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◇勇者ってなんだろう

本編第四章中盤のすさまじいネタバレを含みます、嫌な方は読まないでください。


「たすけてーっ、トモハルーっ!」


 鉛を張ったような暗い空に、ボタリと大きな血塊が落ちる。

 血液が霧のように飛散する様子は、まるで花火のようだった。


***

挿絵(By みてみん)

 俺が産まれて初めて好きになった、とても可愛い女の子。

 綺麗なふわふわの黒髪に、猫のように大きくて宝石みたいに輝く黒い瞳。

 しなやかな身体はとても色っぽくて、ドキドキした。

 何を着ても似合ってしまう、そこらにはいない飛び切りの美少女だ。

 時折瞳を伏せると、胸を鷲掴みにされた。

 だから、引き寄せて抱きしめたくなったんだ。

 そんな、女の子は。


 今、俺の目の前で死にました。


 今まで呼ばなかった俺の名前を呼び、涙を零して、身体中から血を流して、懸命に腕を伸ばしながら。

 俺の目の前で、粉々に。

 そう、……粉々に。

 彼女の華奢な身体は……一瞬で、消えました。

 切り裂かれたのか、吹き飛ばされたのか、いや、木端微塵っていう便利な単語があったっけ。

 可愛いマビルの姿が、瞬時に掻き消えた。

 可愛い声で泣き叫ぶ、その悲痛な悲鳴と苦痛の表情とが、俺の脳裏に焼きついて離れない。

 マビルは、殺された。

 俺の目の前で、殺されたんだ。

 結局、俺は助けられなかった。

 マビルのことを、護ることが出来なかったんだ。

 何が起こったのか理解出来ないまま、呆然とその場に佇んでいた。

 腕を伸ばしたまま、石化したように固まって。

 目的を失い、思考が停止する。

 動けなかった。

 何をやっているんだろう、俺は勇者なのに。

 不意に右腕が痛いくらいに引っ張られ、ようやくそこで俺は気がついたんだ。

 マビルを殺した奴を、捜さなければいけない。

 姿は見えないけれど、こんなの、誰かが動かなければ不可能だ。

 一体誰が、何の為に。

 腕に突き刺さっているものがアサギの爪だと気づき、痛みで我に返った。

 アサギが俺を掴み、真っ直ぐ飛んでいる。

 表情は見えないけれど、掴んでいる手の力から激怒していることは把握できた。

 当然か。

 でも、俺にはまだそこまでの怒りがない。

 理解が追いつかないし、何より、これは夢だと願っているから。

 けれど、光る物が上空から降ってきたから、吸い込まれるようにそれを握ったときに目が冴えた。

 震える手の上でそれを見る。

 苺の形のネックレスは、俺がマビルにあげた物。、ネックレス。

 安物だから嫌そうな顔をしていたけれど、渋々つけてくれていたっけ。

 そうか、まだ……持っていてくれたのか。

 とても嬉しいけれど、マビルはもう。

 何処にもいない。

 マビルは、殺された。

 誰かに、殺されたんだ。

 出て来いよ、どいつだよ! 

 ようやく、現実に追いついた心と共に憎しみが湧き上がってくる。


「オ、ァ、ゥ、ゥウアアアアアアアア!」


 知らず、獣のように吼えていた。

 姿が見えぬ相手が憎くて憎くて、口から吐き出さないと俺が吹き飛びそうなくらいの怒りが身体中に満ちている。


「トモハル、いける?」


 一瞬、誰の声か分からなかった。

 初めて聞く、アサギの激昂した声だ。

 苺のネックレスをポケットに突っ込むと、反射的に剣を抜く。


「おいで、セントラヴァーズッ」


 アサギが自身の武器を出したので、俺も剣を引き抜いた。

 目の前に、魔族がいる。

 ピンクの髪を揺らして、薄ら笑いを浮かべている二人組みだ。

 顔立ちが似ているけれど、兄弟なんだろうか。


「マビルを殺したの、おまえらかぁっ!」


 怒りに任せ、アサギと同時に斬りかかった。

 コイツらは倒さなければいけない、倒さなければいけない。俺は倒さなければならないんだ。

 死んでほしい、死んでほしい、死んでほしい、死んでほしい。

 ……マビルは戻らないけれど。


「貴方、嫌い」


 目の端に、猛攻を繰り返すアサギが映った。

 俺は、目の前の相手に集中する。

 左手で、馴染んだ剣を強く握った。

 目の前でゆっくりと微笑んだ俺の相手は、背が低いほうの魔族だ。

 腹が立つほどにやけて笑い始めるから、頭に血が上る。

 くそっ、馬鹿にしてんのかっ。

 剣を大きく振り被った瞬間。


「勇者様が手を離してくれて助かったよ。触れられていると術が発動しなくてねー、折を見計らうのが難しいんだ」


 背筋が薄ら寒くなるほど、透き通った声だった。

 硬直し、その声に聞き入る。


「まぁ、手を繋いでいたくらいなら、強行突破出来そうだったけど。抱き締めていたら無理だったなぁ。残念、勇者様」


 ……卑しく笑うこいつの顔を見ていた。

 意味を知り、俺の身体が震え出す。


「もう一度、丁寧に教えてあげるよ。あの影武者は、勇者様が抱き締めてさえいれば、死なずに済んだ。つまり、君が悪いよ、勇者君」


 頭が混乱した。

 膝を叩いて泣きながら大笑いをしているこの魔族の言葉に、打ちのめされる。

 数秒、数分、数十分、時が止まった気がした。

 でも、そんなわけなくて。


「役立たずの勇者、死んどけ。惚れた女一人護れず、何が勇者なんだか? ただの無能な小僧だろ」


 耳元でそう聞こえた、へばりつくような声に全身が大きく震えた。

 何だって?

 マビルが死んだのは、俺のせい?

 そう言ったのか?


――そうだね、君のせいだね。


 俺のせい、俺のせい、俺のせい。

 俺を蔑み嗤う声が、幾重にも聞こえてくる。


『マビルのこと、護りたい。俺が勇者になったのはこの為だ』


 そう堂々と言い放った俺を見て、みんなが嗤っているのだ。

 あぁそうだよ、非難されなくても分かっているよ。

 俺が悪いんだよっ!

 そんなこと、分かっているよっ!

 ずっと手を握っていたら、防げたかもしれない? 

 あぁ、それなら。

 マビルを殺したのは、俺だ。

 吐き気が込み上げ、両手で口を塞ぐ。

 誇らしかった勇者の剣が落下していくのを、他人事のように見ていた。

 ごめんよ、セントガーディアン。

 俺は相応しくない持ち主だ。

 だって、マビルを護ることが出来なかった。

 俺じゃ、駄目だ。

 その名に、相応しくないだろ?

 激痛が走ったけれど、マビルはもっと痛かったろうなぁと思い、甘んじて受け入れる。

 だから、痛くない。

 マビルに比べたら、こんな痛みなんて。


「しっかりしろ! 何をやっているっ」


 トビィの声が、聞こえた気がした。

 あぁ、不甲斐ない勇者を助けに来てくれたのかな。

 俺は()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 なんて間抜けなんだろう。

 気づけばデズデモーナの背中に乗せられ、唖然としたまま目の前の光景を眺めていた。

 アサギが何か怒鳴っていた。

 それでも俊敏に動く姿は美しく、そして強い。

 トビィが何か叫んでいた。

 動けない、動けない。

 俺は動けない。

 いいなぁ、アサギは。

 あんなにも強くて。

 アサギのもとにマビルがいたら、助かったのかなぁ。

 アサギは強いからなぁ。

 いいなぁ。


「……落ち着いて。呼吸、出来る? ゆっくり息を吸って、吐いて。そう、その調子だよ」


 この声の主すら思い出せなくて。

 ただ、瞳に映る光景を見つめる。

 俺が、あの時マビルの手を放さなければ。

 俺が、あの時マビルを抱き締めていれば。

 マビルは、死ななかった。

 なら、俺は生きる価値がない。

 だから、呼吸する必要はない。

 それなのに、空気を求めてしまう。

 う、あ。

 うぁ。


「ウ、ウゥ、ウワアアアアアアアッ!」


 そこからは、よく覚えていない。

 絶叫し、半乱狂。

 誰かが身体を押さえつけていた、けれど、解らない。

 話しかけてくれているけれど、声を聞き取ることが出来ない。


「マビル、マビル、マビル!」

「落ち着いて、トモハル!」


 どのくらい時間が経過したのか。

 ようやく俺が認識できたのは、緑の髪のアサギだった。

 アサギが駆けつけてくれたけれど、違う違う、違う、違う!

 違う、違うんだ。

 アサギになんとなく似ているけれど、全然違う、マビルっていう名前の可愛い女の子。

 あの子を、返して。

 頼むから、返して。

 誰か、返して。

 返せよ、マビルを返せよ! 

 時間を戻せよ、助けるから、死なせないから誰か時間を戻してくれよ!

 マビル、マビル!


「ゥワァァァァァァァァァァ!」

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