◇待っていて、マビル
本編をお読みの方で展開を知りたくない方は、ご注意ください。
本編第五章に突入しております。
腹を括ったら、不思議と恐怖が和らいだ。
俺たちの記憶は、すべて消える。
けれど、異界の人々が覚えていてくれる以上、俺たちがここにいたという事実は残る。
そう思えば、怖くないんだ。
ただ、勇者の要として幾多の危機を救ってきたアサギを失う異界は、俺たちの想像以上に不安を抱いているのかもしれない。
目の前で眠っているアサギを見つめ、拳を強く握る。
そもそも、俺たちが勇者として異界に来ることになった発端は、アサギだ。
六月、アサギが「行きたい」と言わなければ、勇者になることはなかった。
彼女が勇者を辞めるのであれば、俺たちもそれに従おう。
「でも、記憶を消すだけで、アサギは元気になるのかな」
納得できなくて呟くと、ミノルに手を握られた。
「忘れたほうがいい記憶だって、あるだろ」
苦々しく笑うミノルを見やり、俺も諦めたように笑う。
トランシスという元恋人に酷い仕打ちをされたアサギは必死に耐えていたけれど、限界がきたんだろう。
アサギが強い、だから、他人に弱みを見せない。
誰かに助けを求めることを、しなかった。
「俺たちじゃ頼りないだろうけど、……頼って欲しかったね」
遣る瀬無い思いを言葉にしたら、ミノルが鼻をすすった。
全員、アサギを大事に思っているのに。
誰も、助けることが出来なかった。
童話の眠り姫のように横たわっているアサギは、それでも綺麗で。
この世のものとは思えない。
「勇者であった時の記憶が消された場合……。その期間の記憶は、どうなるの?」
「君たちの脳が、うまいこと補填するだろう」
勇者を代表してクレロに問うと、当たり障りのない答えが返ってきた。
つまり、勇者にならなかった態で数か月間の『作られた記憶』が生まれるらしい。
特に大きな出来事もなく普通に夏休みを過ごし、正月を迎えて、今にいたるんだろうな。
俺たちは勇者になったからこそこうして親しく会話しているけれど、この間柄も消えてしまうらしい。
俺とミノルはもともと仲が良かったから、それは変わらない。
けれど、リョウとは勇者になるまでほとんど会話をしてこなかった。
これまで培った友情や絆が、リセットされてしまう。
それは、寂しい。
頭では理解しているけれど、『なかったことになる』って、恐ろしいね。
けれど、どこかでまた繋がると願いたい。
俺はトビィと真剣な顔つきで喋っているリョウを一瞥した。
アサギの幼馴染である彼は、誰よりもアサギの身を案じているのかもしれない。
「アサギを頼む」
「うん。……僕は大丈夫だよ、安心して。今まで通りだ」
トビィとリョウが、そんなことを話していた。
勇者としての記憶が欠けても、アサギとリョウは幼馴染だから、これからも傍にいるのだろう。
……あれ?
そういえば、アサギはもともとミノルに片思いをしていた。
その想いはどうなるんだろう、引き継がれるのかな?
もしかして、ミノルとアサギが付き合ったりすることもあるんだろうか。
俯いたままのミノルを見つめ、不確定とはいえ彼を応援したいと思った。
俺は駄目だったけれど、ミノルの恋は応援したい。
ミノルは口が悪くて調子がいい奴だけれど、アサギのことを想う気持ちは誰にも負けていないと思う。
いや、違うか。
トビィには負けるかな。
でも、頑張れ。
「では、そろそろ始めようと思う」
厳かな声でクレロがそう言うと、周囲に緊張が走った。
もうすぐ俺たちは卒業式を迎え、春から中学生になる。
俺はミノルと同じ中学だけど、他のメンバーとは離れ離れ。
このまま記憶を消されたら、アサギはもちろん、他のメンバーとは連絡すらとらないかもしれない。
怖くなってきて、圧迫感で呼吸が浅くなった。
「もし。私の魔力を超える程の強い想いを、君たちが持ち合わせていたとしたら。……勇者としての記憶が戻るだろう。しかし、決して他の仲間には話さぬように。誘発は避けてくれ、それだけは念を押しておくよ」
クレロの視線を感じ、知らず床を見ていた俺は顔を上げる。
話しては……いけない?
そりゃ、記憶が戻っていない相手に捲し立てたら、気が狂ったと思われそうだけど……。
「クレロ様。自分と同じように記憶が戻ったメンバーに出会えたのなら、……共有してもよいですよね? 記憶を呼び覚ます行動は慎むけれど、思い出した者同士が接触するのは構わないですよね?」
自信たっぷりに口を開いたリョウが、真正面からクレロを見つめている。
「あぁ、構わないよ。双方、気づけたのであれば」
「分かりました、ありがとうございます。それを聞くことが出来て、安心しました」
「思い出すと言い切るのか、リョウよ」
「はい。僕はすぐに、何があったのか思い出すと思います」
「つまり、遠回しに私の能力など他愛ないと言っているのかな?」
「そういう意味ではありません……けれど。これは、僕の運命だから」
断言するリョウに、唖然とした。
彼は地味な存在だと思っていたけれど、ものすごく堂々としている。
能ある鷹は爪を隠す、そんな言葉がぴったりだと思った。
でも、俺だって負けない。
俺も必ずマビルを思い出すから、記憶を消されることだって平気なんだ。
拳を強く握ると、振り返ったリョウと目が合った。
軽く頷かれたから、反射的に頷いてしまう。
何かの合図に思えた。
『互いに頑張ろう、またいつか』
そう言われた気がした。
「では、始めようか」
あぁ、俺たちの記憶が波にさらわれる砂のように消えていく。
アサギを護るために、消されてしまう。
おぼろげな視界の中で、黄緑色の髪のアサギを見やった。
……あれ? 今、アサギの瞳が開いた気がする。
気のせいかな。
マビル。
君を救えなくて、ごめんね。
今、何をしているんだろう。
綺麗な物を見ているのかな。
美味しいものを食べているのかな。
愉しく笑って、過ごしているのかな。
もし、何処かで生まれ変わって君と出会えるのなら。
……そうしたら、今度こそ願いを、我侭を叶えてあげるからね。
思い出すから、それまで待っていて。
寂しくないように、みんなにマビルのお墓参りを頼んだよ。
マビルの所持品は、トビィが預かってくれているよ。
だから大丈夫だよ、心配しないで。
君はいつも明るいから人気者で、苺みたいに甘くてすっぱい可愛い女の子だ。
俺の大好きな女の子。
護らなきゃ、護らなきゃ。
女の子を、護らなきゃ。
泣かせないように悲しませないように、護るんだ。
いつの日か、恋人に護ってもらえるまで。
その時まで、彼女が泣かないように……護らなきゃ。
俺は。
女の子を護らねばならない。
って、よく夢の中で俺は叫んでいるけれど。
女の子なんて、世の中に大勢いるし。
誰を護ればいーんだろうね?
俺の名前は松下朋玄。
この間小学校を卒業し、中学生になった。
子供の頃から得意だったサッカー部に入り、毎日部活と勉強の繰り返しで忙しい。
とはいえ、自分で言うのもなんだけど、もともとスポーツ万能で成績優秀だし、クラス委員も任されて教師からの評判も良い。
つまり、中学生活はとても容易いものだった。
無駄に目立つから反感を買ったりするけれど、喧嘩も強いし。
悪友である隣の家に住む腐れ縁の門脇実とは、同じサッカー部。
だから、とても楽しいし安心する。
ここまでくると、ずっと一緒な気がするな。
高校も一緒だといいなぁ。
可愛い女の子が大好きな、ごくごく普通の……普通より上の一般男子中学生だ。
いや、上の上でもいいかな、なんて自惚れてみる。
中学生になったら、彼女を作ろうと思った。
我侭で恥ずかしがりやで寂しがりの、とびっきり可愛い子。
そこらにはいないってくらいの美少女がいいな。
それは、マ。
?
……誰のことだっけ?
?
今、誰の名前を呼ぼうとしたんだろう。
マ?
マ……。
彼女は欲しい。
けれど、『好きになれる女の子がいない』。
だから、彼女は出来ない。
まぁいいや、それどころじゃないし。




