◇ゥ、ウワー! ★
向かった先は、静まり返る客室。
要人を丁重に迎えるために用意されているから部屋は広いし、見事な内装だ。
けれど、今の俺には不要な豪華さ。
眠れる部屋ならどこでも構わない。正直、床でも。
腰を下ろすと、思った通り柔らかで。これなら問題なく眠れそうだ。
「ふぃー……」
ベッドで眠ると、メイドさんが余計なベッドメイキングに時間を割くことになるから。
大の字になって床に寝転がると、そこら中から真新しい匂いがする。
ここはまだ、誰も使用していない部屋。
人の生活感も、そこに漂う温もりの欠片もない。
つまり、漠然とした寂しさに包まれていた。
人恋しくて、マビルの手を握りたいと思い、瞳を閉じる。
「…………」
無意識で指を動かすけれど、そこにあるはずの人肌はない。
浅い眠りを繰り返す。
いつも隣にいて、愛らしい寝息を立てていたマビルが、今日もいない。
これほどまでに寂しいと感じる俺は、やはり間抜けで情けない男だろう。
許してもらえないかもしれないけれど、二度と過ちを起こさない為に謝罪し、誓わねば。
誓う?
何に誓おう。
普通は『神に誓って』。
ならば、オレが誓うべきは。
「アサギに誓おう」
絶対的存在であるアサギに誓えば、マビルも納得してくれるに違いない。
ねぇ、マビル。
マビルの愛するアサギに誓って、もう二度とマビルの嫌がることはしないから。
どうか、俺のことを嫌わないで。
「俺は二度とマビルに触れない。だから、安心して隣で眠って欲しい」
呟いてから、大きな溜息を吐く。
触れないと言ったのに、手を繋いで眠りたい欲求が大きい。
……俺の誓いなんて、そんなものだ。
床は硬くて冷えていて、反省する場所に最適だ。
あぁ、自己嫌悪に陥って潰れそう。
あんなことをしなければ、今もマビルの隣で眠っていただろうに。
外は薄暗いのに鳥の鳴き声が賑やかで、元気な彼らを羨ましく思った。
結局、眠れなかった。
けれど、気分転換に庭へ向かう。
徐々に空高く上がる太陽は眩しく、寝不足の俺に容赦のない攻撃を喰らわす。
「にゃー」
猫の鳴き声が聞こえたから、そちらへ足を向けた。
知らなかった、庭に猫が住み着いているらしい。
導かれるように進んでいくと、マビルが座り込んで猫と遊んでいた。
猫のようなマビルはやはり気が合うらしく、ものすごく懐かれている。
その様子が可愛くて見惚れていたら、気配に気づいたらしく視線が交差した。
静かに立ち去るつもりだった、まだ怒っているだろうから。
それに、俺を見ることで楽しい気分が台無しになるかもしれないし。
けれど、もう何年も聞いていないようなマビルの声が……どうしても聞きたくて。
このまま踵を返すのも感じが悪いし、大きく唾を飲み込んで意を決する。
落ち着け、自然に話しかけよう。
「あれ、猫?」
搾り出した、間抜けな言葉。
見れば解るだろう、俺。
目の前にいる動物は、猫以外の何者でもない。
強張った声が出たけれど、どうにか話せそうだ。
ただ、平静を装っているものの、顔は引き攣っていたかもしれない。
これでは、ますますマビル好みの顔から離れてしまう。
「……うん。あたしの友達」
不審な俺にきょとんとしているマビルは、それでも返事をくれた。
……胸を撫で下ろす。
よかった、俺の想像より怒っていなかった。
少し離れた隣に、腰を下ろす。
黒いのがクロロン、茶色がチャチャ、という名前らしい。
クロロンはあまりにも綺麗な毛並みだから、ひょっとして飼い猫では?
美人で、ツンとすましていて、時に無邪気に飛び跳ねて、チャチャが近づくと容赦なく威嚇している。
マビルにそっくりだな。
草を振って遊んでいたけれど、クロロンを抱き上げた。
とても可愛い雌だ。
それに引き替えチャチャは毛並みが貧相だし、どことなく汚れているし、頼りない感じがする。
ただ、雄なだけあって、クロロンが気になっているらしい。
美人猫だ、惚れるのも分かるよ。
だけどな、無理だよチャチャ。
相手にされないんだ。
この子の相手に相応しくない、務まらないよ。
必死にクロロンにすがり、鳴いて、何かを訴えるチャチャは、みじめな俺にそっくりだ。
やめろよ、そこまでだ。
クロロンはきっとチャチャに見向きもしないから、邪険にされるのがオチ。
憐れに思えてきた。
チャチャの鳴き声を無視するクロロンは、俺の腕の中で大人しくしている。
まどろみながら撫でられているから、思わず耳に口づけた。
猫マビルには好かれているらしい。
至福。
まぁ、でも、うん……。
少しだけ、想像した。
ギュッと抱き締めたマビルの綺麗な黒髪に口づけたら、うっとりと微笑んで、それで。
……いやいやいやいやいや。
昨夜アサギに誓ったばかりだから、そういうのはなしにしよう。
マビルをクロロンに例えたと知られたら、激怒しそうだし。
不意に横から力が加わったから、マビルを見る。
罪悪感からマビルの顔を上手く見られず、視線が合ってもすぐ逸らした。
「あ、あのさ。……口づけ、してもいーよっ」
……なんだ?
唖然として、マビルを盗み見た。
何を言ってるんだ。
「な、なんかさぁ、城の人たちに『あんたが口づけが下手で落ち込んでる』って聞いたからー。仕方ないからこのあたしが直々に練習相手になってあげるよ、特訓特訓。顔も悪くて口づけも下手な男なんて、最悪でしょ。うん、だから、……さ」
マビルは目を閉じている。
あぁ……馬鹿にしているんだろうか。
それか、マビルは心情を上手く表現出来ないだけで優しい子だから、メイドたちの噂話を聞いて良心の呵責に苛まれているのかも。
どちらにしても、『練習』か。
あのねマビル、キスに練習は必要ないよ。
キスは好きな人とするものだと、言ったじゃないか。
その通りだよ、練習でも駄目だ。
瞳を閉じているマビルは、軽く震えているような気がする。
……笑いを噛み殺しているのか、それとも嫌だけれど無理をしているのか。
幾度、その頬に触れて口づけようと思ったか。
けれど、もう。
しないと誓ったから。
もしも、マビルが俺を好きになってくれたら、有りっ丈の想いを籠めて口づけるよ。
想い続けてきた分、長い口づけを交そう。
そんな日が来ることを夢見て、自嘲めいた笑みを浮かべた。
そんな日は来ないと、知っているのに。
俺はクロロンをマビルの頭に乗せた。
猫マビルともお別れだ。
立ち上がり、数歩離れた。
近くにいると、誓いが守れなくなる気がして恐ろしい。
ごめんな、俺は思った以上に弱かった。
これだから、マビルに認められない。
「し、しないの? 特別だよ? この先、こんな機会は一生ないかもしれないよ?」
「……ごめんな、気を遣わせちゃったね。そんなことしなくても、大丈夫だよ」
マビルは狼狽えて俺を見た。
意外だったかな。
でもね、しないよ、出来ないよ。
俺の片思いだから、キスを交わしてはいけない二人なんだ。
さぁ、仕事に戻ろう。
マビルの声を聴くことが出来たし、楽しい時間を過ごすことができたから、それでいい。
俺は十分幸せだった。
最後にクロロンを撫でると、彼女は甘えた声で鳴いてくれた。
あぁ、とても可愛いなぁ。
ふぅ。
……今晩は部屋に戻ってみようかな、一緒に眠れなくても会話くらいできそうだし。
アサギに誓って何もしないと、説明しなくてはいけないし。
クロロンとチャチャも部屋にいるかもしれないし。
そんな言い訳がないと部屋に戻れない俺は、間抜けだけれど。
マビルと会話が出来たから、仕事は捗った。
俺、単純。
湯上りは軽度の疲労感を覚え、眠くなる。
考え事をしていたら、つい長湯になってしまった。
マビルはもう眠っているかな。
久し振りに部屋に戻ってきたものの、入室してよいのか迷う。
ドアの前で突っ立っている俺は、どう見ても不審人物。
けれど、ドアノブに触れるたびに躊躇し、手を引っ込めるを繰り返した。
もう夜更けだし、マビルは眠っているだろうから……。
「寝ていたら、そのまま引き返す、引き返す、引き返す……」
無断で横になったら、それこそ怒り狂うだろう。
そう言い聞かせ、微かに震える手でドアを開いた。
僅かに軋む音とともに、光が廊下に漏れる。
……あれ、部屋が明るいぞ。
ということは、起きているのだろうか。
ぎこちなく室内に入って何気なくベッドを見やり、驚嘆した。
ウ、ウワー!
ななななななんだあれは!
なんであんな格好を⁉
スケスケのフリフリ!
破廉恥!
卑猥!
ウ、ウワー!
マビルは起きていた。
起きているけれど、いやあのちょっと、何事だ。
混乱しているし、見ないようにしているけれど、肌が透けているセクシーな下着を身にまとっている。
ベビードール、ってやつだろう。
好きなブランドだろうか、高校時代に一緒に歩いたショッピングモールで見かけたことがある。
男の俺としては、とても居心地の悪い店だった。
店内で彼女と下着を物色する男の気が知れない……。
外で待っていたいのに、マビルが「どれがいいカナ~?」なんて挑発してくるから、気が気ではなかった。
よし、平常心平常心平常心平常心。
背を向け、無意味に部屋を片付けるフリをした。
頼むから何か羽織ってくれ、目のやり場に困るからっ。
壁を見つめながら、マビルが何をしたいのか必死に頭を回転させる。
……もしかして、俺を揶揄っているのだろうか。
ちらりと盗み見ると、ベッドをゴロゴロと転がっている。
ウワー、そんな、はしたない!
肌が見えてしまう!
見るな、俺!
耐えろ、見たらマビルの思う壺だ!
室内に響き渡るようなでかい音で唾を飲み込み、クローゼットから俺のパーカーを引っ張り出した。
決定だ、これは昼間の続き。
俺への当てつけだ。
先日、あんなことしたもんだから、嫌がらせをしている。
極力見ないようにして、無造作にパーカーをかけた。
うん、俺はセクシーランジェリーよりも、大きめの服を着ているマビルのほうが好きだなぁ。
拗ねたような瞳で俺を見たから、歯を食いしばって微笑んだ。
「駄目だよ、そんな格好を人に見せたら」
「……おねーちゃんとお揃いだったの。可愛いでしょ」
「うん、パジャマパーティーってやつだよね。でもそれは、女の子同士で寝るときに着るんだよ」
「いつ着てもいーじゃん、別にっ! それに、おねーちゃんはいないしっ」
「駄目だよ、俺がここにいるから。分かるだろう?」
こういうのは、恋人同士が、夫婦が、夜にさ、その、あれだよね。
うん、そういう時に身にまとう特別な下着だよね。
無関係な男に見せるなんて、言語道断。
「あぁ、魅力たっぷりなあたしに欲情し、獣のように見境なく襲っちゃうんだー。そうなんだー、前科があるしね。怖い怖い」
最近、日本の漫画では『ザァコ♡』というメスガキキャラが流行っていると、ミノルから聞いた。
多分こんな感じだろう。
メスガキというか……悪魔にしか見えない。
そう、小悪魔を通り越して悪魔だ。
とびきり可愛いけど。
やはり、マビルは俺を揶揄って面白がっている。
このまま誘いにのって手を出した途端、瞬殺される。
そして、今後もネチネチ言われ続ける羽目になるだろう。
可愛い悪魔だけれど、可愛いマビルだけれど、その手には乗らない。
耐えろ、俺の理性!
「もうしないから、心配しないで。絶対にあんなことはしないと誓うよ、だから、安心して眠ってね」
二度とマビルの嫌がることはしないと、解って欲しい。
「ふ、ふん。信用できないねっ」
「アサギに誓って、絶対にしないよ」
どうか、信じて。
そう瞳で訴えるけれど、マビルは不貞腐れたというか、怪訝そうに、疑い深く睨みつけてくる。
でもね、もし誓いを破ったら、アサギの信頼を裏切ることになるから。
……先日、すでに信用を失墜させてしまったけれど。
「そういう格好をしていても、俺は平気だけれど。ただ、そういうのは好きな人の前で着るものだよ。アサギはきっと、トランシスの前で着ていただろうから」
理解してくれたのか、マビルは何も言わなかった。
安堵の溜息をこぼしローブを取り出すと、瞳を閉じてパーカーを脱がせる。
無理やりローブに袖を通して、露出を防いだ。
花の蜜のような香りが漂うから理性が吹き飛びかけたけれど、ふぅ、頑張った。
誘惑に耐えた俺を、自分で褒めちぎろう。
「それに、そういう格好は身体を冷やす。温かくして眠るんだよ。おやすみ、マビル」
「お、おやすみ……」
大人しくそっぽを向いたマビルの隣に、そっと横になった。
恐る恐る手を伸ばす。
指先に触れると、互いにびくりと引き攣った。
一瞬躊躇したけれど軽く指を絡めて、ゆっくりと手を繋ぐ。
……繋いだ手を、振り払わなかったマビルに感謝した。
俺はマビルのことが、とても好きだ。
好きだから、マビルの願いを叶えたい。
だから、我侭をたくさん言って欲しい。
嫌がることはしないと、誓ったから。
これからもどうか傍にいてください。
繋いだ手に、力をこめる。
離れたくないという俺の我侭を、聞き入れなくてもいいけれど。
……繋がる手に、願いをかけよう。
まだ、大丈夫だ。
マビルはそこまで俺を拒否していないはず。
この繋がりがなくなったら、それは完全に望みが消えたということ。
アサギ。
マビルを護ると再度誓うから。
この華奢な手が、俺の手の中にどうかいつまでもあるように……見守っていてくれ。
それから数日して。
城の者に俺の落胆ぶりを聞いたらしいマビルに、罪悪感が芽生えたようだ。
近くに寄って来て、以前のように我侭を言ってくれる。
優しい子だと、再認識した。
けれど、気を遣わせてしまっている現状に、俺は自己嫌悪に陥っている。
地面に目を落とし控え目に告げるマビルは、しおらしく、何故か泣き出しそうだった。
ひょっとして、誰かに怒られたんだろうか。
俺をぞんざいに扱っている、とか?
……誰だよ、余計なこと言ったの。
今度探して、注意しよう。
お読みいただき有り難うございました、週一更新が出来ているので、年内には完結出来ると思います。
お暇があったらまた、お立ち寄りください(^^)




