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◇ビルの隙間にマビルはいない

 部屋で寝ていたはずのマビルが消えていた。

 門から出ずに部屋の窓から飛び出したらしく、寝室のカーテンが夜風に揺れている。

 夕飯も食べずに、何処へ行ったのか。

 庭に出てクロロンとチャチャを呼んでみたけど、二匹はマビルと一緒ではなかった。

 会議に出たいという熱意に負けて出席してもらったけれど、やはり……早かったのかもしれない。

 俺のミスだ。

 マビルの発言には俺も同意見だし、的確だったと思う。

 けれど、寝てしまったのは失敗だった。

 それは本人も恥じているだろうし、落ち込んでいるのが目に見える。

 あの場の空気は澱んでしまったけれど、マビルを部屋へ運んでからは普段通り。

 滞りなく進めることができたし、マビルを悪く言う者はいなかったことはよかったな。

 杞憂だったのかもしれない。

 ただ……マビルは何処へ行ったんだろう。


「あ、あの、トモハル様」

「うん?」


 焦って歩きまわっていたら、知らない人に声をかけられた。

 服装からして見習い料理人で、俺と近しい年齢だろう。

 けれど、顔に記憶がない。

 ここで働く人の顔と名前は、なるべく覚えるようにしているけれど……。

 彼は蒼ざめ、身振り手振りで何かを訴えている。


「何か?」

「そ、その、あの、……ですね。マビル様ですが、その」


 歯切れが悪く、何を言いたいのか分からない。

 こんなところで油を売っている暇はないけれど、とても重要なことに思えて立ち止まった。


「マビルが? 何?」

「じ、実は、先程」


 彼の話を聞き終えた途端、逆上した。

 頭の中が真っ黒になり、瞳孔が開く。

 この感覚は、記憶がある。

 あぁ……あれはいつだっけ。


 耳を劈くような悲鳴が聞こえ、それが水を打ったように静まり返り、数人が止めに来たから振り払った。


「マビルに何を言った」

「い、いえ! ですから、その、あの……言ったのではなくて、ですね」

「マビルに何を言った!」


 愛剣を引き抜き、大きく横に振る。


「ひ、ひぃいいいいいいいいいいいっ」


 銅像が轟音を立てて崩壊し、周りは騒然としている。


「マビルはそんな子じゃない! 上辺だけで判断するなっ。それに……アサギと比べられるのが大嫌いな子だっ」

「ま、まさか聞かれているとは……思わず」

「聞かれなければ人の悪口を大声で喋っていいって?」

「そ、そうではなく」


 目の前で狼狽しているこの二人が、心の底から腹立たしい。

 何度、この剣で斬り捨てようと思っただろう。

 けれど、流石にそれは出来なかった。

 でも、本音は。

 あぁ、そうだね、殺したいよ。

 本当に憎いよ、久し振りに怒りで身体が震えている。

 堕ちた勇者でも、狂王でも、好きなように呼んでくれて構わない。

 だから、今すぐに息の根を止めてやりたい。


「影で言われて傷つかない人間がいると思っていた? 随分とおめでたい頭だな、考えれば解るだろ。言いたいことがあっても我慢しろ、とは言わない。ただ、言いたいことは俺か、本人の目の前で意見として言えっ」

「は、はい。も、もうしわけございません」

 

 目の前にいないからこそ、悪意ある言葉が出る。

 人間って、そういうものだ。

 でも、言って良いことと悪いことがある。

 分別のある人たちだと思っていたけれど、見誤ったのか。

 怯えている彼らだけれど、演技にしか見えなくて奥歯を噛んだ。


「城内の安寧秩序を乱す者が、『民の安寧こそ至高』と謳うな。今日限りで解雇する」


 そう告げたら、二人の顔が大きく歪んだ。


「え、えぇ⁉ トモハル様、それは横暴です」

「横暴かな? 身を粉にして国の発展に尽くしてくれた優秀な人材であっても、他人への配慮が著しく欠けている人間など、この国には不要」

「こ、困ります! 家族もおりますし」

「……マビルは俺の家族だ。今回の件は不敬罪となり得ると、……優秀な君たちであれば解るよね」


 耳が痛いくらいに静まり返っている。

 今にも失神しそうな二人には、俺が悪鬼に見えているのだろう。


「マビルのことを『不要』だの『汚点』だの言ったらしいね」


 喉の奥で悲鳴を上げる二人に、剣を突きつける。


「『この世に不要な人間は存在しない』、そう言い切れる世の中を目指す。……それが俺たちの目標だ。もう忘れた?」


 床に這い蹲り、泣きながら懇願する二人を睨みつける。

 あぁ、怒りで身体が熱い。

 でも、一番憎いのは、俺自身。

 そんな風にマビルを見ていた人間を見抜くことが出来ず、傍に置いてしまった。

 マビルを誤解している者がいる、それは俺も知っていたのに。

 だからこそ、公の場で発言させることを控えてきたのに。

 真面目で、傷つきやすい子だから。


「クソッ」


 やるせない気持ちは募るばかりで、重苦しい溜息を幾度も吐き続けた。

 深い呼吸を繰り返し頭を冷やそうとしているのに、呼吸は荒く、そして浅くなるばかり。

 怒りで震える手を見つめた。

 この憤りを、何にぶつければいいんだろう。

 聞いてしまったマビルは、確実に泣いている。

 泣き叫んでいる。

 俺はまた、マビルを傷つけてしまった。

 いつも、間に合わない。


「ほ、本当に申し訳ありませんでした。心から謝罪申し上げます。で、ですからっ」

「俺に謝る必要はない。マビルに謝れ」

「は、はい! 勿論です」


 謝って瞬時に癒える傷ならば、よかった。

 心の痛みは、それでは拭えない。

 あぁ、駄目だ。

 剣を持つ手に制御できないほどの力が籠っている。

 近寄って、額に剣先を突きつけた。

 絹を裂くような鋭い悲鳴、泣き叫ぶ声、倒れたような音。

 暴君に荒肝を(ひし)がれ、周囲は混乱している。

 それは耳に入ってくるから分かるけれど、この光景はどこか他人事で。

 駄目だと分かっているのに、このまま一突きにしてしまいたい。

 歯を食いしばると、血の味がした。

 ガクガクと腕が震え、憎悪が身体中を支配する。

 堪えろ、俺。

 一応、元勇者だから。

 人間を殺しては、駄目だ。


「そこまでだ」


 嚇怒(かくど)する俺でも、その声に弾かれて振り返った。


「……トビィ」


 俺の振る舞いを軽蔑するような溜息を吐き、大股で近づいてきた相手に安堵する。

 反射的に、そのまま剣を横に振った。

 よかったよ、これで人殺しにならずに済む。

 トビィが相手なら、全力で斬りかかってもどうにでもなるから。

 今の俺は、このどうしようもない怒りを鎮める方法が思い浮かばなくて。

 我武者羅に剣を振り続けた。

 そうでもしないと全身の血が沸騰し、発狂しそうだったから。

 しかめっ面のトビィだけれど、剣を抜いてくれた。

 直様飛び散る火花に、激しい金属音。

 互いの愛剣で鍔迫合うのは、初めてだ。

 そうか、トビィの長剣は水属性だった。

 柔らかいのに鋭利で、寒気がするほど気色が悪い。


「マビルを捜しに行け。馬鹿げたことに時間を費やすな」

 

 淡々と告げられ、我に返る。

 そうだ、マビルが先だ。

 渾身の力で薙ぐ剣を軽々と受け止め、トビィは静かに俺の横をすり抜ける。

 擦れ違った瞬間に皮肉めいて嗤うと、俺の代わりとばかりに、例の二人に剣を突きつけた。


「よかったな、この場に居たのがトモハルとオレで。アサギであれば、お前ら二人は()()だ」


 即死?

 アサギが人を殺すって?

 二人も唖然としてトビィを見上げているけれど、あぁ、そうか。


「無知とは恐ろしいな、お前たちはアサギのことを何も知らない。大方無条件で救ってくれる有難い女神とでも思っているんだろ。女神(アサギ)の妹を散々侮辱しても聞き流してくれる寛大な存在だと思っているのならば、憐れむほどの痴れ者。勘違いするな、『神』とは人間に都合の良い存在ではない」


 肝が冷えるほど冷淡な声で告げたトビィは俺を一瞥し、忌々しそうに舌打ちをした。

 早く行け、ってことか。

 うん、そうだな、マビルを捜そう。

 トビィ、そっちは任せたから。

 ……有難う、危うく殺人を犯すとこだったよ。

 俺は剣を鞘に収め、ドン引きしている人々に目もくれず走り出した。

 この世界で、スマホの電源は入らない。

 念の為部屋に戻ったら、マビルのスマホがベッドの上に転がっていた。

 地球に行くなら所持するだろうし、この世界にいるのかな。

 連絡がつかないと考えるだけで、焦ってしまう。

 落ち着け、何処へ行ったのか考えろ。 


「この世界で、マビルが行きそうな場所は……」


 マビルが一番好きなもの。

 それは、双子の姉のアサギ。


「忙しいところ、ごめん! マビルは来ていない?」

「わぁお、トモハル! 久しぶりっ。ただ、マビルちゃんは見ていないなー」


 ディアスにある昔の勇者秘密基地へ行ってみたけれど、いなかった。

 魔界にあるマビルの昔の家にも行ってみたし、お兄さんの新居にも行った。


「アイセルさん、こんばんは。すみません、マビルは来ていませんか?」

「おぉ、トモハル君! こんばんは。来ていないけれど、うちの問題児がまた何かやらかしたかな? すまないねぇ、じゃじゃ馬で。それなのに、こんなに優秀な君に愛してもらえて幸せだよ。ところで、……はるばるこんなところまで来てくれたのだから、酒を呑み交わそう」

「い、いえ、急いでいるので。残念ですが、またの機会に」


 まずいな、泥酔している。

 愛する人と結婚できたから、毎日幸せなんだろう。

 羨ましいけれど、酒は控えて欲しいな。


「夫が絡んでしまい、すまなかった。勇者トモハル、気にせず行ってくれ」


 スリザさんが羽交い絞めにしてくれたから、俺は頭を下げて次の場所へ向かう。

 大都市ジェノヴァにあるマビルのお気に入りカフェにも行ってみたけれど、営業時間が終わっていた。

 駄目だ、いない。

 マビルの容姿は目立つから聞き込みしつつ捜したけれど、姿を見たという人はいなかった。

 マビル……何処にいるんだ。


 焦って地球へ行ってみた。

 俺の実家に立ち寄ったけれど、いない。

 マビルはお袋に懐いていたからひょっとしたらと思ったけれど、駄目だった。

 ミノルたちにも連絡したけれど、見ていないと言う。

 地球での行動範囲は限られているはずなのに、何処へ。


「……雪だ」


 大粒の雪が降り出した。

 時折空を見上げている恋人たちが目に入り、羨ましくて瞳を細める。

 幸せそうで、いいなぁ。

 ……感傷的になっていても、何も解決しない。

 もう二度と逢えないのではないかという不安がジワジワと身体を侵食し、弱気になっている。

 マビルは寒さに弱いから、城に戻っているだろうか。

 それを願って帰ろうとしたけれど、最後に、もう一箇所。

 最初にマビルを見た場所……ビルの隙間に行ってみた。

 夜更けだから、こんなところにいるわけがないのに。

 あぁ、そうだ。

 今でも鮮明に思い出せるよ。

 当時小学六年生だった俺は、並外れて綺麗なのに、物凄く寂しそうなマビルに胸を鷲掴みにされた。

 見た時の衝撃は、言葉に出来ない。

 あまりにも華やかで、近寄れなかった。

 声をかけたいのに、触れてはいけない危うさがある。

 けれど、どうしても目を離すことが出来なくて。

 気怠そうに歩いているマビルを追いかけ続け、やっとの思いで声をかけたんだ。

 怪訝に俺を見たマビルから、血の臭いがしていた。

 いつまでも、覚えているよ。

 忘れられないよ。


 諦めて地球から城に戻ってきたけれど、やはりマビルはいなかった。

 トビィはすでに帰っていたので、後日礼をするとして。

 俺は寝ずにマビルを待っていた。

 昨日の一件で俺に畏怖の念を抱く人々もいるだろうと思ったのに、意外にも皆普通だった。

 トビィがフォローを入れてくれたのかな、それしか考えられない。

 太陽が高く上がる頃になって、ようやくマビルが帰ってきた。

 疲弊しきった顔、掠れた声、……もしかして、風邪をひいた? 

 暖かい場所で、ゆっくり眠ってもらおう。

 でも、その前に。

 少しだけ時間をもらい、約束をした。


『何処へ行くのも自由だけれど、メモでいいから行き先を教えて欲しい』


 窮屈だろう、でも、大事なことだよ。

 子供も大人も、何かあった時の為に周囲に伝えておくべきだ。

 渋々だけど、マビルは頷いてくれたから……胸を撫で下ろした。

お読みくださりありがとうございました、毎週日曜日に更新しております。

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