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◇リョウがわからない。

 雲の裂け目から、星の清冽な光が目の前に下りてきた。


『もし。私の魔力を超える程の強い想いを、君たちが持ち合わせていたとしたら。……勇者としての記憶が戻るだろう。しかし、決して他の仲間には話さぬように。誘発は避けてくれ、それだけは念を押しておくよ』


 神クレロの言葉が蘇り、我に返る。

 ……あぁそうか、記憶を取り戻していない者への過剰な接触は禁止されていたんだっけ。


「どしたん?」


 ミノルが窓から顔を出し、不思議そうに俺を見ている。

 開きかけた口を無理やり噤んで、苦笑して手を振る。


「いや、なんでもない。なんとなく、顔が見たくなっただけ。ごめんな」

「乙女かよ、変な奴。そうだ、次の日曜も健一(けんいち)たちと勉強しようぜ」

「勉強というか、遊びたいだけだろ」

「まぁ、そうだけど」


 ニカッと笑うミノルに訊きたいことは山ほどあるが、俺は必死に逸る気持ちを抑えた。

 おそらく、ミノルは思い出していない。

 けれど、確認したいことがある。

 言葉を探して観察していたら、彼の顔が少し赤く腫れていることに気づいた。


「頬、どうしたの? 腫れてない?」


 自分の頬をつついて問いかけると、ミノルはばつの悪そうな顔をした。

 少し躊躇ってから、観念したように吐露する。


「……目立つかー。さっき、元カノに殴られた」

「ん? え? 元カノ?」


 思いもよらぬ言葉に、慌てふためく。

 告白されたから、成り行きで後輩と付き合い始めたことは聞いていたけども。


「さっき別れたから、もう元カノだろ?」

「ん? ぅん? ええと、つまり……元カノというのは先週付き合い始めた後輩の子?」

「そう、ソイツのこと。今日さ、部屋に呼ばれたから遊びに行って」


 付き合って数日なのに、もう破局したのか……。

 呆れてしまい、大きな溜息を吐いてしまった。

 付き合う時は慎重に、と何度も言ったのに。


「部屋に行って、なにがどうしたら痕が残るほど殴られるわけ?」


 素直に訊くと、ミノルの唇が尖る。


「キスしてイイ雰囲気になったところまでは覚えてる。ただ、記憶にないけど、俺はそこで違う女の名を呼んだらしい。結果、ブチ切れ、殴られ、追い出された」


 突っ込みどころが多すぎるけれど、違う女の名……か。

 今なら分かる、ミノルが呼んでいる名は“アサギ”だと思う。

 頬を擦りながら苛立ちを見せるミノルには、誰のことなのか全く分からないようだった。

 ……そうなんだ、記憶を取り戻した俺は、違和感に気づいてしまった。

 一か八か、突っ込んでみることにする。


「小学生の時、めちゃくちゃ好きな女の子がいただろ? あの子の名前じゃないかな?」


 緊張で、喉が渇きだした。

 怪訝に眉を顰めたミノルだけれど、すぐに笑いだした。


「誰だよ、そんな奴いたっけ?」

「い、いただろ? 小柄で華奢で可愛くて料理も巧くて賢くてスポーツ万能で誰からも好かれる人気者で……」

「はぁ? 現実にそんな女いないだろ。……もしかして、あれか? ゲームのキャラのこと言ってる? 確かに胸がでかくて可愛かったけど」


 この会話で、確信した。

 妙だ、ミノルは()()()()()()()()()()()()()

 背筋が凍りついたように寒くなり、「そうか、ゲームのキャラだったっけ」と誤魔化す。

 考えをまとめたくてのらりくらりと会話をし、数分で窓を閉めた。

 得体の知れない不気味さに足が竦み、思わず床に座り込む。

 どういうことだろう、神クレロは『勇者になってからの記憶を消す』と言っていたのに。

 ミノルがアサギを覚えていないなんて、妙だ。

 勇者だった頃の記憶は消えても、ミノルはその前からアサギを意識していたのだから、その感情は残るはずだ。

 ミノルだけじゃない、ケンイチもダイキも、そして記憶を取り戻す前の俺も、アサギに関して忘れていた。

 それに、先日……ケンイチが『田上()()』と言った。

 アサギの本名は『田上()()』だ、真昼なんて知らない。

 まひるなんて、マビルに似た響きじゃないか。


「くそっ、何が起こっているんだよっ!」


 頭を掻き毟り、やるせない気持ちで膝を抱える。

 誰かと話をしたいのに出来ないもどかしさで、気が狂いそうだった。

 まてよ、そうだ。


「リョウ!」


 以前、公園で見かけた彼を思い出した。


『僕はすぐに、何があったのか思い出すと思います』


 記憶を消される前、彼は自信満々に言い放っていた。

 記憶を取り戻した者同士であれば、会話をしても可能だったはずだ。

 それならば!

 確証はないけれど、今はリョウを信じるしかない。

 小学時代の卒業文集を引っ張りだし住所録を確認すると、家を飛び出した。

 彼の家は、アサギの家の近所だ。

 自転車に飛び乗り、以前は何往復もしていた道を突き進む。

 身体が覚えている、俺はこの道を知っている。

 息を切らせてリョウの自宅に到着すると、『三河』という表札を確認した。

 間違いない、ここだ。

 緊張と疲労で吹き出た汗を拭い、チャイムを押す。


『はい、どちらさまかしら?』


 女性の声だ、母親だろう。


「夜分遅くに申し訳ありません。リョウくんの友人で、マツシタトモハルといいます。彼は御在宅でしょうか」

『あら、(りょう)の? ごめんなさいね、出掛けているの』

「そうですか、失礼しました。あの、俺が来たことを伝えてください。小学校時代の……友人です」


 ……不審がられたかな。

 突然家に押し掛けるなんて、あり得ないだろうし。

 しまったなぁ、ケンイチかダイキにリョウと連絡をとりたいと話すべきだったかな。

 落胆し、トボトボと引き返す。

 ただ、折角ここまで来たので、アサギの家に立ち寄ることにした。

 もう夏なのに日中との寒暖差が激しく、薄着で出てきてしまったら、寒くて軽くくしゃみをした。


「こんばんは、()()()()()()

挿絵(By みてみん)

 声をかけられたので驚いて顔を上げると、リョウがこちらを見て微笑んでいた。

 その佇まいは、不思議と威厳に溢れている気がする。

 まるで、勇者だった頃のように。


「……こんばんは」

「珍しい場所で会うね、家はこの辺りじゃないだろ? 誰かに会いに来たの?」

「……そんなトコ」

「へぇ」


 弱ったな、思い出しているのかどうか、どうやって判断すればいいんだろう。

 こちらから開口するわけにもいかないし……。

 リョウはそれきり、真剣な眼差しで空を見ていた。

 どうにも居心地が悪くて俺も見上げると、息を飲んだ。


「よくね、星空を見ているんだ」


 ぽつり、とリョウが呟く。


「気づいた時にはもう、アサギはあんなふうに夜空を見上げていた。雨で星が見えない時も、ずっと。まるで、()()()()()()()()


 俺たちの視線の先に、ベランダで夜空を見上げているアサギがいる。

 瞬きしていないのではないか、というくらいに微動だせず、無表情で。

 精巧な人形のように見えるアサギは、俺が知っている彼女ではない気がした。

 ただ、彼の思わせぶりな台詞で確信した。

 リョウは確実に記憶を取り戻している。


「……いつ、記憶が戻った?」


 焦る心を必死に殺し、静かにアサギを見つめながら訊いてみた。


「僕は、中学一年の一月だよ」


 思わぬ返答に、呆気にとられて彼の横顔を見つめる。

 中学一年の、一月?

 張り合うことではない、それは理解している。

 けれど、恐ろしいほど記憶を取り戻すのが速くて、愕然とした。

 それほどまでに、リョウのアサギへの想いが強い……ということになるのだろうか。

 俺のマビルへの想いよりも? 

 一瞬脳をよぎっただけで、無性に苛立っている。

 口を噤んでいると、見透かされたように言葉が飛んできた。


「僕とアサギは特別なんだ。気にしないで」


 悪気はないんだろう、でも、その言い方も癪に障る。

 どう特別っていうんだ。


「トモハルの記憶が戻ったのは最近だね?」


 悔しいけれど、大人しく頷いた。

 リョウの前で、俺はちっぽけな人間でしかない。


「勇者の中で、トモハルが一番最初に記憶を取り戻すと思っていたんだ。マビルを想っていたから」


 視線をアサギに向けたまま、リョウはつらつらと語る。

 何もかも、お見通しらしい。


「でも、それならミノルだって」


 ムキになって、言い返す。

 そう、ミノルだってアサギを想っていた。

 だから、俺と同じように思い出してもいいはずなんだ。

 それなのに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「ミノルはね、ダメなんだ」


 涼し気な瞳と視線が交差し、怖気づいて後退する。


「確かに、ミノルはアサギを好きだった。でも、トモハルとは違うよ」


 親友を侮辱された気がして、自然と目が尖り、拳を強く握ってしまった。


「トモハルだって、憶えているだろう? ミノルは晴れてアサギと恋人同士になったのに、浮気をし、その関係に終止符を打った。あろうことか、酷い言葉をアサギにぶつけて……ね」


 険しくなったリョウの顔を見て、俺は緊張を解く。

 嫌でも憶えているし、思い出すだけでミノルに対して腸が煮えくり返るよ。

 それは、俺たちが異世界で魔王を倒し、地球に戻ってきてからのこと。

 ミノルとアサギは仲良くやっていたと思うけれど、何しろミノルは……天狗になりやすい。

 アサギという美少女が彼女になり、呆れるほど有頂天になってしまった。

 結果、自分の価値を高め、モテることを自覚し、告白してきた女子と付き合い始めたんだ。

 つまり、二股をかけた。

 本人的には本命はアサギで、例の女子は浮気だったのだろう。

 でも、得意げになっていたミノルは、あろうことか浮気相手とキスをし、「アサギは彼女じゃない」などとほざいた。

 あぁ、その時の光景は鮮明に思い出せるよ。

 運悪く、その場に俺とアサギはいたから。

 静かに涙を流し始めたアサギの顔を、手で覆ったっけ。

 微かに肩を震わせる姿が居た堪れなくて、俺も泣きそうだった。

 あの後、初めてミノルを殴ったっけ。 


「嬉しい感情より、辛い感情のほうが、心を揺さ振る力は強い。アサギに対して負い目がある彼は、記憶を消してもらえて安堵していたかもしれない。ミノルもアサギを間違いなく好きだったよ。けれど、彼はアサギを傷つけた自分と向き合うには弱いと思う。だから、よほどの事がない限り思い出せない。いや、……()()()()()()


 当時の怒りを察してくれたのか、リョウの声は思いの外優しかった。

 ミノルは、辛い過去に自ら蓋をしてしまったのだろうか。

 納得できるような、できないような。

 無性に苛ついて舌打ちしてしまったけれど、リョウの推測は合っていると思う。

 毒舌で見栄を張るし素直じゃないし奢り高ぶるけれど、ミノルは誰よりも繊細な心を持っている。

 やるせなくてアサギを見上げると、一瞬マビルに見えて驚いた。

 全然似ていないのに、目を擦ってもマビルに見える。

 え? 

 

「マビル?」


 思わず、口に出してしまった。

 苦笑し、リョウが「違うよ、あれはアサギだよ」と嗜めるように言ってきたけど、そうじゃない。


「アサギなんだけど……一瞬、孤独が苦手で、寂しくて仕方ない、っていうマビルに見えた」


 力なく呟くと、リョウが俺を凝視する。


「……アサギがとても、寂しそうに見える。独りで、誰も廻りにいなくて、助けて欲しいような。そんな雰囲気だから、マビルに見えたんだよ。以前のアサギとは全く違う、まるで別人だ」


 二人は似ていないのに、何故そう思ったのか自分でも分からない。

 狼狽する俺を見やり、リョウが神妙に頷いた。


「なるほど、マビルに近いが故に()()()()()()に気づいたのかな」


 普段は幼い声を出すリョウだが、トーンが一段階下がった。

 ただならぬ雰囲気に、音を立てて唾を飲み込む。

 緊張から、額を汗が伝った。


「あの日、僕たちにかけられた記憶消去の魔法は、アサギだけ違った」

「違った……?」


 初耳だ。

 吃驚する俺を前に、急に疲れたような顔つきになったリョウは力なく頷く。


「うん。アサギにかけられたのは、僕たちよりもより強力なものだった。念には念を、ということで。そもそも今回の記憶消去は、アサギを救う為に計画されたもの。当然アサギの記憶が戻っては困るから、その要因になりかねない僕たちも記憶を消されることになった。誰かがうっかり口を滑らせでもしたら、辻褄が合わなくなって大変だからね」

「それは……分かる」


 俺とリョウは上手く誤魔化せる気がするけれど、ミノルは苦手そうだから致し方ない。


「平たく言うと、アサギには二重の鍵をかけた。記憶を消してから、その記憶を封印したんだ。全てを思い出せばアサギが苦しむ、だからこその苦渋の策だった」


 知っているさ、みんながアサギを大事に思っていたから護りたかったんだ。


「けれど」


 強い口調に驚き、リョウを見る。


「予想通りだった、二重では足りないんだよ」


 意味を理解し、弾かれたようにアサギを見上げる。

 

「それは、つまり。……アサギも思い出しているってこと?」


 恐々尋ねると、リョウは大きく頷いた。

 それじゃ、意味がないじゃないか!


「トモハルだって知っているよね、アサギの能力を。誰よりも秀でていた彼女の記憶を消去するなんて、無理な話だった。……そもそも、呼び起こすだけの想いと力がアサギにはあるし」

「待ってくれ、結局無意味だったってことだよね? しかも、それを予測していたって?」


 混乱し、目がまわりそうだ。

 アサギを救うために決断したのに、これじゃ骨折り損のくたびれ儲けじゃないか。

 どう言い表せばいいのか分からない感情に支配され、しんどくなってきた。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              

「あの時はトビィと相談し、一か八かに賭けたんだよ。……無意味だったかどうかは、ここから先で幾らでも覆せると思うし」


 淡々と告げるリョウは、俺のように凹んでいない。

 いや、悩み抜いて出した答えなのかもしれない。


「僕はね、()()()()()()()まで()()戻ってきた」

「遠い過去の記憶?」


 不思議なことを言い出したリョウを訝しげに見つめると、朗らかに笑った。


「うん、前世の記憶だよ」

「前世……」


 告げられた途端、俺の脳裏に妙な映像が流れ込んだ。

 煌びやかなドレスを身にまとっているマビルが微笑んでいたり、頬を膨らませていたり、泣いていたり。

 マビルはあんな衣装を着ていなかったから、別人だと思う。

 それなのに、そのお姫様はマビルで間違いないと思ってしまった。

 今のが、“前世”の記憶だとしたら、とてもしっくりくる。

 眩暈がして額を押さえると、リョウが肩を支えてくれた。


「深呼吸をして、ゆっくり、息を吸って……吐いて」


 この声を、以前も聞いた気がする。

 あれは、マビルを殺された日だ。

 俺のせいでマビルは死んだと告げられ過呼吸になり、誰かが傍にいてくれたのを憶えている。

 そうか、リョウだったのか。


「落ち着いて、これからゆっくり話していこう。心強い仲間が出来たから、正直言うと嬉しいよ」

「光栄だけど、自信はない。役に立てるといいけど」


 我ながら情けなく吐露すると、リョウは誇らしげに笑った。


「勇者の要であるトモハルだよ、鬼に金棒だ」


 ん……? 勇者の要?

 違和感に首を傾げ、リョウを見やる。

 勇者の要は俺ではなく、アサギのはずだけどな。

 考えあぐねていると、リョウが遠い目をする。

 

「対策を練りたいからトビィと連絡をとりたいけれど、異界への門は閉ざされたままで。記憶を取り戻してからこじ開けようと試みたけど、駄目だった」

「こじ開けるって、無茶なことを」

「マビルがさ、異世界から地球に来たでしょ? あのルートを探すことが出来たらいけるんじゃないかなって思って、ずっと彷徨ってた。何処か分からない以前に、見つけたとしても封印されていそうだけど」

「あ……!」


 そうだ、マビルは何故か惑星クレオから地球に来てしまったんだ。

 当時の方法が分かれば、確かに俺たちも行けるかもしれない。

 行ったところでマビルはいないけれど、俺もみんなに会いたいと思う。


「俺も一緒に探すよ」

「ありがとう、助かるよ。それこそ、無駄足かもだけどね」


 一人より二人のほうが、気丈夫だ。

 小声で話していると、不意に上から声が降ってきた。

 ……アサギが何か喋っている。

 というか……歌っている?


「始まった、唄だ」


 瞳を細めたリョウは、アサギを食い入るように見つめている。

 俺も聞き取ろうと躍起になり、耳を、いや、神経を研ぎ澄ます。


「……の、あ……に、ご……さ……、つ……た……。ず……、あ……す……い……。お……い」


 声が小さすぎて、途切れ途切れにしか聞き取れなかった。

 歌い終えたアサギは、俺たちに目もくれず部屋へと消えていく。

 沈黙がその場を覆うと、俺は深い溜息を吐いてリョウへ向き直った。


「俺も訊きたいことがあるけれど、いいかな」

「うん、もちろん。どうぞ」


 謎は増えるばかりだけれど、いよいよ本題だ。

 手から汗が吹き出し、喉が渇く。


「ミノルやダイキ、ケンイチは、まだ思い出せていない。でも、今はほぼ一緒に行動している」

「いいことだね。離れていても引き寄せ合うそれは、間違いなく魂の絆だよ」


 大きく頷かれ、少し恥ずかしくなった。

 でも、照れている場合じゃない。


「ミノルたちと会話をしていると、どうにも違和感を覚える。奇妙な事だけれど、全員アサギのことを憶えていないんだ。憶えていない、というと語弊があるかもしれないけれど、勇者になる前も彼女のことは全員知っていたし、関わっていたのに。存在は知っているけれど、親しくなかったような口ぶりだった。記憶が戻る前の俺も同じで、彼女と過ごした現実が綺麗さっぱり消えている気がする。おまけに、先日ケンイチは『たがみまひる』って説明したんだよ。……名前が違う」


 全員、タガミアサギはなく、タガミマヒルと認識している。

 こんな話は聞いていない。

 沈思していたリョウは、躊躇いがちに口を開いた。


「その違和感は大事だと思うよ。クレロ様の思惑通りなのか、それは僕にも分からない。でも、そんなことは聞かされなかったから違うと思う。クレロ様は隠し事が下手くそだからね。だから、『田上真昼(たがみまひる)』という名前になっていて僕も驚いたよ。()()()()()()()()()()んだろう」


 名前を書き換えた?

 急に全身から血の気が引いた。


「変だよね。タガミアサギという人物は、この地球上に存在しないことになっている」

「は?」


 驚嘆し、それ以上言葉が出てこない。


「アサギの家族ですら、アサギのことを『真昼(まひる)』と呼んでる。何故そんなことになっているのか確かめたいから、僕はどうしても異世界へ行きたい。……とても嫌な予感がする」


 誰がどう聞いても一大事だ。

 狼狽していると、神妙な顔つきのリョウが耳打ちしてきた。


「トモハルはマビルに会いたい?」


 ……は?

 幾度も瞬きをして、リョウを睨みつける。

 会いたい、と訊かれたら答えはYESだ。

 けれど、マビルは死んでしまった。

 あの日、魔族のイエン・アイとタイに殺されたじゃないか。

 

「会いたいに決まってるだろ! でも、会えない」


 大声で怒鳴ったら、道行く高校生が驚いて自転車を停め、近所のおばさんが窓から顔を出した。

 それなのにリョウは微笑し、誰もいないベランダを見つめる。


「会えるよ」

「は? ふざけ」

「トモハルがマビルを思い出し、会いたいと願っているから。一途なその願いは、間違いなく叶えられる」


 俺の願いは叶えられる?

 マビルを蘇生してくれる誰かが現れるのだろうか。

 神でも出来なかったのに、そんなこと誰が出来るっていうんだろう。


「近いうちに、()()()()()()()()()()()()()()


 そんなことを言う彼は、悪趣味だと思った。

 以前の俺なら、怒りに任せて殴りかかっていたかもしれない。

 けれど、リョウの声と瞳は真剣そのものだ。

 茶化しているのではない、本気でそう言っていることが分かる。

 嘘みたいな話しなのに。

 俄かに信じがたい、けれど、信じたいと願ってしまう。

 またマビルに逢えるのなら、どれだけ嬉しいか!

 黙っていると、リョウに肩を叩かれた。

 随分重みがあって、肩が軋んだ気がする。


「いいかい? トモハルはマビルを全力で護る……それだけを考えて。彼女を護る為ならば、他を犠牲にしてもやむを得ないと非情になって。欲張ったら駄目だよ、いいね? 障害は、僕とトビィで打破してみせるから」 


 半ば声を荒げるリョウに臆してしまい、思わず頷いた。

 つまり、俺はマビルを救うことだけを考えればいいってこと?


「でも、それは」


 目の前でミノルやケンイチが傷ついても無視をして、マビルだけを護り続ける?

 ……考えただけで悍ましく、自分に腹が立つ。

 マビルと誰かを天秤にかけて友達を見捨てるなんて、そんなことは出来ない。

 全員助けたいと願ってしまう。

 考えを見透かされたのか、リョウの瞳が鋭さを増した。

 蛇に睨まれた蛙のように、俺は委縮する。


「正義感の強い君のことだから、誰かを犠牲にするのは苦痛だろうね。でもね、駄目だよ。トモハルはマビルだけを護って。生半可な覚悟では、この先やっていけない」

「で、でも! アサギのように強くなれば」


 必死に反論する俺を一瞥し、リョウは腕を高く掲げて空を指す。 


「無理だよ、()()()()()()()()()()()()()()。……全ては宇宙に浮かぶ天体が知っている。大地の鼓動と命の叱責、それは」


 キィィィ、カトン。


 不意に、何処かで何かが廻る奇怪な音が聞こえた。

 反射的に周囲を見渡し音の出所を探したけれど……見つからない。


「聞こえたんだ、()。……近いな。トモハル、マビルに会えるよ。もうすぐ」


 つらつらと告げるリョウが、予言者に見えた。

 ただ、予言者と言うのはいつもあやふやなことしか言わない。

 どうか、俺にも分かるように説明してくれ。

 整理できないのに威圧感あるリョウの顔に余計焦り、何も考えられなくなった。


「アサギの対であった惑星クレオの勇者トモハル、光の加護を受けし要の勇者。……来るべき時の為、思い出して欲しいのはマビルを守護できるだけの力。剣を、魔法の扱いを……取り戻して。呼べば僕が応えよう」


 そう告げるリョウは大人びて、静まり返る空に吹く風のような清冽な雰囲気をしていた。

 背筋が凍るほどに。


「他の勇者も近いうちに記憶を取り戻すよ。だから、全員で()()()()に備えて」

「あのさ。……マビルを何から護れと?」


 リョウの言葉全てを鵜呑みにしたわけではないけれど、出鱈目なことを堂々と言う奴ではない。

 疲弊しきった顔で、一呼吸置いたリョウが語る。


「……最も、()()()()()()

「それって、俺も知っている人物って意味?」


 リョウが微かに頷いたので、俺の心臓が跳ね上がった。

 誰だ。

 誰が相手だ。

 頭を抱え、低く呻く。


「きっと、トモハルは大丈夫だよ。()()()はそう上手くいかないだろうけれど」


 哀しそうに微笑み、リョウは去っていく。

 唖然として後姿を見送る中で、一陣の風が俺たちの間を吹き抜けた。

 何から整理すればいいのかな。

 自転車にのろのろと乗って帰路についたけれど、考えがこんがらがっている。

 リョウの言うことはさっぱり分からないけれど、それでも。

 ……マビルが、生き返る?

 マビルに、会える?

 

「もし本当にマビルが戻るのならば、俺は今度こそ護る」


 呟いたけれど、一体誰から護るというのだろう。

 あっという間に家に着いて部屋に戻ったけれど、ベッドに横になっても眠気はない。

 目が冴えてしまって、天井を見つめながら繰り返し考えていた。

 今度こそ俺が……マビルを護る。

 今はそのことだけを考えよう。

 早く会いたい。

 会えるのなら、会いたい。

 本当に会えるのか解らないけれど、お願いだ、どうか。

 リョウの言う通り、マビルに会えますように。

 他に何が起ころうと、今度こそ俺は。

 マビルを護ってみせるよ、必ず。

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