◇いつしかそれは俺の願望に
逆鱗に触れたことは分かる、けれど、俺は何をしたんだろう。
落ち着こう、俺。
マビルは。
そんなことを思ってない……と。
思う。
だから、原因を探ろう。
とはいえ、顔を真っ赤にして怒り狂っているマビルには、何を言っても通じない気がした。
なので、妥協案を出す。
「そ、それなら……手は繋がない。ベッドにも入らない。床の隅で寝るよ、それなら邪魔にならないだろ?」
「馬鹿なの? 嫌に決まってるじゃんっ! こっから出て! 同じ部屋にいたくないのっ」
嫌だよ、マビル。
俺は同じ部屋にいたいよ。
離れてしまえば、マビルと接する時間が減る。
いや、なくなるだろう。
話をするどころか、顔を合わせることもない。
冗談じゃない、絶対に嫌だ。
ここで引き下がってはいけない、だから。
「マビル、お願いだ。その理由を話して」
「理由はさっきから言ってるでしょ、同じ部屋にいたくないのっ! アンタが吐き出した空気を吸いたくないんだってばっ! 鬱陶しいっ、ウザいっ、嫌いっ!」
駄目だ。
嫌だの一点張りで何も分からない。
マビルは華奢だから、押されても力では負けない。
「出ていって」
けれど、瞋恚の目で見つめられ、俺は後退した。
まるで、ヘビに睨まれたカエルだ。
俺を親の仇のように憎んでいる。
なぜ、どうして。
ついに追い詰められ、背がドアに触れた。
「出てけーっ!」
それは、絶叫に近かった。
マビルの言葉通り、俺は。
部屋を出た。
パタン、と情けない音を立ててドアが閉まる。
「俺は何をしたんだ……」
幾度も呟き考えるけれど、身に覚えがない。
納得出来ないけれど、部屋に入ったら殺される勢いだった。
マビルに殺されるのは構わないけれど、マビルが殺人を犯すのは止めたい。
立ち尽くしていたけれど、結局、以前逃げ込んだ客室に向かった。
ただ、時折使用していたから、以前のような真新しい匂いはない。
くたびれた俺の心みたいで、なんだか余計悲しくなった。
「単に機嫌が悪かった……とは思えない」
前回は俺が不埒なことをしたせいで激怒した、それは理解できる。
あれは完全に俺の落ち度だった。
でも、今回は?
内省しても見当がつかない。
「明日、俺の何が悪いのか聞こう。そして、謝罪しよう」
けれど、決意も虚しく、結局何も分からないまま数日が経過した。
毎日、マビルと手を繋ぐ為に部屋へ戻ったよ。
でも、部屋の入口で俺を追い出すんだ。
一歩も入れない。
「マビル」
「黙って! 声を聞くと虫唾が走るっ」
……そんなに。
マビルもつらいのかもしれない、でも、俺は血を吐く思いだ。
毎晩好きな人に罵倒を浴びせられ、いよいよ心に罅が入りそうだった。
それに、毎日客室を使うのも気が引ける。
地球へ戻って実家で寝てもいいけれど、急用に対応できるか不安だし。
食堂で寝たり、執務室で眠ってみたり。
そうこうしているとメイドさんに不審がられ、大惨事だ。
「私の部屋、来ます?」
「遠慮しておくよ」
「私の部屋はいかがですか?」
「いや、だから……」
心配して勧めてくれたけれど、苦笑いで断った。
なんて情けない国王だ。
威厳も何も、あったものではない。
十日ほど、マビルの元へ通った。
でも、駄目だ。
「一緒に、寝ようよマビル」
「うっさい! しつこいっ! 大嫌い! もう来んな! 心の底から嫌がってるのっ! どのくらい嫌かって、大馬鹿野郎と同じくらい嫌いなのっ! 見て解るでしょ!」
えっ、トランシスと同レベル?
それは相当嫌われている。
今のショックで寿命が二十年くらい縮んだ気がした。
俺を嫌悪していることは解った。
でも、諦めたら終わってしまう。
「俺だって、嫌だ。……マビルと離れることが嫌だよ」
情けなく呟いた。
せめて、同じ部屋にいさせて欲しい。
俺は床でだって眠れるから。
だからどうか、俺から離れていかないで。
追い出さないで。
隣にいられなくてもいいから、近くにいたいんだ。
けれど、我に返った。
俺はあの時、決めたんだ。
マビルの我侭や願いは、全て叶えると。
「…………」
マビルが俺といることを拒否するのなら、潔く部屋を出よう。
諦めよう、自分の願いを無理に通しては駄目だ。
優先すべきは俺の感情ではなく、マビルなのだから。
あぁ、トランシスから身を引いたアサギもこんな気持ちだったのかもしれない。
ただ、違うところは。
トランシスはアサギのことを愛していた。
マビルと俺の関係とは、違う。
翌日、マビルが外出している間に自分の荷物を運び出した。
城の片隅に空いている小部屋があったから、そこを借りる。
俺の荷物は極僅かだから、楽だった。
室内にあるものは、ほぼマビルのものなんだよね。
基本、地球の衣類はあっちに置いてあるし。
ここにも数着置いてあるけれど、季節ごとに交換しているから小旅行程度の鞄に入ってしまう。
「えぇっ、トモハル様はあんな場所で寝泊りしているのですか? 可哀そうっ」
事情を知った城のみんなは「国王がそんな部屋で」と慌てふためいたけれど。
寝るだけだし、狭くても不便ではない。
それに、存外居心地はいい。
静かだから。
それよりも、マビルが。
本当に大丈夫なんだろうか?
泣いていないだろうか?
寂しがり屋だから、心配なんだ。
「いや、悠々と過ごしているのかな」
この状況でも、まだ淡い期待をしている。
俺の手を求めてくれるといいな、って。
「手を繋いでいて欲しいのは。マビルではなく、俺だった」
眠れなくて、愚痴る。
数年前、泣いていたマビルの手を思わず握った。
そうしたらこぼれそうなほど大きな瞳をさらに開いて、俺を見たっけ。
けれども安心したように瞳を閉じたから、嬉しくて。
ずっと、あの華奢な指と愛おしい手を握り続けた。
こんな俺でもマビルに安寧の場所をつくることができると知って、嬉しかったな。
それだけでよかったのに、もう、俺の手にそんな効果はない。
多分、目的が変わってしまったからだ。
マビルの為ではなく、いつしか自分自身の為に手を握っていた。
マビルが嫌悪して当然だ。
手を天井に翳して見つめる。
子供の頃より、随分と大きくなった。
「大人だって、手を繋いで眠るよ。好きな人となら」
マビルに会いたいと願い、瞳を閉じる。




