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◆あたし、悪くない……よね? ★

 トモハルをぶっ飛ばし、幾度も深呼吸をして。

 床で光っていた指輪を拾い上げ、婚姻届とかいう変な紙を眺める。


「こんいんとどけ……」


 よく分からないけれど、夫婦になる紙らしい。

 夫婦。

 あたしと、トモハルが?

 眺めていたら、全身が火照りだした。

 無性に恥ずかしくなって、机に置かれていた紙を数回叩く。

 夫婦?

 夫婦って、よ、よくわかんないけど!

 夫婦とか、結婚とか、そういう時って、その、えっと、『好き』とか、『愛してる』とか、『一生愛を誓います』とか、そういう甘い言葉とセットが普通でしょっ。

 頭にきたぞ。

 その言葉すらないのに、このあたしと結婚ですって!

 よくもまぁぬけぬけと!

 ……それでも、仕方がないから。

 指輪をはめた。

 ええと、確か結婚指輪というものは左手の薬指にはめるんだよね。

 雑誌で見たから知ってるよ、ちゃんと、記憶していたよ。

 天井に手をかざし、輝く指輪を見つめる。

 うん、指輪は気に入ったから貰うよ。

 これ、あたしの好きなブランドだからね。

 すらりとしたあたしの指にぴったりだしね。

 それだけだよ。

 いいね、それだけなんだから!

 ……でも、あのお部屋は可愛かったから。

 も、戻ってあげるよっ。

 内装もあたし好みだったからねっ、それだけなんだからね!

 結婚が嬉しいとか、夫婦になれて幸せとか、そういうのじゃないよ!

 違うからね!


「……ただいま」

「お、おかえり」


 暫くお散歩して戻ったら、トモハルが間抜けな顔をしてあたしを見た。

 

「ここ、もう住んでいいの?」

「えっ、う、うん、大丈夫だよ。い、今はその、窓硝子がないけれども……」


 硝子がないのは、アンタが突き破って落下したからでしょ。

 

『結婚して夫婦になってここで一緒に住もう』


 そう言ってくれたら、窓硝子は無事だったのに。あぁ、可哀想な窓硝子。


「おやすみ」

「えっ、お、おやすみ」


 大きな欠伸をし、広々としたベッドに寝転がる。

 うわぁ、ハイクラスのホテルのようにふかふかでヤバい!

 これは……眠気が……ぐぅ。


 あまりの心地よさに、爆睡していたらしい。

 違和感を覚えて左手を見れば、薬指で指輪が光っていた。

 右手の先にいるトモハル、その左手薬指にも、指輪がある。

 そうか、あたしたちは夫婦になったんだ。

 いつもこうして隣で眠っていたのに、ただの紙にサインをしただけで、実感が湧いてきた。

 不思議だね。

 あの紙を燃やせば、なかったことにできたのかもしれない。

 でもね、あたしは面倒なことが嫌いなの。

 だから、このままでいいんだ。

 ……面倒だからだよ。

 別にトモハルと結婚したかったとか、夫婦になりたかったとか、そういうのじゃないよ。

 違うよ。


 そんなこんなで、あたしのお城住まいが始まった。

 お城は広くて、とても綺麗。

 どこでも映える。

 とはいえ、まだ完成していないらしい。そのうち、薔薇で溢れるお庭が出来ると聞いた。

 楽しみ!


「ねぇ、今日は何をするの? お庭を見に行こうよ」

「今日はミノルたちが来て会議だよ。庭に行くなら、食事の用意をさせるよ。造園の邪魔にならないように見学をしていてね」

「会議があるの?」


 へっぽこ勇者(ミノル)たちと会議なら、あたしも出席するべきでは。

 だって、仮にもあたしは勇者トモハルの対であり、そのよよよよよよ嫁だもの。

 異様に張り切っているトモハルは、傍から見ていても愉しそうだった。

 遣り甲斐のある仕事を見つけたってカンジで、生き生きとしている。

 だから、……あたしも、あたしなりに勉強した。

 役に立ちたいというか、あたしの意見も聞いてもらいたかった。

 のに。


「ねぇ、あたしも会議に出るよ」

「マビルは大丈夫だよ、何も心配しなくてもいいからね。昼食は何がいい? 先日雇ったシェフはマビル好みの味付けだと思う。クロックマダムに似た美味しいものを作っていたから、それを頼もうか」

「いや、そーじゃなくて」

「会議は早めに終わらせるから、夕飯は一緒に食べよう。何がいい?」

「いや、だから、あの」

「うん、待っててね。すぐ終わらせるからね。豪華な夕飯にしよう、先日売り込みに来た農園の野菜が甘くて新鮮で素晴らしかったよ」

「…………」

 

 笑顔で頭を撫でるのに、いつもあたしを置いていく。

 トモハルは毎日会議で忙しかった。

 あたしはその隣にいたいのに、離れ離れ。

 一応、このお城の王妃なんだよね? 国王の伴侶だから、そうだよね? 結婚したんだよね? 夫婦だよね?

 それなのに、どうして出席できないの?


 あたしは一人ぼっちになってしまった。

 どうしたっておねーちゃんはいないし、いつも隣にいてくれたトモハルもいなくなってしまった。

 同じ城内にはいるよ、でもね、朝食の後夕食まで会えないよ。

 おかしいね。

 広すぎるお城は退屈だね。

 ベッドも広すぎてトモハルとくっついて寝られないし。

 地球のトモハルの部屋は狭かったけれど、だからこそ楽しかったなぁ。

 あたしが寂しがらないようになのか、おねーちゃんとの写真が部屋に飾られたけれど。

 ねぇ、あたしは何をしたらいいの? 

 あたしは何のためにここにいるの?

 何故、トモハルの傍にいられないの?

 あぁ、イライラしてきた。

 近くにいるのに、いるはずなのに、物凄く遠い場所にいる気がして。

 左手の薬指に光る指輪、これがなかったときのほうが、近くにいられた気がする。

 べ、別に傍にいたいわけじゃない、……いたいわけじゃ、ない。

 だけど、とても寂しい。

 おねーちゃん、寂しいよ。

 こういう時は、どうしたらいいの?

 おねーちゃんなら、どうするの?

 ……おねーちゃんは賢いから、会議の中心になって意見を出すんだろう。

 あたしは期待されていないから、呼ばれない。


 もうすぐ、トモハルの誕生日だ。

 けれど、何をあげればいいのか、さっぱり分からない。

 あたしの誕生日には、たくさん買ってくれるのに。

 トモハルが欲しい物って、なんだろう?

 どうせ一人だし、時間はたっぷりある。だから、ぶらぶらと地球の街を歩いた。

 雑貨屋さんに入ると、必ず恋人に贈る物が置いてある。お揃いのマグカップやペンダント、リングは定番。お揃いのパジャマや下着なんてのもあるんだね。

 けれど、どれもこれもあたしたちには不釣合いな気がして。

 選べない。

 おねーちゃんは大馬鹿悪魔(トランシス)に何を買っていたんだろう。

 参考に聞いておけばよかったな……。

 いや、参考にならないかもしれない。


 結局何も買えないまま、その日を迎えた。

 トモハルの意向で、国を挙げての盛大な誕生日会はなし。

 でも、多くの人が挨拶に来て、プレゼントを持ってくる。

 しかも、驚くことに、トモハルは城内で働くメイドに絶大な人気があるらしく、彼女たちから手作りの菓子を大量に貰っていた。

 照れ笑いを浮かべ受け取る姿に、唖然とする。

 ふりふりの服を着た女たちに囲まれている姿を見たら、無性に腹が立って。

 ……なんだ、ありゃ。

 あたしがあげる必要はなかったらしい。

 世話になっているお礼に何か贈ろうと考えた時間が無駄だった。

 悪いけど、あたしはそんなのあげたりしないから。

 よかったね、たくさん貰えて。

 嬉しそうで、よかったね。

 なんだかとても、つまらない。


 ……あたしの居場所がどんどんなくなっていく気がして、あてもなく城内を彷徨った。

 あたしは友達がいないから、こういう時はとても寂しい。

 今までは、おねーちゃんかトモハルが傍にいてくれたから、寂しくなかったのに。

 この二人以外、必要ないと思っていた。

 人と話すのは、嫌いではない。でも、自分から話しかけるのは苦手。

 だから、友達が出来ないのだろう。

 面倒だし。 

 以前、おねーちゃんが。


『口づけは好きな人とだけするものです。身体を重ねるのもそう。好きな人以外と、そういうことをしては駄目』


 そう言ったから。

 人間に生まれ変わってからは、キレーなオモチャを探すこともなくなった。

 オモチャは友達ではないのだろう。でも、中には話を聞いてくれる男もいる……かもしれない。

 とはいえ、今更オモチャを探す気にもなれない。

 あ、あたしには一応旦那がいるらしーしっ!

 結婚した二人は最期まで寄り添うものだと、おねーちゃんが言っていたから!

 でも、トモハルは色んな人に囲まれているから、あたしがいなくてもいいのかもしれない。

 何しろ、最強の光の勇者様だもの。

 あたしもおねーちゃんから武器を授かったけれど、扱い方がよく分からないし。

 戦うの、好きじゃないし……。

 勇者の武器を持っていても、勇者じゃないし……。

 あぁ、嫌だな。

 なんだかとても気が滅入る。

 庭園の椅子に腰かけ、ぼんやりと指輪を眺めていた。

 天気は良いのに、憂鬱だ。

 でも、雨が降っていたら余計に落ち込んでいたかも。


「みゃー……」


 悶々としていたら、遠くからか細い声が聞こえたので顔を上げた。


「ねこ?」

 

 そうだ、これは猫の鳴き声だ。

 退屈だったし、声の主を探すために立ち上がる。

 声を頼りに歩きまわったら、木の上で鳴いていた。

 もしかして、下りられないのかな。

 震えて鳴いている猫を、宙に浮いて助けに行く。

 あぁ、あたしに飛べる能力があってよかった。

 勇者で浮遊出来るのは、あたしとトモハル、それにリョウだけだから、少し誇らしい。


「助けに来たよ。もう大丈夫」


 そう囁くと、猫は小さく鳴いた。

 動物に触れた記憶はほぼないので、恐々と手を伸ばす。

 でも、猫は想像より大人しくて、暴れることなく腕の中に入ってきた。

 わぁ、ふわふわ!

挿絵(By みてみん)

 不思議。猫を抱き締めると、幸せな気分になる。

 地面に下ろすと、猫は小さく鳴いた。

 でも、今度は嬉しそうだった。

 この猫は、何処から来たのかな。


「おうちへお帰り」


 家に帰るまで見守ろうと思っていたのに、足元に擦り寄ってきて離れない。


「もしかして、帰るおうちがないの?」


 撫でると、小さく鳴くから。

 あたしは意を決し、猫を抱えて地球へ行く。


「あ、あの」

「あら、マビルちゃん! どうしたの?」

「猫にご飯をあげたくて」


 どうしたらいいのか分からなくて、トモハルの母親に助けを求めた。

 だって、お城には友達はおろか、親しい人すらいないから。

 トモハルの母は凛とした美しい人で、責任感が強い。

 猫を見せたら、すぐに色々購入してくれた。


「温めた子猫用ミルクでキャットフードをふやかし、与えるといいみたい」

「はい、分かりました」


 夢中で食べている猫を見ながら、一通り説明を受けた。

 よかった、これならあたしも出来そう。

 餌入れやトイレも買ってきてくれたので、ありがたく頂戴して城に戻る。

 怒られるといけないから、こっそり部屋へ連れ帰った。


「そっか、おまえもひとりぼっちだったのね。あたしと一緒にいよう、そうしたら寂しくないよ」


 とても可愛くて、ずっと撫でていた。

 それは、真っ黒で愛らしい子猫。

 

 あたしは、黒猫と過ごすことになった。


 トモハルの誕生日なので、その日の夕飯は信じられないほど豪華だった。

 あたしの好きなものが、たーくさん並んでいる。

 うん、美味しい。

 しかも、お風呂には薔薇の花弁が浮かんでいた。

 おそらくこれは、トモハルが貰った抱えきれないほど多くの花束の一部。

 綺麗だし、とてもいい匂いがする。

 花弁を摘んで見つめていたら、急に猫が心配になってきた。

 クロロン、そう名付けたけれど。

 入浴前に、庭に置いてきたのだ。

 城内に猫を入れていいのか分からなくて、怖かったから。

 後で飼ってもいいか確認してみよう。

 それにしても、むせ返るような薔薇の香りは官能的だけれど、陽だまりの匂いがする猫のほうが好きだなぁって思った。

 ……あたし、好みが変わったのかな。

 クロロンが気になって、ベッドに転がっても落ち着かない。

 そもそも、部屋はトモハル宛のプレゼントで溢れていて、どうにも心がざわめく。

 みんな、律儀だなぁ。

 あぁ、あたしはクロロンに会いたいな。

 ここで一緒に寝たいなぁ。

 そうしたら寂しくないのかな。

 あれれ、あたしは寂しいの?


「食事、美味しかった?」


 クロロンのことを考えていたら、突然声が降ってきたから慌てて起き上がる。

 気づけば、お風呂上りで頬がほんのり染まっているトモハルが立っていた。

 酷く疲れてるような印象を受けた、ちやほやされるというのも大変だね。


「うん、美味しかった。全部好き」

「そっか、よかったー」


 くしゃっと笑うけど、今日はトモハルの誕生日でしょう?

 あたしを喜ばせてどうするんだろう。ここのシェフ、大丈夫?

 あぁそうだ、一応お祝いの言葉を言わなきゃ。


「お誕生日おめでとー。十九歳だねー、もう若くないねー」


 あたしの誕生日は日本の暦で一月。だから、まだ十八歳。

 多分そう、一度死んでいるからよく分からないけれど。

 告げたら、トモハルは目を丸くしてあたしを見た。

 ……何よ、あたしが祝いの言葉をかけちゃいけないのか。

 気に入らなくて睨みつけたら、咳をして、顔を真っ赤に染めた。

 そのあと、奇妙な動きで部屋を一周し、ワインを一本とグラスを二個、手にして戻ってくる。


「これ、トビィがくれたんだ。きっと美味しいよ、一緒に呑もう」

「へぇ、トビィの選んだワインなら間違いないね。でも、おつまみは?」

「チーズと果実の燻製もあるよ」

「流石トビィ、気が利くっ」


 あたしは軽く頷き、グラスを受け取った。

 小さく、乾杯。

 よし、吞みながらクロロンについて話そう。


「……あのさ、言っとくけど、あたしはプレゼントなんて買ってないよ。期待しないで」


 あたしをじっと見つめていたから、催促されていると思い、怪訝に告げる。

 すると、吹き出したトモハルは穏やかに微笑んだ。

 普段のようにあたしの頭を撫で、思いの外優しい声でこう言ったんだ。


「要らないよ。……マビルがここにいてくれたから、十分だ」


 そうなの? 

 ふーん、変なのー、安上がりー。

 茶化そうとしたのに、目を逸らさず、一向に頭を撫でるのを止めないトモハルにこちらが照れる。

 なんなのよ。

 ワインが強いのだろーか、酔ってる?

 ハイペースだったかな、二人で一本を空にして、おつまみも食べ終わった。

 あぁ、クロロン。

 クロロンについて話さなきゃ。

 アルコールがまわってきたのかな、ちょっとクラクラする。顔は火照って熱いけど、今ならぐっすり眠れそうなほど、フワフワして。

 ボトルやグラスはトモハルが片付けてくれたから、横になったあたしは軽く伸びをした。


「クロ、ロン……」


 今の季節、寒くはない、暑いくらい。

 でも、きっと寂しいよね。

 分かるよ、一人の時はあたしも寂しかったから。

 あぁ、でも、ねむ、ねむい……。

 重たい瞼が閉じていく、けれど、視線を感じて嫌々ながら目を開いた。

 戻ってきたトモハルが、横に座ってじぃっとあたしを見てくるから。

 ……なんなの。

 あんまり、見ないで欲しい。

 それより、庭に小さい黒猫が。


「マビル」


 妙に余ったるい声を出し、徐々に距離を詰めてきた。

 避ける力もなくて怪訝に見上げると、髪を撫でられる。

 髪を撫でていた手が、そっと頬に触れた。

 次の瞬間、不意に覆いかぶさってきて唇を塞がれる。

 そう、唇を。

 ふわって、柔らかいものが微かに触れて。

 ん? 

 ええええええええええええええええええええ!

 瞬間、思考停止に陥る。

 触れるか触れないかの口づけだったから、少し離れた瞬間に息をしようと唇を開いたら。

 なんか、入ってきた!


「……! っ!」


 どういうことだ、ちょっと待った、これは困るっ。

 完全に目が覚めた!

 止まらないトモハルに、あたしは必死でもがいた。

 いつもみたく、ぶっ飛ばそうと思った。

 また、窓硝子をぶち破って外に放り出そうと思って。

 それなのに、どうしても、どうしても……力が入らない。

 ワインのせいだ、アルコールが、あたしの身体と思考を乱す。

 というか、おまけに、あれだ、あれなの。

 信じられない、トモハルは、口づけが上手かったのだ!

 ので、生前? いや、前世? いや、魔族だった頃に百戦錬磨だったあたしの頭が、真っ白にー!


「っぁ、ふ……」


 …………。『っぁ、ふ』、じゃないでしょ、あたしーっ!

 何故ベッドで絡み合っているのー! 手首も拘束されてるじゃんー!

 唇が離れたら、ようやく視線が合った。

 マズイ。

 これは、マズイ。

 熱に浮かされた表情のトモハルは、異様なほど艶っぽい。

 いつもみたくヘラヘラしていなくて、妙に男っぽく、思わず惚れ直しそうになる。

 いやいや、惚れていない、惚れていないし、惚れない!


「ちょっと、ちょっとっ」


 暴れてみたけれど、ダメだ。

 こいつ、全力で圧し掛かってくる。

 動けないっ。


「好きなんだ、マビル」


 いや、あのさっ。

 また顔が近づいてきたから、近づいてきたから、胸が、苦しいから。

 なんか、ドキドキするから、胸が痛いから。

 このままだと、あたしの身体は熱で溶けてしまうからっ!


「くくくく口づけはっ! 好きな人としかしちゃいけないって、おねーちゃんが言ってたっ」


 寸でのところで、そう叫ぶ。

 一瞬、トモハルの顔が歪んだ気がしたけれど、気のせいだったかな。

 こちらの胸が締め付けられるほど、情けなく微笑んで。


「……ずっと、好きなんだ。俺はマビルのことがずっと好きだった」

「そんなの、一方的じゃん! あ、あんたはあたしのことが好きかもしれないけど、どうだっていい! 大切なのはあたしの気持ちでしょ? あたしは好きじゃないもんっ」


 また近づいてきたから、反射的にそう言ったの。

 そうしたら、硬直した。

 よし、このまま逃げ切ろう。

 でないと、あたしの心臓がもたないから。 


「まぁー、あたし可愛いから、好きになるのは勝手だよ、自由。でも、あたしは、好きじゃないし、おまけにさ、口づけが下手くそなんだもん。気持ち悪かったのっ」


 微動だしないトモハルを押し返す。

 ふぅ、やっと落ち着いて呼吸ができる。 

 反論してこないから、優位な立場に戻るべく、あたしは嗤ってやったのだ。


「嫌がるあたしを押さえつけて口づけするなんて、最低。このあたしがわざわざ時間を割いて誕生日を祝ってあげたのに、酷いと思わないの? アンタも知っているでしょ、あたしの好みはあたしに釣り合う極上の美形なの。好みの顔でもないし、おまけに口づけが下手くそなんて、冗談じゃない」


 前髪をかき上げ、唇をごしごし擦った。

 どんな顔をして聞いているのかなと思って、嘲笑って睨みつけたら。

 ……あ、あれ。

 …………。


「ごめん」


 それは、酷く掠れた声で。

 今にも泣き出しそうな顔が一瞬見えたけれど、すぐに俯いてしまった。

 それ以降、あたしを見ない。


「そうだよな。俺はマビルが望むような男じゃないし……好きになるわけないか。ごめんね」

「うん、そうだよ。勘違いも甚だしいよね」


 あ、あれ?


「頭、冷やしてくるよ」

「うん、そーして。あたしは寝るから。こんな危険な男の隣じゃ気分良く眠れないから、帰ってこないでほしーくらいだよ。あーあ、折角トビィが美味しいワインとおつまみをくれたのに、台無し」


 あ、あのっ。


「そうだね、ここでゆっくり寝ていてね」


 えっと。

 立ち上がったトモハルは、そのまま。

 一度もあたしの顔を見ずに、静かに部屋から出て行った。

 あ、あれ……。

 う、うん、これでいいや。

 もっかい、ベッドに転がる。

 寝よう、疲れた。

 ……でも、眠れない。

 眼が冴えてしまった。

 胸がドキドキして、身体中が熱い。


「…………」


 それから。

 トモハルの、顔が。

 なんだか、とても傷ついたみたいで。

 あたしは、悪いことをしたのかもしれない。

 目の焦点は合わないし、声はずっと震えていたし、顔面蒼白で。

 あぁどうしよう、胸が、とても痛い。

 あたしがトモハルを傷つけたの?

 ……いや、あたしは悪くない。

 そもそも、あんなことをしてきたトモハルが悪いのだから。

 あたし、悪くないもん。

 そうだよね?

 でも、それなら。

 なぜ、あたしは。

 胸がこうも痛くて、泣いているんだろう。

 あぁ、どうしてボタボタと大きな涙が零れているの。

 どうしてトモハルの表情が浮かんだままなの。

 まぁ、でも、アイツのことだ。

 きっとヘラヘラ笑って戻ってくる。

 すぐに戻って来て、土下座するはず。

 そうしたら許してあげるから。

 よし、だから寝よう。

 ごめんねクロロン、トモハルがいつ戻るか分からないから、あたしはここにいるね。

 朝迎えに行くから、待っていてね。


 明るい日差しが、窓から差し込んできた。

 鳥のさえずりが聴こえるよ。

 でもね……トモハルは、朝になっても戻ってこなかったよ。

 眠れなくて、ずっと待っていたの。

 戻ってきたら、叱って、手を繋いで眠ろうと思ったの。

 でも、でも、トモハルは、戻って、来なくて。

 あぁ、どうしよう。


 寝不足で朝ご飯を食べに行ったら、トモハルはもう先に仕事に入っていると言われた。

 どんなに忙しくても、朝食を一緒に食べるのが日課だったのに。

 それに、夜の間、何処にいたんだろう。

 ふ、ふん!

 知らない、勝手にしたらいい!

 

 それなのに、……お、おかしい、な。

 胸がとても痛い、痛いよ。

 あぁ、また涙が零れそう。

お読み戴きありがとうございました、ここから先が多分トモマビの本編になります。

また機会がありましたら立ち寄ってくださいませ。

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