忘れないでください、私は竜です」
副業にいいじゃん。
「次は肩をよろしくね」
「……普段はどなたにこのようなことをさせているんです? 気の毒です」
げんなりして肩を揉み出したデズデモーナに、あたしは唇を尖らせる。
……トモハルは言えばなんだってしてくれた。
最近はしてくれないけれど。
昔は「足が疲れた」と言えば笑いながら丁寧にマッサージしてくれたし、多少無理な注文もスマホの動画を観ながらなんとかしてくれたっけ。
「その人に頼めば良いのに」
黙っていたら呆れたように呟くので、あたしの機嫌は急降下。
「うっさい」
「私が施術するより、巧いでしょうし」
「黙って」
明らかに人物を特定し文句を言うデズデモーナに、嫌気がさして。
あたしはオイルの瓶を手に取り、ベッドから立ち上がった。
「おや、おかえりですか」
愉快そうな声にカチンときたけれど、あたしは振り返らずに訊いてみた。
「ねぇ、デズデモーナ。おねーちゃんのことを好きになって、良いことあった?」
一呼吸置いたデズデモーナは、澄んだ声で言葉を紡ぐ。
それが思いの外優しい声だったから、あたしは。
自分が情けなくて、恥ずかしくなった。
何故かって?
……竜だって、誰かを好きになり、その想いをちゃんと言葉に出来ると知ってしまったからよ。
100%報われないって、知っている筈なのにね。
それなのに、後悔していない。
あぁ、でも。
もっと近くに蜜ごころを抱く男がいた。
「トビィー、一緒に寝てー。きゃるるるるるるーん」
「戻ってきたのか」
まだ読書をしつつワインを呑んでいたトビィだけれど、機嫌が悪そう。
あたしに向ける瞳が怖いっ!
でも、無言でグラスを用意してくれたから、ここにいてもいいらしい。
有難く、注いでもらったワインをいただく。
わっ、トビィが吞んでいるから辛口だと思ったのに、フルーティで甘みがあって、とても美味しい!
……トビィとワインと言えば、半年以上前のトモハルの誕生日を思い出した。
今でも時折胸が痛くなる、とても酷い事を言ってしまったから。
「…………」
思い出したら気持ちが悪くなってきて、目の前がぐゎんぐゎんした。
ちびちび呑んでいたけれど、一口目は美味しかったのにもう味が分からない。
酔ってしまったのか、過去の記憶に心が病んだのか。
放心状態で半分ほど減ったワイングラスを眺めていると、トビィがぽつりと。
「もう帰れ」
ヒドイ!
「えー、泊めてよ。か弱い乙女をこんな夜中に放り出すって? 酷いー。一緒に寝ようよ、きゃるるん」
「この世のものとは思えないほど悍ましい」
失礼だな、おねーちゃんの真似をしているのに。
心も身体も粟立ったらしく腕を擦っているトビィは、軽蔑するようにあたしを見ている。
「訊くのも面倒だが……家出の原因は何だ」
「家出じゃないよ。男ばっかで寂しいだろうから、ぴちぴちぷりんぷりんの美少女マビルちゃんが会いに来てあげたんだよ、気を利かせて」
「そんな傍迷惑な気遣いは要らん。帰れ」
「むっ! このあたしが添い寝してあげるって言うんだから、有難く受け取りなよ。トビィなら特別に相手してあげてもいーけどー? 顔と声は好みだから、顔と声は」
うん、暇だしね、奮発して相手になってあげる。
小首を傾げ、軽く微笑み、潤む瞳で上目使い。
きゅるるるるるるるんっ。
「フッ……ハハ」
失笑したトビィはツボに入ったらしく、肩を震わせ延々と笑っている。
この家の住人はどいつもこいつも最悪!
「トビィの目は節穴? 髪と瞳の色は異なるけれど、おねーちゃんと大差ないでしょう?」
ピタリを笑いを止め、冷めた瞳でトビィは口を開く。
「『大差ない』の意味を知っているか? 『ほとんど変わらない』という意味だが」
「馬鹿にしているの? 知っていて使ったに決まってるじゃん」
「そうか、残念だ。アサギはもっと髪と肌に潤いがあるし、睫毛は長く、瞳は大きく、そして輝いている。化粧せずとも唇と頬は桜色に染まり、奥ゆかしい雰囲気を醸し出している。胸も大きく、腰と足首は細く、ついでに感度もアサギが上。つまり、『似ても似つかない』。それ以前に、マビルは受け付けない、無理だ。金を積まれても断る、他をあたれ。そもそも誘い方からして間違っている、アサギを舐めるな、名を出すなら相応の努力と真似をしろ」
「…………」
毒舌。
酷い侮辱に、あたしは殴られたように呆然としてしまった。
以前トランシスにも貶されたし、揃いも揃って憎たらしい奴ら!
それなのに、反論しようにも言葉に詰まってしまう。
「理解したなら、とっとと帰れ」
意気消沈しているあたしから興味なさそうに視線を逸らしたトビィは、片手で追い払う仕草をする。
……半殺しにしてもいーだろーか。
勢い余って魔法を発動するトコだった、けれど、ここは我慢。
あたしは良識ある大人なのだ、冷静な対応をせねば。
「ねぇ。『据え膳喰わぬは男の恥』って知ってる?」
敵愾心を燃やしトビィを睨みつけたら、またしても失笑する。
あぁもう、イチイチ腹が立つ。
「あのな、アサギ以外に興味はないって知ってるだろ?」
「それくらいは知ってるよ。でも、おねーちゃんはいないじゃん。天下の色男トビィ様は性欲処理をどうしてんの?」
「後腐れのない、互いが合意の上の遊びであれば、稀に」
恋愛感情を持たれると、煩わしいのだろう。
昔のあたしもそうだったから、とてもよく分かる。
だからこそ。
「あぁ、それならあたしのことでしょ。一夜限りの遊びだもの」
鼻で嗤ったあたしは、挑発するように髪をかき上げる。
トビィは深い溜息を吐き、グラスを置いた。
コトン、と乾いた音が響く。
ん、何、やる気? 受けて立つ。
トビィは今まで見た男の中で、一番綺麗だと思う。
でも、あたしの言う事を全くきかないから好きじゃない。
「合意の上、ねぇ」
辟易した様子で肩をすくめている。
「何よ。言いたいことがあるのなら、はっき」
ガタンと大きな音が響き、腕に痛みが走って、トビィの顔が間近に。
全身が凍りつき、あたしを形成する全細胞が拒否している。
「っやー!」
震えていたけれど、どうにか悲鳴を上げることが出来た。
ただ、普段より劣弱な声はあまりにも情けなくて。
「っ、……っ」
何度も浅くて激しい呼吸を繰り返し、痺れる手足に恐怖する。
目の前のトビィは何も言わず、ただ、じっとあたしを見つめていた。
腕は解放されているのにまだ掴まれているみたいで、気色悪い膜のようなものが貼りついているよう。
倒れた椅子が目に入り、床にへたり込んでいることに気づく。
「ひ、ぅっ……ぅっ……っ」
怖気が止まらず、呼吸も乱れたまま。
差し出された手に怯え、体勢を崩し床に転がる。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い、身体が動かない。
「大きく息を吸って、吐いて。それを繰り返せ。慣れてきたら吐く時間を二倍にしろ」
頷くこともできず、トビィの声を聞く。
「っ、……っ、ぅ」
駄目だ、どうやって呼吸をしていたのか分からない。
全身が汗だくで、額から滑り落ちた汗があたしの手の平に滑り落ちる。
カタカタと、歯が鳴って。
感覚が戻ってきたから、僅かに指を動かした。
どうしたんだろう、あたしの身体。
病気?
「ほら、何もしない」
差し出されたままの手に、恐々と捕まった。
倒れていた椅子を直し、そこに座らせてもらう。
「呼吸を繰り返せ、まだ戻っていない」
次はどうにか頷くことが出来た。
意識して、一生懸命吸って吐いてを続ける。
あぁ、死ぬかと思った。
でも、何が起きたの?
ぼーっとしていると、目の前に良い香りのものが置かれる。
湯気が立ち昇るカップを、じっと見つめた。
「アサギが好きだった。落ち着くぞ」
林檎のように甘い香りがするハーブティー……カモミールかな。
温かいカップに触れると、それだけで癒される。
そっと持ち上げたあたしは唇に近づけ、こくんと飲んだ。
あぁ、とても美味しいし、不安が消えていくみたい。
震えが止まった身体で、夢中で飲んだ。
「どこが『合意の上』、だ」
煩瑣な仕事を引き受けたような口調で言うから、乱暴にカップを置いたあたしは目を吊り上げる。
「ご、合意だよっ。お、驚いただけで」
「恐怖で過呼吸になっておいて? 唇は真っ青、表情はガチガチ、嫌悪感丸出し状態で合意だと言われても」
「だから、それはっ、突然のことで、びっくりしただけで」
憂鬱そうに溜息を吐いたトビィは、空になったカップにハーブティーを注いでくれた。
「嫌がる女を抱くのは趣味じゃない」
「だから、違うってばっ」
快楽を得るために身体を重ねることは、嫌いではない。
今までそうしてきたのだから、大したことはない。
トビィは極上の男だし、拒む理由などどこにもない。
それなのに。
「自棄になるな。オレだから未遂で済んだが、この世には苦痛に歪む顔を見るのが好きな男も存在する。あのままだと無理やり犯されて終わるぞ」
「や、自棄になってなんかっ」
真顔でこちらを見ていたトビィに息を飲み、唇を噛む。
「……抱かれたい男がいるんだろ? 間違えずそこへ行け」
睨まれ、説教された。
「そ、そんな男、いないもんっ」
顔が熱くなったあたしは、心の奥底を探るように見ているトビィから視線を逸らした。
そんな男、いないってば。
男なら誰だって一緒だ。
「訂正しよう。そういうところは、アサギに似ている」
似てない。
そこだけは似ていない。
清純なおねーちゃんとあたしは、そこだけ決定的にちがうのだ。
あたしは不特定多数と寝ることも平気だから。
「……おかわり、ちょーだい」
再び飲み干してしまったカップを差し出しと、苦笑しながらもトビィは立ち上がり、湯を沸かしてくれる。
丁寧な所作で茶葉をティーポットに入れる姿は、とても優雅で優しい。
まるで、トモハルみたい。
でも、トモハルではない。
駄目だ、頭がまわらない。
変だ、こんなのあたしじゃない。
あたしらしくない。
どうしてあの時、あたしはトモハルを思い浮かべたのだろう。
何故、トビィは駄目でトモハルは良いのだろう。
悲しいことや辛いこと、苦しいことに腹が立つことが多すぎて、あたしの心と身体は壊れてしまったのかな。




